👍 一寸法師(4)法師、産婆に嚙み付く

 産婆が、一寸法師を抱きかかえて、千姫の住む小屋を出ようとした時である。

「ギャー!」

 産婆の叫び声が響いた。首のあたりを押さえている。

 千姫が目配せをすると、突き飛ばされて倒れていたが立ち上がり、産婆の正面に回り込んだ。そこには、驚くべき光景があった。

 生まれたばかりの一寸法師が、産婆の首に食らいついているのである。産婆は両手で法師を摑むと、引っ張って首から引き離そうとした。

 しかし、スッポンのように食らいついて、離れない。あまり強い力で引っ張ると、いっそう痛みが増すし、首の肉まで食い千切られそうで、出来なかった。

「あ、あたしが間違っておりました。夕月の方様の命とはいえ、産婆として、してはならぬことでした。もう二度といたしませんので、どうかお許し下さい」

 産婆は首に法師をぶら下げたまま千姫の前に戻り、平伏した。

「夕月の母上から、どのような命を受けてきたのか、正直に言いなさい」

「は、はい。すべて申し上げます。法師様を連れ去り、鳥辺野とりべのに置き去りにせよとの仰せでございました」

「なんと恐ろしいことを……」

「あたしも、そんなことはしたくなかったのですが、金子きんすに目が眩んでしまいました」

「分かりました。法師、もうよいでしょう。許してお上げなさい」

 優しい声で姫がささやくと、法師は産婆の首から口を離し、するりと落ちた。そこを、いとが受け止めた。と同時に、産婆の首から鮮血がほとばしった。産婆は手で首を押さえながら、走り去っていった。

「良かった、良かった。無事でよかった」

 いとから法師を受け取った千姫は、法師を抱きしめ、頬擦りした。

 法師は、普通の乳飲み子とは違い、泣くこともなく、ニコニコしている。

「さあ、たんとお乳を飲みなさい」

 法師は、普通の赤子の2~3倍、いや、4~5倍の速さで成長した。不思議なことに、いとも乳を出すようになったので、毎日二人から、たらふく乳を飲むのであった。


 3年経った。

 法師はすくすくと育ち、今では立派な若者である。背丈は普通の若者であり、もはや一寸法師という名は、体を現さない。

 住まいは例の茅屋だったが、衣食には不自由しなかった。三条の宰相殿が、密かに仕送りをしてくれていたのである。

「なぁ、法師。お前も立派になったことだし、一度、清水きよみず観音かんのんさんにお参りに行きたいと思うのですが、どうでしょう」

「それは良いお心掛けでございます。姫様」


 ふつうに考えれば、姫の腹から出てきた法師は子であり、姫は母である。しかし、二人の関係は、二人がまだ屋敷にいた時と変わらないというのが、二人が暗黙の了解とするところとなっている。

 仮に法師が姫の子だとしたら、父は誰かということになる。 父などいないのだ。

 その事は、いとも飲み込んでいるようだ。


 秋のある日、3人は茅屋を出て、音羽山おとわやまに向かった。当時の清水寺にはまだ、後世に見られる「清水の舞台」はなかった。

 3人は、本尊「十一面千手観世音菩薩せんじゅかんぜおんぼさつ」にお参りした。千姫は、これまで無事に過ごせたことを感謝するとともに、3人の幸せをお願いした。

「法師は、観音さんに何をお願いしたのです?」

「それはもちろん、姫様のご健勝と、早く良いお相手が見つかりますようにと」

「嘘おっしゃい」

「え? 嘘など申しておりません」

「私のような……」

「私のような? 何です?」

「私のような、醜い女など、誰がもらってくれましょうか」

「姫様! 何ということを」

 法師が千姫の顔をチラリと盗み見ると、笑っている。

 確かに千姫は、美形とはいい難い。しかし、素直で優しい心根の持ち主だ。それは、外面の美しさより、ずっと尊いことではないか。世の中には、外見は美しくとも、心が冷たい人間はいくらでもいる。夕月の方のように。

 法師の心の中で、千姫を愛おしく思う気持ちが、どんどん膨らんでいった。だが、無理やりそれを消し去ろうとした。

 自分には、やらねばならないことがある。ここで千姫に惚れることなど許されないのだ。

 

 さて、お参りの帰り道である。

 清水坂を下るころには日が傾き、なぜか人影もまばらだった。

 突然、藪の中からオニが1匹、いや、10匹現われでた。

 いずれも粗末ななりをしているが、雲を突くような巨漢である。彼らは、3人を取り囲むようにして立ちはだかった。

「久しぶりだねぇ」

 女の声だ。

「その声は、ジャジャだな?」

「覚えていてくれたのかい」

 一人の大女が、進み出た。

「おや、ずいぶんデカくなったじゃないか。打ち出の小槌こづちでも、使ったのかねぇ」

「余計なお世話だ」

「この人たちは何者です?」

 そう法師に問う千姫の声は、微かに震えている。

「こいつらはオニです。人間の肉や骨、はらわたが大好物で、夜の巷を跳梁跋扈ちょうりょうばっこする魑魅魍魎ちみもうりょうたぐいですよ」

「言ってくれるじゃないか。だが、そう言うお前だって、今は人間のなりをしているが、元はと言えば、ナメクジの親玉だよな」

 千姫が、不思議そうな顔をして聞いている。

「俺たちに、何の用だ?」

 法師がそうただしたのには、話題を「ナメクジ」から逸らす意図もあった。

「知れたことさ。お前が持っている通信機をよこしな」

「通信機だと? お前たちだって、持っているはずだ」

「あたしたちのは、お前のに比べて性能が低いから、母星には届かないんだよ」

「それはお気の毒に。せいぜい、性能向上に努めるんだな」

「つべこべ言わず、早くよこしな」

「通信機は、俺の体の中にある。欲しければ、俺を捕まえて、取り出すんだな」

 すると、黙って突っ立っていた大男の一人が吠えた。

姐御あねご。こいつをとっ捕まえて、八つ裂きにしましょうや」

「だめだね」

「なぜですかい。こんな優男やさおとこ、一捻りですぜ」

「こいつは、あたしたちより10倍くらい速く動けるんだよ。エラくすばしこい野郎なんだ。頭を使うんだよ、頭を」

「へい」

 ジャジャは、指や目を使って、男たちに指示した。

「やれ」

 ジャジャが命じると、男たちの大半が法師に襲いかかった。法師が防戦する隙に、男2人がを横抱きに抱えると、すごい速さで走り去った。

 千姫はただオロオロするばかり。法師も、多勢に無勢で防戦一方だった。

「止め!」

 ジャジャが叫んだ。

「あの女はもらった。明日の夜明け、一人で鳥辺野の奥まで来い。もちろん、通信機を持ってな。女は、通信機と引き換えに、返してやる」

「通信機は、渡さない」

「ならば、あの女は、あたしたちの朝飯あさめしになる。まだ若いから、柔らかくて旨そうだねぇ」

「ズズズズ」

 大男の一人が、垂れるよだれを吸い込んだ。

「さ、引き上げるぞ」

 オニの一団は、藪の中に去っていった。

「姫様、もう日が暮れます。とりあえず、小屋に戻りましょう」


 二人は、夜道を歩いて行く。夜空は満天の星だ。

「法師、どうしたらいいのでしょう。いとは私の妹も同然。死なせたくありません」

「もちろんです。ですが、姫様に申し上げねばならないことがあります」

「何ですか?」

「私は、日ノ本の者ではありません」

「と言うと、唐天竺からてんじくから渡ってきたと?」

「いえ、もっと、ずっと遠くからです」

「ずっと遠く?」

 法師は立ち止まって、星空の一角を指差した。

「え? 星、ですか?」

「はい。この指の先をずっと伸ばしたところに見えている、暗く小さな星から来ました」

「そ、そんな。にわかに信じられません」

「そうでしょう。私の元々の姿は、今とは似ても似つかぬものでした」

「さっき、女オニが、『ナメクジの親玉』とか言っていましたね」

 聞いていたんだ! 法師は内心、ドキリとした。

「そのようなものです。難波のお婆さんと、そして、姫様のお力で、今の姿となったのです」

 二人は小屋に着いたが、話は続く。

「それで、法師がここに来たのは、何のためです?」

 また、ドキリとした。

「そ、それは……」

「もう、何を聞いても驚かないと思います。正直に話しなさい」

「私の故郷である母星は、天変地異が続いて、住めなくなりつつあります。そのため、どこか移り住む場所を探しているのです。私は、ここ――地球――を探索しに来たのです」

「もしここが、移り住むのに適していたら?」

「通信機で母星に連絡します。色々な星を比較して、場合によっては、この地球に移り住みます」

「そうすると、私たち人はどうなります?」

「人とは、できるだけ共存したいと思います」

 法師は言葉を濁したが、実際には、対象となった星を制圧することも辞さない計画であった。

「襲ってきたオニとは、何者ですか?」

「オニは、私たちの星のすぐ近くにある星の住人なのですが、やはり、その星には住めなくなってきていて、移住先を探しているのです。私の跡をつけてきたようです」

「欲しがっている通信機とは?」

「彼らの通信機の性能では、母星に届かないのです。彼らは体格には優れているものの、技術水準は私たちより劣っています」

「いまだに信じられませんが、だいたいのことは分かりました。それで、どうやって、いとを助けるのです?」

「私が乗り込んで、オニを一人残らず成敗します」

「相手は10人くらいいるようです。一人で大丈夫ですか?」

「はい。しかし、武器がありません。よく斬れる刀が欲しいのです。それと、私が闘っている間に、いとを助ける人が一人」

「そうですよね……」

 千姫はしばらく考えていたが、きっぱりとした口調で言った。

「父上にお願いしましょう」

「姫様は、勘当された身。お聞き届け下さいますでしょうか?」

「今すぐ行きます。法師も一緒に来なさい」

 

 二人が三条の宰相殿の屋敷に着いたのは、すでに夜も更けたころだった。

「お頼み申します!」

 門前で、法師が大きな声を張り上げた。

 その声は、すぐに宰相殿の耳に入った。

「はて。あれは確か、一寸法師の声じゃが…。誰か見てまいれ!」

 しばらくして、家人から報告があった。

「門前に来ているのは、一寸法師、いえ、今はたいそう立派な若者です。それと、千姫さま」

「なに、千姫が⁈ すぐに通しなさい」


 二人はすぐに、宰相殿の前に通された。

「父上。お久しゅうございます。親不孝の数々、まことに申し訳ございませんでした」

「宰相様。一寸法師でございます。ご挨拶もせずにお屋敷を立ち退きましたこと、心からお詫び申し上げます」

「ずいぶん立派になったのう。屋敷を出てからの事を聞きたいが、火急の要件で来たのであろう?」

「はい、父上。実は、清水の観音さん参詣の帰り、侍女のいとが、オニに攫われてしまいました。明日の明け方までに助けなければ、オニに食われてしまいます」

「検非違使に、知らせるか?」

「いえ、それでは間に合いません。私が行って、オニを成敗いたします」

「何じゃと!」

「つきましては、よく斬れる刀を一振り、お貸しいただきたいのです」

「それは造作もないことじゃが、そち一人でオニを成敗できるのか?」

「はい。やってご覧に入れます」

「父上、もう一つお願いがございます」

「申してみよ」

「法師が闘っている間に、いとを助け出す者が一人必要なのです」

「そうか。我が息子たちを行かせたいところじゃが、情けないことに、二人とも惰弱で臆病ときておる。家人けにんの中で……、おお、竹丸たけまるがいいだろう。邸内で一番腕っぷしが強い若者だ」

 与えられた大刀をき、竹丸を従えた法師は、すっかり冷え込んだ夜の街に飛び出していった。


《続く》





 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る