10

 四限目の体育は過酷かこくだ。

 空腹をこえて、飢餓きがになる。


 そんなロイのなげきにかまわず、空はきれいに晴れている。

 澄んだ空気にひびくのは、訓練所の剣戟音けんげきおんだ。


 ロイは抗議こうぎする腹にかつをいれ、せまるやいばを剣で受ける。

 拮抗きっこうするちからに不利を感じ、右足を引いて、刃をすべらせる。

 相手のバランスがくずれた。がらあきのどうをねらう。

 はいった、と思った瞬間、下からのするどい突きあげが、ロイの剣をはじきとばした。


 はずみでしばにしりもちをつき、ぽかんと相手を見上げる。

 きらっきらの銀髪が、反射しすぎて目にいたい。

 月の瞳でほほえまれ、さきほどのすきは誘いだされたと知る。


「――そこまで!」


 野太い声がとぶ。体育教師のシュワルツだ。

 半そでにハーフパンツ、むきだしの四肢ははちきれんばかりの筋肉におおわれている。

 

 すわったままのロイに、ルークは手をさしだす。

 学院指定のスポーツウェアでも、彼のかがやきは失われることはない。

 無視をするのもどうかと思うので、ロイは素直にその手につかまる。

 芝をはらっていると、シュワルツがドシドシと歩いてきた。


「ロイ。まよわず急所をねらうのはいいが、攻撃が単純だ。その俊敏性しゅんびんせいをもっと活かせ。もうすこし筋肉をつけろ!」


 背中をたたかれ、強さによろめく。あざになりそうな痛さだ。


「ルーク。みごとな剣技だがパワーが足りない。もうすこし筋肉をつけろ!」


 バシリと背中をたたかれ、ルークは痛そうに目をつむる。

 シュワルツはつぎの生徒にむかって歩いていった。


 ロイは、ウェアのだいたいの汚れが落ちたのを確認する。

 指定のスポーツウェアは黒、伸縮性しんしゅくせいに優れ、とてもうごきやすい。    

 五点セットで3万Ðドールもするが、機能性を軽視したウェアだったらどうしよう、と不安だったのを覚えている。今なら、入学間近に漠然ばくぜんとした不安感におそわれる「アドミッションブルー」だったと断言できる。昨日、図書館の本で見た。


 晴天とはいえ、春の風はいまだ冷たく、シュワルツ以外に足をだしている人間はいない。全員、ハーフパンツの下に、ロングタイツを履いている。

 上半身は、黒のインナーシャツに、黒パーカー。ファスナーとラインの色が選べるので、みわたせばそれなりにカラフルだ。


 ロイはアクセントカラーを赤にした。

 デザイン性があるウェアは、かっこいい。

 いちばんのおきにいりは、パーカーの背に描かれた、学院の紋章だ。

 モチーフになっているのは、聖花せいか・アレグリア。

 希少な高山植物で、花言葉は「高潔こうけつ」「幸せをまねく」。

 神々しい純白の花は、願いを叶える伝承をもつ。


 アレグリア、売ったらいくらになるんだろう。

 不謹慎なことを考えるロイに、ルークはにこにこと話しかける。


「ロイってすばしっこいんだね。小回りが効く体でうらやましい」

 

 長身のルークに言われ、負けた悔しさもありムッとする。


「は? 嫌味か?」

「どの攻撃も直前でかわされるから焦ったよ。だから卑怯ひきょうな手を使った。ごめんね」

「別に……あれくらい普通だ。だまされた俺がわるい」

「そっか」


 ルークはおだやかにほほえむ。

 

「毎朝、どこに行ってるの?」

「え?」

「窓から出ていくでしょ」


 ロイは目をおおきくひらく。

 できるだけみつからないように、細心の注意をはらっていたのに。

 探るようにルークを見ると、彼は自分をゆびさす。


「俺の部屋、ロイのとなり」


 ロイは納得し、がしがしと頭をかく。


「あー、うるさかったか?」

「ぜんぜん。むしろ起こしてもらえて助かる。俺、朝に弱くて」


 ふんわりとした笑みに、ロイは毒気どくけを抜かれる。

 ルークは、スタンレー公爵家の嫡男ちゃくなんでありながら、とても気さくだ。昨日のウィリアムの件もあり、爵位しゃくいが高いほど、プライドも高いと決めつけていた。「高位貴族は差別をする」と、そうやって差別をしていた自分に気づき、ロイは苦笑する。


 ルークとのんびり空をながめる。

 おだやかな春の風にのって、シュワルツの声がとどく。


「――もうすこし筋肉をつけろ!」






 午後の授業が終わり、ロイはすぐさま停留所にむかう。

 しばらく待つと、二頭立ての乗合馬車がやってきた。

 今日の馬は青鹿毛あおかげ黒鹿毛くろかげ。お仕事中の馬は、ながめるにとどめる。

 馭者ぎょしゃに100Ðコインを渡し、箱型の客車に乗りこむ。

 左右に三人ずつ座れる長さで、シートは布張り。衝撃を吸収する構造で、のりごこちは悪くない。 


「――その馬車、待って!」


 ひとりの男子生徒が、走ってきた。

 さいわい、まだ馬車は出発していない。

 息を切らして客車に乗ると、黒い手袋をはめた手で、若草色の髪をなでつける。

 馭者ぎょしゃはふりむき、声をかけた。


「先払いだよ」

「ああ、すみません」


 内ポケットから黒革の長財布をとりだし、一万Ð札いちまんドールさつを馭者に差しだす。


「いやいや、こまるよ」

「え? 足りませんか」


 さらにもう一万Ð札を出したところで、馭者があわてて首を振る。


「片道100Ðだ」

「小銭は持っていません」

「こちらもそんなにつり銭が無い。千Ð札は?」

「ないです。もういいので、一万Ð札これまるごと受け取ってください」

「――俺が払うから!」


 おもわず割ってはいったロイに、馭者はあからさまにホッとした。


 


「ありがとう、ロイくん……だったよね」


 ロイの正面にすわった生徒は、うかがうようにロイを見る。

 ロイはうなずき、次いで彼が武器庫の扉に興奮していたことを思い出す。

 あの時にケネスが呼んでいた名前は、たしか――。


「シャルル、だっけ」

「そうだよ。君とおなじ特待生とくたいせいだ」


 シャルルは左胸を張る。その得意げな顔に、ロイは笑みをこぼす。シャルルも一緒に、ちいさく笑った。

 その笑顔に、神経質な感じは無い。ロイは自分の偏見を反省する。

 交流もせずに、ひととなりを決めてかかるのは、相手に失礼だ。


「ロイくんは、王立図書館に行ったことある?」

「ああ。おとついから通っている」

「一緒に行ってもいい!?」


 予想外に食いつかれ、ロイはまたたく。

 シャルルはハッとし、あわてて姿勢を正す。


「ごめんね。僕、王都がはじめてで。ちゃんとたどりつける自信はない」


 きっぱりと宣言するので、ロイは苦笑する。


「わかった。一緒に行こう」

「やった! 学院の図書館もいいんだけど、専門書が少ないよね」

「そうなのか」

「え、まさかいきなり王立図書館に行ったの!? さすが、特待生は一味ちがう」

「シャルルもだろ」

「そう。だから僕も王立図書館組」


 シャルルととりとめないことを話す。

 いつもより、馬車に乗っている時間が短く感じた。

 





 マルシェにはいると、丸メガネをかけた青果商の店主が手をあげる。


「ロイ! 今日は百本、買っててや」

「バッグに入らない!」

「じゃあうちのリュックはいかが? 三百本は入るわよ」

「必要になったらね」

「そっちの坊ちゃんもニンジン仲間か?」

「クラスメイト!」

 

 てきとうな声がけを、てきとうにいなす。

 となりのシャルルは、目をまるくしてロイをみる。


「常連なの?」

「この制服がめずらしくて、からかってくるだけだ」


 ロイは苦笑する。

 ほんとうに商売人は、人の顔を覚えるのがうまい。

 たった二日、ニンジンを爆買いしただけだというのに。




 王立図書館に着き、ロイはカウンターに向かう。

 タルトはにこやかに会釈する。


「こんにちは、ロイくん。おともだちですか」

「こんにちは、タルトさん。彼に図書館の説明をおねがいします」


 シャルルは優雅に会釈する。

 タルトは、おとついロイにしたように、シャルルのカードを作成した。


「貸出には、月額3万Ðの会員になっていただく必要がございます。お手続きしますか?」

「はい」


 迷うそぶりもないことに、ロイはさすが貴族、と感心する。


「手続きは以上となります。――そうだ、ロイくん」

「はい」

「私は明日――デビルの曜日はお休みなので、なにかあれば、別の司書に気軽にご相談くださいね」




『ロイくんはすごい』 


 長テーブルの閲覧席で、シャルルはノートに書いてよこす。

 ロイが首をかしげると、シャルルは書き足す。


『知り合いがたくさん』

『シャルルも三日目にはこうなる』

『そう? 字もきれい』

『そっちも』


 筆談をしながら、目をかわしあって笑う。

 シャルルはノートに書きこむ。


『今日は何時までいるの?』

『5時50分。6時が最終馬車だから』

『僕もそうする。課題研究、すすんだ?』


 ロイは考えながら首をかたむける。

 シャルルはうなずき、テーブルに積んだ専門書の厚さを、指ではかって見せてくる。

 ロイは吹きだし、あわてて咳払いでごまかす。


 シャルルはまたノートに向かう。


『一年生は、ふたりだけ』


 シャルルは、左胸の特待生バッジをしめす。

 へえ、とロイは声を出さずに言う。

 シャルルは、両手でにぎりこぶしをつくり、気合きあいを入れるジェスチャーをする。

 がんばろう、ということだ。

 ロイは笑んでうなずき、シャルルと時間ギリギリまで課題に励んだ。

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