Ⅱ―Ⅲ:フィジカル


 いつものサッカーコートに集まった梓たちは、和成と朋奏が来るまでのあいだ、軽く自主練を行っていた。

 パスワークを確認したり、優にお願いして、シュートの練習をしたりと、各自積極的にやっている。


「そろそろ、おにいちゃんが来るころだね」


 椿がそう云うと、子供たちの何人かがうなずいてみせる。


「椿、コーチが来る前に、この前やったヘディングの練習しようか?」


 ましろがそう誘うと、椿は大きく手を上げた。


「ヘディングを打つコツは、額にボールを当てること。目はしっかりと開いて、打った後もボールをちゃんと見る」


 ましろは、軽くボールを椿の上にあげた。

 椿は、思いっ切り飛ぶと、――ボールは、椿の顔に当たってしまった。


「やっぱり、跳躍がすごいなぁ」


 ましろは、梓を見ながら呟く。


「椿、大丈夫?」


 駆け寄って尋ねると、椿は顔を手でおおうように、「大丈夫」と、答えた。


「もう少し、やわらかめのやつってないの? ビーチボールとか」

「ああ、たしかにそれだとやわらかいね。でも、あるかなぁ」


 梓は、見に来ていた華蓮を見た。

 華蓮は物言わず、スッと立ち上がり、姿を消す。

 その五分ほどして、現れた華蓮の手には、ビーチボールがあった。


「これでいいかしら?」


 華蓮がそう尋ねると、梓とましろは「ありがとうございます」と、お礼を言った。


「よし、それじゃぁ練習しよう。椿、ボールをしっかり見て、ボールにおでこをぶつけるように飛んで」


 梓が、ボールをトスすると、椿は、先ほどより、少し低く飛んだ。

 ボールは、椿の額に軽く当たり、上へと跳ね上がる。


「あれっ?」


 椿は、着地すると、ボールが自分と思った方向に行かなかったので、首をかしげた。


「大丈夫。よく当てた。後は練習あるのみだから。わたしだってヘディング全然出来なかったしね」

「へぇ、ましろでも苦手なプレイってあるんだね」


 意外だと、梓はましろを眇める。


「まぁね。クロスからのヘディングとかあんまり得意じゃなかった」


 梓の問い掛けに、ましろは答える。


「でも、みんなと一緒になって練習するのが、こんなに楽しいなんて思わなかった」


 その言葉に、梓は首をかしげた。

 ちょうどその時、夕刻を報せるチャイムが鳴り、子供たちは軽くストレッチをし、和成と朋奏が来るのを、いまかいまかと待ち侘びていた。



 ――待ち侘びていたのだが、十分経っても、二人は来ない。

 いつもなら、という時間になっても、まったく来る気配すらしなかった。


「――あっ!」


 華蓮が何かを思い出したような表情で、声をあげた。


「どうかしたんですか?」

「ごめんみんな、今日ふたりともテスト勉強で来れないんだった」


 華蓮がそう云うと、子供たちはキョトンとした表情で、華蓮を見た。


「コーチ来れないんですか?」


 明日香と優が、ションボリとした表情で尋ねる。


「ええ。あ、でも練習メニューは聞いてるから」


 華蓮は、朋奏から受け取っていた練習メニュー(それを作ったのは和成だが)を皆に伝えた。


「『ラダーステップ』?」


 練習メニューを見ながら、恭平と陽介が首をかしげる。


「えっと……、どういうものか教えて」


 華蓮も華蓮で、朋奏と同様に、まったくサッカーの知識がなかった。

 代わりに、経験者の梓と直之、ましろが皆に説明する。


「ラダーっていうのは、はしごのことで、えっと……」


 梓は言葉を詰らせた。

 口で説明するより、実際にやったほうがわかりやすいのだが、その肝心のはしごがない。


「コートの外にある砂場にはしごを描くってのは?」


 ましろの提案に、梓と直之は同意した。

 コートの外に、はしごの絵を描き、直之が練習法を実践してみせる。


「簡単なやつからやってくけど、ひとつの枠に、右足、左足と交互に入れてく。最初はゆっくりと、なれてきたら出来るだけすばやくやっていって。出来れば爪先立ちで」


 そう説明していく中、梓はもうひとつはしごの絵を描いた。


「それじゃぁ、練習しようか?」


 梓の号令で、女子、男子と別れて行く。

 経験者の梓と直之、ましろ以外の子供たちは、最初足がもつれたり、マスから出たりしていたが、コツがわかってきたのか、もつれることなく、往復できるようになってきていた。


「ラダーは神経を鍛える練習で、どう動けばいいのかっていうのを身体に教えるの。考えるより先に体を動かさないといけないしね」

「慣れてきたら、枠を跨ってみたり、枠の外に足を交互にやってみたり、色々やってみて」


 梓とましろが、手本を見せる。


「梓、ちょっと難しいのやってみていいかな?」


 ましろがそう云うと、梓は首をかしげた。

 ましろは、右足を枠の中に入れ、左足も枠の中に入れる。

 ここまでは、直之が教えたクイックランと一緒なのだが、今度は右足をラダーの外に出し、左足、右足の順に、ひとつ前の枠の中に入れていき、左足を枠の外に出していく。


「これがシャッフルなんだけど……」


 ましろが説明すると、梓は少しだけ明日香を見た。


「明日香、ましろと一対一で勝負してみたら?」


 そう言われ、明日香は


「えっ? ましろちゃんと?」


 と、ましろを見ながら聞き返した。


「なんか、シザースと動作が似てるんだけどね」


 梓の言葉に、ましろは、「ああ、たしかにね」と同感する。

 シザースの動きはボールの前を防ぐように踵が来るよう内から外へとフェイントをかけている。

 その時の動きがラバーの中から外に通じるのかもと梓たちは思ったのだ。


 ――そんなこんなで、明日香はましろと対峙する事になった。


「いつでもいいわよ」


 明日香の足元にはボールがあり、ましろは体勢を低くとっている。

 明日香は軽くボールを蹴って、ドリブルを始めた。

 そして、ましろに近付くと、左に行くと見せかけて、右へと切り替える。


「遅いっ!」


 ましろは、明日香の進路方向に体を動かし、ボールをカットする。

 ボールは明日香の足から少し離れると、その隙に、ましろは明日香の股下に来たボールを蹴り流した。


「動作が遅い。フェイントは悟られたらおしまいだから」


 ボールを取ると、今度はましろが、明日香にシザースを仕掛けた。

 明日香と違い、しっかりと相手とボールを見て、二、三回ボールを跨ぐと、ボールを大きく左に流し、左足でボールを先に蹴り、明日香を抜き去って行く。


「シザースはあくまでフェイントのひとつであって、色々と組み合わせないとだめ」


 ましろは、ゆっくりとボールを足で止める。


「たとえば、こんなのとかね」


 明日香を目の前にして、ましろはシザースを仕掛ける。

 明日香は、相手とボールをしっかりと見て、ボールをとるタイミングを見計らっていた。

 ボールはましろの股下に転がり、このタイミングなら取れると、明日香は判断したが……。


「たとえば、近くに味方がいたら?」


 ましろがそう尋ねると、左足でボールを跨ぎ、右足のインサイドで、ボールを左へと流した。

 地面についた左足を軸にして体をうしろに反転させて、明日香から離れようとしたが――。


「あいたっ!」


 足がもつれて転んでしまい、逆に明日香から心配されてしまった。


「あちゃぁ、失敗した。これ結構体のバランスがいるのよね。まぁ、ボールが味方にわたれば、無理に抜かなくてもいいんだけど」


 ましろは笑いながら説明する。


「ちょっと、やってみる」


 明日香は、ボールを取りに走り、そこからドリブルを始める。

 そして、体を左に行くように、左足でボールを跨り、右足のアウトサイドで軽くボールを蹴ると、体を右へと流し、右足で、今度はインサイドで自分のほうへと流した。


「ステップオーバーっ? しかも動作が細かい」


 ましろは体を近付け、突破されないようにするが、明日香は、体を右に流し、ボールを左足の踵で、うしろに蹴り流した。


「これもフェイントでいいのかな?」

「相手を突破するだけがサッカーじゃないからね。そういうプレイもありじゃないかな? まぁ、あまりお勧めはしないけど」


 ましろは、してやられたと、苦笑いを浮かべた。

 すっかり明日香に翻弄されていたのだ。


「もしかしたら明日香って、フィジカルが強いんじゃないかしらね?」


 そう言われ、明日香は首をかしげた。


「フィジカルって云うのは、押し合ったり、身体を寄せられても、重心を保ってボールをコントロールできる人のこと。フェイントで一番大切なのは相手を抜くことと、ボールをキープする身体のバランスだから……」


 ましろは、明日香の肩に手を掛ける。


「あなた、突破口を切り開くのに適してるかもしれないわね」


 そう言われ、明日香は「そうなのかな?」と、首をかしげた。


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