29

 王都の南側は、住宅街じゅうたくがいだ。

 高層建築がひしめきあうが、どれもレトロな情緒じょうちょがある。

 調和ちょうわがとれた街はうつくしい。ロイは観光気分で、大通りをあるく。


 とおりがかった上品なご婦人に道を聞き、たどりついたのは、クリーム色のアパートだ。

 ロイはノートの住所をたしかめる。

 クロエはここの八階に住んでいるらしい。


 アーチ型のエントランスをくぐり、ロイはながい階段を登る。筋肉痛の身にはつらい。これをクロエが登っているとは、いささか信じられなかった。


 記憶のなかの彼は、じっとしていることが多い。

 室内でなにかをいじくりまわし、きて窓からほうりなげる。

 食事も睡眠すいみんもあとまわし。ガリガリの体躯たいくだったのをおぼえている。


 クロエとは、三年ほど会っていない。

 もしかしたら、年をかさねて丸くなった可能性もある。

 画家ということは、客とのやりとりもあるだろう。

 ふつうの人間らしく行動することを、おぼえていてもふしぎではない。


 ロイはそう結論付け、階段をのぼりつづける。


 八階は、最上階だった。

 通路のまどから、そっとしたをのぞく。

 馬車も人もおもちゃのよう、その高さにロイは背筋せすじがヒュッとした。


 あらためて通路をみわたす。

 八階にはドアが一枚しかない。つまりこのワンフロアが、すべてクロエの住まいだ。

 深緑のとびらに、表札ひょうさつは見あたらない。


「これでまちがいだったら、恨むぞセーラム」


 ロイはドアベルをらす。

 しばらく待つが、応答がない。

 もういちど鳴らす。

 ビー、と低い音がきこえるので、壊れているわけではない。


留守るすとか……かんがえてなかった」


 ロイはためいきをつく。

 せめて手紙を残そうと、ちぎったノートに、デスクペンで伝言でんごんを書いていく。


「それにしても外出とか、本当にクロエは人間らしくなったんだな。まえのクロエなら、引きこもって居留守いるすを使ってもふしぎじゃない……」


 ロイは顔をあげる。

 ショルダーバッグに、ノートとデスクペンをしまう。

 右手をグーにして、おおきく息をすいこんだ。


「クロエー!! 俺だ! ロイだ! でてくるまで、たたきつづけるからな!」


 ドアをぶちこわす勢いでたたいていく。

 リズミカルな打撃音だげきおんのあいだに、乱暴な足音がちかづいてくるのが聞こえた。

 ガチャリ、とドアがひらく。


「クロエ!」

「――殺す」


――ドゥンッ!!


 耳をつんざく大音量に、左頬をかすった熱さと痛み。

 銃口じゅうこうからあがる白煙に、ロイはトラウマ反応を起こして、へたりこむ。

 カチリ、と猟銃りょうじゅうが照準を合わせる音がした。


構想こうそうがとぎれた。つぐないに、死ぬまでのたうつ姿をみせろ。腹をかっさばき、小腸をひきずりだす。すぐには死ぬなよ、ロイ」


 切りっぱなしのどす黒い朱髪あかがみに、血濡れのような暗い朱眼しゅがん

 ロイの記憶どおりのすがたで、クロエは嗜虐的しぎゃくてきわらった。





 

 クロエはロイの襟首えりくびをつかみ、室内にひきずりこむ。

 内鍵とチェーンをかけ、クロエはドアに手をつく。


「――閉塞クローズ


 ききおぼえのある施錠せじょうの魔術に、ロイは肩をゆらす。

 むかしからクロエがつかっていたものだ。内外からの出入りを一切認めない、強情なクロエの魔術。


 クロエはやるといったらやる男。このままでは殺される。ロイは必死でかんがえる。


「お、俺が死んだら、デッサンモデルがひとり減るよ!」


 むりやり服をかれた記憶から、ロイはさけぶ。

 クロエは聞いているのかいないのか、ぶつぶつと部屋中を歩きまわる。


「……掘り起こした死体じゃない。新鮮な少年が腐肉になるまで――」

「――ならばまず、生きた俺を描くのが先じゃない?」


 クロエはとまる。

 注意をうばえたことに、ロイはふるえる口角をもちあげる。


「死んだら、俺は二度と動かない。三年ぶりに会ったのに、俺の成長を描くまえに殺すのは――」

指図さしずするな!!」


 かみをつかまれ、床にたたきつけられる。うちつけた頬の、弾痕だんこんが熱い。傷がれて、ロイはうめく。

 髪をひっぱられ、顔をむりやり起こされる。

 クロエは、ロイの耳にするどい声をそそぐ。 


「なにを描くかは俺が決める。俺の領域りょういきに口を出すことはゆるさない」

「――好きに描けばいい。俺はクロエの下僕げぼくだ。絵のために俺を使え」


 ロイは必死にうったえる。

 クロエの手がはなれた。

 ロイはあらい呼吸のまま、のろのろとからだを起こす。


 こめかみに衝撃がはしり、からだが吹きとぶ。

 なにかにぶつかり、壊れる音。

 めまいをこらえてまぶたをあげれば、片足をあげたままのクロエがいた。


「まずはそこを掃除しろ。つぎに窓辺のイスにすわれ。俺が画材がざいを準備するまでにだ」

「わか……った」


 声をしぼりだし、ロイはおきあがる。弾痕だんこんからの流血を感じたが、さわらずそのまま掃除にうつる。なぜならクロエは、傷が好きだからだ。


 クロエはロイをみて、満足気に笑む。

 上機嫌じょうきげんに画材を準備しだすクロエに、ロイはようやく安堵あんどする。

 なんとか生き延びた。

 ここまでしたからには、ぜったいに400万Ðを借りて帰る。


 さきほどロイがぶつかり、壊れたのはちいさな木製の台。

 てきとうにすみによせながら、ロイは懐中時計で、制限時間を算出さんしゅつする。

 現在は4時24分。

 とちゅうで見かけた停留所によれば、ここから学院にむかう最終馬車は、6時30分。

 二時間以内に、金の目処めどをつけたい。


 ロイはたちあがり、あらためてクロエの部屋をながめる。

 漆喰しっくい白壁しろかべに、おおきな窓。

 ワンフロアを専有せんゆうしているだけあって、リビングはキャッチボールができそうなほどひろい。

 リビングの壁際かべぎわに、りっぱなキッチン。

 あきらかに壁をぶちぬいた構造こうぞうに、もしや賃貸ではなく分譲ぶんじょうなのかと驚く。

 画家のようなローンが組めない職業ならば、現金一括購入しかない。つまりクロエは、金を腐るほど持っている。


 あちこちに置かれたイーゼルやキャンバスにぶつからないよう、ロイは最新の注意をはらいながら、窓にちかづく。

 ちょうどクロエがスケッチブックを選んだところ、ロイは窓辺まどべのイスに腰かける。


「クロエ。モデルになるから、400万Ð、貸してくれ」

「むり」

「なぜだ。金はあるだろ」

「しゃべるな。窓のほうをむけ」


 スケッチブックとえんぴつを手に、クロエはあごで窓をしめす。


「おしえてくれたら、これから一時間、身じろぎしないと約束する」


 ロイはたちあがり、窓枠まどわくに懐中時計をひらいてのせる。

 陽光をあびた金時計は、ただひたすらに針を刻む。


 ロイはイスにもどる。背筋せすじをのばして窓をむき、クロエの返事をまつ。

 彼がイライラと、えんぴつでスケッチブックをひっかく音が聞こえた。

 次いで、乱暴にあたまをく。


 クロエは説明が苦手だ。

 だからロイはかさず、窓ガラスの白い汚れをみつめる。


「……犬が、やすみだ」

「犬って?」

かねのことをやる犬」

「もしかして、弁護士べんごしさん?」

「それ」


 クロエは不貞腐ふてくされる。

 財産管理ざいさんかんりを弁護士に依頼するのは、べつにおかしいことではない。しかしクロエの依頼理由は、財産が膨大だからではなく、金の管理ができないからだろうと、ロイはあたりをつける。

 そしてクロエは、ロイがそこまで気づくことをわかっている。

 だから、この態度だ。


 ロイはわざと、無感情に問う。


「弁護士さんは、いつまでやすみ?」

「つぎのデビル

「12日?」

「ちがう! つぎって言ってんだろ!」

「ああ、ごめん。19日の方か」


 しあさってのデビルではなく、つぎの週、と言いたかったのだろう。

 ロイがあやまったことで、またクロエが不貞腐ふてくされる気配をかんじた。

 クロエのいきおいががれているあいだに、ロイは質問をかさねる。


「19日になれば、金は貸してもらえる?」

「なんで。めんどくさい」

「それまでモデルをやる。家事でも雑用でも、なんでもする」

「……なんでも?」

「死んだり、後遺症こういしょうが残らないことなら」


 無言。

 ロイはクロエをぬする。

 クロエは目をふせ、スケッチブックをかかえこむようにして考えていた。

 ロイは窓辺の懐中時計に目をもどす。


 シャッ、とえんぴつの音がした。

 見なくてもわかる。

 クロエのまとう空気がかわった。

 ロイは気合きあいをいれる。これから一時間、すこしの身じろぎもするな、と強くおのれに言い聞かせた。

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