35

 カガミヤの受付に、外出することをつたえ、部屋のかぎをあずける。

 エントランスには、昨日荷物をもってくれた男性がいたので、ロイは会釈えしゃくする。


「晴れてよかったですね。いってらっしゃい」


 見送ってくれる男性のことばに、ロイは空をみあげて首をかしげる。

 太陽は雲にかくれ、どうみてもくもりだ。

 定型句ていけいくの一種だろうと、気に留めずにクロエと街におりる。


 金色のソフトクリームは、めだつのぼりが立っていた。

 値段は1,000Ðドール。クロエの分とふたつ買って、赤い布張りの長イスにすわる。

 

「クロエ、これ本物の金なんだって」


 ソフトクリーム全体に、ぺったりと金が貼られている。

 薄さは一万分の一ミリ。ぜんぜんピンとこない。


「ふうん。味しない」

「……たしかに」


 一万分の一ミリで、味がする方がおどろきか。

 そう思いながら、ロイはソフトクリームを食べる。


「めちゃくちゃ濃厚なミルク味!」


 となりのクロエは無言で食べている。きちんとした格好のクロエは、退廃的たいはいてきな魅力がある。切りっぱなしの朱髪あかがみは、潮風にサラリとなびき、深い朱眼しゅがんは妖艶にゆらめく。さきほどから、少なくない人数が、クロエにふりかえっていく。

 クロエはソフトクリームがついた唇をなめる。とおりすがりの女性が、顔を赤らめた。

 よくわからないが、好意的に見られる分にはよしとしよう。

 ロイはそう結論づけ、ソフトクリームをおいしくたいらげていく。別の女性が、ロイをみてクスクスわらってとおりすぎた。なぜ。






 クサナギ工房があるカガ鉱山こうざんは、観光名所になっていた。乗合馬車は10分おき。日の曜日ソルの夜に作った、多種多様のクッキーをエサに、ロイはなんとかクロエを馬車に乗せることに成功する。


「クサナギ工房こうぼうは、山の頂上だって」

「おりる」

「この速度でのとびおりは、本当に死ぬから!」


 ロイはクロエのこしにしがみつく。彼はやるといったらやる男。ここで飛び降りても、誰も幸せにはならない。

 

「クロエ、レモンクッキーたべる!?」

「……レモン水」

「はい!」


 ロイは黄色の水筒すいとうをとりだす。こちらは朝つくったレモン水だ。

 クロエはおとなしく座席にもどり、レモン水を嚥下えんげする。クロエの肌は白い。陽にまったくあたっていないからだ。しろくてほそいのどが、おおきくごくりと音を立てる。二十代ほどの男性が、顔をあからめ目を逸らす。マジか。


 クロエはけっして、絶世の美青年ではない。ただすこし、あやしい雰囲気をもっているだけだ。適当な服を着て引きこもっているクロエは不健康なだけだから、高級な服の威力はすごい。だからすごいのは服職人ということになる。


 そんなことをつらつらと考えているあいだに、馬車はカガ鉱山についた。




 カガ鉱山は、港町とはちがう活気があった。


 山の中腹ちゅうふくにひろがる町は、どこものんびりと店をあけている。

 食事処しょくじどころが二件に、土産物屋みやげものやが三件。

 店先をのぞけば、鉱山でとれた原石が、ひとかごいくら、でならんでいる。

 こどもでも買える価格帯から、ウソみたいな値段まで、ピンキリだ。


 周囲の観光客は、おなじ方向へぞろぞろすすむ。

 ここでは廃坑道はいこうどうを見学できるらしい。入場料は、ひとり2,300Ð。ガイドつきを売りにしているが、なかなかにいい商売だ。


 クロエにオレンジピール入りのチョコクッキーをわたして、ロイはルークにもらった地図をひろげる。

 クサナギ工房は、登山道をのぼりきった場所にある。

 迷子まいごの心配はなさそうだが、もんだいは、どうやってクロエに登山させるかだ。


 なやむロイのまえを、ひとりの青年がとおりすぎる。

 カランコロン、とカウベルの音がした。


 ロイはとっさに彼をよびとめる。


「すみません! その荷物、どうやって背負しょっているんですか!?」


 なにせ青年は、みあげるほど高い荷物を背負っている。

 ちかづいてみると、L字の木枠きわくに、荷物をロープで固定している。肩ベルトに、ちょこんとつけたカウベルがかわいい。

 いきなりのロイの問いかけにも、青年はおだやかにほほえみ、足をとめた。


「これは背負子しょいこ。あそこの店に実物が売ってるから、よかったら見てきなよ。歩荷ぼっかははじめて?」

「ぼっか?」

「こうやって、荷物を山小屋に運ぶひと。俺はクサナギ工房専属の歩荷だよ」

「そうなんですね。クサナギ工房までは、どのくらいかかりますか?」

「徒歩で二時間。きみたちも登るなら、クマに気をつけてね」

「はい。お仕事中に、ありがとうございました」


 ロイのお礼に、青年はおだやかにうなずく。カランコロンとカウベルをひびかせ、しっかりとした足取りで、登山道に入っていった。

 

「あんな兄ちゃんがほしかった……」

「ロイ、レモン水!」

「はい、よろこんで!」


 ロイはサッと黄色い水筒をさしだす。クロエにはクロエのいいところがある。400万Ð貸してくれるとか、絵がうまいとか、そのほかはちょっと思いつかないが、なにかあるだろう、たぶん。

 早々にあきらめたロイは、「木工房アリス」の看板をさす。


「ねえ、クロエ。あそこの店に寄っていい?」

「なんで」

「クロエの乗り物になるためかな……」


 つぶやくが、クロエはまったく聞いていない。

 しゃがんで虫をつかまえ、ひっくりかえして遊んでいる。

 

「クロエ、スケッチブックとえんぴつ」

「ん」

 

 クロエが描きだしたすきに、ロイは木工房へとダッシュする。

 クロエが虫に飽きるまえに、なんとしてでも戻ってくると、かたい決意を胸に抱きながら。




 ロイは背負子しょいこのほかに、山登り用のつえを二本購入した。トレッキングポールというらしい。登山の負担を軽減してくれる、たよれるアイテムだ。背中に人間をしょった状態のときなど、特に。


「ゆれるから、ぜんぜん描けない!」

「クロエ……じぶんで……歩いたほうが……ゆれない」

「いやだ」

「だよね……」


 L字の木枠きわくに、クッションをのせて、クロエをのせた。

 さいしょは、クロエの言動を見張っていなくていいことに、とても気が楽だった。彼もおとなしくスケッチしており、順調にすすんだ。


 あるきはじめて30分。

 ずきずきと肩は痛みはじめ、腰にきて、足にきた。

 トレッキングポールにすがりながら、ロイはずりあしで登山道をたどる。


 軽いとはいえ、クロエはりっぱな成人男性。15才のロイが背負って登るというあんを、かるがるしく採用したおのれが憎い。


「ちょっと……きゅうけい……」


 ロイはついに足をとめる。

 クロエはぴょんと背負子から降りた。めずらしくロイを気遣ってくれたのかと思いきや。


きた。帰る」


 すたすたと元来もときた道をもどりはじめた。


「まって、クロエ! セレスティア・ブルーまで、あとすこしだよ!」


 クロエの服をひっぱると、彼は不機嫌な顔でふりかえる。


「どこが? この山、きらい」

「地元のひとが聞いたら、気をわるくするよ」


 ためいきまじりになだめるロイは、がさりと茂みの音を聞く。

 クロエにシーッとジェスチャーでつたえ、ロイは笑顔をつくってふりむく。


「こんにちは! 絶好の山日和やまびよりです……ね」


 あらわれたのは黒い毛皮。

 クマだ。

 身の毛がよだつ臭気しゅうきをかぎ、ようやくこちらが風上かざかみだと気づく。

 目が合う。黒い瞳。

 空気が凍る。息ができない。

 全身に緊張がはしる。本能の警告けいこく。身じろぎは命取りになる。

 逃げ出したい。刺激したくない。絶望するほど、距離はちかい。

――クマに出会ったときは、おだやかに退避たいひする。

 故郷につたわる対処法たいしょほう。むりだ。なぜならロイは、クマに出会ったことなどない。

 ふるえる足が、あとずさる。砂利じゃりの音がひびく。

 クマが歯をむきだし、突進とっしんする。


「うわあ!!」


 ロイはとびのく。とっさにふりぬくトレッキングポールは、あっけなくふきとぶ。

 

「にげろ、クロエ!」


 大声を出さないレベルはとっくにこえた。

 逃げるか、やるか、やられるか。

 ロイは驚異の集中力で魔術を構築する。


 クマは声を出すロイをねらう。

 駆ける巨体が前脚まえあしをふりあげ、ロイは背負子しょいこをつかんでぶつける。


「術式展開!!」 


 土壁つちかべがつきあがる。地がゆれるほどの衝撃。クマの悲鳴。当たったのか。クマはどこだ。

 一秒にも満たない思考。影からクマがとびだす。正面だ。ロイにとびかかるように、前脚まえあしをふりおろす。


 ロイはとっさに地面をへこませる。クマはバランスをくずした。

 成功に喜ぶ一瞬、とびのくのが遅れた。

 クマの爪がロイの右腕みぎうでをかする。

 

 あ、と思ったときには、からだはふきとんでいた。

 地面にもんどりうって止まる。脳天のうてんをつきさす激痛がおそう。


「――あああ!!」


 切り裂かれた皮膚から、血がふきだす。

 右腕をかかえて丸まる。たえきれずに地面をころがる。悲鳴がもれる。涙がこぼれる。痛みはどんどん強くなり、ロイは視界が白くなる。

 歯をくいしばり目を走らせる。クマがみえない。逃げたのか。

 クロエはどこだ。なにをしている。


 ロイは視界をさまよわせる。

 かるい音がした。シャカシャカとせわしない、紙ズレの音。

 切りっぱなしのどす黒い朱髪をみつける。

 血濡れの朱瞳しゅがんはロイを見つめる。右腕の傷にそそぐ、膨大なる熱量。

 

「クロ……エ」


 彼は狂気なる瞳で、スケッチブックにむかっている。

 ロイの呼吸は荒くなる。涙があふれる。どうして背中から、獣の息遣いが聞こえる。

 ガタガタと震えだす体。地面にころがったまま、ゆっくりと首を背後にむける。

 

「た……すけて」


 消え入りそうな声。クロエには届かない。届くはずがない。無力なロイをわらうように、クマは歯をむきだし舌なめずりをした。


「だれかたすけて!!」

「――術式展開!!」


 暴風ぼうふうがふきあれた。

 聴力をうばう風は、枝をへしおり吹きとばす。


 クマの顔面に矢がふりそそぐ。あばれるクマは、前脚で顔をこする。


「――ロイ!!」


 おおいかぶさってくる影。それはロイを守るように、だきしめる。


「目をつぶって!」


 澄んだ少女の声。

 まぶたごしに感じる強烈きょうれつな光と、クマの悲鳴。


「術式展開!!」


 ロイはまた風を肌で感じた。

 この声は誰だ。ルークに似ているが、ふだんの彼からは想像できないほど荒々しい。


「――逃げたぞ! ロイは!?」

「ケガがひどいわ!」

治癒魔術ちゆまじゅつ、使えます! 土属性のロイくんなら、効くはずです!」


 右腕をのばされ、激痛にロイはあばれる。

 

「腕を! 俺はからだを押さえる!」

「わかったわ!」


 ロイはゆらぐ瞳をこじあける。

 きらっきらの銀髪が、ロイの顔をのぞきこむ。


「ル……ク」

「ロイ、わかるか! アンジェリカが、治癒魔術をかけてくれるからな」

「アン、ジェ……」


 金糸の髪が視界にうつる。アンジェリカは構築をしながら、こくこくとうなずく。

 そしてロイの顔を、黒髪がなでる。


「もうだいじょうぶよ、ロイ」

「オニー、ル」

 

 名をよぶと、紺碧こんぺきの瞳に涙がもりあがる。泣くな、と願いを口にすれば、オニールはへたくそな笑顔でうなずいた。


「――ふざけるな!!」


 ロイの顔すれすれに、スケッチブックがたたきつけられる。

 視線をあげれば激情げきじょうに駆られたクロエが、血濡れの朱眼しゅがんをゆがめて吠える。 


治療ちりょうなど、みとめない! 俺の下僕げぼくに勝手なことを――」


 オニールはスッと息をすいこんだ。


「――は?」


 その低音。一文字にこめられた威力。関係のないロイの肩までゆれた。

 なにせそっくりだ――アリアに。もしやオニールも適合者てきごうしゃなのか。それは「姉」という称号を持つ者だけが使える、しいたげられし記憶をすべて呼び覚まし体の自由をうばうおそろしい服従の魔術。


 クロエはスンと表情を消すと、サッと大木の影にかくれる。

 それをするどくにらむオニールの横顔は、やはりアリアによく似ていた。




 アンジェリカの治癒魔術ちゆまじゅつはすばらしく、傷のほとんどが消えた。


「ほんとうにありがとう」

「ひっつけただけなので、無理しないでくださいね」


 にこにことほほえむアンジェリカに、ルークは感心する。


「技術はもちろんだが、あれだけの傷をまえに、よく冷静れいせいでいられたね」

「お兄様がよく大怪我おおけがをなさるので、見慣れているんです。このあいだも、うでを27針われていて、ちょうどロイくんと同じぐらいでした」


 えへへ、とアンジェリカがわらう。

 ロイはオニールと顔を見合わせ、そしてハッと気づく。


「そういえば、なぜおまえらがここに居るんだ?」


 三人はまたたき、視線を交わし合って、にやりとわらう。


「なぜって、ねぇ」

「ええ」

「そうですよ」


 オニールは、ロイのおでこをツンとつつく。


「魔術大会の慰労会いろうかいをするために、決まってるじゃない」

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