第11話 栞と千夏

 土曜日の3時間の授業を終えた栞は、部活に参加すべくグラウンドへと向かった。この日はわっけーがうるさく絡んできたのだが、栞はそれを強引に断って部活へとやって来たのだった。

「はぁ……、本当にわっけーったらしつこいんだから。あの分じゃ、後で何か言ってきそうだわね」

 盛大にため息を吐いた栞。土足に履き替えると大きく伸びをして下足場を出た。そして、ふと近くのプランターを見ると、そこにはなんとなくというかすごく見覚えのある人物が花の世話をしていた。

「誰かと思えば千夏か……」

 ぼそりと呟いて立ち去ろうとする栞。ところが、プランターの前に居た人物がゆっくり立ち上がると、栞の方へと近付いてきた。

「高石さん?」

 目の前に立った人物は栞の名字を呼ぶ。その顔はどう見ても怒っているようにしか見えない顔だった。

「私の事はと呼びなさいと言ったでしょう?」

 怒っている感じではあるが、まったく栞は動じていない。

「はいはい」

 こう生返事をして立ち去ろうとした栞だったが、急にちょっとした疑問が湧いてきたので、千夏に質問してみた。

「ふと思ったんだけど、千夏って部活動の顧問してるの? 会う度に土いじりしてるところしか見てないんだけど」

ね。どこの顧問かって言ったら、一応園芸部を担当する事になったわ」

 栞の質問に、呼び方には注文を付けたがすんなり答える千夏。

「あー、そっか。実家は農家だもんね。田んぼと畑両方してるんだっけか」

「ええ。だから来月の頭に行われる、学校所有の田んぼで田植えをするのが楽しみで仕方ないわ。まさか公立学校で田んぼを持ってるなんて思わなかったわよ」

 本当に楽しみなのか、さっきまでの怒り顔はすっかり消えて、喜びにあふれていた。そして、田植えについてあれこれ語り出そうとしていた。

 こうなると千夏を止めるのは難しくなる。弾丸トークが展開される前に、

「ごめん、こっちの部活に急ぐから、今は勘弁して」

 と、栞は部活を理由に慌ててその場を去ろうとする。

「分かったわ。じゃあ、よく行く喫茶店に夕方ね」

「はいはい」

 別れ際に夕方に会う約束をして、栞はとにかく早くその場を走り去った。


 ――その日の夕方。


 栞は待ち合わせ場所となった喫茶店の前に来ている。この喫茶店の場所は茂森学区の中にある。しかしながら、草利中学校の関係者と出くわさないとも限らない。会っても分からないように、一旦家に戻ってきてから着替えた上でウィッグは外している。ウィッグと地毛の髪の色は違うのだ。千夏くらいの親しさでもない限り、同一人物とは分かるまい。

 しかし、栞がそれだけ時間を掛けて来たのに、店に着いてから10分経っても千夏は姿を見せなかった。まだ掛かるのかなと思った矢先、千夏が走って現れた。

「ごめん、思ったより作業に集中しすぎちゃった」

「遅いわよ、千夏。どんだけ土いじりが好きなのよ……」

「ホントごめんって。お詫びにおごるから」

「怒ってないから別にいいんだけど、まあそう言うならね」

 栞は呆れてはいるが、別に怒ってはいない。正直おごられるつもりはないが、千夏が本気で申し訳なさそうにしているので、ここはメンツを立ててあげよう。というわけで、栞と千夏は喫茶店へと入っていく。

 やって来た喫茶店は、二人揃って市役所に勤め始めた頃からの行きつけのお店である。昔ながらの喫茶店という感じで、少し薄暗い照明や古い感じの内装など、落ち着く感じの店である。

 そんな店の中を4月の太陽が柔らかく照らしている。夕方とは言うにはまだ早い時間なので、まだ外は明るかった。

 二人は奥の席に座る。注文はいつものケーキセット。氷の入ったグラスをカラカラと言わせながら、二人は雑談を始める。

「千夏は今はどういう感じ?」

「どういうって?」

「いや、教師をやり始めてどうなのかなって思ってね」

 栞の質問に、千夏は少し考え込む。

「うーん、始めたばかりだから何ともね……」

 どうやら正直、まだ実感としては薄いようである。

「一応、採用にあたって国語教師というのと園芸部の顧問っていう希望は通っているから、頑張るかなって感じ」

「そっか」

 栞はグラスをカラカラと回す。

 少し沈黙が流れる。しばらくして今度は、千夏が栞に話し掛ける。

「私の事はいいんだけどさ、栞の方はどうなのよ」

 千夏に質問されると、栞はカラカラと回していたグラスをテーブルに置く。そして、顎に手を当てながら首をすぼめて答え始める。

「最初は静かだったんだけど、友だちができてからは質問攻めが酷いわね。私ってば茂森の出身でしょ。それを自己紹介で話したもんだから、物珍しそうにされてるわね」

 そう言いながら、テーブルに頬杖をつく栞。

「その友人の一人が調査員仲間だったんだけど、その友人の一人がまたクセが強くて対応に困ってるわね。声が大きいせいで」

 ここまで話したところで、店員がケーキセットを持ってくるのが視界に入り、栞はそれを千夏にも知らせて一旦話を打ち切った。

 こうして運ばれてきたのはコーヒーとケーキのセットである。ケーキは栞がショコラケーキ、千夏はシフォンケーキである。普通ならば、セットのケーキは選ぶところなのだが、常連である二人はケーキが固定だったので覚えられていたようである。

 この喫茶店は夫婦による経営で、二人ともにパティシエであり、旦那さんにいたってはバリスタでもある。こだわりを持つ夫婦の作るこのセットがおいしくないわけがないのである。

 というわけで、早速二人はケーキを食べる。

「はぁ~……、そうそうこの味」

「ホント、癒されるわね」

 食べ慣れた味だが、いつ食べても新鮮な味わいに感じる。本当にこの夫婦の作るコーヒーとお菓子は絶品である。

 ケーキを味わい終わり、余韻に浸った栞たち。落ち着いたところで話題を戻す。

「さて、とりあえずは学校生活に慣れなきゃいけないわね。新学期が始まったばかりだから、この状況で問題点を見つけるのはなかなか難しいかも知れないわね」

 今持っている資料と、実際に学校を見てみた感想から、栞はそう呟いている。そんな中、千夏が一つの問題を指差して言う。

「多分、真っ先に分かるとしたら、この『給食費未納問題』かしらね」

「そうね。毎月25日に徴収される奴よね」

「うん、そうね」

 該当の箇所を指差しながら、二人で話をしている。

 だが、この給食費未納問題は比較的どこでもある話である。だが、この草利中学校の場合は、少々事情が違うようだ。

 学校から教育委員会に話が入り、そこから市役所を経由して未納の保護者に話が行く。これが普通の流れのはずである。ところが、草利中学校にはちょっと違った流れがあったのだ。

 秘密裏に調査した結果の内部告発で分かった事ではあるが、実は未納自体は発生しているのに、学校からは未納無しとして報告されているのである。未納はあるのに未納無しとはどういう事か。

 答えは実にシンプル。クラスの未納分を担任に肩代わりさせていたのだ。肩代わりも問題だし、何よりも虚偽報告がなされているのだ。千夏が教師側に入ったのは、この内部告発の裏を取るためである。

 しかし、何ともみみっちい不正である。部活動で人気になっている学校とは思えない酷い話である。

「無償化でもすればこの問題はどうでもよくなるかも知れないけど、うやむやにしていい問題じゃないわよね。肩代わりさせられた教師が可哀想だわ」

「まったくね」

 というわけで、最初の取り組むべき問題が判明したところで、二人はコーヒーを飲み干す。そして、改めて誓った。草利中学校の闇を暴いてみせると。

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