5
自然ゆたかな庭園は、野草の宝庫だった。
念のため、食べ慣れたものだけを選んで
パスタは大成功、ひらきなおっていちばん豪華な皿にもりつけ、シルバーのカラトリーを出し、大理石カウンターでひとり
そしてむかった
岩でかこまれたひろい風呂、
シャワーの位置は低く、イスがある。その数は六ケ所。ブースごとに、まるみをおびた黒い石の壁で区切られている。
シャンプーやせっけんも
ロイのほかに人はない。
大浴場の近くに、個室のシャワールームがあり、そちらに人が行くのは見かけた。
貴族は、他人と風呂に入る習慣がないのだろう。かくゆうファーニエ男爵領でもそんな習慣はないが、ロイはまったく気にしなかった。
岩風呂にざぶんとつかる。
すこし熱めの湯がきもちいい。
学院には石が多いな、と思ったロイは、とうとつにきづく。
「テレーズ公爵領は、石の産地か」
石だらけのなぞがとけた。
院長、マギー・テレーズは、現テレーズ公爵の姉だ。きっと親族価格で仕入れるのだろう。
あごまで湯につかり、息をはく。
つかれが溶けていくようだ。
「明日もがんばろう」
ロイの決意は、大浴場にあかるく響いた。
白亜の学舎に鐘が鳴る。
Sクラスの生徒は、だれもが品格ある立ち居振る舞いで、
教室の長机は固定式。四人が横並びに座れる長さで、よこ三列に、たて四列。
階段教室のため、どこにいても黒板がよくみえる。
前方のドアがあき、ケネスが入室する。
今日も高そうなスーツを一分の隙もなく着こなし、洗練された動作で
最前列のロイと目が合うと、眉間のシワが深くなった。
「Sクラス担当官の、ケネス・ツヴァイクだ。この
後半、なぜかしっかりと目を合わせてきた。
「本日は
言ってケネスは
・課題研究発表 4/25
・校内魔術大会(チーム戦) 5/8
・インターンシップ 6/12
・学期末試験 筆記 7/17
〃 実技 7/18
「学期内考査は、インターンシップをのぞくすべて。評価は四段階。優秀はS、良好はA、可はB。Cの不可ひとつでAクラスに降格だ」
ピンと空気がはりつめる。
ケネスはにやりと片頬をあげた。
「本日は4/11。
教室内がざわめく。
ロイの左に座る、小柄な男子が、足を組みかえた。
テーブルで組んだ両手には、黒い手袋をはめている。
神経質そうな雰囲気に、左は見ないことにする。
おおおざっぱなロイとは、たぶん相性が悪い。
ケネスが手で制すると、生徒たちはぴたりと口をとじた。
「研究の
こんどは、ロイの右に座る男子が、手を挙げる。
きらっきらの銀髪が目に痛い。
「
王国暦とは、この国が主として使っている暦だ。
地方では、太陽の運行に基づいた暦、
「いい質問だ、ルーク。さすがスタンレー公爵家の
三大公爵の家名に、ロイはひとり納得する。どうりで髪まで
まぶしいので、右は見ないことにする。
必然的に前しか向けないロイは、しかたなくケネスをみつめた。
「学院では、王国歴を使用する。
それから、とケネスはつづける。
「Sクラスは、他生徒の
ざわり、と空気がゆれた。
左となりの生徒は、また神経質そうに足を組みかえた。
ケネスは教壇のとなりに立ち、生徒たちをみわたす。
「ではいまから学舎を案内する。迷子などという情けない理由で降格せぬよう、しっかりと頭にたたきこめ」
ケネスに
そこから、ひろい中庭に出る。
三方は建物に囲まれ、ひらけた南側は森だ。
風に
「ここは
地面は、しっかりとした踏みごこちの
「
言ってケネスは、武器庫のとびらに手をかざす。
「――
ヴンと音がして、ケネスの背後にオリーブ色の二重円があらわれる。
ぎっしりと刻まれた
「
魔術陣が、発光してはじける。
光がおさまると、ガチャリとおおきな音がして、とびらが左右にひらいていく。
金属のとびらはぶあつい。魔術はそれを軽々とあける。
感嘆の声があがる。
ロイも例にもれず、ため息をつく。魔術を使いこなせれば、ひつじも
ほわほわとあかるい未来を夢みるロイの耳に、興奮した声が聞こえた。
「王都銀行に採用されている
さきほど、ロイの左にすわっていた生徒だ。
ロイも人のことは言えないが、十五歳にしては
その左胸に、ロイは自分とおなじバッジをみつける。どうやら彼も特待生らしい。
ケネスは目を細めてうなずく。
「よく知っているな、シャルル。この
ロイはその名に、今年はその令嬢が入学した、とマギーが言っていたのを思い出す。
ふと顔をあげたロイは、生徒たちが自分の背後を見ていることに気づく。
不思議に思いふりむくと、そこにはひとりの少女がいた。
ゆるやかな金糸の髪が風にゆれる。
丸みのあるおでこは、すきとおるような白い肌。
宝石のような
可憐だ。
ブレイデン公爵家のご令嬢にちがいない。そう確信させるだけのまばゆさがあった。
ケネスは彼女に、軽く礼をとる。
「アンジェリカ・ブレイデン。貴女の援助に、深く感謝を」
「ありがとうございます。私の力ではありませんので、父に申し伝えます」
アンジェリカはうつくしい礼を返す。
期待を裏切らない澄みきった声は、耳に心地良い。
あちこちから、ためいきがもれた。
ふぬけた生徒の注意をひくように、ケネスが咳払いをする。
「あちらの建物の裏には、
いよいよ厩舎の見学だと、ロイは目をかがやかせる。
一流の学院は、きっと馬も一流だ。
はやく会いたい。厩舎の設備が見たい。厩務員の話も聞きたい
期待で胸をふくらませるロイは、耳をうたがう言葉を聞いた。
「――では、つぎは東校舎にむかう」
え、とロイは声をあげる。
行かないんですか、と聞くまえに、ケネスにじろりとにらまれ、口を閉じた。
とびらのむこうは、本の森だった。
壁一面、いや全面が本棚になっている。
室内があかるいのは、天井に設置された
つるされた鳥かごのようなケージに、こぶし大の球体があり、あかるい光を放っている。
しろい天井には、みごとなレリーフ。金でかたどった花は
「ここには一般図書をはじめ、海外資料、古文書、文芸書、あらゆる分野の図書がそろう。利用には個人カードが必要だ」
ケネスの言葉に、入口のカウンターから、黒い制服を着た女性がでてきた。
メガネをかけ、ながい髪をひとつに束ねている。
「おつかれさまです、ケネス教官。あとの説明は私が」
鷹揚にうなずくケネスにほほえみ、女性は生徒たちへと向きなおる。
「新入生の皆さん。私は
そういってエクレアは、首からさげたカードホルダーから、一枚のカードをとりだす。
硬質なカードは、てのひらサイズ。シルバーの本体に、古代文字が刻まれている。
「図書館の利用には、こちらの個人カードが必要です。個人の魔力を登録するので、本人以外は使えません。発行手続きは、図書カウンターでどうぞ」
ちなみに、とエクレアはカードをカウンターにおく。
館内に数歩すすみ、みえない壁をコンコンとたたいた。
「このように、カードがないと、受付より奥には入館できないので、ご注意ください」
エクレアは、生徒ひとりひとりの顔をみわたす。
「国立魔術学院には、一流の教員しかおりません。本もまたしかり。あなたがたの良き教師となるでしょう。かしこく利用し、ぞんぶんに成長なさってください」
さいごにケネスに礼をとり、エクレアは場を
ケネスは生徒に向きなおる。
「では最後に、
魔術競技場は、巨大なドーム型の建物だ。
すばらしく高い天井は、おどろくことにガラス張りだ。
二階には
ケネスは生徒たちを手で制し、中央にひとり歩いていく。
右腕を上げたかと思うと、火花を散らす光の矢が出現した。
すぐに発射され、火花が軌道を残す。ガラスをつらぬく直前、矢が消えた。
「このように内壁には、魔術を
そうして、とケネスはアンジェリカを見やる。
「この建物も、ブレイデン公爵家からの
建物って寄贈するものなのか。
筆頭公爵家の金銭感覚におののいていると、さすがに周囲もざわざわしている。
娘の入学寄付金にしてはやりすぎだ。ちょっとやばい親かもしれないから、彼女にはできるだけ近寄らないようにしよう。
心の中でドン引きしていると、メガネをかけた女子生徒が手を挙げた。
「以前の建物は、ブレイデン公爵家のご令息、ギルバート様が消滅させたというのは本当ですか」
独特の早口だ。
マスタード色のショートヘアは鳥の巣のよう、くせ毛仲間として親近感がわく。
ケネスは片眉をあげた。
「メアリ・サンド。君は
「ええ。ですが一流の
「では、こちらをみたまえ」
ケネスは南のとびらをあける。
「こ、これは!」
先頭に立って、外にでたメアリは息をのむ。
南の地平線にむかって、黒い
木はおろか、雑草も生えぬ漆黒の直線は、いっそ芸術的だ。
ふるえるメアリに、ケネスは告げる。
「一流の庭師も
「なんと生々しい
がくり、とメアリはひざをつく。
そのうしろから、メガネをかけた男子生徒があらわれた。
「ケネス教官、おしえてください。稀代の魔人、ギルバート・ブレイデンの魔術構築速度と
「そ、そもそも!
となりの男子生徒が、それに食ってかかる。
「法術? 君はまだそんなおとぎ話を信じているのかい? 昨年度の王立魔術研究所が発表した構築概念の論文を見ていないというならば僕がもってきた写本を貸してあげないこともないがね!」
うしろの女子生徒が割りこむ。
「それよりも古代語形態論から読み解くべきです。古代文字がなければ、魔術も存在しないのですから」
「基礎研究でさえ満足に行われていない分野を、そのような断言で語るのはいかがなものか」
「そ、それならば、法術の可能性も否定できないじゃないか――ケネス教官はいかがお考えでしょうか」
「ぜひとも当時の状況をふまえ、お答えいただきたい」
「教官、あなたは伝説を見たのでしょう!」
生徒たちにとりかこまれ、ケネスはあごをあげる。
「ふん……すこしは勉強してきた生徒がいるようだな。しかたない。鐘が鳴るまで、特別講義だ」
わあっと生徒たちに歓声があがる。
ガラス張りの天井から、かれらを祝福するように、光が差しこんだ。
なんだこれ。
ロイはおもわず、めのまえの光景につっこむ。
周囲をみわたすと、ロイ同様、遠巻きにしている生徒がぽつぽつ立っている。
そのなかに、あいまいな笑みのアンジェリカを見つけ、ロイは同情する。
つまり、アンジェリカの兄のギルバートが、建物をぶっこわしたから弁償したという話だ。
それに触発された魔術談義は、ひらたくいえば「どうやってぶっこわしたか教えてくれ」。
好きなものを熱く語りたい気持ちはわかるが、かれらは周囲が見えていない。
母から「あなたは
それにしても、とロイは嘆息する。
Sクラスは、ガチの魔術オタクばかりだ。
このなかでS評価をとりつづけるのは、容易ではない。
「……まずは、二週間後の課題研究発表だ」
ひとつずつ取り組んでいくしかない、とロイは腹を決める。
ここの図書館なら、蔵書は充分。
放課後、さっそく行ってみようと決め、ロイは鐘が鳴るのをひたすらに待った。
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