第4話 初めてのなりすまし

「アレンジア王家の女性はね、マーメイドの血を引いているのよ」


母親であり、アレンジアの女王からフェアトリアはそう教えられた。アレンジア王家は浅瀬の一族なので、女神マリンシアの影響を強く受けている。美しい声音を持ち、歌が得意で、外の世界への好奇心が旺盛。


フェアトリアの容姿もまた、浅瀬の女神の恩恵を大いに受けたものだ。海面で反射する陽光のように燦然と輝く金髪。優しく愛嬌のあるエメラルドの瞳。耳は小ぶりな貝殻形で、肌は滑らかな真珠のようだし、ふわりとしたドレスの下で自由に動く手足はひれではなく、羽を得た妖精のようにしなやかだ。


海の女神は三姉妹。

末っ子が浅瀬の女神マリンシア、次女が海の女神イルージュ、そして長女が深海の女神エルダーストーン。

中でもマリンシアとイルージュは、外見的によく似ている。得意な魔法の性質が異なるが、存在だとシアンは言う。


だから、、と彼はフェアトリアに助言した。


海の女神イルージュの使者に。


はっきりとした時間は分からないが、リーズの王城で、王の自室へは本人以外誰も入って来ず、入ってきた王本人はベッドを軋ませてすぐに寝入ってしまった。


そしてシアンの謎の予言通り、満月はくっきりと顔を出し、フェアトリアは実体を取り戻していった。同時に、今まで感じなかった餓えと渇きが沸き起こる。作戦を行う前に、水を一杯と、ビスケットをひと欠片でもつまめたら、どんなに幸せだろう。


王が静かな寝息を立てるベッド下から這い出したフェアトリアは、ほとんど食べ物のことしか考えられなかった。しかし故郷のことを思い出し、自分を叱咤する。


王の部屋の窓を開けて夜風を通し、金色に輝く満月光を全身に浴びながら深呼吸した。


そのまま、静かに歌い始める。


以前、平穏だったアレンジア城で披露したことがある。魔法の歌だ、と客人たちは賞賛した。


今晩は、いかに幻想的に、神秘的に聞こえるように歌うかが重要だ。そんなときは、自然と浮かんでくる海の風景を追いながら赴くままに歌う。すると、唇が勝手に知らない言葉を紡ぎ、声が奏でていく。


穏やかな波に揺られるゆりかごとなって、歌は王の部屋を包み込みんだ。


歌が終わる前に、リーズの王は目覚めていた。涙を流しながら、静かに拍手をしている。


「なんと素晴らしい歌じゃ…魂まで響くようじゃ…!」


アレンジアの王女として彼と対面したことは一度もない。よって、王の目の前にいるのは見知らぬ娘だ。近衛兵を呼ばないのは、彼がこの出来事を夢だと思っているからかもしれない。だとすれば、より好都合だ。


フェアトリアはドレスの裾を少しつまんで、丁寧におじぎをしながら告げた。


「先ほどの歌は、私が仕える女神イルージュ様からの贈り物です」

「なんと!では、そなたは女神の使者か!」


厳かに頷いてみせる。


「先に贈り物をさせて頂いたのには理由があります。我が主は急ぎ、欲しいものがあるのです。それを<セイレンの大渦>に捧げて頂けるなら、今後も船乗りたちの安全を守りましょう」

「麗しい女神のためならば、何でも喜んで献上しよう!」


リーズの王は初老とも言える年齢だったが、驚くべき俊敏さで事を進めた。船乗りたちに船を出す準備を進めさせると共に、兵には贈り物の荷造りをさせた。


顔を覚えられては後々面倒なので、フェアトリアは王にお礼だけ伝え、船の甲板の端のほうでじっと準備が終わるのを待っていた。満月はまだ出ていて、「あれが女神様の使者だ…」「なんて美しい…」という囁き声と、物珍しげな視線を全身に感じる。


国王陛下直々に、女神の使者を丁重に扱うようお達しがあったので、乱暴されるようなことはないはずだが、兵の一人が近づいてくると少し緊張した。


「何か必要なものはございませんか?」

「!もしよろしければ……」


食べるものを。と言おうとして口をつぐむ。女神の使者って、陸で人間の食べ物を口にするものかしら。


「……いえ、大丈夫です」

「ホントに?せっかく食べたり飲んだりできるのに?」

「な、何でそれを…!?って、あなたもしかして!」


兵士に扮したシアンが、鋼の兜の下でにやっとしてみせた。


「作戦はうまくいったみたいだな」


なんだか、こうなることを確信していたような言い方だ。


「リーズの王様の信仰心に詳しいのね」

「きみの歌が良かったのさ。王様が泣くほど感動したって話だ。俺にも今度聞かせてくれるかい?」

「それはもちろん…ところで、どうして兵士に変装を?」


部外者じゃ船に乗れない、と当然のように肩をすくめている。


「あなたなら船乗りとしても働けそうだけど」

「おいおい、男にこき使われるなんて死んでもお断りさ」

「私ずっと考えてたのよ。あなたのことを」

「そうなのかい?美人が夢中になってくれたら、そりゃ嬉しいね」

「そういうんじゃなくて、あなたの正体について、よ」


謎めいた予言。リーズの王の信仰心につけこんだ作戦。そして巧みな変装…


「あなた、魔法使いでしょ?」


そう指摘してやると、相手は目をぱちくりさせた。


「違うけど?」

「えっ?あ、そう……おかしいわね」

「俺の正体なら、もう知ってるだろ」


今度はフェアトリアが目を丸くした。シアンはにっこり笑った。


「とびきり親切で、上等な男、だ」

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