Ⅰ-Ⅶ:クロサー


「すみません。また来てしまいました」


 と、コートへとやってきた能義が朋奏に頭を下げる。


「また来たんですか?」


 朋奏は諦めたような表情を浮かべ、能義を睨んだ。


「いやいや、今日はちょっとあなたに聞きたいことがあるんですよ?」

「聞きたいこと……話すことなんてありませんけど?」


 朋奏は、つっけんどんな態度で返す。


「実はね、ちょっと役場のほうで調べましたら存在しないんですよ。あなたの名前が……」


 能義がそう云うと、朋奏は一瞬だけ表情を曇らせた。


「あなた……何者なんですかね? それにあの子達もそうだ。私たちとは違う、別の世界の住人。だけどどこか見たことがある――そう、そこでアップをしている直之くんみたいにね」


 能義の言葉に、朋奏は大きく反応する。


「あれから、息子の写真や形見なんかを見たんですが、やっぱり似てたんですよ。でもなんであんなに綺麗な状態だったのかなぁって」


 能義は少しだけうつむくと、


「あの事故、バスに乗っていた全員が一酸化中毒によるものだったんですよ」


 うしろから声が聞こえ、朋奏と能義は振り返った。


「はじめまして能義刑事。わたくし、このサッカークラブのオーナーを任されている麻波華蓮あさなかれんと申します」


 三、四十代ほどの淑女が能義に小さく会釈する。


「あなたがこのクラブのオーナーですか?」

「朋奏、この方には教えてもいいんじゃないですか? もっとも誰も気付くはずのないことに、自らの手で気付いたのですから」


 華蓮がそう云うと、朋奏は顔を俯かせる。


「あなた達はなにか隠し事をしているということですか?」


 能義が詰め寄ると、華蓮は怯むことなく、


「別に隠し事をしているわけではありません。人は必ず時間とともに忘れる。それだけのことですよ」


 と、しなやかな口調で説明する。


「――云ってる意味がよくわかりませんが?」

「では能義刑事、あなたはどうして直之くんを見て、自分の子供だと思ったんですか?」


 華蓮にそうたずねられ、能義は少しばかり唸る。


「うーん、なんでですかね? この前見た時、直感したんですよ。あの子は直之だって……あの事故で亡くなったわたしの息子に――」


 能義はそう云うと、ハッとした表情を浮かべる。


「事故……まさかあの子達は――この公園で死んだ子供たち?」


 能義は華蓮と朋奏を見遣った。


「あなたが考えている通り、あの子達はこの公園で事故や事件に巻き込まれ、無残な最期を迎えた子供たちです」


 華蓮がそう答えるが、能義はまだ半信半疑だった。


「し、しかし……」


 そう云い掛けると、能義はコートの中にまだ見ていないましろの姿を見つけた。

 そして、華蓮の言葉が本当だと自覚する。


「ど、どうしてここに“畑千尋”がいるんだ? 彼女は亡くなったはずだぞ?」


 能義はわなわなと唇を震えさせる。

 事件捜査のために、先日公園で強姦され無惨な姿になった畑千尋の遺体の写真も、ましてや生前のときの写真も見ている。

 その少女がきれいな姿で存在していて、しかもコートの中で子どもたちに混じって練習に参加しているのだ。

 これがおどろかずにいられるだろうか。


「百ヶ日。死者が死んでから百日目となる日を節目に、亡くなった人は仏となります。賽の石積みをしていたあなたなら、どうして仏となった子供たちがこうしてここにいるのか、わかると思いますが――」


 そう聞き返され、能義はゴクリと喉を鳴らす。


「親よりも先に死んだ子供は、賽の河原で石積みの刑に処されるが、いつか閻魔様によって救済される」


 能義はゆっくりと自分の息子である直之を見た。

 声をかけようとした。父親だと。

 だがそれができなかった。

 あの子は生前の事をすべて忘れている――そう思ったのだった。



「よし、みんな集合。見たところ、ましろちゃんは運動神経がいいようだし、これから5対5のチーム戦を行う。割り振りはこうだ――。赤、直之・武・智也・陽介・ましろ。白、梓・悟・恭平・明日香・優。呼ばれた子は別れてポジション決め。それじゃぁ、5分後に始め……」


 和成が解散を促そうとすると、


「ねぇ、おにいちゃん、わたしは?」


 と、椿が和成の袖を引っ張りながらたずねる。


「椿ちゃんは後半にどっちかの方に出そうと思ってるけど、ランニングしたりして、体を温めておくのもいいかもね。朋奏さん付き合ってあげてくれる?」


 そう言われ、朋奏は能義に頭を下げ、和成のところへと駆け寄る。

 ――5分後、コートの中はこのように配列されていた。



 赤=FW直之、MF智也・ましろ、DF陽介、GK武。

 白=FW悟、MF梓・恭平、DF明日香、GK優。



 と、どちらも1トップとなっている。



「最初のキックオフは、赤から始める」


 和成はボールをセンターサークルの中心に置くと、直之と智也がボールから少し離れた場所まで近付く。

 そして和成が笛を吹くと、智也が蹴り出し、直之にパスする。そしてそれをまた智也が受け取った。

 MFの梓は、少人数でのゲームということもあってか、あまりボールを取りに行かず、最初の30秒の間は周りを警戒するように見渡していた。

 ちょうど直之が恭平と対峙していた。和成の教えがいいのか、前と比べてだいぶマシになっており、ボールを積極的に取りに行っている。だからこそ、梓は緊張している中でも集中できていた。

 思考をフル回転させ、恭平の周りを見る。

 少し先にましろがいるくらいで、2、3メートル離れた場所に悟がいる。


「恭平くん、ボールをこっちに渡して!」


 恭平はフェイントを使い、直之をふらつかせた瞬間に、インサイドで梓にバスをする。

 梓はそれを受け取り、


「――悟くん! 走って」


 ボールを悟の方に蹴り上げると、悟は胸でトラップする。ボールは地面でワンバウンドし、それを足で踏み止めた時である。

 突然、悟は仰向けになって倒れ、ボールはましろの足元にあった。


「いてて……。おいっ! なにするんだよ?」


 悟がそう怒鳴ると、


「相手に当たってないのはファウルにならないんじゃないの?」

「コーチ、どうなんですか?」


 梓は表情を険しくしながらたずねる。


「ましろちゃんは危ないプレイはしてないよ。至って普通のカットだった」


 和成はそう説明するが、言った本人が納得していなかった。


「智也くんっ!」


 ましろはボールを蹴り上げ、智也にパスをする。

 ボールは梓の頭上を越えていく。


「……っ!」


 梓は体勢をうしろに向け、ボールを追いかける。

 ボールは智也の目の前に落ちた。智也はそれをクリアするとドリブルを開始する。


「明日香っ! お願い」


 梓が声をかけたと同時に、智也は明日香と対峙しせめぎあった。

 智也が一瞬だけ視線を左に送る。

 それに釣られて、明日香は体勢を左に向けた。

 その一瞬を見逃さなかった智也は、ボールを明日香の足の間に通す。


『――えっ?』


 智也と、もう一人以外が唖然とする。

 しかしもっと驚いていたのはGKの優である。

 いつのまに走り切っていたのか、ましろが既にシュート体勢に入っていた。

 優は少し怯えた表情を浮かべる。

 ましろは智也からもらったボールを、ペナルティーエリアよりも2メートル離れた位置から思いっ切りボールを右足のインサイドで蹴り込んだ。

 ボールはまっすぐ優に向かっていき、優は難なくキャッチできた。



 ――練習が終わり、子供たちはコートの中で倒れていた。

 ゼェゼェと肩で息をしている。

 シュート数は赤白ともに、ましろが一番多かったが、そのすべてはまるで、わざとボールが取れるように蹴っていた。

 それが梓は納得いかず、どうしてそうしたのかをたずねた。


「だって、最初にボールを蹴ろうとした時、怖そうな表情したんだもの――」


 それを聞いて、梓は納得する。

 シュートはかならず同じ方向から来るとは限らない。

 だが、そのほとんどで、ボールが取れる場所に蹴っている。

 そうなると、ましろはかなりボールコントロールに優れていることになる。


「視線を合わせただけで怯えるし、正直役に立たない」

「そ、そんな言い方――」


 梓は反論しようとしたが、言い返せなかった。

 たしかに優はボールがきた時に怯えてしまうが、それならゴールまで運ばれなければいい。ただそれだけ……それだけが難しい。


「優? ちょっといいかな?」


 和成が、ゴール下で座っていた優に声をかける。


「な、なんですか?」

「ちょっと練習な。俺がボール十個の内、三個蹴るから、なにが書いてあるか答えてくれ。大丈夫、ちゃんとカーブをかけて当たらないようにするから」


 和成はボール十個を足元に置き、それらに『0』から『9』までの数字を記入していく。

 6と9にはわかりやすいように、それぞれ|『_アンダーバー』を書き加える。


「――よし。それじゃぁいくぞ!」


 和成はそう云うや、手を上げ、シュートの体勢に入った。

 ボールには強力な横回転が加えられており、その言葉どおり、優に当たるというよりは、取れやすくなっていた。


『2、3、9』


 優は和成がボールを当てないと信じ、集中してボールを見ていた。

 回転するボールに記されている数字を記憶していく。


「なんて書いてあった?」


 和成がたずねると、優は顎に指を添えながら、


239ふみください。卑弥呼まで――?」


 と、答えた。


「えっと? なにを云って……」


 子供たちが、優の言葉に唖然とする。


「それじゃぁ、もう一発」


 和成はボールを蹴る。


『7、9、4』


 優は目を大きく開き、ボールの回転をしっかりと見た。

 その一瞬に、ボールに書かれた数字を見つけ、解読する。


「なんて書いてあった?」

794なくようぐいす平安京」


 優がそう答えると、和成は笑みを浮かべる。


「それじゃぁ、今度はボール4個な……」


 蹴ったボールを手元に戻し、和成は少しばかり考えると、ボールを低く蹴った。

 優は体勢を低くし、ボールをよく見る。


『1、5、6、0……』


 突然、目の前までボールが来ると、優は顔の前で両手を出し、小さく悲鳴をあげた。


「だ、大丈夫?」


 明日香と椿が声をかける。


「――と、取れた……」


 優は呆然と手に持ったボールを見る。


「取れた……。取れたぁあああああっ!」


 優はその場で大きくジャンプする。


「一回取れたくらいで……」


 ましろは呆れた表情を浮かべるが、どこかホッとした表情でもあったのを梓は気付き、そういうことかと納得すると、安堵した表情を浮かべた。

 ましろがゴールを狙わず、執拗に優を狙ってボールを蹴っていたのは当たることに対する恐怖心をなくすためだったのだと。

 そうでもなければましろが点を取っていたはずだったからだ。


「優、なんて書いてあった?」

1560じゅうごむれなす桶狭間ッ!」


 優が嬉々ききとした声で答える。


「あ、語呂合わせ――」


 と、梓はようやく和成が優にたいしてやっていたこと。

 ボールにかかれた文字を読むことが迫ってくるボールに対する集中力を鍛える練習であったことにようやく気づけたのだ。


「てか、今まで気付かなかったわけ?」


 ましろが小さく笑みを浮かべる。


「ま、まだ社会の授業で歴史とか習ってないもん。わたし死んだの五年生ん時の始めだったんだから!」


 梓が否定するように叫ぶや、


「梓っ!」


 朋奏が慌てた口調で言い止める。


「死んだ……。いったいどういう」


 和成は唖然とした表情で、梓や、周りの子供たちを見た。


「え、あ……。いや……その……」


 梓は視線を逸らす。


「朋奏さん、君はいったい何者なんだ? この子たちはいったい……」


 和成がそうたずねると、梓同様、朋奏も視線を逸らしてしまう。


「和成さん、わたしからお話いたします」


 華蓮がそう云うと、和成はそちらに視線を向けた。


「で、でもオーナー……彼がいなくなったら」

「話を全部聞いた上で、コーチを継続してくれるかは彼に委ねましょう」


 華蓮がそう云うと、朋奏は納得いかない表情を浮かべるが、


「わかりました」


 と、返事をした。



 ――華蓮は和成に、梓たちが、この公園で死んだ子供たちであること。

 朋奏は地蔵菩薩の権化、華蓮は勢至菩薩の権化であることを説明していく。

 サッカーを始めたのは賽の河原で遊んでいた子供たちがやり始めたことである。


「それじゃぁ、別にここじゃなくてもよかったんじゃないのか?」


 和成が、もっともらしい質問をする。


「地獄ではコートを作れても、地面がデコボコしてるから走り難いし、大怪我をしてしまう。だからこそ綺麗な場所にコートを作る必要があった」

「そうか……だからあの時、梓ちゃんと直之くんが云っていたのが過去形になっていたわけだ。たしかに死んでいたんじゃ、今やっているってわけにもいかないだろうしな」

「ただ事故で死んだ子もいれば、襲われて死んだ子もいる。特に女の子たちはみんなね――」

「み、みんなって……。まさかあの子たちは、襲われて殺された?」


 能義がそうたずねる。


「はい。あなたが調べている連続少女暴行殺人の被害者です」


 華蓮がそう答えると、能義は信じられないといった表情で唸った。


「それで和成さん。これを聞いた上でお願いします。この子たちにサッカーを教えてあげてください」


 華蓮は頭を下げる。


「わ、私たちからもお願いします。みんな、コーチに教えてもらってて、すごく楽しいんです。最初は私や直之くんが経験者だったから教えてあげられていたんですけど、やっぱりそれだけじゃ限界があったり、そのせいでやる気がなくて、やめちゃった子もいたんですけど、コーチが来てから、みんな次はどんな練習なんだろって、それがすごく楽しみになってて、わたしや直之くん、朋奏さんがうながさなくても積極的に自主練する子も出てきたんです」


 梓がそういうと、他の子供たちもうなずいてみせた。


「わたし、コーチに、もっといっぱい教えてもらいたいです」


 梓はキッと、和成を見つめた。


「まぁ、ここまで云われたんじゃぁ、最後まで面倒見るかな」


 和成がそう云うと、子供たちと朋奏、華蓮は驚きを隠せないでいた。

 自分たちが人間ではない。それを聞いて、恐怖に慄き、逃げ出すと思ったからだ。


「本当に、彼等にサッカーを教えるのを続けるんですかな?」


 能義がそうたずねる。


「まぁ、この子たちが俺やあなたとは違う……といっても、サッカーをやりたいって気持ちは変わらないでしょうから。それに俺もこの子たちに色々教えてやってると自分もこうだったなぁって、思い出すんですよ」


 和成は、照れ臭そうに答えた。


「それじゃぁ……」

「ああ。これからもよろしく」


 和成の言葉に、子供たちは大声で喜んだ。



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