👺 天狗の羽団扇(1)夫婦の秘密

 昔々、ある所に夫婦がいた。夫を与兵衛よへえ、妻をといった。

 与兵衛が、家の裏にある天狗山てんぐやまで柴刈りをしては町に売りに行って、暮らしを立てていた。したがって、暮らし向きは楽ではなかった。


 この夫婦には、他人ひとには言えない、しかも、考えるだに恐ろしい秘密があった。

 夫はここ2晩ばかり、夢にうなされた。その秘密が、夢の中に出てくるのだ。


  *


 夢の中で、与兵衛は年老いた実母、を背負って、天狗山を登っている。

 およねは痩せ細っていたから、とても軽い。

「天狗山に、そんな見晴らしのいい所があったかえ?」

 与兵衛は、天狗山のてっぺん近くにある見晴らしの良い所で、一緒に握り飯を食べようと言って、およねを連れ出したのだ。

「俺もなぁ、きのう見つけたんだわ。たまには、お袋様に孝行せねばと思ってな」

「ありがとよ、与兵衛。わしゃ、涙が出そうじゃ……。じゃがなぁ、あの鬼嫁が、よく握り飯を作ってくれたのぅ。雪でも降るんではないかね」

 握り飯といっても、与兵衛の暮らしでは、米の握り飯などめったに食えない。今日も、ほとんどひえあわだ。

「あいつにも、いいところはあるだよ」

「オメエは、おかつの尻に敷かれちまってるからな」

「そんなことねぇってば」

 よくあることだが、隣村からおかつが嫁いできて以来、嫁としゅうとめの仲が良くない。

 おかつは、与兵衛が出掛けるたびにおよねから意地悪や、ひどいときは折檻せっかんされたと、密かに与兵衛に訴えていた。ところが、そのほとんどが、嘘、あるいはひどく誇張された話だった。

 初めのうちは、気にも留めなかった与兵衛だが、繰り返し聞かせられるうちに、おかつの言うことを信じ込むようになった。


 やがて、与兵衛は山道を逸れて、茂みの中に入っていった。まるでけもの道のようだ。

「あれ。こんな道あったかね」

「きのう見つけたんだ。熊か猪が通る道だろう」

「そんな怖ろしなとこさ行って、大丈夫か?」

「心配すんな」

 辺りは、昼なお暗い深い森だ。道が急坂になり、さすがに与兵衛の息が上がってきた。

「わしは、一度もこんなとこ、来たことねぇぞ。昔からこの山の森には、天狗てんぐが住んじょるといわれちょるからな。引き返した方がいいぞ」

「なーんにも、怖いことなんかない。それ、もうすぐだ」


 高い木に囲まれた、ちょっとした広場のような場所に来た。梢の陰が重なり合って、まだ昼だというのに、辺りは暗い。

 そこに、かやで作られた、粗末で小さな小屋があった。

「オラ、くそしたくなっちまっただ。ちょっくら行ってくるから、ここで待っててくれ。狼や熊なんぞが出たらいけんから、その小屋に入っていてくれや。さ、こっちだ」

 与兵衛は背中からおよねを降ろすと、手を引いて、小屋に導いた。

「何だね、この小屋は。こんなもん、誰が作っただ?」

「猟師の小屋じゃねえかな。握り飯の包みも置いとくよ。腹、減ってるか? 減ってるんなら、先に食べていてくれ」

「いんや。見晴らしのいいとこさ着いたら、オメエと一緒に食うべ」

「そんじゃ、行ってくる」

 与兵衛は小屋から出て、小屋の扉を閉めた。そして、そっと音を立てないよう注意しながら、外からかんぬきを掛けた。扉を内側から開けることは、できなくなった。

 続いて与兵衛は、小屋の後ろに積んであった柴(雑木の小枝)を運んで、小屋の周囲に置いた。

 そして、小屋の後ろの壁際に行くと、ふところから枯れた芝の葉の塊を出し、柴の下に詰め込んだ。

 与兵衛が次にとった行動は、驚くべきものだった。懐から火打石を取り出すと、それらを擦って、芝の葉の塊に着火させようとしている。しかし、焦っているためか、なかなか着火しない。

「誰じゃ? そこにおるのは。与兵衛か?」

 中から、およねの声がした。

 その瞬間、芝に火が着き、あっという間に柴や茅作りの小屋に燃え移った。

「与兵衛! 助けてくれ―!」

 小屋の中から、およねの悲痛な叫びが聞こえた。

「わぁ——!」

 与兵衛は、絶叫した。そのとたん、夢から覚めた。


  *


「なんだね、お前さん。また、夢にうなされてたのかい?」

「いや。大丈夫だ」

 とはいうものの、与兵衛の声はまだ震えている。

「まだ、のこと、気にしてるのかい?」

「うん……。いや」

「なんだい、いつまでもウジウジして。男なんだから、しっかりしておくれよ」

「お袋の、最期の声が耳から離れねぇんだ」

「だって、仕方がなかったんじゃないか。が生まれたら、みんな飢え死にしちまうんだよ。婆様には気の毒だったけんど、老い先短いんだからねぇ」

「まあ、そうだな」

「まだ聞いてなかったけど、婆様の死骸しがいは、ちゃんと見届けてきたんだろうね」

「うんにゃ。おら、恐ろしくなって、すぐに逃げた。だけんども、小屋は勢いよく燃えていたから、まず間違いはねぇ」

「なら、いいんだが」


 彼らのひそひそ話に、じっと聞き耳を立てているものがいた。

 屋根の上に1羽のからすが留まっていた。あばら家だから、彼らの声は屋根の上からでも聞こえる。

 烏にしては大きく、大鷲おおわしほどの大きさがある。その目は、火のように赤い。

 与兵衛とおかつの話し声が止んだ。二人とも、再び眠りに落ちたのだろう。

 するとその大烏は、真夜中だというのに舞い上がり、音もなく闇の中に飛び去った。


《つづく》

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