「ねえ、君。よかったら、一緒にカフェテリアに行かない?」


 午前の授業が終わり、教科書を片付けていたロイは、肩をつつかれる。

 ふりかえると、空色の髪の男子生徒が、笑顔を浮かべていた。


「ぼくはウィリアム・ウィルソン。ウィルソン伯爵家はくしゃくけの次男だ。君は?」

「ロイ・ファーニエ」

「ファーニエ? どこにあるの?」

「王都から西の方角にある高原地帯だ」


 ふうん、とウィリアムはそっけなくあいづちをうつ。

 毛先をいじりながら、つくえによりかかる。


「それにしても、ケネス教官の授業は、配慮が足りないよね。早すぎるうえに、わかりにくい。国内最高峰の学院っていうから楽しみにしていたのに、職員のレベルもこんなものかってかんじ」

「そうか? けっこうおもしろいぞ」

「……君って変わってるね。やっぱり特待生とくたいせいだから?」


 ほかの特待生を知らないので、ロイはなにも答えない。

 ウィリアムは、焦れたように口をひらく。

 

「ウィルソン伯爵家が雇っている家庭教師は、とても優秀でね。本当に頭のいい人間は、相手に伝わるように心を砕く重要性を理解している。ロイもそう思わない?」

「はあ」

「ところでファーニエ家は伯爵? それとも子爵ししゃく?」

男爵家だんしゃくけだ」

「えっ、男爵家なのにSクラスなの!?」


 ウィリアムの大声は、教室にのこっていた生徒たちの視線を集めた。

 ウィリアムはわざとらしく手を口にあて、目をほそめて体を引く。


「どうりで話が合わないと思った! ごめんね、男爵家の人間に、伯爵家のぼくが話しかけちゃって。ぼくは全然、身分とか気にしないから、目下めしたの者から話しかけられても怒ったりはしないよ」


 教室がざわめく。


「なあに?」

「あの特待生、男爵家ですって」

「だからみすぼらし……つましいよそおいなのか」

「失礼だよ。清貧せいひんの思想をお持ちかもしれないじゃないか」


 嘲笑ちょうしょうをふくむ会話は、すべて想定内だ。

 ロイはショルダーバッグをもち、ウィリアムをふりかえる。

 なぜか彼は大仰おおぎょうに身構えた。


「わるいが、行くところがある」

「あ……ああ」


 ウィリアムの拍子抜ひょうしぬけした返事を背に、ロイはさっさと教室を後にした。






「あなたはとてもきれいだ」

 

 ロイはうっとりと話しかける。

 ずっと会いたくてたまらなかった。

 ロイの気持ちなどしらない彼女は、ふしぎそうに小首をかしげる。

 前髪が風になびく。そのうつくしい頬に、そっと指をのばす。


「ふれてもいい? ……くすぐったい? ほんとうにかわいいね」

  

 張りのある肌はなめらかで、ロイはおもわず喉をならす。

 すこしずつ距離を縮め、その愛らしい顔に、そっと頬を寄せる。

 彼女はまるい瞳でロイをみつめ――ブルルッとおおきく鼻を鳴らした。


「――そいつ、みグセあるから気をつけろよ!」


 一輪車を押しながら、厩務員きゅうむいんがダミ声を飛ばす。


「だいじょうぶ! もう噛まれてる!」


 左腕をまれながら、ロイは笑顔でかえす。

 ショルダーバッグからニンジンをとりだすと、牝馬ひんばの口はそちらに動く。

 ひたいから鼻までいてやると、つぎのニンジンを催促された。

 おさわりは別料金らしい。


「あぁー、たのしい!」


 昨日マルシェで買ったニンジンは、五十本で800Ð。それを馬にやりながら、ロイも一本、生のままかじる。


 ニンジンは甘みがあり新鮮だ。

 ポリポリと咀嚼そしゃくしながら、あかるい厩舎きゅうしゃをみわたす。


 中央の通路は、とてもひろい。馬をつれた厩務員どうしが、もんだいなくすれ違っている。

 たかい天井には、円形の魔術灯まじゅつとう

 ずらりとならぶ高窓からは、きもちのいい風と光がはいってくる。


 馬房ばぼうはゆったりとしたつくりで、敷料しきりょうのウッドチップからは、木のかおりがした。

 ロイはとなりの馬房に顔をだし、掃除する厩務員に声をかける。


「なぜワラじゃないの?」

「ワラは高い。それに手間だ」 


 厩務員は、よごれたウッドチップをシャベルですくい、通路の一輪車にのせる。

 馬の尿がかかったウッドチップは、茶色いので一目ひとめでわかる。

 

「たしかにワラは、汚れがわかりづらいよね。雨がつづくと日干ひぼしもできないし」


 厩務員は、意外そうに片眉をあげた。


「ぼっちゃんが馬小屋の掃除か?」

「馬がいたら、世話したいだろ」


 厩務員はにやりとわらう。


「ここには馬連れで入学したご令息もいらっしゃるが、世話はすべて俺らまかせだ。な、シーナ」


 そういって、ロイがかまっていた馬をなでる。

 彼のたくましい左上腕に、馬蹄ばていのタトゥーが見えた。


「シーナというのか。きれいなあなたに、ぴったりの名前だ」


 厩務員が吹きだす。


「牝馬を口説くな」

「だって見てよ、このうつくしい毛並み」

「おまえがいばるな。――俺はバルザック。ここの厩務員になって十二年だ」

「ロイ・ファーニエ。ここに入学して二日。よろしくね、シーナ」


 よびかけると、シーナの耳がロイの方にむく。

 こちらに注意を向けているあかしだ。

 愛らしさにデレデレするロイに、バルザックは問う


「それで? ロイはニンジンやりにきただけか?」


 ロイはちらりとバルザックを見上げる。

 ロイの瞳に期待の色をみつけて、バルザックは肩をすくめた。






「ほう。うまいな、あの生徒」


 二階の教職員室から、シュワルツは馬場をながめる。

 食後のコーヒーをすすりながら、行儀悪く出窓でまどに腰かける。

 重い筋肉に、窓台まどだいがギシリと悲鳴をあげた。


 おだやかな昼休み、馬場で男子生徒が乗馬をしている。

 別段、めずらしいことはない。

 シュワルツがおや、とおもったのは、彼が乗騎している馬だ。

 栗毛で、左後肢ひだりこうしだけが白い。


 そのうちに、生徒は馬の歩法を変えていく。 

 速足はやあしから駆足かけあし、そしてみごとな襲歩しゅうほで馬場内を駆けぬけ、また速足までもどす。

 ぶれない上半身と、主導権をにぎる手綱たづなさばきは、みていて気持ちがいい。

   

「どうしたんですか~?」

 

 まのびした声で、精霊学教師のスーザンが、窓をのぞきこむ。


「あら~、あの馬、リビですよ。よく乗りこなしていますねぇ」


 気難しく強情な性格で、気に入らない生徒はぜったいに乗せないことで有名だ。

 しかし男子生徒は、リビの歩幅までコントロールしはじめる。

 ちょこちょことした駆足は、リビがおどっているよう、生徒の紅茶色の髪もふわふわ揺れる。


「うわ~、たのしそうですねぇ。あ、ケネス教官。おもしろいものが見られますよ」


 スーザンは、とおりかかったケネスを手招てまねく。

 ケネスはいぶかしげに窓にちかづき、眉間にシワをきざんでつぶやく。


「……野猿のざるが」

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