34

 茜色あかねいろに染まる港町は、活気にあふれていた。

 たくさんのひとが行き交う大通りは、ゆるい坂道になっている。

 道の両側には店がひしめきあい、客をよびこむ威勢いせいのいい声がとびかっている。 


 ロイは目をかがやかせ、となりでしゃがみこむクロエに声をかける。


「すごいね、クロエ! 街のつくりが全然ちがう」

「……まだれてる」

「俺の肩につかまって。旅館りょかんは、坂の上にしかないんだって」


 ロイは右肩をクロエのわきに入れ、かかえるように立たせる。

 左手も使えればいいが、あいにくキャリーケースで埋まっている。


 ゆっくりとしか歩けないので、ロイは観光しながらすすむ。

 王都との一番のちがいは、建物だ。

 木造の建物はどれも低く、朱色しゅいろに塗られた柱がめだつ。

 魔術灯とはちがう灯りが、店先にたくさんぶらさがっている。


 店のまえを、三人の女性がとおる。

 見たことのない、華やかな服装をしている。全員がちがう色柄で、一枚の布を上手に着ている。みぞおちに巻かれたぬのは、ベルトの役割をしているのだろう。

 結いあげた髪には、うつくしいかざり。うごくたびにキラキラひかって、女性たちの笑顔をいろどる。


「かわいい……」


 たぶん、この国の民族衣装みんぞくいしょうだ。みわたせば、ちらほらとおなじ服を着ているひとがいる。圧倒的あっとうてきに女性が多いが、男性で着ている人もいる。


 ロイは、図書館でみた旅行本を思いうかべる。

 たしかこの衣装の名前は――浴衣ゆかた


 ふと見た先、群青ぐんじょうに白い花が描かれた浴衣の女性がいた。あの柄、オニールに似合いそう。こないだのポニーテールもかわいかったし――。


「ねえ! はやく行こう!」


 ハッとロイはわれにかえる。

 イライラしたクロエに、彼は人混みが大の苦手であることを思い出す。

 こんなひとの多い場所で暴れられたら大変だ。

 ロイはクロエをささえながら、できるかぎりのスピードで坂道をのぼった。






 坂の上の旅館「カガミヤ」は、創業150年を越える老舗しにせだ。

 大荷物で坂をのぼるロイをみて、従業員が手を貸してくれた。


 歴史あるたたずまいは、手入れがゆきとどいており、見惚れるほどにうつくしい。

 おもむきのあるエントランスは、土足どそくでは気が引けるほどだ。

 やわらかい笑顔の従業員は、ロイのような若造わかぞうにも丁寧な心配りをしてくれる。


 クロエ以外の荷物をたのみ、受付うけつけを済ませると、すぐに部屋に案内される。

 おちついた物腰ものごしの女性は、ロイの母親ぐらいの年代だ。浴衣ゆかたよりも、地味ながらの服を着ている。

 この客室案内係は「中居なかい」と呼ぶそうだ。


 クツを脱いであがる部屋は、干し草のかおりがした。

 中居はクロエの船酔いをさっし、手早く寝具しんぐを整えてくれた。

 ロイのお礼に、ていねいなお辞儀じぎを返して、中居はさがる。あとで部屋に夕食を運んでくれるらしい。


 荷物をおき、クロエを布団ふとんにころがす。

 二部屋つづきの客室はひろい。

 さっそく部屋の探検をするロイは、木と紙でできたとびら「障子しょうじ」をすべらせ、声をあげた。


「クロエ、バルコニーにお風呂があるよ!」


 おおきなガラスドアに手をつき、ながめる。

 クロエのため、バスルーム付きの部屋を頼んだら、「露天風呂付ろてんぶろつき客室」をすすめられた。

 ふかく考えずに了承したが、おもむきのある石造りのバルコニーは、学院のお風呂と似通にかよっている。


 ロイはガラスドアをあけ、さっそくバルコニーに出てみる。

 風呂から湧き出た湯は、ゆかにひろがり排水される。

 足のうらがあたたかい。船ではクロエを見張っていたから、ロイはシャワーも浴びていない。


 夕食まで時間があるので、ロイは露天風呂に入ることにした。

 クロエに声をかけようとしたが、布団につっぷしていたのでやめた。


 男同士だからいいだろう、とロイはその場で服をぬぎ、石造りの風呂につかる。

 

「あったか~」


 すこし熱めの湯がきもちいい。

 旅の疲れがとれていくようだ。

 バルコニーはオーシャンビュー。頬に涼しい潮風をうけ、水平線をぼんやりながめる。


 からだがあったまってきたので、ロイは腰をあげる。

 バチリ、とクロエと目が合った。

 クロエはムッとした表情で、えんぴつでロイをす。


「うごくな。体勢たいせいをもどせ」

「――えっ!? いま、いてる!?」

「いちにち一時間と約束した!」

「してな……ああ……」


 ロイは手をひたいにあてる。

 クロエとクサナギ工房こうぼうに行くのは明日。それまで、クロエの機嫌を損ねるわけにはいかない。しかしこの状況。羞恥心しゅうちしんは捨てるとして、一時間の耐久風呂はさすがにきつい。 


「クロエ。岩にすわって、足だけ温泉につけてもいい?」

「そこじゃなく、あっちの岩ならゆるす」

「えーと……それは、クロエの方を向けっていってる?」

「はやくしろ!」

「はい!」


 ロイは涙をのんで言うとおりにする。

 クロエは真剣にロイを見つめる。その瞳に、からかう色は一切いっさいふくまれない。ただ無心にえんぴつを動かすクロエに、ロイの心臓はおちついていく。

 きっとクロエにとって、ロイは風景の一部となんら変わりない。だから恥ずかしいとおもう方がまちがっていて――。


「――お食事の準備ができました」

「ああ」

「なんで返事するの、クロエ!?」

「うるさい、うごくな」


 ロイが止めるまえに、中居が食事をもって入室してきた。


「あらあら、おほほほほ」


 中居はほほえみ、食事をならべ、もういちどちらりとロイを見てから退室した。

 部屋のとびらがしまり、耐えきれずにロイは両手で顔をかくす。 


「ばっちり見られた……きつい……」


 ロイは死んだ目でたちあがる。


「もうむり。ごはんたべる。モデルはそのあと」

「うごくなっていってるだろ! おまえの服、燃やすぞ!」

「――やってみなよ。その服くれたの、アリアだぞ」


 クロエのうごきがぴたりと止まる。

 アリアはクロエの双子の姉。口が達者たっしゃで気が強く、ファーニエ家の男性でアリアに勝てる者はいない。

 クロエは無言で手をはなし、スケッチブックに向きなおる。

 どことなく覇気はきのないえんぴつの音を聞きながら、ロイはもそもそと着替えた。




「なにこれ、うまそう!!」


 めのまえのおぜんに、ロイはテンションがあがる。

 たくさんの小皿は、どれも意向をらしている。


「魚のあたま、デカッ! あっ、ちゃんとお品書きがある」


 ざらりとした手触りの紙は、花弁はなびらがはいっている。

 そこに書かれた文字は、羽ペンやデスクペンとちがって太い。


 ロイはざっと目をとおす。食べたことのない料理ばかりだ。

 カラトリーは、はしという二本の棒から、ナイフ、フォーク、スプーンと、たくさん準備されている。旅行者が多いヤマト諸島ならではのサービスだろう。


 ロイはフォークを手にとり、ひとくちサイズの切り身を「醤油しょうゆ」につけて食べる。口に入れた瞬間に、新鮮だとわかる。ひきしまった身は、プリプリとして甘い。


「クロエ、このさかな最高だよ! 食べないの?」

「いらない」


 クロエはガラスドアを開けはなち、海にしずむ夕日をスケッチしている。

 今じゃないとできないことだ。

 食に興味がないクロエだが、腹が減ったらくるだろう。そう思い、ロイは料理に向きなおる。

 食べているあいだも、中居が追加で料理をもっていきた。

 ノドグロの塩焼き、炊きたての白ごはん、みそ汁にデザート。食べきれないほどの料理に、ロイはにこにことフォークをのばす。


「これ、おいしい!」


 カガ郷土料理の「ジブ煮」は、とろりとしたタレがかかる、カモ肉の料理だ。

 モチモチとしたあざやかな「生麩なまふ」に、なみうつ茶色の「すだれ麩」。緑のワサビをまぜれば、ツンとした辛みが鼻を刺激し、せきこんで涙がでてくる。


「あー、からい……」


 味変あじへんできていいが、つぎはワサビの量を調整しよう。

 そんなことをおもいながら、ロイは郷土料理に舌鼓をうった。 






 翌日よくじつはくもりだった。

 カガミヤには二泊するので、おおきな荷物は置いていく。 


 ロイはショルダーバッグに荷物をつめる。おやつと水筒すいとう、スケッチブックにえんぴつ、ルークにもらったクサナギ工房の地図。

 そして、注文書の控え。

 クロエのアパートで、書類の山から無事に発掘はっくつしたやつだ。

 銀行の振込証明ふりこみしょうめいつきで、支払金額は4,000万Ð。ファーニエ男爵領なら、家が二件も建つ金額だ。


 ついでに棚整理をしていたら30万Ðをみつけ、クロエの了承りょうしょうを得て、今回の宿泊交通費にてた。

 ふだんのロイならぜったいにやらないが、4,000万Ðの衝撃がおおきすぎて、金銭感覚がマヒしていたのがこうそうした。


 カガミヤは高級旅館なだけあって、料理はおいしいし、寝具の寝心地はすばらしい。熟睡できた、ふかふかの布団ふとん。そのかたまりに、ロイは話しかける。


「クロエ、あさごはん食べないの? 『湯豆腐ゆどうふ』、あっさりしておいしかったよ。あまさひかえめのパンナコッタみたい」

「……たべる」


 もそもそ起き出したクロエは、脱げかけた浴衣。

 昨夜、ロイは寝る前に、タオルと下着と浴衣を、わかりやすい場所においておいた。クロエは深夜に入浴したらしく、ちゃんとそれを着ている。

 浴衣からのぞくガリガリのからだは、みていて心配になる。せめて五歳児なみに食べてくれるといいが、とロイはクロエの反応をうかがう。


 クロエは木のスプーンで、湯豆腐をすくう。

 ぱくりと口にし、じろりとロイをにらむ――うそつきめ。

 ロイは苦笑し、つぎのふたをあけてやる。


「じゃあこの『茶碗蒸ちゃわんむし』は? 出汁だしをきかせたプリンだよ」

「まずかったら殺す」

「ええ……俺の生死を、ここの料理長にゆだねるの?」

 

 せめて今夜の料理を食べてから死にたい、となまじ本気におもっていたら、クロエは茶碗蒸しをぱくぱくと食べている。どうやらお気に召したらしい。


 クロエが食事をしているあいだに、彼の服を準備する。

 どれも見るからにいい生地で、オーダーメイドに間違いない。

 どういう組み合わせでも、おかしくならないのが、ありがたい。

 気に入らなければ言うだろう、とロイはてきとうに見繕みつくろう。


 食事を終えたクロエがもどってきた。

 遠目には、まったく減っていないが、気にしないことにする。


「じゃあクロエ、今日はクサナギ工房に――」

「寝る」


 いうがはやいか、クロエは布団をかぶる。


「まって、クロエ。あの――」

「ぁあ!?」


 クロエはすでにキレている。

 ロイは高速で、旅行本の内容を思い出す。なにか、なにかクロエの気を引けそうなものは――。


「金色のソフトクリーム、食べにいかない!?」

「……いく」


 用意した服に着替えだすクロエに、ロイはこっそりため息をつく。

 「永遠の五歳児」のおもりは、まだまだつづきそうだ。

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