28

「わるいが、俺の貯金ちょきんはゼロだ」

「なぜ!?」


 うきうきとやってきたセーラムは、ロイをみてあからさまに肩をおとした。

 レスターはわらいながら詰所つめしょにもどっていった。もどって何をする気だとか、考えてはいけない。


 そうしてセーラムに借金しゃっきんを申し込んだロイは、みごとに玉砕ぎょくさいした。あきらめきれずに、セーラムにつめよる。


「だって高給取こうきゅうとりじゃん。勤続10年目の28才でしょ? たった400万Ðくらい、さがしたらみつかるって。積立定期つみたてていきとかやってるなら、とりあえず解約してきなよ!」


 セーラムのえりをつかんでゆさぶれば、ぽんぽんと頭に手が置かれた。


「おちつけ、ロイ。――ないものは、ないんだ」


 セーラムは、きらりと歯をみせて笑う。

 ロイもにこりと笑顔をかえす。


「じゃあ給料前借きゅうりょうまえがりしてきて」

「おまえの理不尽りふじんなわがままも、ひさしぶりに聞くなぁ」

「そういうのいいから。三ヶ月分は前借できるって、まえに言ってただろ。ここで待ってるから、30分以内ね。よーい、スタート」

「いや、じつはなぁ。もう限度額げんどがくまで、前借しているんだ」


 はっはっは、とセーラムがわらう。

 ロイはひたいに青筋あおすじをたてた。


「笑いごとじゃねーよ! 限度額まで前借まえがり!? 親子ともども、詐欺さぎにでもったのか!?」

親父おやじは詐欺にあったのか。だからロイの寮費りょうひが払えない、と。なるほど、なるほど」

「それはいま、どうだっていい! 何に使ったの? 投資信託とうししんたくとかだったら、とりあえず解約してきなよ!」


 望みをかけて、問いつめる。

 しかしセーラムの頬がゆるみ、ロイは嫌な予感がした。


「いやあ、なじみの子がさ。どうしても俺に会いたいって」

「なじみの……子」

「ボトル入れるとすごい喜んでくれて、その笑顔がまた可愛くってさ」

「もしかして、そういう、お店の……」

「『セーラムだーいすき!』なんて言われた日にゃ、男としてはやっぱり、なぁ?」

「――クソ兄貴!!」


 ロイはひざからくずれおちる。

 ついにセーラムから、金は出てこないことが確定した。


「おー、ロイ、だいじょうぶか?」


 のんきな声に、ロイはセーラムにつかみかかる。


「だいじょうぶか!? 俺が400万Ðも稼げるわけないじゃん! せっかく特待生とくたいせいで合格して、がんばってS評価とりつづけてるのに、金が無いせいで退学になるんだぞ!」


 セーラムの胸をこぶしでなぐる。

 びくともしない体格がうらめしい。ロイは貧弱な自分に、涙があふれてとまらない。


「セーラムのバカー!」


 これはたりだ。わかっている。だけど何かのせいにしなければ、ロイは立っていることすらできない。


 セーラムはロイをだきしめる。

 ロイはセーラムの汗臭あせくささが嫌いだった。だけどいまは、安心するにおいだと思った。


「おまえはちいさいな、ロイ」


 セーラムが、しみじみとつぶやく。

 自分の矮小わいしょうさなど、自分が一番わかっている。ロイはそう言おうとして、やめた。


「まだ15才だもんな。よくがんばったよ、おまえ」

「過去形で言うな、クソ兄貴」

「おお、ちょっと元気出たか。よかった、よかった」


 鼻をすすり、ロイはセーラムから離れる。


「あのさ。デスクペン、ありがとう」

「いちばん安いので、わるいな」

「ううん。すごく使いやすくて、気に入ってる」


 ロイはショルダーバッグをかつぎなおす。


「このバッグも。セーラムがくれなかったら、麻袋あさぶくろに教科書を入れるところだった」

「麻袋は無いなぁ」


 セーラムは闊達かったつにわらう。

 その笑顔に、ロイはあたたかいものを感じる。

 セーラムには、すでにたくさん世話になった。これ以上、甘えるわけにはいかない。


「俺、帰るよ。自分でなんとかできないか、がんばってみる」


 おおきな手に、わしゃわしゃと髪の毛をかきまぜられる。

 その暖かい手を、ロイはそっと払う。


「からまるから、やめてよ」

「そうか」


 ここからは、ひとりで何とかしよう。

 そうロイが決意したとき、セーラムはポンと手をたたいた。


「そうだ、ロイ。おまえクロエをたずねてみたらどうだ。王都に住んでるぞ」

「……クロエか」


 ロイは身震みぶるいする。

 切りっぱなしのどす黒い朱髪あかがみに、血濡れのような暗い朱眼しゅがん

 記憶のクロエは恐怖きょうふの対象だ。なぜなら彼は「永遠の五歳児」。善悪ぜんあくを理解したうえで、やりたいようにやる男だ。


 幼少期から、ロイはクロエのおもちゃだった。

 ロイが3才のとき、クロエは13才。すでにできあがったサイコパスだった。


 泥沼どろぬまにおとされ、窒息ちっそくしかけてもがくロイを、さらにしずめて爆笑するクロエ。

 猟銃りょうじゅうをつきつけられ、恐怖でギャン泣きするロイを、銃口じゅうこうでこづきながら爆笑するクロエ。そしてしっかり間近まぢかで発砲するあたりが、クロエという人間だ。

 かすった頬の熱さと痛みは、ある種のトラウマになっている。


「……クロエって、なにしてるひとだっけ」


 げんなり問えば、セーラムはあごをさすった。


画家がかだな」

「画家なの!? あー、でもたしかに、虫とか臓物ぞうもつとか描いてた記憶がある」

「あいつの絵、めちゃくちゃ高値で売れるぞ」

「マジで!?」

「おう! こんなちいさい絵が一枚で、俺の借金がチャラになったからな」


 セーラムが、指で四角をつくる。

 ハンカチ程度のおおきさに、ロイは顔をかがやかせる。

 希望から一番遠い存在だったクロエから、こんなにおおきな希望を感じる日がくるなんて。


「セーラムの金銭感覚が死んでる話はどうでもいいから、クロエの住所をおしえてよ!」

「うちの末っ子は辛辣しんらつだなあ」

「はやく書いて、はやく!」


 ノートとデスクペンを、セーラムにおしつける。

 セーラムはわらって、ロイの背中をつくえにする。ロイはデスクペンの軽快な筆記音と、背中にいくばくかのくすぐったさを感じる。


「よーし、書けたぞ」

「字、きったな! 報告書とか、ちゃんと書けてる?」

「まいにち怒られてるぞ! よくわかったな」


 明朗めいろうにわらうセーラムに、ロイはあきれて息をはく。本人が直す気がないなら、きっと明日も怒られるのだろう。

 

 読めない文字をセーラムに音読してもらい、ロイは自分がわかるように書き直す。

 場所は王都の南。

 ここからは、中央広場ちゅうおうひろばをはさんで真逆の位置だが、一本の乗合馬車のりあいばしゃで行けるらしい。

 ロイはノートとデスクペンをショルダーバッグにしまう。

 セーラムは、ぽんとロイのあたまに手をおいた。 

 

「何かあれば、いつでも来い。金は無いけどな」

「毎月のがくを決めて、その範囲内で遊びなよ。じゃあね!」


 ロイはセーラムに手をふり、来た道を駆けもどる。


 ひとりで何とかしようと決めたが、使えるものは何でも使う。

 ロイはそう決意しなおし、りっぱな城門をあとにした。

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