事務局のカウンターで、ロイは宅配の送り状を書きおえる。

 そこでようやく、適した入れ物がないことに気づいた。


「配送用の箱はありますか」 


 受付の女性は、笑顔でうなずく。


「ございますよ。サイズはどうなさいますか」

「ええと、これが入るおおきさで」


 カウンターに、ハンティングギアをならべていく。

 ナイフロールケース、ノコギリ、解体ハンガー、狩猟槍しゅりょうやりに狩猟弓、布状の羊毛――。


「あっ、これは送りません」


 あわてて羊毛をかたづける。

 これは、つかれたときに顔をうずめる用だ。

 生きたひつじに顔をうずめることを、ひつじ愛好家のあいだでは「羊吸ひつじすい」と呼ぶ。学院はペット禁止のため、いちばんきれいに刈れた羊毛をもってきた。一枚の布のような羊毛は、毛刈り職人のほまれだ。


 顔をあげると、女性の笑顔がひきつっていた。

 もしかしてヤギ派か、とロイがかすかに身構えたところで、女性は我に返ったように、木箱をカウンターに置いた。


「こちらでよろしいでしょうか」

「はい。ありがとうござ――」

梱包こんぽうはご自身で願います」


 食い気味の迫力に、ロイは何度もうなずく。ヤギ派ってこわい。


 木箱に解体ハンガーを入れようとして、ロープだけを利用することを思いつく。

 さっそくケースからナイフを抜き、滑車のロープを切断する。ザクリと軽快な音がした。

 これならとがめらずに、キャリーケースの応急処置ができる。


 上々の首尾に、にんまりと笑うと、ヒッと正面から声が聞こえた。

 受付の女性は、青い顔で両手を口にあてていた。

 ロイはハッとし、手早く梱包を終える。


「よろしくおねがいします!」


 木箱を託し、キャリーケースをかかえて、逃げるように受付を後にする。

 廊下を曲がり、ようやくロイはキャリーケースを床に置く。ロープでぐるぐる巻きながら、さきほどの失態を反省する。


「まさか、ひつじ派の人間を見るのもダメだなんて……」


 ヤギ派との埋まらないみぞに、ロイは切なさを感じて首をふる。

 つぎに事務局に用事のときは、あの女性以外に頼もうと決めて、ロイは応急処置を終えたキャリーケースを引っぱって歩く。

 

 事務局から東のろうかを行けば、男子寮だんしりょうだ。

 学年ごとにフロアがわかれ、新入生は一階だ。


 ろうかは板張り、年季が入ったキャリーケースも、スムーズに動く。

 しろい壁にならぶ、茶色のとびらを何枚もとおりこしていく。

 とびらには金のプレート、進むごとに番号が若くなっていく。


 【1003】


 ロイはプレートをたしかめ、レバーハンドルをにぎる。

 横長の金属が、手につめたい。

 レバーと鍵穴がつく金属板には装飾そうしょくが施されており、いちいち豪華だ。

 ロイはごくりと喉をならして、そっとドアを押した。


 光だ。

 やわらかな陽光が、みちあふれている。

 おおきな窓と、リネンのカーテン。

 アイボリーの壁は、やさしくロイをむかえた。

 いざなわれるように、足をふみいれる。ゆかはすこしもきしまない。

 ロイはキャリーケースから手を離し、ぼうぜんと部屋をみわたす。

 飴色あめいろのつくえに、からっぽの本棚。おおきなクローゼットに、ゆったりとしたベッド――。


 たまらずベッドにとびこむ。

 からだをしっかりと受けとめるマットレスに、ふかふかのふとん。

 まくらに顔をすりつけると、おひさまのにおいがした。ひなたぼっこした、ひつじのにおい。 


「個室だ!」


 両手を天につきあげる。

 生まれてはじめての個室。しかも家具付き。

 ごろごろと転がり、飛び起きてクローゼットの扉をあける。


「ひろい!」


 いで本棚に駆けよる。


「でかい!」


 となりのつくえに着席する。


「ゆがんでない!」


 つくえのうえに、シルバーのカギが置いてある。

 部屋番号が刻印こくいんされたキーヘッドには、装飾がほどこされており、いちいち豪華だ。

 ロイの頭に、ぽんと寮規約りょうきやくがうかぶ。

 カギの紛失ふんしつは実費費用を自己負担――。


「……なくさないようにしよう」


 制服のジャケットにカギをいれ、懐中時計かいちゅうどけいをとりだす。


 時刻は12時34分。

 さきほどから廊下を行く足音が、ひっきりなしに聞こえている。

 そろそろ行くか、とこしをあげる。

 キャリーケースのロープをほどいて、布状の羊毛に顔をうずめた。

 

 入学式が始まってもいないのに、とても疲労がたまっている。

 馬車での長距離移動、悪魔の襲撃、院長室へのよびだし……。


 頬をつつむ羊毛は、ふかふかのふわふわだ。やさしくつけおき洗いをし、丁寧にゴミをとりのぞき、風通しのいい場所で陰干しした、珠玉の逸品。

 おもいきりにおいを吸いこみ、疲れを放出するように息をはきだす。

 呼吸のたびにいやされ、しあわせなきもちになっていく。


「――よし!」


 羊吸いをキメた自分に、こわいものはなにもない。

 ロイは晴れやかな顔で、入学式が行われる講堂へとむかった。






 入学式は、睡魔すいまとのたたかいだった。

 講堂こうどうは春の陽気につつまれ、うとうとしていたら、ケネスがするどい視線を飛ばしてきた。

 教職員とはかなり距離があるため、その視力に感心する。いい猟師りょうしは、総じて目がいい。ケネスは猟師ではないが、そんなわけですこしだけ彼を見直す。


 入学式がおわり、ロイは廊下で伸びをする。

 開放的な空気に、生徒たちの表情もやわらかい。


 寮へむかうロイは、三人の男子生徒とすれちがう。


「王城から引き抜いたシェフらしいよ」

「さすが、テレーズ公爵の血筋はやることがちがう」

「食のレベルを落とす心配がなくなったよ」


 ごはんの話に、ロイの足はとまる。

 かれらは優雅に南廊下へむかう――カフェテリアの方向だ。

 夜ご飯にはすこし早いが、育ち盛りのからだは常に腹ペコ。

 見学がてら食べにいこうと、ロイはカフェテリアへむかった。






「いや、高いわ!」


 ロイはおもわずメニューにつっこむ。

 一番安いランチで、2,500Ðドール。たまごが百個も買える値段だ。

 となりのテーブルとの間隔が広いために、誰にも聞きとがめられなかったのが幸いだ。


 ロイは注文をあきらめ、カフェテリアをながめる。

 採光さいこうをいっぱいにとりいれた空間は明るく、白いテーブルはずらりとならぶ。

 まどぎわの席には、アフタヌーンティーを楽しむ女生徒たち。

 ガラス張りの景観けいかんはうつくしく、外にはテラス席がならぶ。


 黒いエプロンをつけた女性が、カウンターごしに、男子生徒からチケットを受け取る。

 その奥には、セミオープンキッチン。

 シェフが手際よくパスタを炒めているのが、ロイの席からでもよく見えた。


 カフェテリアは、食券機しょっけんきで、チケットを購入するスタイルだ。 

 だから食事は、完全なる実費だ。

 学院案内書のカフェテリアのページは、擦り切れるまで読んだ。お金の使い方と、物価を知る教育の一環だと書いてあったので、良心的な価格だと思い込んでいた。毎日好きなものを食べられると、楽しみにしてきたのに。


「……この値段じゃなあ」


 ロイの所持金は10万Ð。三食ここで食べていたら、あっというまに金欠だ。

 ならば、とロイは席をたつ。

 学院案内書で読み込んだもう一つの施設――共有キッチンに、むかうことにした。


 




「こっわ! 大理石だいりせきじゃん」 


 作業台さぎょうだいの天板を、ロイはおそるおそる撫でる。

 白地にグレーの模様もようがはいった台は、ひんやりとした石の感触だ。


 ロイはあきれて顔をあげる。

 ゆったりした共有キッチンはうれしいが、設備が過剰かじょうだ。

 たとえば目の前の調理台。

 二セットも置く意味は何だ。

 おおきなシンクに、ひろい作業台、魔石ませきコンロがみっつもついて、どうみても業務用ぎょうむようだ。


 ふりむけば、四人掛けのカウンター。

 調理を終えて、すぐに配膳できるのはいいが、この天板も大理石で気をつかう。


「水に弱い素材を、なぜふんだんに使う……」


 うつくしく、高級感がある大理石だが、濡れたまま放置するとシミになる。そのうえ酸にも弱いので、レモンをしぼるなどもってのほか。


見栄みえより、実用性を重視してほしい」


 この学院の物価を目の当たりにしたロイは、毎日自炊する予定だ。

 料理は慣れている。実家の調理担当は、ロイだった。シェフを雇うよゆうがないうえ、家族は全員、料理下手。


 ロイは毎日、食べたいものをつくった。

 肉がよければ狩ってきて、魚がよければ釣ってくる。

 って、さばいて、調理して。

 山に放りこまれても生き抜く自信はあるが、この学院ではどうだろう。


 こんな戸惑うばかりの環境で、すべてS評価など、ほんとうに取れるのか。

 暗記は多少できるが、故郷では同い年が少なく、自分の学力のレベルすら把握はあくできていない。

 入試は死ぬ気でがんばった。ほかの生徒は、合格さえすればいいという気持ちだったのだろう。だから特待生になれた。もちろん努力はしまない。しかし恵まれた側の人間が、本気を出したとき、太刀打たちうちできる保証はない。


 たちのぼる不安に、ロイはあわてて首をふる。

 気を取り直し、調理台のひきだしをあけた。


「おぉ、調味料完備」


 砂糖に塩、コショウまで置いてある。

 持参じさんしたチーズも五キロあるし、食材さえ調達できれば生きていける。

 となりのひきだしには、皿やカラトリー類。したの棚には、ナベやフライパン、包丁やおたまなどがあった。

 ひざをつき、調理器具を検分けんぶんする。

 どれもキレイで、あまり使われた形跡がない。


「皆、なに食べてんだよ。2,500Ð以上のごはんか」


 ひとりつっこみしながら、たちあがる。

 魔石コンロのつまみをまわすと、バーナーと呼ばれる円形の術具じゅぐつに沿って、ボッと赤い炎がついた。


「すごい!」


 ロイは目をかがやかせる。

 魔石コンロは本体が高い。

 そのうえ魔石の値段も高い。

 実家にも一応置いてあったが、とくべつな時しか使わせてもらえなかった。

 それが毎日、使い放題だなんて。


 ロイは恍惚こうこつと息をはき、コンロの炎をとめた。はやく料理がしたかった。

 ぐうぜんにも、ロイの部屋と共有キッチンは近い。

 すぐに身をひるがえし、部屋へと向かう。

 歩きながら、ロイは実家から持ってきた食材をおもいうかべ、なにをつくるか考える。

 メインはパスタ。燻製くんせいしたベーコンに、チーズとコショウを振って――。


 カギをあけ、部屋にはいる。

 放置されたキャリーケースに、西日があたっている。

 カーテンをしめようと窓辺によったロイは、そこから見える景色に息をのんだ。


 まっすぐにのびる地平線。

 中央には、ひろいみずうみ

 しずむ太陽が、西側から世界をあかくそめていく。

 森も芝地しばちも湖面も、すべて燃えているようだ。


 学院の敷地はひろい。

 そのすべてが、自然の風景を生かした庭園だ。

 とおくゆるやかな丘陵地、あの湖や樹林の位置まで、計算されているようだ。

 神話の牧歌的ぼっかてきな楽園を再現したと言われるが、この光景を見れば納得だ。


 ロイは窓をあけた。

 カーテンは風におどる。清涼な空気が、部屋いっぱいに入ってくる。

 まぶたを閉じて、頬で風をうける。ファーニエ男爵領の、高原のようだ。

 はじめての王都、はじめての寮ぐらし。

 若葉のにおいが混じった風は、ロイの不安をうすめていく。


「いつもどおりに過ごせばいいか」


 ロイはうなずき、窓から飛びおりる。

 低い一階、すぐに着地し、外の空気をめいっぱい吸いこむ。


「採取は禁止されてないからな」


 なにせレシピに、緑が足りない。

 ロイはうなずき、食べられる野草を探しにでかけた。 

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