Ⅶ-Ⅴ・レフティー
和成が桜井の治療をしているあいだも、試合は進んでいた。
桜井の代わりに入った田代が大間へとスローインする。
それをクリアすると、大間は攻めるようにドリブルを始めた。
「おい、大間ッ! そんなにがっつくなよ。ワンツーをかけるぞ」
栗原がパスを送るように指示を出すが、大間はそれを聞こうとはしない。
「こっちはなぁ、親に金を出してもらって、きつい練習をしてやっとレギュラーになったんだ。お前らみたいに、笑いながらプレイなんてできねぇんだよ!」
陽介が取りにかかる。ゴール前20メートルに差し掛かると、大間は右足を振り上げた。
『――シュートだ』
優が瞬時に身体を構える。
「これで終わりだ」
ボールは一直線にゴールへと向かっていく。
ボールが目の前に来た一瞬、優は和成から教えてもらったことを思い出す。
『――もう1点も入れさせない』
大間の放ったシュートを真正面から、しっかりと両手で止めた。
いや違う。いつも練習していた和成からのシュートと比べれば、怖くなどなかった。
死んでいるとはいえ、和成とは二歳しか年は違わない。
もちろん男女の違いは遭っただろうが、小学生と中学生とではここまで違うのかと練習中怖い思いをしてきた。
だからこそ、まっすぐ自分へと向かってくるボールに対する恐怖心などない。
「なんでだよ? なんでお前らなんかが」
大間はその場にひざまずいた。
「明日香ちゃんっ!」
優はハーフウェイライン間際にいる明日香へとパスを送る。
その刹那、明日香は審判を見ると、腕時計を気にしているのに気付く。
「ロスタイム入ったよ!」
大間は立ち上がり、明日香からボールを奪いに走った。
明日香はゆっくりとボールを梓に送る。
「くそっ! 村瀬、湯山っ! ボールを奪え!」
村瀬と湯山がディフェンスに入りボールを奪いにかかると、梓は怯むことなく、攻めるようにドリブルを仕掛けた。
村瀬との距離が2メートルになったとき、突然チェンジ・オブ・ベースで村瀬の体勢を崩し、右足によるルーレットで抜き去る。
そしてボールを浮かせると、左サイドへと右足のインサイドで蹴り上げた。
それをましろがしっかりとクリアすると、ゴールを見据え、そこからシュートを放った。
黒岩がそれをパンチングし、ボールは大きく跳ね上がった。
梓とましろにはマークが瞬時に付けられた。直之にもマークがつけられる。
これでポニーテールFCの攻撃の要は封じられた――。
「よし、延長だ!」
小野崎がガッツポーズを取った。
しかし和成は――それすらエンターテイメントの領域だと言わんばかりに笑みを浮かべる。
和成はポニーテールFCの子どもたちには自分が強いからといって、それを過信するなと聞かせ、相手が弱いからといって、それをバカにしてはいけないと教えている。
その反面、小野崎は弱者を切り捨てろ。弱いやつは弱いと河山センチュリーズの子どもたちに教えている。
ましろ、直之、梓の三人をマークし、ボールを取られないようにすれば、負けることはないと、ポニーテールFCの実力を、自分たちよりも弱いと過信していた。
だからこそ――、だからこそその過信が小野崎の首を刈り取る。
スポーツというものは、最後の最後までなにがおきるかわからないからおもしろいのだ。
「いけぇっ! 椿っ!」
ましろが叫んだ。
「な、なんだと?」
小野崎は目の前の光景が信じられず、膝をつく。
ペナルティーエリアまで走り込んでいた椿が飛び上がり、しっかりとボールとゴールを見つめる。
そしてヘディングでボールを相手ゴールへと思いっきり打ち込んだ。
黒岩が体勢を立て直し手を伸ばしたが――ボールは無情にも彼の手を掠めた。
審判の笛が鳴り、センターマークへと手を示した。
「や、やったぁあああああああああっ!」
ポニーテールFCの子供たちが喜びを爆発させた。
「椿ぃっ! よくやった! よく決めたよぉっ!」
ましろは椿を抱きあげながら褒め
「がんばった」
満面な笑みをこぼしながら、椿は答える。
「ましろも、ナイスアシスト」
梓とのハイタッチを交えながら、
「それを言うなら梓もでしょ?」
ましろは笑みを浮かべた。
「くそぉ、まだだっ! まだ終わって――」
大間がポジションに戻ろうとした時だった。
サッカーの試合において、選手の交代や怪我をしてピッチから選手が離れた時間なども計算される。
その合計時間を『アディショナルタイム』といい、本来の試合時間に加算される時間であった。
その最後の
会場内に、審判の笛が三度鳴り響いた。
「試合終了。3対2でポニーテールFCの優勝」
審判がそう告げた。
「あいつらに勝ったんだ」
直之がそう言うと、梓たちは笑顔でうなずいた。
この時誰一人、勝ったことに高揚感はあっても、それを露骨に見せなかったのは、準決勝が始まる前にリーズFCの監督である襟川の言葉があったからだ。
【試合に勝つことは手段であり、目的ではない】
ポニーテールFCの子供たちは、大会が終われば、自分たちは地獄に戻され、苦痛を与えられる。
それに比べれば今日勝負した子どもたちは将来があり、負けたことも、明日になればいい経験になるとわかっているからだ。
それでも――、
「梓、ましろ、みんな……よくやった。よく頑張ってくれたッ!」
ここまで自分たちを強くしてくれた
◇
ポニーテールFCの喜びは、観客席から見ていた能義にも伝わっていた。
「なお、みんな、よくやった。こんどはお父さんが頑張る番だな」
能義は気合を入れるように頬を叩く。
「季久利について調べなおすぞ」
冴島にそう言った時、彼の携帯が鳴った。相手は百乃である。
「もしもし……百乃警部補ですか? 試合が終わったので、今から季久利のことを調べようと思ったんですけど」
「ああ――それに関してなんだが、ちょっと問題が起きてな……。季久利弟が飛び降り自殺したよ」
『――えっ?』
百乃からの報告を聞くや、能義は思考を止めた。
「じ、自殺って……、いったいどういうことですか?」
「わからん。その報告があったのだって、つい先刻のことだ。それともうひとつ季久利兄も同様にな」
「じ、自殺したんですか?」
「いや、生きてはいるよ。ただな、秘書の話によると、ある女性職員が現れたあと、譫言を呟くように『ゆるしてくれ……ゆるしてくれ……』と言っておったそうじゃ。治ってくれればいいんじゃが、このままだと――死んだも同然じゃろ?」
能義はゆっくりと深呼吸し、考えを落ち着かせる。
「それじゃぁ、俺がいままでやってきたことは」
「――無駄になったということじゃな。いやお前の頑張りは」
「いいえ、ちょっと会いたい人がいますので切りますね」
そう言うと、能義は電話を切った。
「すまないが、ちょっと一人にしてくれないか?」
冴島にそう告げるや、能義は観客席を後にした。
「優勝ポニーテールFC。横嶋さん前へ」
――閉会式。主催者代理である飯島が梓に呼びかける。
「おめでとう。よくがんばったね」
優勝トロフィーを手に取ると、梓はそれを高々と掲げる。
スタンドからはもちろん、観客席からも拍手が送られた。
「みんなよく頑張りましたね」
薄暗い廊下で、能義は目の前にいる女性に声をかけた。
盛大な拍手がここまで聞こえてくる。
「ええ、みんなよく頑張った。もう思い残すことはないんじゃないかしら」
女性――華蓮はゆっくりと答える。
「本当に、後腐れなくこの世からおさらばできますね。――季久利聡一に会いましたね?」
能義がそうたずねると、華蓮は否定するわけでもなくうなずいてみせた。
「彼は……彼自身は政治家の悪事をネタに、子供たちや弟の犯罪を隠蔽しなければ裁かれることはなかったし、苦痛を受けることはなかった」
「それがわかっていても、守ろうとしたんじゃないんですかね? 弟に至っては唯一の肉親だったんですから」
「それでも……裁かれなければいけないんですよ」
能義は言い返そうとしたが、それができなかった。
「あなたは……こうなることを知っていたんですか?」
ただ、それだけを訊ねる。
「ええ。ただひとりだけまだ心残りがいますけどね。あなたには彼女の両親にあって話を聞いて欲しいんです」
「それはいったい……」
華蓮は能義に耳打ちをする。
「――わかりました」
能義は頭を下げると携帯を取り出した。
「冴島、車を出してくれ」
冴島に連絡をしながら、能義は施設をあとにし、ある場所へと向かった。
能義が訪れた場所は、古風な瓦屋根の大きな屋敷だった。
「はい――」
呼び鈴を鳴らすと、インターホンから女性の声が聞こえてきた。
「私、N市警察署の能義というものですが、ちょっと娘さんのことでお聞きしたいことがあるんですが、お時間よろしいでしょうか?」
能義がそう言うと、奥の玄関が開く音が聞こえ、能義はそちらを見やった。
そして、出てきた女性を見るや、能義は言葉を失った。
現れた三十代前半の女性は、どことなく
おそらく、彼女が成長したら、目の前の女性と瓜ふたつになっていたのだろう。
「娘に……千尋についておききしたいこととは?」
女性――千尋の母親は、うんざりとした顔で能義を見上げる。
「いや、娘さんが通ってらした学校のサッカークラブに入っていたことを聞きましてね。かなりいい選手だったそうじゃないですか?」
「ええ。あの子はただひとつのわがままを実現しようと思ってサッカーを始めたんです」
そのわがままを叶えたいがために、あそこまでうまくなったのかと、能義は喉を鳴らす。
「そのわがままとは?」
「二年前、知り合いにサッカーをやっている子がいまして、最初はその子の応援に行っていたんです。だけど途中で負けてしまって。ほかに見る必要もないし帰ろうとしたんですけど、千尋は最後まで見ると言って……。それでその日の決勝、ある男の子のプレイを見たら、まるで魅了されたようにその男の子のプレイを食い入るように見つめていたんです。それで影響を受けたんでしょうね、サッカーをやりたいって」
「サッカーをね……」
「わたしはサッカーは男の子のスポーツだからやめなさいって言ったんですけど、あの子あきっぽいんですけど、こうと決めたら意固地になる性格で、それで学校のクラブには入れたんですけど。やっぱり女子だからでしょうか、同じクラブの男の子から、女がサッカーするなよって云われたみたいで。わたしからしたらそれで諦めてくれるかなと思ったんですけど」
「それがかえって彼女の負けず嫌いな性格に火をつけてしまった」
能義がそうたずねると、千尋の母親はうなずいた。
「ええ。それで六年生になってやっとスタメンに入れるようになったと、すごくうれしそうに――」
千尋の母親は言葉を止め、両手で嗚咽を隠すように顔を覆った。
能義は彼女が殺されたのがその後だと悟る。
「そうですか……。それで、娘さんはなにか目標にしていたんですかね? そんだけ頑張っていたんですから」
「あの日見た男の子に勝ちたいと言ってましたけど、まぁ無理でしょうね」
千尋の母親はそう言うと、能義にもういいでしょうかとたずねる。
「え、ええ。すみませんね」
能義がそう答えると、千尋の母親は頭を下げ、屋敷の奥へと消えていった。
「能義さん、いったいなにを聞きたかったんですか?」
車中で運転をしている冴島がそうたずねるが、能義は頬杖をつきながら、外を眺めていた。
「能義さん」
「――あ、ああ、なんだ?」
「娘さんのことをたずねていたようですけど」
「ああ、ちょっと気になることがあってな」
能義はそう答えながら、華蓮から聞いたことを思い出す。
『――ましろがサッカーを始めた理由は和成くんが原因なんです。そしてあの子は彼との約束を叶えるために頑張ってきたんですけど』
その寂しそうな言葉は、ましろを――いや、畑千尋が憧れていた和成を
『それでも殺されてしまったら、なんのために頑張ってきたんだ』
どんなに努力しても、死んでしまっては叶わない。
それはポニーテールFCの子どもたちが、これから向かおうとしている場所と同じではないか。
親より先に死んだ子どもが行き着く彼岸の水際にある『賽の河原』。
どれだけ
『――くそ……』
能義は死んだ子どもたちだけではなく、自分がしてきた今までのことも泡となって消えたことに苦悶の表情を浮かべた。
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