「では個人カードの保証金ほしょうきんとして、10万Ðドールおねがいします」


 図書館のカウンターで、ロイはぽかんとエクレアをみる。

 エクレアは小首をかしげ、ああ、と思いたったように手をポンとうつ。


「ご卒業などでカードがご不要になりましたら、カードとひきかえに返金しますよ」

「あの、特待生の免除制度めんじょせいどは……」

「ないですね。こちらは教材ではありませんので」


 ダメ元で聞いてみたが、ダメだった。

 エクレアが、ロイの左胸のバッジに気づかないはずはなく、気づいていてわざと制度を知らせないような女性ではない。そう思わせる聡明さと誠実さが、彼女にはあった。


 ロイの手持ちは10万Ð。

 入学二日目で無一文になるのは、さすがにこわい。

 教材費は免除されるが、ノートもインクもただではない。

 それに、食事はどうする。家からもってきた食材だけでは、あと何日ももたない。 


 カウンターにつっぷす勢いのロイに、エクレアはちいさく声をかける。


「もしかして、金欠きんけつですか」

「……はい」

「でしたら、王立図書館おうりつとしょかんはごぞんじですか?」







 乗合馬車のりあいばしゃをおりたロイは、王都の活気に圧倒あっとうされた。

 おおくのひとが行き交う街道には、ガラス張りのうつくしいショーウィンドウがならぶ。

 どこも敷居しきいが高そうで、ロイは横目でとおりすぎる。


 ガラスに描かれたネコの絵に、ロイは足をとめる。

 それは巨大なショーウィンドウ。

 焼き菓子、ショコラ、キャンディが、きらびやかに飾られている。

 はなやかな小箱は三角形に積まれ、円柱形の箱にはクッキーがつまっている。

 ミント色の壁に、黒い看板――「パティスリー・バンフィールド」。

 

 目をうばわれたのは、水色の箱。

 ワッフル生地に、クリームをはさんだものが、個包装になっている。

 手のひらサイズのワッフルは、いろとりどりで華やかだ。

 店のウリらしく、金の台座にかざられて、『ワッフルケーキ』と銘打めいうってある。


「八個入りで、8,000Ð!?」


 単価の高さにおどろく。

 それでも店にはひっきりなしに客が訪れ、笑顔で水色の箱を購入していく。


 ガラス越しに、店員と目があった。

 二十代ぐらいの青年は、ちょんと結んだ紫色の髪をゆらし、ロイににこりと笑いかける。

 ロイはあわてて会釈えしゃくをし、その場をはなれた。




 噴水のある広場で、ロイはショルダーバッグをあける。

 バッグはコーヒー色の厚手牛革あつでぎゅうがわ、入学祝に兄がくれたものだ。

 よくなめされた、やわらかな内張りのポケットから、エクレアに書いてもらった地図を出す。

 王立図書館は、噴水広場から、徒歩五分。

 大通り沿いにあるので、はじめてでも迷わず行けそうだ。 


「王都がちかくて、助かったな」


 学院前の停留所から、馬車で片道三十分。乗車料金はたったの100Ð。


 王立図書館は、王都に在住・在勤・在学していれば、無料で入館できるらしい。

 貸出には保証金ほしょうきんがいるが、資料を閲覧えつらんできれば問題ない。

 必要な箇所を書き写し、帰寮きりょうしてからまとめればいいのだから。


「学院行きの最終馬車さいしゅうばしゃは、午後六時だったな」


 りょうの門限は午後八時なので、ぜったいに乗り遅れないように、とエクレアに念押しされた。彼女は、弟を心配する姉のようだった。それがなんだかくすぐったくて、ロイの頬はゆるむ。 


 しばらくあるくと、色とりどりのテントがならぶ場所にでた。

 青空市マルシェだ。

 木箱に盛られた真っ赤なトマト、はっぱつきのニンジン、つやめくレモンに、新鮮なサヤインゲン。あざやかなビタミンカラーは、目にたのしい。

 そのとなりは果物屋、魚屋、肉屋にパン屋、いろとりどりのパスタ屋まである。

 

 トリの丸焼きの店で、ロイの足がとまった。

 店頭でジュージューと焼かれるトリは、暴力的なにおいで食欲をあおる。


「ぼっちゃんには珍しいか!」


 店主の男性が豪快ごうかいにわらう。

 スキンヘッドのいかつい顔に、筋骨隆々の体つき。

 左の上腕に入ったタトゥーは、どうみてもトリの足跡あしあとだ。

 焼きたての丸鶏にタレをかけると、ジュッとうまそうな音がした。

 手慣れたようすでトリを切りわけ、骨付きのモモ肉をロイにむける。


「食ってみな! うちは農場育ちのトリだけだ」

「でも」


 お金が、とつづけるまえに、店主があごをしゃくる。


「食わず嫌いは無しだ。うまいと思ったら、つぎは買ってくれ」


 ロイが国立魔術学院の制服を着ているので、上品な貴族だと勘違いしているようだ。

 ごくりと喉をならして受けとる。

 店主の勘違いを利用するのは心苦しいが、節約のために昼をぬいたロイには、どうしてもあらがえなかった。


 焼きたての骨付き肉をかじる。

 プツリとはじける皮に、焦げめの香ばしさが鼻にぬける。やけどしないようにほおばれば、甘辛のタレが空腹の胃にガツンときた。

 たまらずかぶりつく。噛むほどに肉の旨味がひろがる。プリプリの肉がうまい。それ以上にこのタレがたまらない。


 骨のキワまで食べつくし、指についたタレを舐める。

 ロイの食べっぷりに、店主は太陽のように笑った。

 つられてロイも笑う。トリのおかげで、小腹も満たされた。


「ありがとう! とっても美味おいしかった」

「だろ? 最終馬車に乗り遅れるなよ!」


 そのいいかたは、息子を心配する父親のようだ。

 ロイは笑って手をふり、王立図書館にむかって歩いた。






 荘厳そうごんな白い建物は、青空のなかにくっきりとそびえたつ。

 均整のとれたうつくしい外観を見上げ、ロイはおおきく息をはく。


「すごい……」


 入館すると、大理石のひろいホールに、円形の受付カウンターがある。

 そちらにむかうと、ロイに気づいた男性職員が、にこやかに立ちあがる。

 眼鏡をかけたやさしそうな男性で、左胸の名札なふだに「タルト」と書いてある。


「こんにちは。国立魔術学院の生徒さんですね」

「はい。利用手続きをおねがいします」

「学生証はお持ちですか」


 ロイは制服のポケットから、学生証を出してわたす。

 タルトは表裏をたしかめると、ロイに学生証をかえし、一枚のカードをカウンターにおいた。

 ゴールドのカードは、学院の図書館のものと色違いだ。


「こちらに魔力をおねがいします。かるくでけっこうですよ、かるくで。学院の個人カード作成より、かる~いかんじで」


 学院でカードをつくれなかったロイは、念のために確認する。

 

「カードにてのひらをつけて、魔力を流せばいいんですよね?」


 タルトはうなずく。


「ええ。くれぐれも、カードが爆破ばくはしないぐらいのかるさで」

「えっ、これ爆破するんですか?」

「しないようには、できています。しかし、うっかり大量の魔力をながされた場合には、そのかぎりではありません」

「じゃあだいじょうぶです。俺、魔力低いから」

「特待生様の『魔力低い』は、当館では信用できないことになっております」

「ええ……では、とってもかるく流しますね」


 過去に何かあったんだろうな、と思いながら、ロイはカードに魔力を流す。

 チカチカ、とカードが二回点滅した。


「はい、すばらしい魔力調整まりょくちょうせいでした。カードの登録手続きは以上です。館内では、カードの携帯をおねがいします」

「カードがないと、入館できない?」

「ええ。物理的に」


 学院の図書館と同じ原理だ。

 せっかくなので、貸出方法をたずねると、タルトはこころよく受ける。


「貸出には、月額3万Ðの会員になっていただく必要がございます。お手続きしますか?」

「けっこうです」


 秒でことわる。タルトは気を悪くした様子もなく、にこやかにうなずいた。


「またなにかございましたら、何なりとお申し付けください」

「あの、さっそくですが、課題研究の進めかたの本はありますか」

「“調べ学習”の区分なので、“Ⅺ”の棚にございます」


 右手で木のとびらをしめす。この奥が図書館だ。


「ありがとう」 

「ええ。最終馬車に乗り遅れないよう、時間には気をつけてくださいね」


 タルトは、弟を心配する兄のようだった。

 ロイは笑って、しっかりとうなずいた。




 とびらをくぐったロイは目をみひらく。

 ゆるやかな階段と、ひろいフロア。

 みわたすかぎりに書架しょかがならび、シャンデリアの魔術灯が館内をあかるく照らす。

 アーチ型の天井には、楽園を描いた宗教画。


 ためいきがもれるほどうつくしい。


 書架の上部には、棚番号が示された金色の表示盤ひょうじばんがかがやく。

 ロイはⅪをめざしてあるく。階段の手すりまで芸術品のようだ。


 Ⅺの書架は、かべぎわだった。

 棚と棚のあいだが通路になっており、人気ひとけがなくシンとしている。

 ロイはならぶ背表紙を、左から右へと指差しながら、黙読していく。


――課題研究スタートブック、研究発表パーフェクトガイド 課題研究への挑戦……。


 迷うゆびは、見過ごせない文字にピタリととまる。


『教員のための研究指導 ~評価制度と算出方法の解説~ ケネス・ツヴァイク著』


「いや……いやいやいや」


 まさかとおもいながら手にとり、ひらく。

 そこには、課題研究発表の、評価項目と定義ていぎがかかれていた。

 しかも表をつかって、わかりやすく解説されている。 


「つまり、こういう基準を満たせば、S評価がもらえるってこと……?」 

 

 なんというとらまき

 しかも本人。

 たとえ同姓同名の別人だとしても、課題研究の進め方やレポートのひながたまでついて、とても参考になる。

 今日は、この本を書き写すことにした。


 館内には、さまざまな閲覧席えつらんせきがもうけられている。

 ソファやラウンジチェア、八人掛けテーブル。

 まどぎわのカウンターは、木の壁でひとりずつ仕切られており、集中できそうだ。

 ロイはカウンターに座り、タルトの忠告ちゅうこくを思い出して、懐中時計をデスクにかざる。

 時刻は3時21分。

 ノートとペンとインクをならべ、うでまくりをして取りかかった。

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