第2話 なんで見えるの

「……一国をまるごとアンデッド化する呪い、かぁ……」


海が眺められるカフェのバルコニーで、黒髪の青年は優雅に、しかし物憂げにティーカップを傾けた。頭上の幅広な天幕が強い陽射しを遮り、柔らかな影が落ちている。


「アレンジア国はそれほど大きくはないが、規模から言えば生半可の魔法じゃないな。神々が使う強力な魔法なら不可能ではなさそうだけど…悪趣味なやり方だな」


彼は逃げずにフェアトリアの話に耳を傾けてくれた。子供がすり抜けたのを見たときの反応から、腰を抜かして撤退するタイプの輩に見えないでもなかったが、意外と度胸はあるようだ。


「なるほどそれで呪いを破る魔法を探しに、ネオスティール島に行こうとしてるんだ?」

「ええ。でも、リーズ国はその島には船を出してないみたいね」

「神々の魔法になんか皆近づきたくないのさ。どんな災いがあるか分かったもんじゃないし、あの島に向かうにはどうしても<セイレンの大渦>を越えなきゃならない」


フェアトリアは頷いた。<セイレンの大渦>はすべてを飲み込む海の神の魔法だ。ネオスティール島を守っているとも言われ、下手に近づこうなら船ごと深海に沈められてしまう。


「私ね、今晩だけは呪いが解けるの。満月だから」


雲がかからない限りは、とフェアトリアは付け加える。


「リーズ国の王様の枕元に立って、船を出して頂くようお願いしようと思って」

「……それってお願い?脅迫じゃなくて?」

「失礼ね。そのときはもう、ゴーストじゃないから声も聞こえるし、人間の体に戻ってるのよ」

「もっと怖いよ。どうやって侵入したんだって話になるぜきっと。寝起きの人間ってのは頭の回転が早くないんだ。事情を説明する前に、魔女か暗殺者呼ばわりされて、近衛兵を呼ばれて終了、の場面が俺には見える」

「うっ……」


確かに、言われてみれば、その可能性もなくはない。


「まあ捕まったとしても、翌朝には跡形もなく消えるんだから大丈夫か。そう考えると、隠れなくても侵入できるし、案外使えるな、その能力って」

「……何ですって?」


無神経な発言に、思わず相手を睨みつける。彼は慌てて「失礼」と両手をあげた。


「触れたり、開けたり、探ったりできないし、ものすごく不便だよな」

「当たり前でしょ!何にもできないんだから」

「そう、そこが不思議なんだ。できたりできなかったり。見えたり見えなかったり。……ああ、ごめんね。独り言。すごく良い女を口説く練習をしてるのさ。だからこの席は開けといてくれたら嬉しいな。きっと、いずれきみがここに座ることになるよ」


通りがかった別の美しい女性客にさりげなく声をかけながら、青年は小さく手を振っていた。フェアトリアが厳かに咳払いすると、さっと向き直る。


「ごめんごめん、あまりに美しい女性が目の前にいると、どうも周囲が明るく照らされるみたいで、普段より色んなことが目に映るんだ」

「……というより、目移りでしょ。いるのね本当に。呼吸するようにナンパする生き物って……」

「もしかして嫉妬!?可愛いんだね」

「違いますけど?よりにもよってあなたが、たまたま、偶然に、私の姿が見える類の人間だったから、こうして捕まえてるわけで……」


そこでふと、気づく。


「どうしてあなたにだけ見えるのかしら」


青年はふふんと得意気に鼻を鳴らした。


「俺はとびきりの美女ならクラゲでもゴーストでも見逃さない男だからな」

「……」

「……あー、コホン。まあそこは、俺の目が特別だからでしょう、色々な意味で」

「どういうこと?」

「職業柄、ヒトよりちょっと多くのものが見えるのさ」


彼がそう告げた瞬間、なぜか周囲の喧騒が遠ざかった。椅子に座っていたはずなのに、自分の周りだけぽっかり抜け落ちて、視界が暗転する。


次に瞬きをすると、バルコニーの元の席に戻っていた。向かい側の席にいた青年は紅茶のカップをひっくり返したようで、給仕役の若い女の子に頭を下げて謝っていた。彼は少し焦った顔をしていて、フェアトリアと視線が合うと、ようやく安堵の表情を見せた。


「平気かい?」

「えっ……何が?」

「やれやれ、困った王女様だな。目が離せないとは…よし、乗りかかった船だ。俺も、ネオスティール島にはいずれ行かなきゃならなかったんだ。きみに協力しよう」

「ほ、本当!?ありがとう!……そういえば私まだ、あなたの名前も聞いてなかったわ」

「俺はシアンだよ、フェアトリア」

「シアン……私、あなたに名前を教えたかしら?」

「きみは自分の国の話をしたろ。アレンジア国の美しい王女様の名前なら、ずっと前から知ってたさ」


シアンは当然のことのように肩をすくめる。そういうものだろうか。外の世界にこうして出てみると、知らないことがたくさんあるのだと実感する。


「でも、どうして協力してくれるの?」

「もともと、とびきり美人の困りごとは放っておけない主義なんだ」


おどけてそう言い出すので、いまは追及しないことにした。半年間孤独を味わったフェアトリアにとって、相手が誰であろうと、協力者の存在はありがたい。


「あとはどうやって船を出してもらうかね…」

「それについちゃ、俺に考えがある。きみは声も魅力的だし…この方法ならきっとうまくいくさ。さて、この席をあちらのご婦人がたに譲るとしますか」


シアンは先に立ち上がって、フェアトリアの手をとってくれようとした。彼の手慣れた紳士的な所作にアレンジア城でのことを思い出す。懐かしくなって、重なるはずもないが思わず手を預けた。


当然ながら互いの手はすり抜けたが、フェアトリアは不思議なぬくもりを感じずにはいられなかった。

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