Ⅱ-Ⅱ:ファンブル


「あれ?」


 と、和成は小首をかしげた。

 梓たちにサッカーを教え終えて帰宅した後、お湯を張った湯船に体を沈め、ぬれないようビニールに入れたスマホで、撮った動画を見ながらのことである。

 そこには梓たちが練習している風景が映されているのだが、朋奏から聞いた話では彼らは既に死んでいるため、本来なら写らないはずなのだ。

 にもかかわらず映っているのだから、おどろくのも無理はない。

 スマホで練習風景を撮り始めたのは、彼らに教え始めた頃だったため、最初はなにひとつ違和感を持っていなかった。

 しかし、今は彼らが死者であることを知っているので、なぜ映っているのかという疑問視のほうが強い。

 それでも一生懸命練習している子供たちの姿を見ると、もっと強くしたいという気持ちも強くなっていた。

 今度はこの練習をさせてみよう、こんなフォーメーションを教えてみたいといった感じに……。



 ――その考えは翌日早速試された。


「明日香、恭平っ! 相手の動きだけじゃなく、ボールの起動も頭に入れろ!」

「ましろっ! 椿に上げて」


 直之と梓の声がコート内で響き渡った。

 現在ボールの所持者はましろであり、自陣ゴール手前のペナルティーエリアにいる。

 ましろは、敵陣の方へと体を向けている椿を一瞥する。

 椿は陽介にマークされていた。


「……っ!」


 表情を険しくし、ましろはドリブルを開始する。

 センターライン手前で、明日香が追いつき、止めに入った。

 それとマッチアップする前に、ましろはボールの下を爪先トーで蹴り上げる。


「梓っ!」


 頭上のボールをそのままヘディングし、梓にパスを渡す。

 梓はシュート体勢に入り、そのまま蹴った。

 ――ボールはネットに突き刺さる。

 そして10分ハーフのミニゲームを終えるホイッスルが鳴った。


「ましろ、私さっき……」

「あの時、椿にボールを渡してたら、身長差で取られてたわよ?」


 ましろの言葉に、梓は読みが甘かったと反省する。


「それに、もし空中戦とかになったら、明らかに椿は不利になる」


 それも正論であったが、ましろは、


「でも逆に言えば、ペナルティーが取られやすいってのもあるかもね?」


 そう云うや、そのままドリンクを取りに朋奏のところへと歩いて行った。


「――ペナルティーが取られやすい?」


 梓はましろの言葉を繰り返す。


「ましろ、少しいいかな?」


 和成が休んでいるましろに声をかける。


「さっきの攻撃だけど、たしかに椿に渡すより、梓に出したほうがよかった。でも、椿は一度もボールを扱っていないんだ」

「わかってますけど、実際でも一度も扱えなかった選手なんていっぱいいますよね」

「最終的な判断をするのは君たちだ。俺はそれ以上のことは指示しない。結果論としては合っているかもしれないけど……」


 和成は言葉を止めた。


「ましろちゃん、ちょっと来て」


 陽介の声が聞こえ、ましろはそちらを見遣った。


「コーチ、お話はそれだけでしょうか?」

「あ、ああ。ごめんな」


 その時見せた和成の表情に、ましろは少しばかり首をかしげたが、陽介たちの所へと走りよっていった。


『――くそっ、俺がやりたいサッカーってこんなんだったか?』


 和成は自己嫌悪に陥った。

 彼がサッカーを始めたきっかけを与えてくれた女の子が言った言葉を頭の中に思い浮かべる。


『――一番大切なのは、楽しいかって思う気持ちじゃないかな?』


 今それができているのか、子供たちのその気持ちを教えてやっているのか……

 練習を繰り返し、それがうまくいった時は、誰でも嬉しいし、楽しい。

 だが、それは強制的にやることではないというのもわかっていた。



「椿、ちょっとヘディングの練習しようか?」


 和成は優や明日香と一緒にいた椿を呼ぶ。


「なに? おにいちゃん」


 とことこと椿が近付こうとすると、


「あ、そこで止まって。今からヘディングの練習をするから」


 和成はそう云うや、ボールを手に取り、思いっきり頭上に投げた。


「ひゃっ!」


 椿はおどろいてうずくまり、ボールを避けてしまう。


「椿、ボールをしっかり見て」


 優がボールを和成に投げ渡す。


「始めて練習した時のこと思い出して」

「――始めて練習した時?」

「ああ。みんなで並んで歩いて、笛が鳴った時に走る練習。俺がボールを投げる瞬間、思いっきり飛ぶんだ」


『――おにいちゃんが投げる瞬間、思いっきり飛ぶ。』


 椿は頭の中で確認をとるように呟くと、キッと和成を見遣った。

 和成は思いっきり、ボールを椿の頭上に投げる。

 その瞬間、椿の足は地面から離れていた。

 バシンという鈍い音と同時に地面へと敲きつけられるように椿は落ちた。


「椿ッ! 大丈夫?」


 明日香と優が椿の元へと歩み寄る。椿は手で顔を覆っている。


「見せて、優は濡れたタオル持ってきて」


 明日香がそう云うと、優は慌ててタオルを取りに走った。

 椿の顔は赤々とはれあがっている。


「コーチ、なにやってるんですか?」


 梓が剣幕した表情で詰め寄るが、和成は驚いた表情を浮かべていた。


「俺、椿には絶対届かないところ目掛けて投げたはずなのに」


 和成は、両手を強張った表情で見つめる。


「届かないって……冗談は止めてください! 現に椿は顔をぶつけてるんですよ?」


 明日香が怒鳴るように云う。


「椿、立てる?」


 ましろがそう云うと、椿はフラフラと立ち上がった。


「なに? ましろちゃん……」

「顔の痛みが引いてからでいいから、その場で思いっきり飛んでみてくれない?」


 ましろがそう云うと、椿は思い切りその場で飛んだ。


「――ありがとう。やっぱりコーチの手が滑ったってことね」


 ましろは和成のほうへと歩み寄る。


「コーチ、あとで椿と同じ、小学四年生の垂直飛びの平均値を調べておいてください。もしかしたら、あの子平均以上だと思います」

「――わかった」


 と、和成は答えるが、表情は怪我をさせてしまった責任で、青褪めていた。


「わたし、もしかしたらあの子が取れないって思い込んでたのかも」


 ましろが去り際にそう呟くが、和成の耳には届いてなかった。

 ――周りが暗くなり、その日の練習はお開きとなった。



 帰宅後、和成はPCを立ち上げ、小学生における、垂直飛びの平均値を調べていた。

 そのデータには五年生からしか載っていなかったが、小学五年生の平均は地面から33センチ前後とされている。

 あの時見た椿の跳躍は、それを少しばかり超えていた。

 和成は当たらないように頭上高く目掛けて投げており、届くとしても髪の毛が当たる程度だと考えていたのだ。

 だが、実際は顔に直撃で怪我をさせてしまっている。



 窓のほうから何かがぶつかる音が聞こえ、和成はそちらに振り返った。

 そちらを窺うと、小さな石が窓に当たっているようだ。

 和成は椅子から立ち上がり、窓を開けると、


「あっ!」


 という声とともに、小石が和成の顔に当たった。


「ご、ごめんなさい、コーチ」


 声が聞こえ、和成は下を見ると、そこには梓とましろの姿があった。


「どうしたの? こんな時間に」

「その……ましろと二人で考えたんですけど、ちょっとよろしいでしょうか?」


 梓がそう云うと、


「わかった。ふたりともそこで待ってて」


 和成は軽くジャンバーを羽織り、下へと降りていく。


「おまたせ。それでどうしたんだい?」

「ここじゃあれですから、近くの公園で話をします。その、私たちってあまり人に見られてはいけない決まりになっていますから」


 ましろの申し出に、和成はわかったとうなずいた。



「今日の椿の練習。もしかしたらわたしやましろにも責任があったのかもしれないんです。みんなより小さいから、ヘディングができたとしても、空中戦では勝てないって思って」


 梓は練習後、ましろが椿にパスを出さなかった真意を聞いてのことだった。


「だけど、コーチは当てないようにしていたんですよね?」

「ああ。届かなくてもいいから、思いっきり飛んで……」

「わたしはこの前一緒に練習して、足が悪いってことが気になっていたので、跳躍があるとは思えなかったんです」


 ましろは一対一で練習をして、その違和感を気にかけていた。

 そのことは和成も気付いている。


「もしかしたら……」


 と、和成が呟く。


「どうかしたんですか?」

「いや君たちが死んでいるから、人とは違う力が働いているのかもって思ったんだけど」


 和成は頭を掻く。もしそうだとしたら体力だって底なしだ。だけど、練習後はみんな肩で息をしている。


「朋奏さんが云ってたけど、それだけは絶対ない。もしそんなことをしたらフェアじゃないって」

「フェアじゃない?」


 梓の言葉に、和成は聞き返す。


「ただ、コーチが教えてくれていることや、基礎体力はそのまま蓄積されるって、現にみんな最初に比べたら体力がついてきてますし、きつい練習にも耐えられてきてます」

「うーん。そうだとしたら、教える立場としては嬉しいね。それじゃぁ、今後の課題は椿のことだな」


 和成がそう云うと、梓とましろはうなずいた。


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