Ⅶ-Ⅳ・アウトオブプレー
「これで帳消し。さぁ、残り時間楽しんでいくよっ!」
梓がポジションにメンバー全員が戻ったことを確認すると、皆を見渡し鼓舞を鳴らした。
「応っ!」
それに合わせる形で、FWの直之、智也。MFの椿、明日香。DFの陽介、ましろ。そしてGKの優――フィールドに立っているポニーテールFCの子ども七人も声を張り上げ、気合を入れる。
「椿、あたま大丈夫?」
明日香が自分より真逆の、右の
「大丈夫」
と椿は笑顔で答えた。
「直之くんと智也くんはボールを
梓は過去の、生きていた時のことを薄っすらと思い出していた。
はっきりと断言する。あの頃、梓と直之がいたころの河山センチュリーズのほうが強く全国少年サッカー大会に何度も出場し、負けなしといわれていた時代のメンバーだったからだ。
あの時自分がいた頃の河山センチュリーズと、今勝負している河山センチュリーズとでは実力が雲泥の差だということ。
八年前、スタメンとして出場していた梓と、ベンチ入りをしていた直之のほうが大間たちよりも上手かったと、梓にはそういう自負があった。
試合前、和成とともに見ていた練習風景の映像は本当に良かった。
大間たちと初めて会ったとき、梓と直之は大間に負けたからこそ、彼らの試合におけるプレイが許せずにいた。
たしかに女子と男子とでは筋肉のつき方も異なっていくため、体力的にも負ける可能性はあった。
だがそれを補える程のフィジカルとテクニックがあればどうにでもなる。
そしてなによりも、勝敗関係なしにその一瞬を楽しめることがなによりも楽しかった。
だが、チームメイトたちはそれを否定的に捉えていた。
勝たなくては意味がない。なにが楽しくだ、勝負して勝たないとつまらないだろう。
梓の中にあるサッカーは根本的に異なっていた。
相手を、そして観客を魅了させるトリックプレイ。
そしてみんなで点を勝ち取るという喜び。
それが梓の中にある『みんなで“楽しく”プレイするサッカー』だ。
彼女は極力点を取らない。点を取るのは自分じゃなくてもいい。
なにせ彼女はプレイすることが、サッカーをすることが楽しくて大好きだったからだ。
生前の自分はもっとも大事な思いを失い、大好きだったサッカーが嫌いになりかけていた。
それを取り返せないまま、彼女は殺されたのだ。
「でもさ、取られたらどうするんだよ」
梓のうしろで中腰になって息を整えていた陽介が声をかける。
「大丈夫。わたしたちはいろんなことを教えてもらってきた。すごく当たり前で、だけど一番忘れちゃいけないこと」
ましろはゆっくりと深呼吸するように陽介の言葉に答えた。
『――そうだ。このチームで、みんなと一緒にサッカーができてよかったって思った。サッカーができるとかじゃない……、あの人みたいに……みんなが見ていて楽しいって思わせられるサッカーができることなんだ』
「梓、残りあと何分だっけ?」
「たぶんあと7分くらい。ロスタイムは最大で3分ってルールだから、10分ってところかな」
それを聞きながら、ましろは自分の足の振るえが止まっているのに気付いた。
『――そうか、まだ
ましろは顔を上げた。その目には負けるなど微塵も感じさせない。勝って終わらせる。その熱意が込められた瞳だった。
だからこそ――、
「優、きついのは承知の上で言うんだけど、ちょっと出てもいいかな?」
と、前線――いや、攻撃に出たいと言う言葉が出ていた。
その言葉に、優はコクリとうなずいてみせた。
「ゴールは任せて。もう1点も入れさせないから」
グローブをバシンと鳴らす。その表情はしっかりと前を向いていた。
最初の頃に比べたら……と、ましろは小さく笑みをこぼす。
「正直、延長戦は視野に入れてない。というより、みんなの体力を考えると、この後半で終わらせないと」
梓はゆっくり深呼吸すると、和成を一瞥した。
『――きみは、今もサッカーが好きなのかな? ううん、好きなんだよね? あんなことがあっても、やめられないくらい好きだから、私も死んだ今でもやっぱりサッカーが大好きで、今こうしているときもうずうずしてたまらない。だから…また会えたんだと思う』
小さく、梓は笑みを浮かべた。
『――私たちにサッカーを教えてくれて、大切なものを教えてくれてありがとう。これが私からきみに教えられる最後の
審判の笛が鳴り、大間、桜井へとボールが流れていく。
そして桜井は湯山へとうしろに送る。
大間は梓のマークに入り、桜井は明日香をマークする。
「お前さぁ、誰のおかげでサッカーができてると思ってんだよ?」
大間にそう言われ、梓は彼を睨む。
「お前らみたいにヘラヘラ笑いながらサッカーするもんなんかじゃねぇんだよ」
「わたしがあそこにいた時も同じこと言われたよ」
「はぁ? お前みたいなやつ見たことねぇよ。おれ結構記憶力いいんだぜ?」
「そりゃぁそうだろうね? 昔はサッカーとか野球ってのは男子のスポーツってイメージだったし、女子のスポーツなんてバレーとかテニスくらいだったから」
梓は、前へと軽く走った。それを大間がマークするようについていく。
「でもね、それでも好きだったんだよ。どんなにバカにされたって、どんなに惨めに見えたって、自分が心から楽しいって思えたのはサッカーしかなかったんだから」
体勢を低く取り、梓はトップスピードで走り出した。
それを大間は必死に追いかける。
「村瀬っ! パスを送れ」
無理に追い付かなくてもいいと判断した大間は、ボールをキープしている村瀬に指示を出した。
が、あたふたとする村瀬を見るや、大間は怪訝な表情を浮かべる。
そしてフィールドを見るや、あっとした。
桜井は明日香にパスが送られることを警戒してか、マークについてから動くことができない。
湯山には直之が、栗原には智也がそれぞれマークしている。
そして一番気になったのは、
「なんで、なんでお前らのゴール前には誰もいないんだよ?」
DFである陽介がペナルティーエリアから3メートルほど前に出ている。
そしてましろにいたっては、センターラインへとすでに上がっていた。
「お前ら馬鹿じゃないのか、そんなことして、もし攻められたら」
村瀬が川原にパスを送る。川原は大きくセンタリングした。
「おいばか! なにしてんだよ?」
大間と桜井が声を荒げる。ボールはセンターライン前で落ちた。
「――今だ!」
誰ひとりマークしていない椿がクリアしに走り出す。
「くそっ!」
大間が奪いにかかる。桜井もあとを追うようにボールを追いかけた。
「椿、ボールは取らなくてもいい。誰かにパスをしろ」
「お前みたいなチビなんかじゃ間に合わねぇんだよ!」
桜井が右足を伸ばした。
その時、桜井の右ふくらはぎに激痛が走り、派手に転倒した。
「いってぇええええええええっ!」
その隙に椿がましろへとパスを送ったが、桜井の異変に気付いたましろがそれをスルーする。
ボールがタッチラインを越えた。審判がポニーテールFC側のゴールへと手で示す。河山センチュリーズのスローインを意味していた。
が、フィールドの中はそれどころではなかった。
「おい、大丈夫か?」
大間が倒れた桜井に声をかける。
「いってぇよ。いってぇっ!」
桜井は呻き声をあげながらのたうち回る。その双眸からは大粒の涙があふれ出ていた。
「何をしている。早くスローインの対処をしないか」
小野崎がそう叫んだ時、和成がスッと立ち上がった。
そして手をあげながら、ピッチへと入っていき桜井へと近づいた。
「よっと――、今のは指導者としては見るに耐えられないプレイだったな」
そう言いながら、桜井に肩を貸した。
「小野崎監督、桜井くんの代わりに変えようって思ってる選手はいないんですか?」
小野崎は苦痛の表情を浮かべながら、
「田代、行ってこい」
そう呼ばれ、11番の田代は交代ラインからピッチに上がった。
すれ違うように、桜井は和成と一緒にフィールドの外に出た。
◇
「そんじゃぁ、ちょっと安静にしろよ――冷えたタオルはあるか? 冷たいドリンクでもいいんだけど」
和成は桜井を河山センチュリーズ側のベンチに座らせ、島津と茂野に言った。
「なにをしている? 君は部外者だろ?」
小野崎が怒声をあげながら睨みつける。
島津がクーラーボックスからスポーツドリンクを取り出し和成に手渡した。
「ちょっと冷たいけど我慢しろよ」
そう言いながら、和成は桜井の右のふくらはぎにドリンクを付けた。
「お前らもよく見て覚えておけよ。こむら返りになったときは、まず身体を安静にして患部を冷やす。筋肉を冷やすと血管が収縮してるから伸ばしてやらないとな。ただし無理に伸ばすと肉離れになってしまうから、伸ばすときはゆっくりと足の爪先をもって頭へと足を近付ける。そして反動をつけずに、ゆっくりと伸ばしていく」
そうしていくと、苦痛の表情を浮かべていた桜井の表情が次第に和らいでいった。
「すぐには運動しないで、落ち着いたら歩いたりストレッチしてクールダウンしておくこと。あとはマッサージしてほぐすようにな」
「あ、ありがとうございます」
桜井がお礼を言うと、和成は大きく笑みを浮かべた。
「さっきのプレイは取ろうって気迫があってよかった。でも、前には大間くんがいたし、変に奪おうとせず、クリアした相手から取ってもいいし、フォローでもよかったんじゃないか?」
「怪我は治ったんだな? だったらすぐに交代しろ」
小野崎が怒鳴るように桜井を戻るように指示した。
その言動があまりにも身勝手なもので、
「でも、桜井は今怪我をしてて」
と、茂野が訴えるように言った。
「治ったんだろ? だったらすぐに出れるはずだ。それにな、指示通りに動かなかったからそんなことになったんだ」
「はぁ、全然変わりませんね。勝つことしか視野に入れなくて、手前の命令に
和成はあきれた表情で口を挟んだ。
「当たり前だ。こっちは勝つためにいろんなクラブからスカウトしたんだからな――ああ、思い出した。君はたしか二年くらい前に、うちをクビになったへたくそだったかな?」
小野崎は鼻で笑った。
「えっ? 二年前?」
「そういえば、鎌田和成って……、もしかして二年前うちのクラブを退団したっていう」
茂野と島津が唖然とした顔で和成を見すえた。
「勝つために……か。――あなたにとってこの子たちはなんですか?」
和成は訴えるように小野崎へと問いかける。
「素晴らしい原石だ。が、原石でも磨かなければ価値はわからない。その磨きはわたしのような優秀な監督の元で成り立つ。それは最低限私の言うとおりを聞かなければいけないことだ」
「俺もそう思います。あなたの下にいたことは後悔していませんし感謝もしている」
「理解しているようだな。私の命令に背く選手は切り捨てるべきなのだ。完璧な選手に、プロになろうと思っている彼らに必要なのは他者を切り捨てること」
和成はフィールドにいる子供たちを見やった。
「俺はあの時自分にできる最低限の可能性にかけました。俺はストライカーじゃないですし、みんなをサポートしたり、敵を翻弄するくらいのリベロでしかありません」
「君を解雇したことは本当に惜しいと思っている。U-12に推薦しようとしていたのだがあんなことがあってはな。そうだ今からでも遅くないもう一度うちでサッカーをしないか?」
小野崎の言葉をさえぎるように、和成は首を横にふった。
「それができれば苦労はしませんよ。他のチームに入ろうかって考えもしましたけど」
そう言いながら、和成は左足のスバイクを脱いだ。
その足を見るや、小野崎は一瞬青褪めた表情を見せる。周りの子供達もその甲の異常な歪みに目を背けたかった。
「そ、それは……いったいどうして――」
「自分のしたことですから気にしなくてもいいですよ。でもたった一度きりの可能性に掛けたプレイをないがしろにして、自分の思い通りに動かない選手を切り捨てることだけはしないであげてください」
和成はそう言うとスバイクを履き直し、ポニーテールFCのペンチへと去っていった。
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