27

 廊下のさわがしさに、ロイはハッと我にかえる。

 「Bクラス」の室名札ルームプレートが目にはいり、Sクラスの教室をとおりすぎたことに気づく。


 ためいきをつき、きびすをかえそうとしたとき、Bクラスから数人の生徒がでてきた。


「――ロイさん!」


 かけよってくるのは、くすんだ金髪の男子生徒。ディコイだ。


「俺に用事ですね! もしや天使てんしからの伝言ですか? ディコイはいつでも、あなたのそばに!」


 両手をひろげ、おどりだしそうなディコイに、ロイは手をひたいにあてる。

 いまのロイに、ディコイのテンションはきつい。道をまちがえたことを、本気で後悔する。


 ディコイのうしろから、数人の生徒がかけよってきた。


「ロイの兄貴あにき! おつかれさまです!」

「俺たちは兄貴に絶対服従なので、ナイフは勘弁かんべんしてください!」

「しゃっさーす! しゃっせーん!」


 ロイはどこからつっこむべきかを考える。

 そもそも同い年だし、ナイフ持ち歩いてないし、さんにんめは何を言っているのかわからないし。

 

「あのさ。その兄貴・・って――」


 くちに出した瞬間、ロイはひらめく。


 そうだ。兄貴だ。

 俺には王立騎士団おうりつきしだんに勤務する兄がいる。

 高給取こうきゅうとりの兄貴のこと、きっと400万Ðぐらいポンと貸してくれるはず!


 ロイはディコイの首を、うでをつかまえ引き寄せる。

 いた手でくすんだ金髪をガシガシ撫で、おおきな笑い声をあげる。


「やっぱり兄弟のきずなは大事にしなくちゃな! そうだろ、ディコイ!」

「そのとおりです! ロイの兄貴!」


 全員で馬鹿笑いをする。

 通行人がそろそろとはしをとおっていくのを見て、ロイはディコイたちを廊下のすみによせ、ふくめる。


「人の迷惑になる行為は、ぜったいにするなよ」


 神妙しんみょうな顔つきで聞く生徒たちに、素直でいいやつらじゃないか、とロイは認識にんしきをあらためる。


「じゃ、俺は行くから」

「おつかれさまです!」


 びしりと直角に腰をまげるディコイたちに、ロイは苦笑して手をふる。

 前方からシャルルが歩いてきた。にがい顔で、ロイとすれちがう。


 それを見て、魔術大会で「ディコイは仲間だ」と、シャルルにハッタリをかましたことを思い出す。

 それが事実になったことに気づいたロイは、ならばしばらくシャルルはおとなしくしているだろうと、うなずきながらSクラスにむかった。




 Sクラスのまえで、ロイは深呼吸をくりかえす。

 いうべきセリフを決めて、ガラリととびらをあける。


「待たせてごめん! 急用ができたから、カフェテリアは三人でいってくれ」


 笑顔をつくり、ロイはルークにちかづく。


「カバン、ありがとう」

「あ、ああ」


 ルークはまたたき、ロイにカバンをわたす。


「じゃ、またあした」

「ロイ!」


 ルークはたちあがり、ロイのうでをつかむ。


「……だいじょうぶか?」


 小声で問われ、ロイは笑顔のまま首をかしげる。


「なにが? いそいでるから、はなしてくれ」


 ルークのうでをふりはらう。

 笑顔で手をあげ、ロイはSクラスの教室をあとにした。

 残されたルークが「作り笑顔、下手すぎでしょ」とつぶやき、オニールとアンジェリカが深くうなずいていたことなど、よしもなかった。






「来ちゃった」


 王都の最北端さいほくたんで、ロイは巨大な王城おうじょうをみあげる。

 城の背後には、テュール神が住まうとされる、霊峰れいほうヴァルハラがそびえたつ。

 信仰心のかけらもないロイがここにきたのは、兄の勤める王立騎士団本部おうりつきしだんほんぶは、この城の東側だからだ。


 りっぱな城門をくぐると、ちいさな町があった。

 テュール教の教徒や、観光客らしき人間でごった返し、城壁には屋台やたいのテントがならぶ。

 それはまるでお祭りのよう、ロイの気持ちは自然にうきたつ。


 ラップサンドの屋台のまえで、ロイの足がとまる。

 おおきな牛肉の塊が、ぐるぐるとまわりながら焼けている。

 こうばしい肉のにおいに、ロイの腹はぐぅと鳴った。


 ひとつ400Ð。肉増にくましは500Ð。

 ほかの屋台と比較検討すべきだと思ったが、足がふらふらと引き寄せられる。


「――らっしゃい!」


 あたまにタオルを巻いた男性が、ナイフで肉をそぎとっていく。

 その内側のピンクから、透明な肉汁があふれる。

 絶妙なローストぐあいに、ロイはおもわずくちをひらく。


「肉増しでおねがいします」

「あいよ!」


 小麦を練って焼いた生地に、レタスと肉がこれでもかと乗せられる。

 目をかがやかせるロイのまえで、店主はちいさなおたまでタレをかける。

 慣れた手つきでくるりと巻いて、ロイへとさしだす。


「はいよ!」

「ありがとう!」


 500Ðコインをわたすと、100Ðコインがさしだされ、ロイは首をかしげる。


「うちは学生さんには、サービスしてるんだ!」

「わかった。ありがとう」


 ロイは100Ðコインを受けとる。

 屋台と屋台のあいだには、飲食スペースがもうけられている。ロイはすぐそばの、ちいさなテーブルにすわる。


「いただきます!」


 ニンニクと黒コショウの香りが、鼻にぬけた。

 タレにはタマネギのみじん切りが、ふんだんに入っている。レモン風味のタレは、さっぱりとしながら、甘じょっぱい。

 コークスの丸鶏のタレよりも、塩味が強い。牛の肉々しさが、よく引きたっている。

 かめばかむほど旨味うまみが増え、多めのレタスと相性抜群あいしょうばつぐんだ。

 焦げたところと、レアなところは、ちがう味わいで二度おいしい。

 肉汁がしみこんだ生地をかじれば、もちもちとした食感。

 これはもう、まちがいない。


絶品ぜっぴん……!」


 おちそうな頬をおさえ、ロイは大口おおぐちでたいらげていく。

 ラップサンドの屋台には、いつのまにか行列ができている。

 このうまさなら納得だ、とロイは笑顔で完食する。


「すごくおいしかった! ごちそうさま!」

「おう! やっぱり学生さんには、サービスしとくに限るわ」


 よくわからないが、店主がいい笑顔だったので、ロイも笑顔で手をふり、つぎの門にむかって駆けだした。






「ここから先は、無断立入禁止むだんたちいりきんしだよ」


 石造りの門をくぐろうとしたロイを、呼びとめる声がある。

 上から聞こえた気がして見あげると、詰所つめしょの二階から、男性が顔を出していた。


「あの、騎士きしの兄に、面会したいんですけど」

「ちょっとまってね。今、そっちに行くから」


 しばらくして、その男性が詰所から出ていた。

 紺色の騎士服を着崩きくずした、二十代ぐらいの青年だ。

 ちょんと結んだ紫色の髪をゆらし、ロイににこりと笑いかける。

 どこかで見たような気がして、首をかしげる。

 

「おまたせ。君の名前と、お兄さんの名前を教えてくれる?」


 開放的な襟元えりもとのボタンを留めながら、青年が聞いてくる。

 そんなに暑い日でもないのに、とロイがふしぎに思ったとき、上から声がふってきた。


「レスター! まだぁ?」


 城門に似つかわしくない、甘ったるい声に、ロイはおもわず見上げる。

 窓にしどけなくもたれかかる、薄着の女性がいた。薄着というより、ほぼ下着の状態に、ロイはぐるんと首をそらす。


「――ちゃんと隠れてて。すぐに行くから」


 ゆったりと返答した騎士――レスターは、なにごともなかったかのように、ロイにはなしかける。


「お兄さんの所属もわかれば、教えてほしいな」

「ええっと……第二騎士団所属の、セーラム・ファーニエ。俺は弟のロイ・ファーニエです」


 気恥ずかしさから彼の顔が見れず、斜め下のかげにむかってしゃべる。


「へえ。君がセーラムの弟なんだ。サイコパスって聞いてたけど、ふつうだね」

「サイコパスの兄はいます。セーラムと俺のあいだに、もうひとり兄弟が」

「ああ、大家族だっけ。じゃあセーラムの性欲が強いのは、遺伝いでんかな?」

「んん!? それは知りませんけど」


 知らないというより、知りたくない。


「君はそうでも無いってこと?」

「知りません! 兄をおねがいします!」


 ロイはおもわずカバンで顔をガードする。

 さわやかな笑い声が聞こえ、言いようのないくやしさに奥歯をかみしめる。


「ごめん、ごめん。君がかわいくて、ついからかっちゃった。おわびに、今度王都のパティスリー・バンフィールドに来なよ。サービスしてあげる」


 ロイはようやく思い出す。

 ミント色の壁のむこう、ガラス越しに、レスターのすがたを見たことがある。


「店員さんだ」

「ううん。オーナー」

「オーナー!?」


 レスターはくすくすと笑う。

 

「いまセーラムを呼ぶから、まってて」


 そういって詰所にはいり、カチカチと基盤を操作し、魔息マイクにむかってしゃべる。


『セーラム。城門にかわいい子が来てる』

『なに!? すぐいく!』


 レスターは魔息マイクを切って、ロイにわらいかける。


「すぐ来るって。よかったね」


 ロイはひきつった笑みをかえすことしかできなかった。

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