Ⅱ-Ⅴ:デコイラン
「ふぁぁ……っ」
と、夕方だと云うのに、大きな欠伸をしたのは、まといであった。
宿題忘れで居残りを食らってしまい、ようやく解放されての帰宅である。
まといが通っている璃庵由学園は、学園といえば学園なのだが、小中高がまったく別の場所にあるため、学園までしか聞いていない人は、どちらに行けばいいのかわからなくなるほどの、複雑な学園であった。そして和成が通っているのもそのグループに準じている璃庵由学園中等部である。
しかし場所が離れているため、まといとほとんど学園内であったことがない。
サッカーコートがある公園を通り抜けようとした時、周りの竹林から、何かが走ってくる音が聞こえ、まといは立ち止まった。
「きゃっ?」
何かが目の前に現れ、まといにぶつかった。
「いたた……」
まといは尻餅をつき、おしりをさすりながら、ぶつかってきた子供を見た。
「大丈夫?」
声をかけるが――椿は、きょろきょろと辺りを見渡している。
「おーい、大丈夫?」
まといはもう一度声をかける。椿はゆっくりとまといを見遣った。
「あなた、あんなところでなにしてたの? 学校からいわれてない? あそこは変質者が出るから、近付いたり、入っちゃいけないって」
まといの言葉に、椿は首をかしげる。
いや、かしげたくもなるのだ。――自分は死んでいるのに、どうして、関係のないまといには視えているのか。
「椿っ!」
竹林のほうから声が聞こえ、まといと椿はそちらに振り返る。
出てきたのは、恭平と明日香であった。
「コーチが呼んでるわよ」
明日香がそう云うと、
「わたし、みんなと一緒に出たい」
椿はそう告げる。
「大丈夫。コーチはちゃんと考えがあって……あれ?」
恭平は椿の横にいるまといに目をやった。
「この子も……? でも、違うような」
「な、なによ?」
まといはたじろぐように、後退りする。
「――椿っ!」
聞き覚えのある声が聞こえ、まといは首をかしげた。
「……なにやってんの? おっさん」
蔑んだ目と、罵るような口調で、まといはそう云い放つ。
「なんでお前がここにいるんだ?」
和成は怪訝な表情でまといを睨む。
そのうしろから来た、梓とましろ、直之はどうしたのかと明日香や恭平にたずねたが、二人はわからないと首をかしげている。
「おっさん、まさかあんたまで犯罪に手を染めようとしてるんじゃないの?」
「はぁっ? おまえなぁ、なに勘違いしてんだ?」
「変質者が出る竹林から出てきて、なにそれ? もしかして、変質者っておっさんのことじゃないの?」
「あのなぁ、俺はこの子たちにサッカー教えてんだよ」
「それこそ信じられない。おっさん一回も試合に出てないじゃない」
「おまえ痛いとこつくなぁ。まぁ、中学は一回も出てないけど」
「ほら、それにおっさんみたいなロリコンに教えられるどころか、変なことされてるんじゃないの?」
まといは、梓たちを見遣った。
「言葉を返すけど、コーチはそんなことしないわよ」
ましろがまといにそう云い放った。他の子供たちもうなずいてみせる。
「こ、こんなことをいうなんて……。あなたたち、こいつに脅迫でもされてるんじゃないの? 試合にも出れないやつが、サッカー教えてるとかありえないでしょ?」
困惑した表情で、まといはたずねた。
「はぁ……」
と、和成は溜息を吐く。
「まとい、俺が小学生の時、クラブに入ってたのは知ってるよな?」
「お父さんから聞いたことある。小さい大会に出たっきり出してもらえなかったって。あれ下手糞だったからでしょ?」
まといがそう云うと、和成は睨みつける。
その目は、それ以上馬鹿にするなと言わんばかりであり、向けられたまといは言葉を失っていた。
「な、なによ?」
「俺が入ってたクラブは、ここらへんじゃ有名で強かった。正直、試合に一回でも出れただけでもよかったと思ってる。話が長くなるから、みんなベンチにでも座って聞いてくれ」
和成はまといや梓たちを、近くにある噴水の縁に、汚れないように座らせた。
「俺がその時いたクラブの名前は『河山センチュリーズ』っていうサッカークラブだったんだ」
その言葉を聞くや、梓と直之は我が耳を疑った。
「ちょ、ちょっとそれって……この前来たあいつらがいるってクラブじゃ……」
「あのクラブは才能があるやつを優先的に所属させるクラブでな。他のクラブから抜き取るなんて事もあった。子供はより強いチームでプレイしたり、高度な練習もできるだろうし、親は将来有望な選手になれるとかいわれりゃ、入れたくもなるもんだ。俺もそのうちの一人だったんだが」
和成は、ゆっくりと椿を見た。
「だけど、あそこのクラブは、監督の云うことを聞けないやつ。自分勝手な行動をするやつは、たった一回のプレイで解雇にされるんだよ」
「どうしてですか?」
「試合に勝つことが当たり前だと考えていたチームだからな。金にモノを云って抜き取ってたクラブだ。その分、自由な攻撃ができなかったんだ。そんなところにいて、面白いと思うか? 俺がサッカーを始めたきっかけは、みんなと楽しくやりたいって思ったからなんだ。チームメイトでさえ魅了させてしまうプレイ。たった1点でもみんなで協力してもぎ取ったり、強いチームなら完膚なきまでに叩き潰してやるっていう闘争心。それがあのクラブには全然なかったんだよ」
吐き捨てるような言い方に、子供たちは黙り込んでしまった。
「直之、例えば1点リードの場合、どうする?」
「守備を固めて、同点にされないようにします」
「でも、もう1点入れたくなるよね?」
直之の言葉に、明日香が言葉を付け加える。
「もちろんそれはピッチに出てる君たちの判断に任せるし、そもそも最終的に判断するのは試合に出ている選手だ。でもそれすら赦されなかった。俺はみんなには自由にプレイしてほしいんだよ。もちろん椿にもね」
和成は椿の頭をなでる。
「コーチはね、椿を試合に出さないんじゃなくて、どのポジションにしようか悩んでただけなの」
梓がそう云うと、椿は首をかしげた。
「ほんと?」
「ああ。他のみんなだってそうだよ。練習や得意なプレイを見ながら考えてるんだ」
梓は、椿にポジションのことで椿を云わなかったことについて説明する。
「――みんなの足手まといじゃないんだ」
「椿、みんなとサッカーしてて、楽しい?」
ましろがたずねると、椿ははっきりとうなずいた。
「わたし、みんなと一緒にやってると楽しいよ」
「それがチームなの。チームって云うのは、一人じゃできなくても、みんなで協力してひとつの事を成し遂げる。サッカーや野球だってそう。みんなが作ってくれたチャンスにこたえたりね」
「それに、わたし……椿には感謝してるんだよ」
梓が椿をうしろから抱きしめる。
「わたしが賽の河原で石ころをボール代わりにリフティングしてた時、楽しそうにジッとわたしを見てたでしょ。それから一緒に遊ぶようになって、直之くんや明日香、悟くんに武くん。智也くんに連れられて、優も一緒にみんなでサッカーのマネごとやり始めた」
梓はゆっくりとつぶやくように語りだす。
「わたしね、みんなと一緒にサッカーすることの楽しさ思い出したんだよ。あそこにいるとサッカーが楽しくなくなって、もうサッカーをやめようって思ってたくらいだったから」
梓の様子を窺いながら、ましろは和成を見ていた。
「どうかしたんですか?」
そう声をかけると、和成はハッとした表情で、ましろを見た。
「いや、……っ!」
言葉が詰り、和成は答えられなかった。
『――もしかして、梓がコーチから聞いた、サッカーを始めたきっかけをくれた女の子って……』
ましろは梓を凝視した。
結局、この後は日が沈んだこともあり、練習はお開きとなった。
「あのさぁ、結局のところどうなのよ?」
家へと帰る途中、まといを送って行くことにした和成に、まといが質問してきた。
「あの子たち、ずいぶんおっさんにしたってるじゃない?」
「いちおう知ってることは教えてるつもりだしな。ただ、試合に出れるかどうか」
和成はすこしばかり試したかった。
いつまでも同じチームメイトと練習したり、ミニゲームをするだけではだめだ。
他のチームと試合をさせて、自分たちの実力や、相手の攻撃を体験させること、より上手くなろうと向上心を出させようと思っているのだが……。
『――あの子たちが死んでるなんて、誰も信じないだろうなぁ』
和成は、ゆっくりとまといを見た。
「そういえば、どうしてあんな時間にいたんだよ?」
「学校の居残り」
「また宿題忘れか……おわっ?」
まといに背中を蹴られ、和成は上擦いた声をあげた。
「るっさい。それであの子たちには手を出してないんでしょうね?」
「出すわけねぇだろ?」
「どうだか? あのロリコン犯罪部長がいた……」
「お前、それ以上云うな」
和成はまといの頬を抓むと、
「たてたてよこよこまるかいてまるかいてまるかいてちょんっ!」
と、最後の『ちょん』のところで、思いっ切り頬を引っ張った。
「いったぁっ! 暴力反対」
「言葉の暴力反対」
和成はきびきびと、置いて行くように歩き始める。
「――ねぇ、和成お兄ちゃん?」
突然そう言われ、和成は足を止めた。
「あの子たち、いい子そうだね」
「少なくとも、お前よりはいい子だ。すこしは素直に、うちのお袋や、親戚と接したらどうだ?」
馬鹿にしたような言い方だったが、
「考えとく」
と、まといは答えた。
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