「リビ様、ありがとうございました」


 ロイはニンジンを献上けんじょうする。

 ツンとした高飛車たかびしゃな顔が、よろしくてよ、と言わんばかりにニンジンをほおばるのは、なんともいえない可愛さがある。


 デレデレするロイに、バルザックはあきれたように肩をすくめた。


「おそれいったよ、ロイ。まさかリビを乗りこなすとは」

「ちがう。乗せていただいたんだ」

「さいですか。ま、おまえの技量なら、いつでも大歓迎だ。馬の運動にもなる。放課後も来るか?」


 ロイは無念そうに首を振る。


課題研究発表かだいけんきゅうはっぴょうまでは、王立図書館に行く予定。おわったら、ぜったいに通う」


 くちをとがらせるロイに、バルザックは笑む。


「王都に、貸馬屋かしうまやがあるだろ」

「しらない。どこ?」

「馬車の停留所ていりゅうじょから、左の通りぞいだ。本業は宿屋だが、あそこにもいい馬がそろっている」

「よくしってるね」

「数年前、最終馬車に乗り遅れたとかで、そこの馬で駆けてきたぼっちゃんがいてな。あまりにみごとな青毛の牡馬ぼばで、神馬スレイプニルかと思ったぐらいだ」

「へえ、いいな。それは見たい」

「どこかの公爵家こうしゃくけだったぼっちゃんも、その馬に惚れこんで、結局買い取ったらしい」


 なんてロマンチックな話だ。

 運命の出会いを果たし、そいとげる金まであるなんて。 

 

「……貴族ってすごい」

「ロイも貴族だろ」


 こんどはロイが肩をすくめる番だ。バルザックはたように笑う。


「なんにせよ、最終馬車には乗り遅れるな。貸馬は高いぞ」

「俺ってそんなに乗り遅れそうに見える?」


 純粋な疑問をなげると、バルザックは首をかたむけた。


要領ようりょうがいい分、あきらめも良さそうだ。おまえ、末っ子だろ」

「……当たり」


 予鈴よれいの鐘に、ロイは顔をあげる。

 午後の授業の、開始五分前だ。

 バルザックに手をふり、厩舎を出る直前、ロイは思いついてふりかえる。


「そうだ。貸馬屋の店名、おしえてよ」

「ああ、たしか――『Lemaireルメール』」






「来ちゃった」


 王都の雑踏の中、ロイは想像よりもメルヘンチックな建物をみあげる。

 黄色いかべに、茶色の筋交すじかい。葡萄色ぶどういろの屋根には、ネコの耳のような出窓がふたつ。

 ひさしの横で、金属の看板が風にゆれる――Lemaireルメール


 とびらが開け放たれていたので、ロイはまよわず入店する。

 一階は食事処のようだ。夕飯には早い時間、客のすがたはない。

 螺旋階段らせんかいだんをのぼった先の、二階にならぶドアは、客室だろう。

 六台のテーブルのあいだを通り、赤レンガの暖炉だんろを横目に、無人のカウンターをのぞく。飴色あめいろの一枚板は、なめらかな手触りだ。


「こんにちはー!」


 はーい、と奥から声がきこえ、エプロンで手をふきながらひとりの女性が出てきた。


「あら、めずらしい。魔術学院の子ね」


 女性は、人当たりのいい笑顔を浮かべる。ロイの母親より、すこし若い。

 ロイは、この制服姿だと好意的に見られるな、と思いながら口をひらく。

 

「貸馬の話を聞いたんですけど、馬を見せてもらうことはできますか」

「乗合馬車にしなさい。そちらのほうが安いし安全よ」


 ピシャリと断られる。

 まるで母のような口調だ。

 ロイがたわむれで馬を借りにきたと思っているのだろう。

 否定しようと口をひらきかけ、よく考えるとひやかし以外のなにものでもないことに気づく。


 客でもないのに図々しい。

 それを理解したうえで、ロイは女性をまっすぐみつめた。


「俺は馬が好きです。学院の厩務員に、ここにいい馬がいると聞き、いてもたってもいられず、来てしまいました。迷惑なのは重々承知ですが――めちゃくちゃ見たいので見せてください、おねがいします!!」


 がばりと頭をさげる。 

 けっきょくこどもみたいに駄々だだをこねた、と恥じていたら、女性がいきなり笑いだした。


「変わった子ね! 私はローズマリー。この店の共同経営者よ。あなたは?」

「ロイ・ファーニエ。国立魔術学院の一年生です。故郷では、馬も羊も飼っていました」

「どうりで。――いらっしゃい。うちのこを紹介するわ」




 ローズマリーに連れられ、やってきたのは店の裏。

 オレンジ色のほそながい厩舎きゅうしゃは、おとぎ話にでてくる小人こびとたちの家のようだ。

 緑のドアわくが五つならび、上半分だけ開いたとびらから、馬の顔がのぞいている。 


「今いるのは三頭。明日、いちばんおおきな馬が帰ってくるわ」

月毛つきげがいる」


 ロイはクリーム色の馬にちかよる。

 たてがみは白、ひたいの白斑はくはんは、三日月のかたちをしている。

 まるい茶色の瞳はキラキラと、興味津々でロイに鼻をちかづける。


「このこはシブレット。三歳の牡馬ぼばよ」

「すごい。めちゃくちゃかっこいい。俺はロイ。よろしくね、シブレット」


 ロイの言葉に、シブレットはうなずく――と見せかけて、ロイのショルダーバッグをもうとする。


「わすれてた。ニンジンあげてもいいですか?」

「どうぞ。準備がいいわね」


 まちきれずに唇をパクパク動かすシブレットに、わらいながらニンジンを献上する。すぐにバリボリと小気味よい咀嚼音そしゃくおんが聞こえ、ねだられるままにあげていく。


「シブレットは、いくらで借りられるの?」

「一日5万Ð」

「……なるほど」


 空にひびく鐘の音に、ロイはハッと懐中時計をとりだす。四時だ。


「そろそろ図書館に行かないと。ローズマリーさん、ありがとう!」

「勉強熱心なのはいいけど、ちゃんと時間を見て、最終馬車に乗り遅れないようにね」


 ローズマリーは息子を心配する母のように、ロイをみつめて言い聞かせる。

 そのあたたかい気持ちに、ロイは目をすがめてうなずく。

 図書館に向かって駆けだし、そうだ、とロイはふりかえる。


「またシブレットにニンジンあげに来てもいい? マルシェで買うから、新鮮だよ」


 ローズマリーが答える前に、シブレットがブヒヒヒンと高らかに了承した。






 王立図書館につくと、ロイはまっすぐカウンターにむかう。


「こんにちは、タルトさん。感情について、解説した本はありますか」

「こんにちは、ロイくん。それだと心理学しんりがく脳科学のうかがくになりますが、具体的には、どういうことが知りたいですか?」

「馬へのニンジン課金かきんがやめられないんです」

「ニンジン課金」

「お金がないのに、馬をおもうと理性が崩壊して、ニンジンの爆買ばくがいを」


 ロイはショルダーバッグから、ニンジンの束をとりだす。

 これもそれも、Lemaireルメールと図書館のあいだにマルシェがあるのがいけない。ショルダーバッグが、みためより大容量で頑丈がんじょうだからいけない。そしてなにより、馬が可愛すぎるのがいけない。


「俺、ひつじを愛しているのに、馬に浮気しているんです!」

「おちつこうか、ロイくん」

「だから感情による衝動的しょうどうてきな行動のしくみを解明すれば、国の犯罪抑止対策はんざいよくしたいさくの推進に貢献こうけんできるかと思って」

「意外と理性的ですね」

「どうせなら、課題研究発表のテーマにしようかと」


 ニンジン課金を元手に、S評価がとれるなら、先行投資せんこうとうしといっても過言ではない。いや、それは正当化しすぎか。なぜ罪悪感ざいあくかんを感じると、それを正当化したくなるのだろう。そもそも、罪悪感の正体とは――。


 考え込むロイに、タルトはほほえむ。


「いろいろな感情が、複雑にからみあうことは、よくあることです。哲学てつがくにも通ずるところはございますが、まずは行動心理学を当たってみてはいかがでしょうか。“ⅩⅩⅣ”の表示盤が、君のみちしるべになれば幸いです」

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