Ⅲ-Ⅳ:ラ・ボバ
「はぁ……」
と、なんともしまりがない声を出したのは、梓と明日香であった。
事の始まりは、ましろの、本当に何気ない一言なのである。
「コーチの誕生日って、いつかしらね?」
それに対して、女の子たちの誰一人、答えられなかった。
ようするにコーチである和成の誕生日を知らないのである。
「コーチに聞いてみたら?」
「でも、最近練習きついし、終わったら終わったで、朋奏ちゃんと華蓮さんと三人でミーティングしてるしなぁ」
椿が、つまらなそうな表情で言葉を吐いた。
「練習の合間に休憩があるから、その時に聞いたら? 気兼ねなく話してるのって、梓ちゃんとましろちゃんくらいだし」
優の提案に梓とましろがやってみると答えた。
時期はすでに十一月に入ろうとしていた。
梓とましろが和成に誕生日はいつなのかとたずねようとしても、大会に向けてさらに練習メニューが増え、基礎体力、パスワーク、シュート、ドリブル等々。
とてもじゃないが、練習が終わった頃には子供たち全員ばてているのである。
練習の合間にある小休憩も少しは長くなったとはいえ、気がついた時には、ピッチの真ん中で、子供たちは全員倒れている。
こういう状態であるがため、聞こうにも聞けずにいるのが現状であった。
「よしっ! みんな休憩終わり」
和成がそう云うと、子供たちはゆっくりと立ち上がった。
『――えっと、たしか次はコーンを置いて、ドリブルの練習だったはず……』
ましろがそう考えていた時である。
「今日の練習はこれでおしまい。みんな、シャワーを浴びて着替えてきて」
朋奏の言葉に、子供たちは首をかしげた。
「え、でもまだ基礎練習しか――」
「基礎練習は毎日やらないといけないからな。まぁこれから行く場所も、練習といえば練習になるよ」
この時はまだ、和成の真意に子供たちはわからなかった。
華蓮に連れられてやってきたのは、一軒の食事処であった。
「ひろいっ!」
椿がおどろいた声をあげた。
子供たちはもちろん、和成と朋奏も呆然とした表情で、店内を眺めていた。
その奥座敷は十畳一間と広く、20人でも悠々と座れるくらいである。
「みんな、好きなところに座って」
華蓮がそう云うと、敷居のところで、見た目二十歳ほどの若い女将に色々と話をしている。
「ええ。子供たちには栄養がつくものをお願いね」
女将は小さくうなずくと、奥のほうへと消えると、すれ違う形で、190は優に超えている男が、32型ほどのテレビを抱えて、部屋に入ってきた。
「和成さん、テレビはここらへんでよろしいでしょうか?」
「あ、はい。後はこちらでセッティングします」
和成が頭を下げると、それに答えるように男性も頭を下げた。
和成はバックからデジカメを取り出して、中に差し込んでいSDカードを抜き取る。
それからテレビの横にあるUSB接続にコードを差し込み、カードリーダと繋げた。
「コーチ、なんか映像でも見るんですか?」
ましろがそうたずねると、和成はうなずいた。
「ああ、敵を知る前には、まず自分たちのことも知らないとね」
和成の言葉に、ましろは首をかしげる。
リモコンでテレビを点けると、少し時間を置いて起動し始めた。
しばらく待ってからメニューを開き、SDカードに保存している映像が映され始めた。
あっ……と、子供たちが声をあげる。
映像に映っているのは、他でもない梓たちの練習風景であった。
「練習って、これのことですか?」
「ああ、人の振り見て我が振り直せってね」
和成は、梓の質問に答える。
「あ、今のましろちゃん、ちょっと可笑しかった」
優がそう云うと、和成はリモコンで映像を巻き戻した。
映像に映っているましろと恭平のふたりが対峙しており、ましろはドリブルで近付くと、右足の裏でボールを転がし、シザーズをしかける。
恭平は目の前に近付いたましろに怯み、さらに身体でブロックされているため、ボールが取れない。
抜き去った時、一瞬だけましろの体が崩れていた。
「優、どこが可笑しかったか云ってみろ」
「えっと、抜き去る時、足がボールに追いついてなくて、無理に右足を伸ばしてました」
優の回答を聞くや、ましろはすこしばかり苦笑いを浮かべる。
「それじゃぁ、これを直すにはどうしたらいいかな?」
「――足を早くする」
「――それよか、ボールを蹴る力を考えるとか」
子供たちが色々と考えを述べていく。
「それで、コーチはどうしたらいいと思いますか?」
「俺はそうだな」
和成はましろを見やると、
「ちょっと立ってみて」
そう言われ、ましろは立ち上がった。
「そんじゃ、ちょっとうしろを向いて」
「こ、こうですか?」
ましろは不安そうにたずねながら、うしろを向いた瞬間、突然和成に背中を押され、左足を前に出して踏ん張った。
「ちょ、ちょっとっ! なにするんですか?」
おどろいた声をあげながら、ましろがたずねると、和成は少しだけ考えるや、
「もしかして、ましろちゃんって左利き?」
とたずねた。
「え、あ、はい。そうですけど」
「それじゃぁ、ちょっとボールを左足の裏で転がしてみて」
「でも、ここってお店の中」
「大丈夫、大丈夫」
ましろはボールを受け取ると、和成に言われた通り、左足の裏でボールを転がし始めた。
「こんなので癖が直るわけ……」
愚痴を零しながらボールを転がしていると――あれ?と、首をかしげた。
おもむろに、右足の裏でやると、どうも感覚が違う。
どちらかというと、左でやってみると、右よりもやりやすかった。
「――あっ!」
ましろが声をあげると同時に、ボールは和成のほうへと転がっていった。
「みんなは利き足ってのは聞いたことある?」
和成はボールを抱え、子供たちにたずねたが、そのほとんどは首を横に振った。
「ましろ、ドリブルを始める時はどっちから蹴ってる?」
「えっと、右からです。サッカーを始めた時、ドリブルの映像はほとんどが右から蹴ってましたから」
そう答えると、和成は小さくうなずいた。
「人間のほとんどは右利きと言われていて、左の人は少なかったんだ。昔はそれが当たり前だったから、左利きの人を強制的に右に直そうする習慣さえあったんだよ」
「厳しいんですね?」
「まぁ、日本人のお国柄ってことでもあるんだけどね。それじゃぁ、ましろの癖はなんだと思う?」
「右にボールを流してるから、利き足じゃない右が変な負担をかけてるってことですか?」
「そういうこと。どちらにもいけるのはいいことなんだけど、ボールを変な形で取ろうとしたら、ふくらはぎを痛める危険性もあるんだ」
和成がそう云うと、ましろは少し考えてから、
「わかりました。それじゃぁ無理に相手を抜かないようにということですね?」
そうたずねると和成は答えるようにうなずいた。
「辛いと思ったら、周りを見ること。サッカーは一人でやるんじゃないんだよ」
和成の言葉に答えるかのように、梓たちはましろを見つめながらうなずいた。
「それじゃぁ、映像を見直していこう。気になるところがあったらどんどん言っていって」
和成はリモコンで再生ボタンを押す。
子供たちは、食い入るように映像を見つめた。
そして、自分のだけでなく、仲間のプレイで気になった部分を言い合っていく。
「こういう練習方法もあるんだね」
「意外に自分の癖って云われるまで気付かないんだよな。俺も最初は利き足ばかりで蹴ってたから」
和成がそう云うと、朋奏は首をかしげた。さきほど、朋奏に利き足で蹴るようにと云った矢先だからである。
「ましろの悪い癖は、映像を見て覚えるってところまではいいんだけど、それが自分にあった方法じゃなかったってことだ。まぁフェイントとか技術力はいいんだけど――」
そう説明していると――。
「はい、みんな、料理がきたわよ」
華蓮がそう云うと、女将と従業員が部屋に料理を運んできた。
「すごい、お肉だっ!」
智也が声をあげる。
子供たち一人一人の前には、色取々の料理が並べられていく。
「今度の大会に向けての激励会よ。それじゃぁキャプテン、音頭をよろしく」
華蓮は視線を梓に向けた。
油断していた梓は「ふぇっ?」と、緩んだ声をあげる。
「わ、わたしがキャプテンですか?」
あたふたとした表情で、梓はみんなを見渡す。
「梓だったら、しっかりとみんなを引っ張れると思うんだけど」
「いいんじゃない? 梓って、最初の数秒は試合に参加しないで傍観してから、みんなに指示を出してるしね」
「わたし、梓ちゃんがキャプテンだったら、勝てる気がする」
「おれもキャプテンは梓でいいと思う」
子供たちがそう云っていく。
「どうする? キャプテン……」
和成がたずねると、梓の表情は不安から、決意の固いものへとかわっていく。
「わ、わかりました。やれるだけやってみます」
そう答えると、和成は笑みを浮かべた。
「それじゃぁキャプテン」
和成が肩を叩くと、梓はうなずいた。
「そ、それじゃぁ……。未熟者ですが、よろしくお願いします」
梓は深々と頭を下げる。
「他に言うことがあるんじゃないのか? キャプテンッ!」
直之が野次を飛ばす。
「わたしたちが目標にしていることでもいいんだよ」
明日香の言葉に、梓はなにを言わないといけないのか、みんなの士気をあげる言葉はなんなのか、ようやく思い出した。
「みんなっ、今度の大会、絶対優勝しよう。それで、あいつらを――河山センチュリーズを見返すよっ!」
声を張り上げ、そう宣戦布告すると、子供たちは、
「ぜったい勝つぞぉおおおおおっ!」
と、
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