Ⅰ-Ⅵ:パサー


「よし、今日の練習はこれでおしまい」


 練習が終わり、和成が柏手を打つようにしめた。


「あざましたぁ」


 と、肩で息をしている子供たちは、疲れで言葉を詰らせる。


「みんな、ちゃんとクールダウンすること。特にふくらはぎのケアもしっかりとね。サッカーで一番怖いのは肉離れすることだから」


 和成がそう云うと、朋奏が薬箱を持って、子供たちを並ばせた。


「……さてと」


 和成はコートの中にあったボールをひとつ手に取るや、軽くリフティングした後、ゴールへと蹴りこんだ。

 ボールはゴールポスト上辺右側ギリギリのところをねじ込むようにして入った。


「綺麗……」


 と、子供たちは憧れに似た目で、和成を見遣る。


「コーチ、どうしたらあんな風にできるんですか?」


 智樹や直之が詰め寄るようにたずねた。


「そうだなぁ。俺の場合はとにかく入れたい場所にボールを蹴るだったなぁ。まぁ基本的には蹴る足のインサイドでボールを蹴るとかだけど」


 和成は照れ臭そうに笑う。


「みんな、まだ大丈夫?」


 梓がそう云うと、


「大丈夫に決まってんだろ?」


 と、恭平や武がうなずく。


「よし。みんな個人練習……。あいたっ?」


 和成は言葉を待たずに、コツンと梓の頭を小突いた。


「無理な運動はしない。疲れた時は体を休ませる。さっきも云ったけど、肉離れは無理な運動の時にできるんだ。それで全治六週間とかになってワールドカップを断念せざるを得なくなった選手だっているんだからな」

「す、すみません」


 梓は顔を俯かせる。


「そうだ。ちょっと簡単なふくらはぎハムストリングの鍛え方を教えようか? ストレッチにもなるしね」


 そう云うや、和成はコートの上に寝転がると、ボールを足に置き、上半身がまっすぐになるようおしりをあげる。

 そしてゆっくりとボールを動かしていく。

 こうすることによって、ハムストリングが鍛えられる。


「後は坂道を後ろ向きに走ってみたり、寝転がって足をピンと立ててみたり、とにかくふくらはぎの筋肉を伸ばすイメージでやってみて」


 和成はそう言うと、時計を見やった。時刻は午後8時を回っている。


「そういえば、ここに来てからこの子たちの親御さんにあったことないなぁ」


 そう呟くと、朋奏はドキッとした表情を浮べる。


「……っ、どうかした?」


 和成が首をかしげると、


「あ、大丈夫。この子たちのことは私に任せて」


 朋奏にそう言われ、和成は首をかしげるが、それ以上のことは訊ねなかった。



 その帰り道、和成は軽くジョギングするように噴水の周りを五、六周してから公園を後にしようとした時だった。

 目の前に小学六年生くらいの女の子がおり、和成はこんな時間に?と思いながら、女の子の横を通りぬける。

 その時、不意に女の子の服装と身形が、和成の目に入った。

 髪型はショートカットでランドセルを背負っている。背丈は軽く見積もって、150センチあるかどうか。

 服装は夜だというのに、薄いカッターシャツにチェック柄のミニスカート。外灯に照らされてわかったが、薄い桃色のラインが入った白のスニーカーを履いている。

 和成は女の子を見ようとしたが、小蠅が目の前に現れ、思わず目を腕で塞いでしまった。

 ようやく小蠅を追い払い、改めて女の子を見ようとしたが、そこには誰もいなかった。

 和成が首をかしげ、公園を出ると、


「すみません! どなたが目撃された方はいらっしゃいませんでしょうか?」


 という男の声が聞こえた。その男はビラを配っている。


「すみません。娘を殺した犯人について、何か知りませんか?」


 男が和成に向かって、ビラを配りながら訊ねた。

 ビラを受け取り、内容を見た和成はギョッとした。



 六月十八日午後六時頃、娘の畑千尋が暴行殺人の被害にあいました。

 当時のことを知っている方はいらっしゃいませんでしょうか?

 年齢・十一歳、小学六年生

 容姿・身長一四七センチ、小柄

 髪型・ショートカット

 事件当日の服装・白のカッターシャツ、チェック柄のミニスカート、薄桃色のラインが入った白のスニーカー……



 殺された少女の容姿に心当たりがあった。

 いや、ほんの1、2分前に和成は見ているのだ。

 殺された畑千尋と同じ容姿をした女の子を……

 そして、もっと驚いたことは、殺された日からさほど離れていない、六月二十三日。

 その日ほど、和成は忘れる事が一度もなかった。

 サッカー部が廃部になった日だったからである。

 その原因となったサッカー部部長である道重が逮捕されたのは、その日の前、六月二十二日であった。

 その時、顧問の大友から「婦女暴行、被害者は小学六年生」と聞かされていた。


「すみません、なにか知ってるんですか?」


 男がそうたずねると、


「い、いえ……何も……」


 和成は避けるように男性から視線を逸らした。


「すみません。何も知らないんです」


 そう云うや、逃げるように走り去った。

 和成は別に悪いことをしているわけではないが、やましいこと――罪悪感のような感情が体の全身を駆け廻っていた。

 あの時見た女の子は何者なのか、もしかすると、あの男性が聞き回っている殺された娘ではないのか?

 家に戻り、部屋に入ると、ふと壁にかけている日めぐりカレンダーが目に入った。

 『九月二五日』

 その日付をジッと見ていると、


「和くん、晩御飯できてるわよ? 早く降りてきなさい」


 一階から母親の声が聞こえ、


「わかった。すぐいく」


 と、和成は部屋着に着替えながら、頻りにカレンダーを見ていた。



「そうですか、もうそんなに経ってたんですね」


 朝焼けが眩しい噴水のある公園の外れにあるサッカーコートのペンチで、朋奏は携帯で誰かと会話をしていた。


「わかりました。そちらは犯人がわかっている以上、罰を与えなければいけません。子供を失った親の気持ちすらわからない、そんな人を、私は赦しはしませんよ」


 朋奏は静かにそう告げる。

 その目は哀れんでいるというより、憎悪の塊でしかなかった。


「それともうひとつ、気をつけた方がいいぞ。せっかく教えてくれる子ができたのに、失ってしまうかもしれん」


 電話越しの女性がそう云うと、


「あ、あの……それはどういう」


 朋奏が訊ねようとすると、電話は切られた。


「また、新しい子が来るの?」


 サッカーボールを抱えた椿が朋奏に訊ねる。


「ええ。寂しい思いをさせないためにね」


 朋奏はゆっくりと椿の頭を撫でる。


「椿、朝連やるよ! 昨日コーチから教えてもらったことやってみよう」


 明日香がそう呼ぶと、椿は「おー」と駆けていった。

 明日香の手には縄跳びがあり、それを使ってのトレーニングである。


「いい? いくよ……」


 明日香は縄跳びの両端を手に取り、紐を足のうしろに回して引っ張る。


「お嬢さん、お入んなさい、さぁどうぞ」


 と、歌いながら縄を回し飛んでいく。

 椿はタイミングよく縄の中に入る。


「郵便屋さん、ハガキが10枚落ちました。拾ってあげましょ、1枚、2枚……」


 今度は椿が歌い始めると、二人一緒に声を合わせていく。


「8枚、9枚、10枚……ありがとう」


 云い終えると、明日香は回していた縄を止めた。

 縄跳びには、足腰の筋力の強化、左右前後のボディーバランスの安定、リズム感のあるステップの取り方、持久力を上げる効力がある。

 和成がこのトレーニング(郵便屋さん)を提案したのは、楽しみながらやってほしいと思ったからである。

 その考えは子供たち、特に女の子たちから絶賛で、


「今度は20枚っ!」


 と、椿が云うと、


「飛べるの?」


 明日香がそうたずねると、椿は任せろといわんばかりに、グッとサムズアップした。



 ――その日の夕刻、コートへとやってきた和成の目の前で、楽しそうに縄跳びをしている子供たちの姿があった。


「200回いった」「おれ、240回」


 といった感じに、トレーニングというよりも競争になっている。

 しかし、子供たちの表情から零れ出ている笑顔から、楽しんでいるんだなと、和成は実感していた。

 和成は開始時間を5分ほどずらし、柏手を打った。


「よし! みんな自主トレ終わり。合同練習に入る前に、水分補給して」


 そう云うと、子供たちは縄跳びを止め、朋奏が用意したスポーツドリンクを受け取りに集まった。


「それじゃぁ、今日は……」

「待って、今日はみんなに新しい子を紹介したいの」


 朋奏がそう云うと、


「新しい子?」


 和成が首をかしげる。


「あ、今日の朝云ってた子だ」


 椿が声を出す。


「ましろさん……来て」


 朋奏がうしろを一瞥するように声をかけた。

 ――歩み寄ってきたのは一人の女の子だったが、その女の子を見るや、和成は手に持っていたノートを落としてしまった。

 少女の髪型はショートカット、凛とした雰囲気のある綺麗な顔付きに、どことなくあどけない印象があった。


「今日からみんなと一緒にサッカーをすることになった“ましろ”といいます。みんなよろしく」


 ましろと名乗る女の子がそう挨拶すると、


「こっちこそよろしくね。ましろちゃん」


 梓が手を差し出すと、ましろは笑顔で握手した。


「それじゃぁコーチ、練習を……コーチ?」


 梓が首をかしげる。和成は呆然とした表情でましろを見ていた。


「あ、あの……どうかしました?」


 ましろは怯えた表情で和成に問いかける。


「あ、いや、なんでもないんだ……。それじゃぁ、タッチラインを往復20周。体を温めてから10分間ハーフの5対5のミニゲームをおこなう。今十一人だから、一人審判を……あ、優はかならず参加すること」

「ふぁ、ふぁいっ!」


 油断していた優は慌てた口調で返した。


『優にはいい加減ボールを怖がらないようにしてもらわないと』


 そう考えながらも、和成はましろを凝視していた。

 そんな和成を、ましろではなく、朋奏が警戒するように見ていた。


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