Ⅶ-Ⅵ・ポリバレント
サッカー大会が閉幕してから二週間ほど経った。
「さむい!」
と愚痴をこぼしたのは椿である。
ちいさな体を震わせ、白い息が空に消えていく。
ジャンパーを着てはいても、やはり冬の夕暮れであり、寒さがグッと締め付けていた。
いつもの、噴水がある公園のはずれに設置されたポニーテールFCの子どもたちが使っているサッカーコートには、梓たち11人の姿があった。
「寒いのは当たり前でしょ? 雪降ってるんだから」
ましろがあきれた表情で言う。
それを見ながら、椿は頬を膨らませた。
雲に覆われた灰色の空から、チラチラと冷たい雪が降り始めていた。
「だったら運動しよう。寒い時は運動して身体を温めればいいんだし」
明日香がそう言うと、椿はその場で足踏みをした。
季節は十二月。ちょっと耳を澄ますと聞こえてくるのはジングルベルの音色。
いくら彼らが死んでいるとはいえ、やはり子供である。
ジングルベルを聞いて最初に思い浮かべるのはクリスマス。
ポニーテールFCの子供たち、とくに梓たち女の子は忙しなかった。
「みんな、コーチにプレゼントするのなににするか決まった?」
話題は誕生日が近い和成に送るプレゼントについてだった。
「私はそうだな。スノードームにしようかな」
「わたしはマフラーとか……作ってあげたかったね」
明日香がそう言うと、子供たちはしょんぼりとした表情を浮かべた。
「私たち、コーチに感謝しないといけないのに何も返せてないよね」
そうこうしていると、和成と朋奏がコートへとやってきた。
「コーチおはようございます。っと――あれ?」
和成に挨拶をすると、梓は首をかしげた。
「こんにちわ」
一緒に来ていたのは、梨桜と裕香である。
「今日は二人も一緒に練習してみたいって言われてな。そんじゃぁ準備運動したらタッチライン沿い往復40回」
クドいようだが、梓たちが使用しているサッカーコートのタッチラインは78メートルあり、その往復が156メートル。
それを40回やるため、その距離は6.24キロである。
もはや小学生どころか、中学生を通り越して高校生レベルの距離であった。
「なんか、大会前の練習より増えてる」
恭平や子どもたちが愚痴をこぼしたくなるのもムリはなかった。
「あ、30分間走って倒れなかったやつは俺が直々に練習の相手になってやるから」
「頑張ろうみんな」
梓とましろがグッと拳を握った。
明日香、優、椿も同様にやる気を出している。
「ほ、本当にみんな、おにいちゃんのこと好きなんだね」
梨桜がそう言いながら、隣にいる裕香を見ると、
「あとから来たくせに、なに私のおにいちゃんを奪おうとしてるのよ」
裕香は膨れた顔で梓たちを見ていた。
……――30分後。時間ピッタリに和成が笛を鳴らした。
「よし終了。一番走ってたのは智也か。最初に比べて本当に体力がついたなぁ」
和成はポニーテールFCの子どもたちと、梨桜と裕香が30分間タッチラインを往復した回数を記録していく。
「ありがとうございます」
智也が小さくガッツポーズを取る。
梓たちはというと、いちおう全員走り終えることはできたのだが、終了の笛を聞いた瞬間その場に倒れていた。
「み、みんな大丈夫か?」
梓たちを見ながら、和成は唖然としていた。
「3分休んだらリフティング。失敗したらその場で腕立て10回な」
「なんか今日の練習メニュー、いつもよりきつくないですか?」
優がそう言うと、
「そうか? 俺があそこにいた時は10分間走り込んですぐにリフティングだったぞ。それにリーズだって似たようなものだったしなぁ」
首をかしげる和成から話を振られ、梨桜と裕香は答えるようにうなずいた。
「なんか、私や直之くんがいたときより厳しくなっている気がするのは気のせいですかね?」
「もしかして、本当はオレたちがいたときより強くなってるんじゃないですかね?」
梓と直之は、自分たちがいたころの河山センチュリーズを思い出しながらたずねた。
「いや……、あそこにいた時は最初の往復10回(1.56キロメートル)すら走っていない気がするけど――」
「――えっ?」
和成の言葉に、呆気にとられた梓と直之は目を点にした。
「というかな、30分間走れない選手を使おうとはしないんだよあの監督」
「あぁ、だから結果的に体力と技術力があったコーチが、スタメンでリベロをやっていた――と?」
和成の試合を実際に見ているましろが、腑に落ちたように言った。
「まぁ、そうなるな」
「和成くんが――同世代で同じポジションじゃなくてよかった」
梓は思わず素を出すように肩を落とした。
技術力のある梓ですら、当時のスタメンに入るだけでも苦しかったのだから、和成がいた頃はそうとう厳しかったのだと思ったのだ。
「あぁ、それはないわ。さっきも言ったけどフルで出るのは最低限で、あとは賄賂だった」
「言い方はあれですけど、潰れたほうが良くないですか? そんなクラブ」
明日香や他の子どもたちもそうだそうだとうなずいてみせた。
――その練習中のことであった。
「どうも和成さん」
コートに能義が訪れ、挨拶を交わす。
「ちょっと暇ができたんで、息子の練習を見に来ましたよ」
「あ、おじさんだ!」
直之が能義に気づくと、手を大きく振った。
能義もそれに応えるように手を振りかえす。
「私はね、息子が生きてたころは仕事に没頭していて、ほら警察でしかも刑事課だったから、あまり家族サービスなんてできませんでしたから。息子が死んだあとにできるとは夢にも思ってませんでしたけど」
「大会の時、直之のやつ言ってましたよ。決勝で同点を決めたとき、真っ先に観客席にいるあなたのことを探したって。あなたなら絶対見に来てくれるって思っていたんじゃないですかね」
和成は視線を子どもたちの成長を記録しているノートから、直之たちのほうへと向ける。
「子どもにとって、親や家族から応援されることは、知らない人間百人から応援されることよりもうれしいはずですから」
「そう言ってもらえると嬉しいですね」
能義はゆっくりと深呼吸し、白い息を吐いた。
「そうだ。殺された子供たちの事件についてですが、最終的にも事件捜査は打ち切りになりました。妃春香を殺した季久利翔太は前日自殺しましたし、畑千尋を殺した道重は何者かに殺された。他にも色々あったんですけどね。上からの命令もあって証拠も見つからない。それどころか死んだ人間を裁くことはできませんよ」
能義はそう言いながら、ゆっくりと目の前で練習している子供たちを見つめた。
「それとあなたにサッカーをする切っ掛けを与えた横嶋幸さんですが、彼女は殺されたのではなく不慮の事故だったそうです。彼女を襲ったチームメイトの話によると、彼女の頭を地面に叩きつけ黙らせようとしたんですけど、土とはいえ思いのほか硬かったんでしょうね。八年経った今、ようやく話してくれましたよ」
「それを季久利聡一が隠蔽していたってことですか?」
和成の質問に、能義は無言でうなずく。
「当時ですからね。彼らには少年法が適用される。それに加えて上からの命令もあって調べに調べられなかったんですよ」
「――そうか」
和成は目を閉じた。あの日、幼い自分を助けてくれた梓のことを思い出す。
自分は彼女のような人を魅了させるプレイはできていただろうか。
そしてなにより、楽しくできていただろうか。
「あ、そうだ。これは華蓮さんから言われて調べたんですけどね。ましろさん……つまり畑千尋についてなんですけど、彼女の母親から聞くと、ましろさんはあるわがままを叶えるためにサッカーを始めたそうなんですけど、なにか知りませんか?」
そうたずねると、和成は顔を上げた。
「――わがままを叶える」
「ええ。それと華蓮さんからの言伝で、約束を破ると罰が当たるそうです」
能義は含み笑いを浮かべた。
「そうか。そうだよな――最後までやらないとな」
和成は、小さく笑みを浮かべた。
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