12

「――起きてください!」


 ロイの意識が浮上する。

 肩を揺すられ、目をあけると、あきれ顔の女性がいた。

 見覚えのない顔に周囲をみわたせば、人気ひとけのない館内が目にはいる。


閉館へいかんですので、お帰りのお支度をお願いします」

「閉館!?」


 ロイは懐中時計を確認する。七時だ。顔から血の気が引く。なんど見返しても、短い針は無情に7を指している。乗り遅れた。学院行の最終馬車は、午後六時だ。


 ロイはとっさにたちあがる。

 ショルダーバッグが腰をたたく。

 バックを肩にかけたまま、寝ていたらしい――いつから?


 テーブルのうえには何もない。

 本を出した記憶もない。

 奥まったこの場所は、本棚のかげになっている。

 ここに座ったのは、人が来なくて集中できそうだとシャルルが――。


「――シャルルは!? その、俺とおなじ制服の子で……」

「さあ。館内はもうあなたひとりなので、とっくに帰られたのでは?」

 

 女性はつめたく言いはなつ。迷惑なので、さっさと帰ってくれと言わんばかりだ。

 ロイは頭をさげ、出口へとはしる。


 とびらをあけると、どしゃぶりの雨。

 天からたたきつける雨は、世界とロイを遮断する。

 風は飛沫しぶきをふきつけ、冷たさに手がかじかむ。

 仄暗ほのぐらい街のあやしさに、ロイの足はエントランスで止まる。


――寮の門限は午後八時なので、ぜったいに乗り遅れないようにしてくださいね。


 エクレアの声がよみがえる。あれだけ念を押されたのに。


――寮の門限破りで、評価一ランク降格だ。


 ケネスの声がよみがえる。

 最高のS評価をとったところで、A評価に下げられる。つまり、特待生の称号は剥奪だ。


 なぜ寝てしまった。なぜシャルルは起こしてくれなかった。ふたりだけの特待生なのに。ちがう、起こしたけど起きなかったのかもしれない。シャルルのせいじゃない。俺が寝てしまったから――。


「後悔はあとだ!」


 ロイは両手で頬をたたく。

 目を伏せ、思考に集中すると、雨音が遠くなる。

 馬車で三十分の距離きょりは、徒歩で五時間。走ったところで間に合わない――人の足なら。


 ロイは顔をあげ、雨の王都へ飛びだした。




「ローズマリーさん、シブレットを貸してください!」


 Lemaireルメールに飛びこむと、客が全員こちらを向いた。


「ロイ!? なにやってるの、こんなにびしょぬれで」


 カウンターから、ローズマリーが駆けよってくる。

 

「とにかく、タオルを――」


 冷えた腕に、彼女の手はあたたかい。しかしロイは振りはらう。


「時間がないんです! 寮の門限が八時で――まにあわなかったら退学になっちゃう!」


 必死に告げるさなか、ローズマリーの姿が水中にゆがむ。

 まばたくと、熱をもった水があふれ、歪んでいるのは自分の視界だときづく。

 なさけない。

 こどもみたいに泣けてきて、ロイは必死に涙をぬぐう。


 ドッと店内がいた。

 きょとん、とロイは顔をあげる。


「だから言ったろ、最終馬車に乗り遅れるなって」


 スキンヘッドのいかつい顔に、左上腕にはトリ足のタトゥー。

 丸鶏屋の店主だ。


「俺も忠告したんやけどなぁ」


 丸メガネをかけた男性は、ロイがニンジンを爆買いする青果店の店主だ。


「あたしも言えばよかったかな~」


 露出が多い服装の女性は、ジューススタンドの店員だ。

 

 そして奥の席から、笑顔の青年が歩いてくる。


「まったく……ぼくがいないときに限って」

「タルトさん」


 ロイの頭をぐしゃぐしゃになでて、彼はニッと笑う。

 そしてタルトは、カウンターにもたれてあきれているローズマリーをふりかえる。


「ローズマリーさん。シブレットはいくらですか」

「一日5万Ð――の、半額かしらね」


 店内は拍手喝采、指笛までが飛び交う。

 ローズマリーが慣れたように木箱を置くと、つぎつぎとお金が入れられた。

 ロイはわけがわからず、皆の顔をみわたす。


「なんで……」

「毎年いるんですよ。乗り遅れる生徒」


 タルトはひみつめいた瞳で答える。


「それで毎年助けていたら、ここ一帯だけ減税やら優遇処置ゆうぐうしょちやら」

「道も一番に整備されるし」

「騎士団のしょができて、治安もよくなったのよ」

「シェフなったいう子は、売れ残った青果を、軒並のきなみ買ってくれたりなぁ」 


 皆、満面の笑みだ。

 丸鶏屋の店主は、ふとい腕をロイの首にまわす。


「最終馬車に乗り遅れるのは、将来有望ってことだ!」


 また場が沸いた。

 ロイはあいた口がふさがらない。


 ローズマリーは店の奥から、外套がいとうを持ってきた。


「雨具と魔術ライト。使い方はわかる?」

「はい。ヘッドライトですね」


 狩猟でよくお世話になるライトだ。

 手早くつけて、雨具をはおる。


「急いで、ロイ。うちのひとが、シブレットを店の前まで連れてくるわ」


 ローズマリーに腕をひかれる。

 店をでる直前、ロイはふりかえり、おおきく息をすいこむ。


「ありがとう、皆! 俺、国民に有益な役人になるから!」


 ワッと歓声があがった。


「がんばれよ!」

「ぜったい間に合ってね~」

「また待っとるさかいな」

「気をつけてくださいね」


 見送りのことばに、ロイは手をふる。

 店のまえに、シブレットの手綱をもつ大柄な男性がいた。

 ふとい眉毛まゆげとあごひげが、おとぎ話の海賊かいぞくのようだ。

 

「シブレットは嵐に強い」


 ロイはうなずき、シブレットに乗騎する。

 魔術ライトがあたりを照らして、男性の右頬におおきな刀傷のあとが見えた。


 闇夜やみよに明るい月毛は、気合十分にいななく。

 皆に手をあげ、ロイはシブレットの腹をった。

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