自然ゆたかな庭園は、野草の宝庫だった。

 念のため、食べ慣れたものだけを選んでんだ。

 パスタは大成功、ひらきなおっていちばん豪華な皿にもりつけ、シルバーのカラトリーを出し、大理石カウンターでひとり晩餐会ばんさんかいを催した。


 そしてむかった大浴場だいよくじょう

 友好国ゆうこうこくのヤマト諸島から、職人を呼んで作りあげた空間は、異国情緒いこくじょうちょにあふれていた。

 岩でかこまれたひろい風呂、あおい山の壁画へきが

 シャワーの位置は低く、イスがある。その数は六ケ所。ブースごとに、まるみをおびた黒い石の壁で区切られている。


 脱衣所だついじょにあった注意事項のとおりに、ロイは先にシャワーを浴びる。

 シャンプーやせっけんも完備かんびされており、そのどれもが高品質だ。


 ロイのほかに人はない。

 大浴場の近くに、個室のシャワールームがあり、そちらに人が行くのは見かけた。

 貴族は、他人と風呂に入る習慣がないのだろう。かくゆうファーニエ男爵領でもそんな習慣はないが、ロイはまったく気にしなかった。


 岩風呂にざぶんとつかる。

 すこし熱めの湯がきもちいい。

 学院には石が多いな、と思ったロイは、とうとつにきづく。


「テレーズ公爵領は、石の産地か」


 石だらけのなぞがとけた。

 院長、マギー・テレーズは、現テレーズ公爵の姉だ。きっと親族価格で仕入れるのだろう。


 あごまで湯につかり、息をはく。

 つかれが溶けていくようだ。


「明日もがんばろう」


 ロイの決意は、大浴場にあかるく響いた。






 白亜の学舎に鐘が鳴る。

 Sクラスの生徒は、だれもが品格ある立ち居振る舞いで、行儀ぎょうぎも姿勢もいい。

 教室の長机は固定式。四人が横並びに座れる長さで、よこ三列に、たて四列。

 階段教室のため、どこにいても黒板がよくみえる。


 前方のドアがあき、ケネスが入室する。

 今日も高そうなスーツを一分の隙もなく着こなし、洗練された動作で教壇きょうだんにあがる。

 最前列のロイと目が合うと、眉間のシワが深くなった。


「Sクラス担当官の、ケネス・ツヴァイクだ。このえある国立魔術学院で、存分に学び、成長してほしい。Sクラスの生徒として、くれぐれも誇りと自覚を持った行動を」


 後半、なぜかしっかりと目を合わせてきた。


「本日は学期内行事がっきないぎょうじの説明と、学舎設備の案内をする」


 言ってケネスは板書ばんしょする。


・課題研究発表 4/25

・校内魔術大会(チーム戦) 5/8

・インターンシップ 6/12

・学期末試験 筆記 7/17

   〃   実技 7/18


「学期内考査は、インターンシップをのぞくすべて。評価は四段階。優秀はS、良好はA、可はB。Cの不可ひとつでAクラスに降格だ」


 ピンと空気がはりつめる。

 ケネスはにやりと片頬をあげた。


「本日は4/11。聡明そうめいな諸君らは気づいたようだが、早ければ、14日間で脱落する生徒が出るということだ」


 教室内がざわめく。

 ロイの左に座る、小柄な男子が、足を組みかえた。

 テーブルで組んだ両手には、黒い手袋をはめている。

 神経質そうな雰囲気に、左は見ないことにする。

 おおおざっぱなロイとは、たぶん相性が悪い。


 ケネスが手で制すると、生徒たちはぴたりと口をとじた。

  

「研究の題材テーマは自由。個人でもチームでも構わん。なにか質問は」


 こんどは、ロイの右に座る男子が、手を挙げる。

 きらっきらの銀髪が目に痛い。

 

こよみ王国暦おうこくれきで、まちがいありませんか」


 王国暦とは、この国が主として使っている暦だ。

 地方では、太陽の運行に基づいた暦、太陽暦たいようれきを使うところが多い。ファーニエ男爵領もそうだ。細かい日付を気にしたことがなかったが、学院ではそうはいかないことにいまさら気づく。


「いい質問だ、ルーク。さすがスタンレー公爵家の嫡男ちゃくなん


 三大公爵の家名に、ロイはひとり納得する。どうりで髪まできらびやか。

 まぶしいので、右は見ないことにする。

 必然的に前しか向けないロイは、しかたなくケネスをみつめた。

 

「学院では、王国歴を使用する。七曜しちようとよばれるものだ。月によって日数が異なるゆえ、不慣れな者はしっかりと確認しておくように」


 それから、とケネスはつづける。


「Sクラスは、他生徒の模範もはんになるべき存在。ゆえに、学則違反がくそくいはんはきびしく罰する。遅刻三回で、欠席一回。正当な理由なき欠席、または寮の門限破りで評価一ランク降格だ」


 ざわり、と空気がゆれた。

 左となりの生徒は、また神経質そうに足を組みかえた。

 ケネスは教壇のとなりに立ち、生徒たちをみわたす。


「ではいまから学舎を案内する。迷子などという情けない理由で降格せぬよう、しっかりと頭にたたきこめ」






 ケネスに引率いんそつされ、たどりついたのは西校舎。

 そこから、ひろい中庭に出る。

 三方は建物に囲まれ、ひらけた南側は森だ。 


 風に馬糞ボロのにおいをかぐ。

 厩舎きゅうしゃが近い、とロイはわくわくした。 


「ここは訓練場くんれんじょう。武術・剣術の授業で使用する」


 地面は、しっかりとした踏みごこちのしばだ。 

 縞模様しまもように刈られており、間合いをはかるのに便利そうだ。


はしの建物は武器庫ぶきこ。生徒に解錠かいじょうの権限はない」


 言ってケネスは、武器庫のとびらに手をかざす。

 

「――構築こうちく、マスターキー。指定範囲、武器庫のとびら」


 ヴンと音がして、ケネスの背後にオリーブ色の二重円があらわれる。

 魔術陣まじゅつじんだ。

 ぎっしりと刻まれた古代文字こだいもじ、それはうつくしい芸術のよう。

 

術式展開じゅつしきてんかい


 魔術陣が、発光してはじける。

 光がおさまると、ガチャリとおおきな音がして、とびらが左右にひらいていく。

 金属のとびらはぶあつい。魔術はそれを軽々とあける。


 感嘆の声があがる。

 ロイも例にもれず、ため息をつく。魔術を使いこなせれば、ひつじも容易よういに持ちはこべそうだ。

 ほわほわとあかるい未来を夢みるロイの耳に、興奮した声が聞こえた。


「王都銀行に採用されている魔術扉まじゅつとびらですね! さすが国立魔術学院だ」


 さきほど、ロイの左にすわっていた生徒だ。

 若草色わかくさいろの髪をゆらし、きらきらと目を輝かせている。

 ロイも人のことは言えないが、十五歳にしては小柄こがらだ。幼さがのこる顔立ちは、一見すると少女のようだが、ほそいながらにしっかりとした骨格こっかくは男性的だ。

 その左胸に、ロイは自分とおなじバッジをみつける。どうやら彼も特待生らしい。


 ケネスは目を細めてうなずく。

 

「よく知っているな、シャルル。この最新鋭さいしんえいのとびらは、ブレイデン公爵家から寄贈された」


 筆頭公爵家ひっとうこうしゃくけの名に、おおー、と声があがる。

 ロイはその名に、今年はその令嬢が入学した、とマギーが言っていたのを思い出す。

 ふと顔をあげたロイは、生徒たちが自分の背後を見ていることに気づく。

 不思議に思いふりむくと、そこにはひとりの少女がいた。


 ゆるやかな金糸の髪が風にゆれる。

 丸みのあるおでこは、すきとおるような白い肌。

 宝石のような碧眼へきがんをゆっくりとまたたき、こぶりなくちびるで、ひかえめな笑みを浮かべる。


 可憐だ。

 はかなげな容姿だが、生命力にあふれたかがやきがある。

 ブレイデン公爵家のご令嬢にちがいない。そう確信させるだけのまばゆさがあった。


 ケネスは彼女に、軽く礼をとる。


「アンジェリカ・ブレイデン。貴女の援助に、深く感謝を」

「ありがとうございます。私の力ではありませんので、父に申し伝えます」


 アンジェリカはうつくしい礼を返す。

 期待を裏切らない澄みきった声は、耳に心地良い。


 あちこちから、ためいきがもれた。

 ふぬけた生徒の注意をひくように、ケネスが咳払いをする。


「あちらの建物の裏には、厩舎きゅうしゃと馬場。馬術の授業はそちらで行う」


 いよいよ厩舎の見学だと、ロイは目をかがやかせる。

 一流の学院は、きっと馬も一流だ。

 はやく会いたい。厩舎の設備が見たい。厩務員の話も聞きたい

 期待で胸をふくらませるロイは、耳をうたがう言葉を聞いた。

 

「――では、つぎは東校舎にむかう」


 え、とロイは声をあげる。

 行かないんですか、と聞くまえに、ケネスにじろりとにらまれ、口を閉じた。



 



 とびらのむこうは、本の森だった。

 壁一面、いや全面が本棚になっている。

 室内があかるいのは、天井に設置された魔術灯まじゅつとうのおかげだ。

 つるされた鳥かごのようなケージに、こぶし大の球体があり、あかるい光を放っている。

 しろい天井には、みごとなレリーフ。金でかたどった花はあかりにかがやく。


「ここには一般図書をはじめ、海外資料、古文書、文芸書、あらゆる分野の図書がそろう。利用には個人カードが必要だ」


 ケネスの言葉に、入口のカウンターから、黒い制服を着た女性がでてきた。

 メガネをかけ、ながい髪をひとつに束ねている。


「おつかれさまです、ケネス教官。あとの説明は私が」


 鷹揚にうなずくケネスにほほえみ、女性は生徒たちへと向きなおる。


「新入生の皆さん。私は司書ししょのエクレアです。皆さんの学院生活がよりよいものになるよう、図書を通じてお手伝いするのが私の仕事です」


 そういってエクレアは、首からさげたカードホルダーから、一枚のカードをとりだす。

 硬質なカードは、てのひらサイズ。シルバーの本体に、古代文字が刻まれている。


「図書館の利用には、こちらの個人カードが必要です。個人の魔力を登録するので、本人以外は使えません。発行手続きは、図書カウンターでどうぞ」


 ちなみに、とエクレアはカードをカウンターにおく。

 館内に数歩すすみ、みえない壁をコンコンとたたいた。


「このように、カードがないと、受付より奥には入館できないので、ご注意ください」


 エクレアは、生徒ひとりひとりの顔をみわたす。


「国立魔術学院には、一流の教員しかおりません。本もまたしかり。あなたがたの良き教師となるでしょう。かしこく利用し、ぞんぶんに成長なさってください」


 さいごにケネスに礼をとり、エクレアは場をした。

 ケネスは生徒に向きなおる。

 

「では最後に、魔術競技場まじゅつきょうぎじょうを案内しよう」






 魔術競技場は、巨大なドーム型の建物だ。

 開放的かいほうてきな空間に、ロイはおもわず天井をあおぐ。

 すばらしく高い天井は、おどろくことにガラス張りだ。

 二階には観覧席かんらんせきがあり、壁や柱には古代文字がびっしりと刻まれている。


 ケネスは生徒たちを手で制し、中央にひとり歩いていく。

 右腕を上げたかと思うと、火花を散らす光の矢が出現した。

 無詠唱魔術むえいしょうまじゅつだ。 

 すぐに発射され、火花が軌道を残す。ガラスをつらぬく直前、矢が消えた。


「このように内壁には、魔術を無効化むこうかする術式が組みこまれている。高位魔術こういまじゅつを練習しほうだいという恵まれた環境を、ぜひとも活用してくれたまえ」


 そうして、とケネスはアンジェリカを見やる。 


「この建物も、ブレイデン公爵家からの寄贈きぞうだ」


 建物って寄贈するものなのか。


 筆頭公爵家の金銭感覚におののいていると、さすがに周囲もざわざわしている。

 娘の入学寄付金にしてはやりすぎだ。ちょっとやばい親かもしれないから、彼女にはできるだけ近寄らないようにしよう。


 心の中でドン引きしていると、メガネをかけた女子生徒が手を挙げた。


「以前の建物は、ブレイデン公爵家のご令息、ギルバート様が消滅させたというのは本当ですか」


 独特の早口だ。滑舌かつぜつはいいが、抑揚よくようがおかしい。

 マスタード色のショートヘアは鳥の巣のよう、くせ毛仲間として親近感がわく。


 ケネスは片眉をあげた。


「メアリ・サンド。君は稀代きだい魔人まじんの強大さを、身をもって体験したはずだ」

「ええ。ですが一流の耐魔構造たいまこうぞうを誇る建物が消滅など、にわかには信じられません」

「では、こちらをみたまえ」


 ケネスは南のとびらをあける。

 庭園ていえんから、きもちのいい風がふきこんできた。

 

「こ、これは!」


 先頭に立って、外にでたメアリは息をのむ。

 南の地平線にむかって、黒い絨毯じゅうたんがまっすぐ敷かれている。

 はばは建物ほど、しかしよくみると、それは焦げた地面だとわかる。

 木はおろか、雑草も生えぬ漆黒の直線は、いっそ芸術的だ。

 

 ふるえるメアリに、ケネスは告げる。


「一流の庭師もさじをなげた」

「なんと生々しい魔術痕まじゅつこん……これが、七年も前のものだなんて」


 がくり、とメアリはひざをつく。

 そのうしろから、メガネをかけた男子生徒があらわれた。


「ケネス教官、おしえてください。稀代の魔人、ギルバート・ブレイデンの魔術構築速度と指定軸修正率していじくしゅうせいりつと発動形態を!」


 鼓舞こぶされたように、気弱そうな男子生徒が声を裏返しながら叫ぶ。


「そ、そもそも! 構築概念こうちくがいねんがちがうとのうわさがありますが、魔人はやはり召喚術を根源とした法術ほうじゅつの区分なのでしょうか!」


 となりの男子生徒が、それに食ってかかる。


「法術? 君はまだそんなおとぎ話を信じているのかい? 昨年度の王立魔術研究所が発表した構築概念の論文を見ていないというならば僕がもってきた写本を貸してあげないこともないがね!」


 うしろの女子生徒が割りこむ。


「それよりも古代語形態論から読み解くべきです。古代文字がなければ、魔術も存在しないのですから」

「基礎研究でさえ満足に行われていない分野を、そのような断言で語るのはいかがなものか」

「そ、それならば、法術の可能性も否定できないじゃないか――ケネス教官はいかがお考えでしょうか」

「ぜひとも当時の状況をふまえ、お答えいただきたい」

「教官、あなたは伝説を見たのでしょう!」


 生徒たちにとりかこまれ、ケネスはあごをあげる。


「ふん……すこしは勉強してきた生徒がいるようだな。しかたない。鐘が鳴るまで、特別講義だ」


 わあっと生徒たちに歓声があがる。

 ガラス張りの天井から、かれらを祝福するように、光が差しこんだ。




 なんだこれ。


 ロイはおもわず、めのまえの光景につっこむ。

 周囲をみわたすと、ロイ同様、遠巻きにしている生徒がぽつぽつ立っている。

 そのなかに、あいまいな笑みのアンジェリカを見つけ、ロイは同情する。

 

 つまり、アンジェリカの兄のギルバートが、建物をぶっこわしたから弁償したという話だ。

 それに触発された魔術談義は、ひらたくいえば「どうやってぶっこわしたか教えてくれ」。


 好きなものを熱く語りたい気持ちはわかるが、かれらは周囲が見えていない。

 母から「あなたはひつじ過激派かげきはだから、気をつけなさい」と重々に注意されていた意味が、ようやくわかった気がする。ひとにめいわく、ダメ、ぜったい。


 それにしても、とロイは嘆息する。

 Sクラスは、ガチの魔術オタクばかりだ。

 このなかでS評価をとりつづけるのは、容易ではない。


「……まずは、二週間後の課題研究発表だ」


 ひとつずつ取り組んでいくしかない、とロイは腹を決める。

 ここの図書館なら、蔵書は充分。

 放課後、さっそく行ってみようと決め、ロイは鐘が鳴るのをひたすらに待った。

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