Ⅶ-Ⅶ・ニアサイド≠ファーサイド
二日後。十二月二十四日。
いつものコートには子供たちの姿があった。
「えっ? コーチとは今日でお別れ」
華蓮からの一言を聞くや、明日香たちは唖然としていた。
「ええ。本来なら大会が終わってすぐにってことになっていたんだけど、今日までは待ってもらっていたの」
華蓮はそう言うが、子供たちは誰ひとり納得していなかった。
「もっとコーチに色んなこと教わりたい」
「なんで? 華蓮ちゃんなんで?」
「俺、まだできないと技とかあるのに」
子供たちが各々と愚痴をこぼしていく。
「みんな、私たちはもともとこの世界の人間じゃないんだよ? それにさ、これ以上わがまま言ったらダメだよ」
梓が皆に言い聞かせるように言った。
「俺だって、みんなと別れるのは辛いんだけどさ、こればかりは仕方ないだろ?」
「そ、そうですけど……」
梓が寂しそうに答える中、和成はましろを一瞥した。
「それでだ。ましろ、最後にお前と勝負がしたい」
声をかけられ、ましろはキョトンとした表情を浮かべた。
「勝負って」
「ああ。1対1の勝負だ」
突然そう言われ、ましろは驚いたが、心の中では跳ね上がりそうなほど嬉しかった。
「それじゃぁ、ルールはどうするんですか?」
「そうだな。オフェンスとディフェンスに分かれて、俺を抜くか、ボールを取ればましろの勝ち。最初はましろがオフェンスで、ボールを蹴り始めた時から開始だ」
そう言われ、ましろはうなずいた。
そしてボールを受け取ると、二人の間合いを20メートルほど離れる。
「それじゃぁ、はじめるよ」
椿が大きく声をあげる。
ましろは一度深呼吸をすると、ドリブルを開始し、和成との間合いを5メートルほど近付けた。
『――一度シザーズで反応を遅らせて……』
思考を走らせている時、自分の足元を刃で切られたような錯覚をした。
そして、うしろからボールが跳ねる音が聞こえる。
「――えっ?」
ましろはもちろん、子供たちはおろか、朋奏や能義も目の前の光景が信じられなかった。
「どうした? 相手が目の前にいたら、ボールを取られないよう警戒しないといけないことくらいわかってるだろ?」
和成にそうたずねられたが、ましろは何も言えなかった。
どうやって和成を抜こうかと考えてから1秒も経っていない。
「いいか。ボールを持ったらもうオフェンスなんだ。相手が奪いに来ないとは限らない。相手からボールを奪われようがいまいが、その両方の先も思考を働かせろ。一瞬の判断が命取りだからな」
和成も同様に20メートル離れ、そこからドリブルを始めた。
『――おちつけ。相手がどんな動きをしてくるか、一瞬のうちに見極めて……』
ましろが考えていると、和成は7メートル離れた場所からシザーズを開始し、右へと切り返す。
ましろもそちらへと身体を動かすと、和成はエラシコでボールを止めてから左へと軽く蹴り、ましろの残った方の足に目掛けて、ボールを
その一瞬の動きに、ましろは動くことができなかった。
「み、見えた? いまの」
「ぜ、全然見えなかった」
ましろと和成のマッチアップを間近に見ていた子どもたちですら目で追いつけないでいる。
和成の動きは、まったく無駄がなかった。
技を使うタイミングがまるでわかっているかのように、綺麗な動作だ。
「どうした? もう一回やるか?」
「あ、はいっ!」
ましろは大声をあげた。
しかし、何回やってもましろは和成を抜くことすら、ボールを奪うことすらできない。
「やっぱりスゴイやコーチ」
梓と、見に来ていた梨桜と裕香以外の全員が驚きを隠せないでいた。
「おにいちゃん辛そうだね」
「辛そうって、全然そうには見えないけど」
「さっきから和成くん左足をあまり使っていないけどそれが理由?」
梓の言葉に梨桜はうなずいた。
「おにいちゃん、あのクラブをクビになってから自暴自棄になってた時があって、腱鞘炎を悪化させるくらい利き足だった左を酷使していたんだよ」
「足を悪くしてるって、でも私との練習はいつも左足で蹴ってたよ」
「それは優ちゃんの本気に答えたかったからじゃないかな? それとも試していたってところもあったかもしれない。だって真剣にプレイしているお兄ちゃんに今の私たちはもちろん、梓ちゃんでも勝てないと思うから」
「サッカーの楽しさを教えた張本人にも?」
「でも、なんか分かる気がする。今まで自分の支えてくれていたものがなくなって、なにをしたらいいのか分からなくなっていくのって、なんかそれまでのことがどうでも良くなっていくような感じがするの。楽しいはずのサッカーをしている自分が嫌でたまらなくなっていく」
梓はゆっくりと和成を見やった。
「おにいちゃんは私たちにサッカーを教えていたわけじゃないんだよ。結局私と梨桜はおにいちゃんの背中を追いかけていただけ。おにいちゃんにかまってほしいって思いながら一緒に遊んでもらっていただけだったんだから……本気で勝負してもらったことなんて……たぶん一回もなかったと思う」
裕香は梓たちをみやった。
「おにいちゃんを助けてくれてありがとう。おにいちゃんがあんなに楽しそうにサッカーをしているところなんてもう見れないと思ってたから」
「お礼を云われるようなことしてないけど、でもそうか……」
梓は笑みをこぼした。
「どっちも……本気なんだよね。二人とも強いとか弱いとかそんなの関係なしに本気で楽しんでるんだよね」
梓には和成と本気で勝負しているましろが眩しく見えていた。
「どうした、あきらめるのか?」
「いえ、まだできます。だって……だっていつかコーチに――ううんあの日、和成さんのプレイを見ていて、それでサッカーがすごく楽しいものだって
ましろは大きく笑みをこぼす。
目の前に、憧れの人がいる。
その人が本気で勝負をしてくれている。
自分が倒したいと思った相手が、本気で答えてくれている。
あの日、世間知らずだった少女の願いが、こうやって叶っているのだ。
「楽しくて、すごく楽しくて、ずっと続いて欲しいくらい楽しいです」
これを――笑わずにはいられようか。
ましろはゆっくりとボールを蹴り出した。
そして和成との間合いを7メートルほど近づくと、そこからシザーズを開始する。
和成は身体を左右に振ると、タイミングを合わせるようにボールを奪いにかかった。
ましろはエラシコでボールを止めると、うしろへとボールを流し、背中を向けながら体勢を低くとり、ボールを取らせないようにする。
何度か抜くタイミングを見ながら、小さくボールを扱う。
『――まさか、あの子がここまでうまくなるとはな……』
和成は小さく笑みを浮かべる。そして、ボールを取ろうと右へと回り込んだ。
「ここだっ!」
ましろはボールを左へと蹴り流した。
左足でボールを止めるとヒールでうしろへと蹴る。
和成はそれを取ろうと足を伸ばした。
ましろは回転するように、右足のヒールでふたたびうしろへと蹴り流す。
その勢いのまま、右足を軸足にして回転し、ボールを足元に戻した。
和成は一瞬、ぶつかりそうになり身体を引っ込めてしまう。
そして自分を抜き去るましろのうしろ姿を見送った。
ましろは和成から10メートルほど離れた場所で止まると振り返り、小さく笑みを浮かべた。
『――なんでだろうな。もっとのびしろがあるし、まだ色々と教えてやりたいのに』
和成は答えるように手を振った。
「なぁ、俺の気のせいかな? コーチ泣いてないか?」
「うん。私も思った」
子供たちが和成の表情を見ながら、呟いた。
「でも、二人とも楽しそう」
椿がぴょこぴょこと飛び跳ねる。
「私も、あの中に入りたいな」
明日香や優も、興奮をあらわにする。
「ダメだよ。やっとふたりの約束が叶ったんだから、邪魔したらダメだよ」
梓はそう言いながら、自分たちの体に異変が起きたことに気づいた。
ポニーテールFCの子供たちの身体が次第に薄れていく。
「お別れなんですね」
和成は、消えていく子供たちをジッと見つめる。
「コーチ、私すごく楽しかったよ」
「おにいちゃん、またサッカーしようね」
「私、今度は臆病じゃない、しっかりと前を向ける人になりたいです」
明日香、椿、優が和成に感謝の気持ちを述べていく。
「なおっ!」
能義が叫ぶと、直之は彼に向かって振り返る。
「ゴメンな。父さん忙しくて、お前の試合見れなくて」
「ううん。俺生きてたときは試合に一回も出たことないんだ。でも、ありがとう父さん」
直之は笑顔で答えた。
「和成くん。きみは私が教えたことを、今でも忘れないでいてくれてたんだね」
梓がそうたずねると、和成は顔を歪めた。
「俺は……俺はおねえちゃんみたいなすごいプレイできてたかな?」
梓は首を横に振った。
「根本的なことを勘違いしてるよ。私は私で、きみはきみ。きみは、私でさえ、ううん誰にも真似ができない、きみだけにしかできない素敵なプレイをすればいいんだよ。だけどもっと大切なもの。これだけは絶対忘れてはいけないこと」
「何事も楽しまないと面白くない」
和成は笑顔を浮かべながら涙声で言うと、梓はそれを答えるように、小さく笑みを浮かべた。
「和成さん、さっきわざと抜かれませんでした?」
ましろにそう言われ、和成は首を横に振った。
「いや、今のは完全に俺の油断だ。一瞬の判断が命取りになるのを再確認できたよ。だから勝負は君の勝ちだ」
「わたし、あの日からどんなにバカにされても、和成さんと勝負がしたいって、そして勝ちたいってことを目標にサッカーを続けてました」
ましろは大きく笑みを浮かべる。
「でも別に勝ちたいからサッカーをしていたんじゃない。本当は和成さんみたいにみんなを魅了させるプレイがしたかったんだと思います。――だから、一緒にサッカーができてすごく
そう言いながら、ましろ――子供たちは消えていく。
そして、それを送り届けるように朋奏も姿を消していった。
「――行ってしまいましたね」
能義がそう言うと、
「ええ。みんないい笑顔でしたよ」
和成は顔を俯かせた。
「……すこし冷えますね。ちょっとそこらへんで温かいコーヒーでも買ってきます。あ、お二人もどうですか?」
呼びかけられた梨桜と裕香は一瞬戸惑うが、
「分かりました」
そう言って、能義とともにコートをあとにしていく。
一人残った和成は嗚咽を吐いていた。
子供たちと過ごした三ヶ月間。色々なことが和成の脳裏に流れる。
彼の流した涙を拭うように、冷たい風がやさしく吹いた。
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