Ⅱ-Ⅳ:アンティシペーション
「やっと終わったぁ」
と、中学校の校門から出てきた和成は、背筋を伸ばしながら安堵の表情を浮かべていた。
中間テストが無事に終わり、ようやく子供たちの練習が見れるからである。
テスト勉強のあいだはオーナーである華蓮にお願いして、練習メニューをこなしてもらっていたのだが、そのほとんどは和成の予測通り、梓や直之、ましろといった、経験者が支えてくれていたのは云うまでもない。
和成はいつもの公園に行く合間、ノートに書いた子供たちの成長ぶりににやけてしまっていた。
というのも、自分を頼りに子供たちは教えを守って成長しているのだ。
いうなれば、親が子供を育ててるようなものである。
とはいえ、椿のことがすこしばかり心配というのがあった。
梓たちにお願いして、椿のヘディングや、跳躍に関することを見てもらっていたのだが、戦力になるかどうかが決まらない。
小さすぎるのだ。
たとえに空中戦を制したとて、着地時に負傷が起きる可能性もある。
和成は子供たちにあまり無理をしてもらいたくはなかった。
元から死んでいるのだから、言い過ぎとはいえ死ぬ心配はないのだが、以前梓から、普通の人と変わらないと教えてもらっている。
と云うことは死なないにしても、怪我やその痛みによる恐怖が出てくる可能性を、和成は椿のことで痛感していた。
練習中、自分が出したボールが椿の顔面に当たり、痛みで蹲っていた姿がいまでも忘れられなかった。
ボールを怖がる心配はないが、いつ同じようなことがあるかわからない。
――ぼく、サッカーなんてきらいだ。みんな、いつもぼくをのけものにする。
――でも、みんなと遊びたいんでしょ?
――うん。ぼく、みんなとあそびたい。でもこんどしょうがくせいになるから、べんきょうもしないといけないんだ。
――勉強でもスポーツでも、やるからには楽しくやらないと、つまらないでしょ?
あの日、助けてもらった女の子の、魅入るほどに楽しそうなプレイを、幼い頃見ていた記憶が、和成の脳裏に浮かんでいた。
足でボールを器用に転がしながら、時折、インサイドで軽く回転を加えていく。
まるでボール自身が吸いついたかのように、明日香の足から離れない。
そのボールを取ろうとしているのは恭平だったが、取れるタイミングが見付からない。
「明日香、こっちこっちっ!」
椿が大声で明日香に呼びかける。
明日香はボールをアウトフロント寄りのインステップで蹴り上げた。
頭上を軽く超えていくボールを椿は必死に追い掛ける。
正面から走ってくる悟も全力でボールを追い掛けていく。
「椿、思いっ切り飛んで、ヘディング」
ましろの言葉を聞き、椿はその場でジャンプする。
ボールは椿の額に当たり、ボールは上へとあがった。
椿が着地する瞬間、走りこんでいた悟がボールを奪い、ボールはコートをバウンドしていく。
その近くには椿の姿があった。
「どこでもいいから、思いっきり蹴って」
明日香が叫ぶと、椿はボールを思いっ切り蹴った。
そのボールは、誰もいないところへと転がっていく。
「陽介くんと椿は下がって、明日香は梓をお願い!」
ましろは指示をしながら、ボールを追い掛ける。
それを直之も懸命に追いかけ、二人は接触した。
「智也っ!」
ボールを手にした直之が智也にパスを出した。
智也はゴール手前で受け取り、そのままシュート体勢に入ると、ゴールへと蹴り込んだ。
ボールは左に回転がかけられ、ゴールの左端へと流れていく。
「優っ!」
優は左へと飛び、ボールに手を伸ばしたが、手を掠め、ボールはゴールへと、転がりながら入っていった。
「優、大丈夫?」
椿が声をかけると、倒れていた優は起き上がり、頭を振った。
「大丈夫。ごめんみんな」
「謝らなくてもいいよ。それよりちゃんとボールを取ろうとしたんだから、誰も責めないさ」
陽介は優に手をかし、起き上がらせる。
「よし、反撃するぞっ!」
陽介がそう云うと、チームは声をあげた。
「おー、やってるやってる」
コートへとやってきた和成は、子供たちの練習を見ながら感心していた。
教え始めた時と比べて、みんな動きがしっかりとしてきている。
それともうひとつ。
「明日香は上がって、陽介くんと椿は攻めてくる人の対処」
「恭平くんは明日香をマーク、直之くんは上がって、智也くんはボールの対象をお願いっ!」
梓とましろのふたりが中心となって、それぞれのチームの指示をしている。
ボールはましろの手にあり、目の前にいる智也を『ロコモティブ』(ドリブル中に足の裏でボールを止めるフリをして、そのままボールを蹴りだし、相手を振り切るフェイント)と『スモールブリッジ』(相手の股のあいだにボールを転がして抜くフェイント)で抜きさり、梓に対しては、片足での『シザーズ』で足を止めさせから、、『ルーレット』(ボールを止めた足を軸にして回転し、抜き去るフェイント)、『ダブルタッチ』(片方の足のインサイドでボールを横に移動させて、逆の足で縦に押し出すフェイント)と仕掛けていくのだが、そのほとんどに対して、梓はましろの進行を阻止していく。
「――あっ!」
ボールが不意に、ましろの右足のかかとにあたり、ボールは思わぬ方向へと転がった。
「直之くんっ!」
その一瞬をついて、梓はボールを直之が走っているほうへと蹴り上げた。
直之はバウンドするボールを足で止め、椿と陽介を抜き去り、右回転を加えたシュートを打つ。
優はボールに手を伸ばした。
今度はしっかりとボールをキャッチし、
「明日香ちゃんっ!」
ボールをバウンドさせ、明日香へとパスするように蹴り上げる。
「ましろっ!」
流れたボールを明日香はましろへと繋いでいく。
ボールは大きく弧を描き、ましろは梓との接触に勝ち、ボールをゴールへと蹴り込んだ。
GKの武がそれを止めようと飛び出すが、ボールはゴールに入った。
「よしっ!」
ましろは小さくガッツボーズをとる。
子供たちの様子を見ながら、和成は、彼らに適したポジションを決めようとしていた。
「みんなお疲れ」
和成が声をかけると、
「コーチッ! 来てたんですね」
子供たちは練習の疲れはどこへやら、はしゃぐように和成に近付いた。
こうやって直接会うのは、実に一週間ぶりである。
「コーチッ! どうでしたか?」
梓が期待に満ちた目を向ける。
「俺が見ないあいだにみんなうまくなってる。ボールを積極的に取ろうとしているし、みんな個人個人でできることや、協力して点を取ったり、守ろうとしているのが十分見て取れるよ」
和成がそう云うと、子供たちは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「それで、そろそろみんなのポジションを決めようかなと思うんだ」
和成は子供たちをその場に座らせた。
「そういえば、ずっとポジションを固定しないでやってたね?」
「ああ。人によっては、得意不得意ってのがあるけど、決めておくと練習方法も変わっていくからね。他にやってみたい場所があったら話を聞くよ」
和成はノートを広げる。子供たちは、ゴクリと喉を鳴らした。
「それじゃぁ、まずはGK。これは優にお願いしたい」
そう呼ばれ、優は自分を指差した。
「わ、わたし――ですか?」
驚いた表情で聞き返す。
「さっきの練習を見ててもわかるし、いままでの練習でも、優はボールを一生懸命取ろうとしていた。最初はボールに怖がっていたし、積極的じゃなかったけど、オレは適任じゃないかなって思うんだが」
「コーチの云う通り、最初と比べたら全然違うしね」
明日香がそう云うと、優以外の子供たちがうなずいてみせる。
「お願いできるかな?」
「あ、はい。わたし、やってみます」
優はうなずいてみせると、和成は軽く深呼吸をした。
「それじゃぁ、今度はFW。これは直之とましろにお願いする」
「2トップってことですか?」
「いや、ちょっとMFの子とも連携する形になるんだけどね」
「MFの子と?」
ましろが首をかしげる。
「MFは明日香と梓にお願いしたい。明日香のボールコントロールは光るところがあるし、少しDFのサポートに回って、パス回しの要員にもなれる。梓はみんなへの指示や、FWのサポートに回れるだろうからね」
梓は和成の説明を聞きながら、妙な違和感を覚えていた。
彼女の中で、どうにも腑に落ちないことがあったからだ。
「なんか不満なところでもある? コーチが言ってることはだいたい当たってるし、わたしは攻撃に専念できるから、梓が適任じゃないかな?」
「そうじゃないんだけど、うちって、十一人しかいないよね? 試合に出たとしても交代できないんだけど」
梓が困った表情で聞き返した。
「ああ、そのことなんだけど。今君たちくらいの小学生の試合は八人制が主なんだ」
「八人制?」
椿が首をかしげ、和成にたずねる。
「八人体制で行う試合のこと。普通の十一人制だとボールに触れられずに終わるってのもあるから、人数が少ない分プレーできる可能性が大きくなるのよ」
ましろがそう答える。
「もしかして、経験したことあるの?」
「まぁね。でも人数が少ない分、フォローも大変だから」
ましろの言葉に、明日香と梓は、どうしよう……と、互いを見遣った。
「話を進めていいかな?」
和成が声をかけると、
「あ、すみません」
梓たちは頭を下げた。
「最後はDF。これはまぁ状況によるけど、いちおう最初は武、恭平、陽介にお願いする」
「3-2-2の防御よりなんですね」
梓がそうたずねると、和成は軽く首を横に振った。
それを見て、梓は首をかしげる。
「梓、コーチがMFはどちらのフォローも任せたいって云ってなかったっけ?」
ましろが声をかける。
「つまりMFの動きによっては攻撃によることも防御に出ることもできるってことですね?」
「最初は2-3-2にしようかなと思ったんだけど、DFを男子にまかせようと思ったら、どうもこういう形になったんだよ」
和成がそう説明していると、
「あれ? 椿ちゃん……どうかした?」
優が隣にいる椿の異変に気付き、声をかける。
「わたし、やっぱりみんなの足手まとい?」
椿は、うっすらと涙を浮かべ、そうたずねた。
「そんなわけないでしょ? ねぇ」
「ああ。それに、これはあくまで俺が考えてるフォーメーションであって――」
和成の言葉を遮るように椿は立ち上がるや、どこかへと走っていった。
「椿っ! ちょっとまってっ!」
「みんな、椿を追いかけよう」
悟が立ち上がると、子供たちは、椿が走っていったほうへと追いかけていった。
「コーチ、椿のポジションとか決めてないんですか?」
「みんなのポジションはある程度決めてる。梓やましろみたいに、すぐに決まった子もいれば、まだ決められない子もいるんだけど、ただ椿だけは決めかねているんだよ」
「そりゃぁ、あの子は小さいですし体力もあまりない。でもみんなとやりたいって気持ちは」
レギュラーになれない悔しさは和成が一番わかっている。
みな平等にと甘えたことをかんがえてはいたが、
「そうじゃないんだよ。あー、なんて云えばいいかなぁ? あの子の反射神経はみんなより、最初から経験のある君たちよりもよかったんだよ」
和成の言葉に、梓とましろ、直之は足を止めた。
「それに、あの子の跳躍は群を抜いてる。それはみんなだって知ってるだろ?」
「でも、それじゃぁどうして決めかねてるんですか?」
「椿の足に異常があっただろ? 一見大丈夫そうに見えるんだけど、どうも嫌な予感しかしないんだよ」
「だけど、今日椿はヘディングした後、ちゃんと着地できてました」
「もしかして、生きてた時になにかあったんじゃ?」
「どういうこと?」
「わたしたち、親や家族、知り合いに対しての記憶がないでしょ? でも、わたしや梓、直之くんはサッカーをやってた時のことや、経験がそのまま記憶として残ってる。それって身体に教えてたからってことじゃない」
「そういえば、たしかにそうだね……」
「それじゃぁ、もしかして――」
直之は言葉を止めた。
「たぶん……ううん、もしかしたらそうかもしれない」
ましろは、顔を顰めた。
「椿、もしかしたら生きてた時はずっと、友達とかから仲間はずれにされていたんじゃないかな?」
「つまり、わたしたちがサッカーをしていたことを身体が覚えていたのと同じように、仲間はずれされていた寂しさが、心に残ってたってこと?」
それを聞くと、和成は少しだけ、昔の事を思い出していた。
『――あのチームにいた時、俺は自分なりのやり方や、みんなと協力してプレイしようとしていたんだ。それなのに、それだけなのに……』
「コーチ、どうかしたんですか?」
梓とましろが心配そうに、和成の顔を覗き込む。
「あ、ああ……。ごめん、三人とも、椿を探しにいこう」
和成は頭を震わせ、梓たちと、椿を探しに行った子供たちを追いかけた。
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