それから?

oxygendes

第1話

 昼過ぎに舞い落ち始めた雪はこんこんと降り続き、夕暮れ前には野山を白く覆い尽くしました。山間やまあいの小さな里の屋根の上にも雪が積もり、その周りでは田畑や道が等しく雪で覆われて見分けがつかなくなりました。

 さよは軒下に出て、お父とおっ母、そしてじいさまの帰りを待っていました。木枯らしがひゅうひゅうと、さよの着物をはためかせ吹き抜けていきます。


「もう家ん中に入りんさい。いつまでも出とったら風邪を引くけぇ」

 家の中からばあさまが声をかけした。

「でも、みんなはまだ帰って来とらん。ここで待っとらんと……」

 さよのお父とおっ母、じいさまは、この年最後の繭出しのため、山向こうの宿場町へ繭玉をいっぱいに詰めた大籠を背負って出かけていたのでした。

「雪の山道の怖さはあの三人も真白屋さんもよおっとる。この雪なら今日は向こうに泊まって、明日帰ってるけぇ」

 真白屋は宿場町に店を構える繭商人でした。

「真白屋さんとこは大きい屋敷じゃけえ、泊まるところはなんぼでもある。遠くからの買い手も多く来るけぇ人を泊めることは慣れとるよ」

「そおかなぁ……」

「さあ、入った入った」

 ばあさまはさよの手を持って家の中に引き入れました木戸を閉め、樫の木の心張り棒をあてがって固定します。

「今夜はわしとさよで留守番じゃ」


 ばあさまとさよは座敷に上がり、囲炉裏端に並んで座ります。囲炉裏に新たな薪を加えて炎にかかるように置き直し、一枚の布団に一緒にくるまりました。

「じゃけど、ばあさま。心張り棒をしとったらお父たちが帰って来ても家に入れんよ」

「心張り棒をせんで、雪女郎が入って来たら困るじゃろう」

 ばあさまの言葉にさよは首を傾げます。

「ばあさま、雪女郎ってなんじゃ?」

 ばあさまは目を瞬かせて、さよの顔を見ました。

「おやまあ、さよは雪女郎の話を聞いたことがないんかのう?」

「うん」

 さよはぱちぱちと燃える囲炉裏の炎を見ながら答えました。

「雪女郎は雪山ん奥に住むあやかしじゃ。おぉた人間の命を吸い取ってしもう恐ろしい奴らなんよ」

「ふうん」

 さよはばあさまの着物の端を掴ます。

「ねえ、ばあさま。雪女郎のお話を聞かせて」

「そおじゃのぉ」

 ばあさまは首を巡らせて木戸の方を見ました。ひゅうひゅうと言う木枯らしの音は家の中まで響いてきています。


「それじゃあ、話をしてやろぉかのぉ」

 ばあさまは二人がくるまっている布団の端を掴んで引き寄せ、温もりが逃げないようにしました。

「それは今日のように急に雪が降り出した日のことじゃ。山仕事に出かけた伍助は降り積もった雪で山から下りられんようになってしもぉた。雪を避ける場所を求めてさまよぉた伍助はふがええことに山守の作業小屋にたどり着くことができたんじゃ。

小屋には誰もおらんかったが、囲炉裏があって、火を焚くことができた。木戸を閉めると風が入ってくることも無かった。伍助はその小屋で一晩を過ごすことを決め、置いてあった羚羊かもしかの毛皮にくるまり、囲炉裏端で眠りについたのじゃった。

そして、どれほどの時間が過ぎてからか、

『うう、さぶい』

 伍助はあまりの寒さに目を覚ました。そうして、かぶっていた羚羊の毛皮をしっかりと体に引き寄せ、横になったままあたりを見回したのじゃ。すると、囲炉裏の薪は燃え尽きかけ、小さな火は揺らめいて今にも消えそうになっておった。小屋の中には雪が舞っておる。きっちり締めたはずの木戸が開き、雪が吹き込んでいたのじゃ。こりゃあいけん、木戸を締めんといけんと思ぉて起き上がろぉとした時、伍助は、木戸のあたりに白いぼんやりとした塊が漂っとるのに気が付いたんじゃ。見ておるうちに塊はすうーっと形を変え、白い着物を着た女の姿になったのじゃ。女の真っ白い髪は腰のあたりまで伸び、その顔は美しゅうて雪のように白かった。

 伍助はぞっとした。これは人間じぁあない、妖異のものじゃと悟ったのじゃ。伍助は恐ろしさのあまり身動き一つできんかった。女は美しい顔を伍助に向けると、音もなく滑るように近づいてきた。伍助のそばまで来ると、かがみこんで伍助の顔をじっと見つめたのじゃ。顔にかかる息は氷のように冷たかった。そして女の唇は鮮やかな緋色をしておった。伍助は恐ろしいと思いながら、女の顔から目を離(はな)せんかったんじゃ」

 ばあさまの話に、さよは布団の中で身体を縮こまらせました。

「女はささやいた。『わらわは雪女郎、姿を見た人間は命を取らねばならんのじゃけど、お前はきれいな顔をしているから助けてあげる。じゃけど、誰かに話したら命がのおなるからね』 女は白い塊に姿を変え、くるくる回る白いつむじ風となって木戸から出て行った。暫くして我に返った伍助は戸口へ行って外を見回したけれど、そこには黒い闇が広がっているばかりじゃった。伍助は木戸をしっかりと閉め、囲炉裏に薪をくべて炎を燃え上がらせた。そうして、命を永らえることができたんじゃ」

「それからどうなったん?」

「次の日の朝、雪はやみ、空は晴れ渡っておった。伍助は小屋にあったかんじきを履いて山を下り、里に帰ることができたのじゃ」

「それから?」

「その夜の出来事は伍助にとって決して忘れられんものになった。この話を誰かにしたい、そして雪女郎についてもっと知りたいとおもぉた。じゃけど、それは禁じられておった。結局、伍助は秘密を守ることにした。雪女郎の話を誰にもすることはなかったんじゃ。月日は経ち、やがて遠くの里から嫁を迎えたのじゃ」

「それから?」

「二人の間に子も生まれ、幸せに暮らしたのじゃった。昔こっぽり蓮華の根むかしこっぽりれんげのね

「なーんだ、秘密を話して命を取られちゃうのかと思った」

 さよは小さな吐息をついてばあさまを見上げました。

「だとしたらここに小夜はおらんことになるの。伍助の子の、そのまた子供がお前なのじゃから」

「えーっ、伍助ってじじさまのことなの」

「ああ、今は皺くちゃじゃがの」

「じゃあ、遠くの里から来たお嫁さんとゆうのがばあさまなの?」

「そおじゃ」

「ふーん」

 さよはばあさまの顔を見上げます。

「もう寝ようかの」

「ねえ、ばあさま」

「なんじゃ」

「雪女郎はどうして秘密を話した者の命を取ろうとするの?」

「それが雪女郎の掟なのじゃ。雪女郎も人間を怖れておる。自分たちの存在がひろぉ知れ渡ったら、人間が雪女郎を退治しようとおもぉかもしれん。雪がない間の住処すみかである千歳ちとせの氷洞までやって来られたら……。秘密を知った人間の命を取らねばならんし、秘密を洩らした雪女郎は氷洞の奥深くに封じられてしもぉのじゃ」

「ふうん」

「じゃけえ、木戸にはしっかりと心張り棒をせんといけんのよ。雪女郎は心張り棒のかけられた入口からは入って来れんのじゃ。それもまた掟なんじゃ」

「へええ」

「じゃあもう寝ようかの」


 やがて、ばあさまはすーすーという寝息を立て始めました。けれども小夜は寝付けませんでした。ばあさまの話になにか引っかかるものがあったのです。しばらく考え続け、それが何であるかに気付きます。

 じじさまが秘密を守り、誰にも話さなかったのなら、どぉしてばあさまはこの話を知っておるんじゃろう? そして、雪女郎は伍助に自分たちの住処の話はしとらんかったのにどぉしてばあさまは住処についてあげにくわしゅう知っておるんじゃろう? ばあさまに訊いてみたかったけれど、ばあさまの美しくて真っ白な髪を見ていると、それは聞いてはいけないことのような気がしました。


 布団の中で膝を抱えてじっとしていると、家の外から聞こえる風の音が少しずつ大きくなっているように思えました。そして、それは風の音ではなく、ほぉいほぉいと人を呼ぶ声のように聞こえて来ました。

 すすり泣くような声を聞いているうちにさよはようやく気が付きました。遠くの里から嫁に来たのが本当は何者であったのか、そして家の外にたむろしている者たちの正体を。


 さよは静かに布団から抜け出しまし。戸口に進み、心張り棒がしっかり固定されているのを確かめます。戸口に立つと、木戸の向こうからすすり泣くような声が聞こえて来ました。声の主は一人ではありませんでした。木戸の外、すぐそばに何人もいます。


「そこにおるんはお父か? それともおっ母なんか?」

 呼びかけても返事はありません。それじゃあ……、


 さよは恐ろしかった。でも、どうしてもやらなければなりません。ゆっくりと息を吐いて呼吸を整え、心張り棒を木戸から外して右手に持ちます。そうして、木戸を勢い良く開け、広がる闇を睨みつけました。



 そこにいたのは十人程の雪女郎でした。白い着物に真っ白い髪、ばあさまの話通りの姿の雪女郎たちは、深い淵を思わせる漆黒の瞳を持ち、何かを求めるかのようにさよを見つめてきます。

 さよは声を張り上げました。

「山へ帰れ。ばあさまをお前たちに渡したりはせん。今日も、これから先もずっとじゃ」


 それだけ言うと、木戸を閉め、心張り棒でしっかりと止めました。そうして、木戸の前に座り込み、寝ずの番を務めたのでした。


 やがて夜が明け、日が昇る頃には雪はやみました。さよが恐る恐る木戸を少しだけ開け、外の様子を覗くと、雪女郎の姿は無く、雪景色の上に青空が広がっていました。

 昼過ぎには、お父とおっ母、そしてじいさまが帰って来ました。ばあさまの言葉どおり真白屋に一晩泊まってきたと言うことでした。


 それからは、さよは毎晩、心張り棒がしっかり止まっていることを確認してから寝ることを日課にしました。そして、さよの家に雪女郎が現れることは二度とありませんでした。それはさよが成人して嫁入りで家を出るまで続いたのでした。


              終わり


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