4
事務局のカウンターで、ロイは宅配の送り状を書きおえる。
そこでようやく、適した入れ物がないことに気づいた。
「配送用の箱はありますか」
受付の女性は、笑顔でうなずく。
「ございますよ。サイズはどうなさいますか」
「ええと、これが入るおおきさで」
カウンターに、ハンティングギアをならべていく。
ナイフロールケース、ノコギリ、解体ハンガー、
「あっ、これは送りません」
あわてて羊毛をかたづける。
これは、つかれたときに顔をうずめる用だ。
生きたひつじに顔をうずめることを、ひつじ愛好家のあいだでは「
顔をあげると、女性の笑顔がひきつっていた。
もしかしてヤギ派か、とロイがかすかに身構えたところで、女性は我に返ったように、木箱をカウンターに置いた。
「こちらでよろしいでしょうか」
「はい。ありがとうござ――」
「
食い気味の迫力に、ロイは何度もうなずく。ヤギ派ってこわい。
木箱に解体ハンガーを入れようとして、ロープだけを利用することを思いつく。
さっそくケースからナイフを抜き、滑車のロープを切断する。ザクリと軽快な音がした。
これなら
上々の首尾に、にんまりと笑うと、ヒッと正面から声が聞こえた。
受付の女性は、青い顔で両手を口にあてていた。
ロイはハッとし、手早く梱包を終える。
「よろしくおねがいします!」
木箱を託し、キャリーケースをかかえて、逃げるように受付を後にする。
廊下を曲がり、ようやくロイはキャリーケースを床に置く。ロープでぐるぐる巻きながら、さきほどの失態を反省する。
「まさか、ひつじ派の人間を見るのもダメだなんて……」
ヤギ派との埋まらない
つぎに事務局に用事のときは、あの女性以外に頼もうと決めて、ロイは応急処置を終えたキャリーケースを引っぱって歩く。
事務局から東のろうかを行けば、
学年ごとに
ろうかは板張り、年季が入ったキャリーケースも、スムーズに動く。
しろい壁にならぶ、茶色のとびらを何枚もとおりこしていく。
とびらには金のプレート、進むごとに番号が若くなっていく。
【1003】
ロイはプレートをたしかめ、レバーハンドルをにぎる。
横長の金属が、手につめたい。
レバーと鍵穴がつく金属板には
ロイはごくりと喉をならして、そっとドアを押した。
光だ。
やわらかな陽光が、みちあふれている。
おおきな窓と、リネンのカーテン。
アイボリーの壁は、やさしくロイをむかえた。
いざなわれるように、足をふみいれる。ゆかはすこしも
ロイはキャリーケースから手を離し、ぼうぜんと部屋をみわたす。
たまらずベッドにとびこむ。
からだをしっかりと受けとめるマットレスに、ふかふかのふとん。
まくらに顔をすりつけると、おひさまのにおいがした。ひなたぼっこした、ひつじのにおい。
「個室だ!」
両手を天につきあげる。
生まれてはじめての個室。しかも家具付き。
ごろごろと転がり、飛び起きてクローゼットの扉をあける。
「ひろい!」
「でかい!」
となりのつくえに着席する。
「ゆがんでない!」
つくえのうえに、シルバーのカギが置いてある。
部屋番号が
ロイの頭に、ぽんと
カギの
「……なくさないようにしよう」
制服のジャケットにカギをいれ、
時刻は12時34分。
さきほどから廊下を行く足音が、ひっきりなしに聞こえている。
そろそろ行くか、と
キャリーケースのロープをほどいて、布状の羊毛に顔をうずめた。
入学式が始まってもいないのに、とても疲労がたまっている。
馬車での長距離移動、悪魔の襲撃、院長室へのよびだし……。
頬をつつむ羊毛は、ふかふかのふわふわだ。やさしくつけおき洗いをし、丁寧にゴミをとりのぞき、風通しのいい場所で陰干しした、珠玉の逸品。
おもいきりにおいを吸いこみ、疲れを放出するように息をはきだす。
呼吸のたびに
「――よし!」
羊吸いをキメた自分に、こわいものはなにもない。
ロイは晴れやかな顔で、入学式が行われる講堂へとむかった。
入学式は、
教職員とはかなり距離があるため、その視力に感心する。いい
入学式がおわり、ロイは廊下で伸びをする。
開放的な空気に、生徒たちの表情もやわらかい。
寮へむかうロイは、三人の男子生徒とすれちがう。
「王城から引き抜いたシェフらしいよ」
「さすが、テレーズ公爵の血筋はやることがちがう」
「食のレベルを落とす心配がなくなったよ」
ごはんの話に、ロイの足はとまる。
かれらは優雅に南廊下へむかう――カフェテリアの方向だ。
夜ご飯にはすこし早いが、育ち盛りのからだは常に腹ペコ。
見学がてら食べにいこうと、ロイはカフェテリアへむかった。
「いや、高いわ!」
ロイはおもわずメニューにつっこむ。
一番安いランチで、2,500
となりのテーブルとの間隔が広いために、誰にも聞きとがめられなかったのが幸いだ。
ロイは注文をあきらめ、カフェテリアをながめる。
まどぎわの席には、アフタヌーンティーを楽しむ女生徒たち。
ガラス張りの
黒いエプロンをつけた女性が、カウンターごしに、男子生徒からチケットを受け取る。
その奥には、セミオープンキッチン。
シェフが手際よくパスタを炒めているのが、ロイの席からでもよく見えた。
カフェテリアは、
だから食事は、完全なる実費だ。
学院案内書のカフェテリアのページは、擦り切れるまで読んだ。お金の使い方と、物価を知る教育の一環だと書いてあったので、良心的な価格だと思い込んでいた。毎日好きなものを食べられると、楽しみにしてきたのに。
「……この値段じゃなあ」
ロイの所持金は10万Ð。三食ここで食べていたら、あっというまに金欠だ。
ならば、とロイは席をたつ。
学院案内書で読み込んだもう一つの施設――共有キッチンに、むかうことにした。
「こっわ!
白地にグレーの
ロイはあきれて顔をあげる。
ゆったりした共有キッチンはうれしいが、設備が
たとえば目の前の調理台。
二セットも置く意味は何だ。
おおきなシンクに、ひろい作業台、
ふりむけば、四人掛けのカウンター。
調理を終えて、すぐに配膳できるのはいいが、この天板も大理石で気をつかう。
「水に弱い素材を、なぜふんだんに使う……」
うつくしく、高級感がある大理石だが、濡れたまま放置するとシミになる。そのうえ酸にも弱いので、レモンをしぼるなどもってのほか。
「
この学院の物価を目の当たりにしたロイは、毎日自炊する予定だ。
料理は慣れている。実家の調理担当は、ロイだった。シェフを雇うよゆうがないうえ、家族は全員、料理下手。
ロイは毎日、食べたいものをつくった。
肉がよければ狩ってきて、魚がよければ釣ってくる。
山に放りこまれても生き抜く自信はあるが、この学院ではどうだろう。
こんな戸惑うばかりの環境で、すべてS評価など、ほんとうに取れるのか。
暗記は多少できるが、故郷では同い年が少なく、自分の学力のレベルすら
入試は死ぬ気でがんばった。ほかの生徒は、合格さえすればいいという気持ちだったのだろう。だから特待生になれた。もちろん努力は
たちのぼる不安に、ロイはあわてて首をふる。
気を取り直し、調理台のひきだしをあけた。
「おぉ、調味料完備」
砂糖に塩、コショウまで置いてある。
となりのひきだしには、皿やカラトリー類。したの棚には、ナベやフライパン、包丁やおたまなどがあった。
ひざをつき、調理器具を
どれもキレイで、あまり使われた形跡がない。
「皆、なに食べてんだよ。2,500Ð以上のごはんか」
ひとりつっこみしながら、たちあがる。
魔石コンロのつまみをまわすと、バーナーと呼ばれる円形の
「すごい!」
ロイは目をかがやかせる。
魔石コンロは本体が高い。
そのうえ魔石の値段も高い。
実家にも一応置いてあったが、とくべつな時しか使わせてもらえなかった。
それが毎日、使い放題だなんて。
ロイは
ぐうぜんにも、ロイの部屋と共有キッチンは近い。
すぐに身をひるがえし、部屋へと向かう。
歩きながら、ロイは実家から持ってきた食材をおもいうかべ、なにをつくるか考える。
メインはパスタ。
カギをあけ、部屋にはいる。
放置されたキャリーケースに、西日があたっている。
カーテンをしめようと窓辺によったロイは、そこから見える景色に息をのんだ。
まっすぐにのびる地平線。
中央には、ひろい
しずむ太陽が、西側から世界を
森も
学院の敷地はひろい。
そのすべてが、自然の風景を生かした庭園だ。
とおくゆるやかな丘陵地、あの湖や樹林の位置まで、計算されているようだ。
神話の
ロイは窓をあけた。
カーテンは風におどる。清涼な空気が、部屋いっぱいに入ってくる。
まぶたを閉じて、頬で風をうける。ファーニエ男爵領の、高原のようだ。
はじめての王都、はじめての寮ぐらし。
若葉のにおいが混じった風は、ロイの不安を
「いつもどおりに過ごせばいいか」
ロイはうなずき、窓から飛びおりる。
低い一階、すぐに着地し、外の空気をめいっぱい吸いこむ。
「採取は禁止されてないからな」
なにせレシピに、緑が足りない。
ロイはうなずき、食べられる野草を探しにでかけた。
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