神サマ、泥棒サマ!

秋春

巡り合い

第1話 舞い降りた幸運

体が半透明になって、もう半年が経つ。


満月の夜だけだ。元の姿に戻ることができるのは。満月が少しでも雲に隠れてしまったら、それもできなくなるが。


とにかく今晩だ。この日を逃せば、また大事な自国を救う手立てが遠ざかる。


フェアトリアはなんとかネオスティール島に向かう船を探していた。神々の魔法が眠る島。そこへたどり着ければ、国の呪いを解く方法がきっと見つかる。


……けど、船が一向に見つからない。ネオスティール島に向かう船の便など、港の国とはいえリーズ国には一隻もない。


さまよい疲れて、人々でにぎわう青空市場を囲む石壁の上に腰かける。フェアトリアの眼下には、深い深いため息を吐くにはふさわしくない絶景が広がっていた。広大で美しい紺碧の海。白い砂浜。扇状に伸びていく白壁と青いタイル屋根の街並み。そしてリーズの国を明るく染め上げる黄金の太陽。


何もかもが、すこぶる眩しい。


「やあ、綺麗な海だね」


羽根つき帽を被った青年が感動したように言った。フェアトリアの隣にやっては来たが、当然ながらその瞳は海を映している。


ゴースト体になっている姿が、人の目に映ることはない。


声も届かない。分かっている。これまで多くの人々に話しかけてきた。旅人、商人、神父、修道士、大道芸人、医者、洗濯女、街で遊ぶ子供、赤ん坊。リーズ国の城へ入って、許可なく国王陛下にも謁見した。王子様の前で両手を降った。宮廷魔法使いの前で大声を出した。全部ダメだった。皆フェアトリアのことを空気のようにすり抜けていった。


動物にも話しかけた。馬、犬、猫、鳥、ネズミ。虫にも。花にも。草にも。木々にも。


無意味だった。フェアトリアはどこにもいないようだった。風すらも黙って通り抜けていった。


手段は選んでいられない。やってやる、と心に決めていた。今晩、リーズ城に侵入する。満月の力で実体が戻ったときに、声高に叫ぶのだ。


アレンジアの王女です、と。


国の呪いを解くために、ネオスティール島に行く船を出してください、と。


一度国境沿いの修道院で試したときは、満月に雲がかかり、途中で姿が消えた。その上、「ゴーストだ!」と修道士たちに怯えられ、お祓いを受けるはめになった。もちろん、何の効果もなかった。


とにかくそういう経緯で、以前のように誰かが自分に近づいてきてくれることへの期待と興味を失っていた。


フェアトリアは静かに隣の青年を一瞥して、同じように海を眺めた。


「本当、綺麗な海よね。ごゆっくり」


諦め半分にそう言って、その場から離れる。


「あれ?もう行っちゃうの?」


彼が残念そうにつぶやくので、思わず足が止まった。


「きみのほうがずっと綺麗だけどね、っていう決まり文句で、ベタなナンパをしようかと思ってたんだけど…お急ぎかい?」


フェアトリアは上下左右、素早く辺りを見回した。自分以外に女性の影はない。念のため、男性も。動物も。鳥も。虫も。


…ということは?


でも、まさか。

そんなはず。


「…………私?」

「そ。きみだ。びっくりするほど美人だね。思わず声かけちゃったよ。たそがれてる姿も綺麗だったけど、その無防備な表情も可愛いね」


通りすがりの男はにこにこと、愛想の良い笑顔を向けてくる。


よくよく見れば、目鼻立ちの整った、そこそこ上等な男だ。


黒髪に、少し日に焼けた肌。細い手首に嵌まる金の腕輪。身につけているのは薄手の長い白シャツに、複雑な紋様が描かれた詰襟のベスト、足首がすぼまった、ゆったりとした下衣。平べったい靴。


リーズ国の男というより、どこか異国風情を感じる。


かつてのフェアトリアなら、高貴な身分の者に向かって、軽々しくナンパなど、と鼻にもかけなかっただろう。


しかしいまは、彼が天上から舞い降りた救いの神サマのように輝いて見えた。


「わ、私、あの……っ、実は……」


突然の幸運な事態に言葉と思考が追い付かず、へどもどする。


「ナンパ初めて?大丈夫大丈夫。別にヘンなことしないからさ。俺、美人とお茶するのが好きなんだ。向こうに美味しい紅茶の店があるんだけどどう?もちろん俺の奢りで」

「行く!行くわ!絶対行く!どこにでもついてくから!置いてかないでお願い!」

「お、おお…すごい食いつきだね…もしかしてすごくお腹すいてる人?」

「も、もう半年も食べてないし飲んでない…」

「ははっ。面白い冗談だな。本当だったら死んでるぜそれ。おっと危ない」


青年は笑い飛ばしながら、走ってきた子供とぶつからないよう腕を軽く引いてくれようとした。


が、もちろんその手はすり抜ける。


そして、そのまま子供もすり抜ける。


青年は暗褐色の目をパチクリさせた。


「……ん?い、いまのは……?」


逃してはいけない。

彼を。

絶対に。何としても。


フェアトリアは、自分の容姿を心得ている。かつて周りの人間たちをうっとりとさせた極上の笑顔を、惜しみなく彼に向けた。


「こういうことなの」


落ち着いて、しっかり可愛い子ぶって、とびきりのウインクを投げた。


「お茶しながら、お話聞いてくださる?」

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