Ⅶ-Ⅲ・ヒスティング
「みんな、大丈夫?」
ハーフタイム中、ポニーテールFCのベンチで、朋奏が声をかけたが、子供たちは誰ひとり声を出せなかった。
前半終了間際に点を取ったとしても、第1試合から蓄積されていた疲労がピークに達していたのだ。
和成と朋奏はそんな子どもたちを見て、遠回しに相手チームが有利になるように、本来なら数日かけてやるサッカー大会をたった一日でしていたのだと苦悶する。
それでも前半走りきれているのは、いわずもがな毎日の基礎体力づくりが功を奏していたからであった。
「水分をしっかりとっておけ、残り15分……」
和成がその先を言おうとした時、殺気にも似た視線を感じ言葉を止めた。
「15分? それって、負けろっていってるみたいなものじゃないの? あいつらに勝つには……延長も視野に入れないと無理でしょ?」
ましろがそう言うと、和成はたじろぐ。
「でもな――」
「次の後半であいつらが攻めず守りを固める可能性がある。だからわたしたちが勝つにはなんとしてでも同点にして、延長戦を」
ましろは立ち上がろうとしたが、さきほどの直接フリーキックで明日香が上げたクロスを全速力でボールに追いつき、そして無理な姿勢でボレーを放った代償で足がふらついていた。
「そうか……」
和成はベンチに座っている梓を見やった。
梓はジッと、河山センチュリーズの方に視線を向けている。
前半終了の土壇場でハンドリングによるファウルとそれによる失点で、河山センチュリーズのベンチは、傍観している梓ですら、居心地の悪い空気が漂っていた。
「キャプテンはどうなんだ? ストライカーのわがままを無視すんのか?」
「――勝ちたいです。でも、もっと大事なものがある」
「大事なもの?」
椿が首をかしげる。
「みんな、私たちのサッカーってなんだったっけ?」
梓がそうたずねると、ましろはハッとする。
「梓、こんな状況でもそんなこと言えるの?」
ましろが責めるような声で聞き返した。
もちろん、梓もこのままでは勝てないことはわかっている。
だが、河山センチュリーズの子どもたちを見ていて、自分たちが今できることが見えていたからとも言えよう。
「こんな状況だから基本的なことを思い出すんだよ。負けるとか勝つことが無理だって思ったら足を止めてしまう。勝ちたいって思うと足が前に行きすぎてかえって失敗する。それじゃぁ平常心ってどうやって作ると思う? 今この状況を楽しむんだよ」
「そんなこと言ったって、わたしたちが勝てる見込みなんて――」
「転倒してから前半が終了するまでベンチで見てたから、なんとなく彼らの行動がわかってきた。大間くんと桜井くんが攻撃の要。だけど自分からはあまり取りには行かず、MFの湯山くんがボールを取って二人にパスする感じだった。それから直接フリーキックの時におけるほかの選手の対応。私だったらましろか直之くんのどちらかをマークする。ふたりとも点を取っているから注意していないこと自体がおかしいもの。だけどましろは誰にも邪魔されずゴールを狙うことができた」
和成もそれが気になっていた。
「たしかにましろと直之にマークがついていなかったのは気になるな」
華蓮にお願いして撮影してもらっていた大会に参加するチームの練習風景を撮影した映像を見る限りでは、河山センチュリーズの練習技術は群を抜いていた。そのため高度なプレイもできるはずだと和成はふんでいた。
しかしなぜかこの大会では見受けられない。
本来の彼らの実力ならば、不正などしなくても決勝まで来ていたはずだったからだ。
「思ったんだけど、みんな相手を気にしすぎてるんじゃないかな?」
優が恐る恐る言うと、ましろは睨むように見つめ返した。
「気にしすぎてるって、相手はあいつらだぞ?」
武が怒鳴るように言い返すと、優はピクリと肩をすぼめた。
「そうなんだけど、なんだろう。今日試合をした子たちと比べて、あの子たちの試合は面白くないんだよ」
「試合に面白いも面白くないも関係ないでしょ?」
「そ、そうなんだけどね。ほら……リーズFCの監督さんがコーチに聞いていた答えがわたしたちのサッカーだとしたらさ、河山センチュリーズの子どもたちは勝負している私たちを全然見てないっていうか、なんか別のことを気にしてるっていうか」
『――襟川さんの?』
和成は、優の言葉にハッとする。
「コーチ、どう思います?」
明日香にたずねられ、和成はそちらへと視線を落とし、すこし唸る。
「それじゃぁ、なにか? 梓と優は河山センチュリーズのプレイが面白くないって言いたいのか?」
「いいえ、コーチが見ていた練習風景の映像を見た限りだと、みんないい選手なんですけど、試合となるとなにかを怖がってるって感じがして」
梓もどう説明すればいいかわからなかった。
「怖がって……」
和成はハッとし、昔のことを思い出す。
「それに――なんで
その言葉に、和成は突破口を見つけた。
「梓、身体は大丈夫か?」
そう言われ、梓はうなずく。
「だったら、後半出れるな?」
「大丈夫です。みんなががんばっていた分、こんどは私がちゃんと答えないといけませんから」
前半の10分間をベンチで過ごしていた。休むには十分といったふうに、梓はハッキリと答えた。
「それで、後半はどうするんですか?」
智也の言葉に、
「ん? いつもどおりお前らの自由でいいよ。それと武は椿と、恭平は陽介、悟は梓と交代な」
武は椿を一瞥すると、和成を見やった。
「あぁごめんな。準決勝のとき出すって言って出さなかったしな」
和成はごほんと
「本来なら全試合フルで出ている直之と明日香、ましろの三人と優を交代――というよりは前半だけでも休ませたかった。だが正直言って河山センチュリーズが相手となれば2点でおさえられる話じゃなくなる。むしろ逆転できずに負けてしまったのは直之たちを前半から出さなかったからなんて言い訳すらできない状況だ」
それは恭平たちもわかっていた。
もし自分たちが前半だけとはいえ、ピッチに出ていたとしても、果たして1点でも取れていただろうか。
いや、2点で抑えきれていただろうかと。
「わかってます。これも作戦ですからね」
「ううん、むしろみんなが頑張ってくれたからここまでこれたんだよ。一人が頑張ったってたぶんダメなんだと思う」
梓がフォローするように言う。
「そういってもらえるとありがたいよ。それじゃぁ後半絶対点を取られないようにしようぜ」
「そんなこと言って、点を取られたら許さんからな」
交代する恭平が陽介をからかうように言った。
「……自由って、いい加減に――ひゃう?」
ましろが文句を言おうとした時、和成はましろの頭を優しく撫でた。
「いいから、みんなはみんなを信じればいいんだよ。オレがあそこでやってた時と同じようにな。それにみんなやリーズFCの子たちにあって、河山センチュリーズにはないものってなんだと思う?」
「それって……」
「ポニーテールFCの選手はキックオフの準備を始めてください」
審判にそう言われ、和成はうなずいた。
「ほら、思いっきり
ましろたちは納得がいかない表情を浮かべながら、ピッチに向かった。
和成は腕を組みながら、ピッチへと入っていく子どもたちを見据えながら、
『もし、今でもあんなつまんねぇルールが続いてるってんなら、みんなには勝てる可能性がある』
そう含み笑いを浮かべた。
後半戦が開始され、直之から陽介、梓へとパスが送らていく。
大間はサイドハーフに入っている椿をマークし、桜井が明日香をマークに入る。
『――やっぱり、FWの二人は積極的に取りに来ていない。そうなると、逆に取りに来ている湯山くんに気をつければ……』
梓は少し上がっている直之に低い軌道のボールを送ると同時に走り出した。
それを梓にマークをつけていた湯山がカットしようとした次の瞬間――。
「んだぁと?」
ボールは軌道から大きく右に曲がった。右足のアウトフロントで蹴ったのだ。
「ましろっ!」
ボールを手元に戻した梓は、そのままうしろへと蹴り上げる。
ましろの前にボールが転がる。それを大間と桜井は取りにかからない。――いや、取りに行かなかった。
ましろはボールをクリアし、ドリブルを開始する。
一瞬だけ足がもつれたが、すぐに体勢を元に戻す。
「取らせるかよ」
大間がボールを奪いにかかった。
「ましろ、そこからシュート!」
和成が叫ぶと、ましろは反射的に右足をうしろへと大きく振り上げた。
だが、この状況でシュートはありえない。そう思い止まり、右足の勢いを殺した。
その時、大間は慌てて腰を低く取ってしまう。
ボールは大間の股の間をすり抜け、マークから外れていた椿に送られた。
「しまったっ!」
大間は慌てて振り返った。ボールをカットした椿がそこからドリブルを開始する。
「椿、こっちに回せ」
陽介がそう言うと、湯山が取りに走った。それを梓がマークに入る。
椿がボールを送ると、陽介はそれをクリアし、攻めに入った。
「点を取らせるな」
桜井が取りに戻った。目の前からも2番の川原がディフェンスにかかる。
「直之」
うしろへとパスを送る。
直之がクリアすると、一拍置いてマークから外れた明日香に送った。
その時、直之はましろと梓を見る。
「くそっ!」
大間が明日香へのパスをカットする。
「くらえっ!」
そのままゴールへとシュートを放った。
強いボールは真っ直ぐ、優へと向かっていく。
しっかりとボールをキャッチし、優はセンタリングで梓に送った。
「ましろ、上がってっ!」
梓がそう指示をした時、ましろは顔を上げた。
そして、ゆっくりと走り始める。
『――コーチは、なんて言おうとしたんだろ……。わたしたちや梨桜さん、裕香さんたちにはあって、河山センチュリーズにはないもの……』
ましろはボールを受け取ると、立ち止まり、思考を走らせた。
『――サッカーを教えてくれた人が一緒? でも、コーチは昔河山センチュリーズにいたっていうし』
「ましろ、なにしてんだよ?」
陽介が怒声をあげた。
「ボーとしてんじゃねぇよ! この
大間がタックルを仕掛けに走った。
その形相は勝つことに必死で、サッカーを楽しんでいないことが火を見るようだった。
ましろは優がハーフタイムの時に言っていた、第四試合を見ていた時、襟川の質問に答えた時の和成の言葉を思い出す。
『――そうか、だから梓も、優も、こいつらの試合が面白くないって言ってたんだ』
大間との間合いが3メートルになろうとした時、ましろは右へと切り出した。
大間もそちらへと身体を動かす。
ましろは蹴った右足でもう一度ボールに触れ出した。
「エラシコか」
大間は一瞬だけ足を止める。そして取りに入った。
その時、ましろはボールを右足でうしろへと流す。
そしてもう一度右足で止め、身体を反対へと持っていった。
「梓っ!」
大間に取られる前に、梓へとボールを送る。
「バカかおまえ? 6番にはマークが付いてるだろうが? それにあいつはあんなタックルもよけられないへたくそだ!」
大間がそう言うと、ましろは笑った。
「あまり人を見下してると痛い目みるわよ?」
「なに言ってんだよ」
大間はましろをマークしつつ、梓を見た。
ボールは梓の方向へと大きく弧を描く。暴投とも言えるほど大きなセンタリング。
「栗原、村瀬! クリアに入れ!」
キーパーの黒岩が指示を入れる。ボールは栗原の方へと向かっていく。
「――椿っ!」
クリアしようと跳躍した栗原の眼前に、小さな影が飛んだ。
「んだぁとぉ?」
栗原は、目の前に自分よりも小さい椿が空中で攻め勝ち、ヘディングで梓へとパスを送ったのを、それこそ幻だと言わんばかりに目を見開いて見すえた。
「くそっ!」
村瀬がボールのカットに向かう。
地面に落ちたボールがバウンドする。
梓がそれを取りに走った瞬間、頭に痛みが走りふらついた。
「梓っ! 俺に! 『サッカーは“楽しい”』って教えてくれたお前が! そんな当たり前の気持ちを、ただのゴミだって思ってるこいつらに負けんのかよ?」
和成が声を張り上げる。
その言葉に、梓は水がスポンジに吸収されるようにちいさな思い出が頭の中でひろがるのを感じた。
『――サッカーは“楽しい”か……。ほんと、そんな当たり前のことをなんで忘れてたんだろうね』
「ふぅざけんなぁよぉっ!」
大間がましろのマークから外れ、鬼の形相を浮かべながら、梓へと走った。
「楽しいだぁ? そんなのはなぁ、プロになるためにはいらねぇんだよ」
『――あぁ、もう。この子達の試合見ててイライラするんだよ。みんな一生懸命プレイしてるけど根本的なものはサッカーが“大好き”で“楽しい”からみんな一生懸命プレイするんだよ』
梓がボールをクリアした時、大間がスライディングでそれを奪いかかった。
【子どものサッカーは“遊び”であり、それは“楽しく”なくてはいけない】
それはかつて、梓にサッカーを教えてくれた人が伝えてくれた言葉。
プレイヤーが観客に、対峙するプレイヤーに魅せる様々なトリックは、一種のエンターテイメントだ。
決して誰も退屈にはさせないし、させてくれない。だからこそ見ていて楽しい。
それを否定する大間たち河山センチュリーズの言葉や
「――それで?」
ちいさく梓は冷たい言葉を放った。ゾッとするほどの低い声。
梓はボールの下を
「そんなの、小学生が気にしてるんじゃないわよ。――直之くんっ!」
ボールを、河山センチュリーズのペナルティーアークから右側手前に5メートルほど上がっていた直之の方へと蹴り出す。
見惚れるほど綺麗に、ボールは直之の胸へと優しく落ちた。
「そこからシュートしてッ!」
梓の言葉に、直之は一瞬梓を一瞥した。
直之の不安そうな表情に、梓は小さく笑みを浮かべる。
「大丈夫、どんなに馬鹿にされても、いつも頑張って、送迎バスが出るギリギリまで練習してた君ならできるよ」
直之は梓が一瞬だけ、自分がいつもベンチから見ていたスタメン選手の少女とダブって見えた。
『やっぱり――すごいよ……横山さんは――』
直之は視線をゴールへと向けるや、そこからシュートを放った。
カーブも何もかけていないインステップでのストレート。
ボールはゴール右端へとまっすぐ純粋に向かっていく。
黒岩が腕を伸ばすが、ボールは手を掠め、ゴールへと吸い込まれていった。
審判が無言でセンターマークを示した。点が入ったと言う証明である。
「同点だぁああああああああああああああっ!」
ポニーテールFCの子供たちが一斉に喜びを
「やったな、直之っ!」
智也が直之にうしろから抱きつき祝福する。
「いてぇよっ! ちょっとやめろって」
嫌がりながらも、直之は大きな笑みを浮かべる。
「やりましたね能義さん、ここに来て追いつきましたよ」
冷静を放り捨てたように興奮する冴島が能義を見やった。
「どうかしたんですか?」
声をかけられ、能義はハッとした。
「いや、なんでもない」
能義はそう言いながら、顔を俯かせた。
彼の目には、大粒の涙が浮かんではいたが、その表情は喜びでいっぱいだった。
目の前にいる死んだ愛息子が、最高の笑顔を浮かべているのだ。
自分の立場上、ろくな相手もしてやれなかった後悔が能義にはあった。
だが、そんなことは関係なく――、もちろん父親としてどう思われていたのかは聞けずしまいだったが、それでも……、
目の前でチームのみんなから祝福されている息子の笑顔は、太陽のように明るかった。
『――やったな、なお……。すごくいいシュートだったぞ』
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