ロイは固まる。

 一学期かぎりの特待生。それでは、卒業できない。

 

 ケネスが笑う気配がしたが、どうでもいい。

 どうせ一ヶ月後には退学だ。二度と彼とは会うことすらない――。


 ただし、とマギーがつづける


「成績、品格、授業態度に加え、あらゆる分野での評価いかんで、継続を許可しましょう」


 ロイは目をみひらく。


「それは、つまり」 

「二学期以降も特待生でいたければ、存分に励みなさい」

「はい!」

「――おまちください」


 ケネスは気色けしきばみ、一歩ふみだす。


「それではあまりに主観的しゅかんてき。この場できっちりと条件を示すべきです。のちのち、いらぬ紛争ふんそうを起こさぬために」

「ええ。たしかにそうですね」


 マギーのあいづちに、ケネスは不敵な笑みをうかべる。


「学期内考査で、すべてS評価を獲得する。特待生たるもの、それぐらいの意識はもってもらわねば」


 またあの嫌な目をむけられ、ロイは首をかしげる。

 会ったばかりの人間に、ここまで嫌われる理由がわからない。


「もしかして、俺が食べたのは先生のペットですか」

「“教官きょうかん”と呼べ。だれが鳩など」


 ケネスは尊大にあごをあげる。

 マギーは嘆息たんそくする。


「よろしいでしょう。――ロイ・ファーニエ。特待生とは、他者の模範になる生徒。本来ならば、その称号を剥奪はくだつすべき事案ですが、あなたの事情を考慮こうりょし、特例として一学期かぎり認めます。さらに学期内考査ですべてS評価を獲得できれば、二学期以降も許可しましょう」

寛大かんだいな処分に感謝いたします」


 ロイは左手を胸に、頭をさげる。

 敬意をあらわす、貴族の礼だ。

 狩猟のほかに唯一、親からたたきこまれたそれは、なかなかに優美だと自負している。

 

「ようこそ、国立魔術学院へ」


 どうやら、合格点をいただけたらしい。

 安堵あんどから顔をほころばせると、マギーの表情も幾分いくぶんやわらいだ。

 

「入学式は13時から。それまでに、荷物を寮へ」

「はい」


 ロイはキャリーケースをもちあげる。

 年季の入った車輪では、ふかふかの絨毯じゅうたんをすすむことはできない。

 左ももに密着させ、足のうごきにあわせて運ぶ。


「ケネス、手を貸してあげなさい」

「――は?」

「けっこうです!」


 ロイはあわててふりかえる。

 おおぶりな動作でバランスをくずし、立て直そうとしてキャリーケースから手が離れた。


「あ」


 にぶい音がして、キャリーケースが床におちた。

 衝撃で留め具が外れ、左右にぱっくり口がひらく。 

 弧をえがき、ちゅうを舞うのは多種多様のハンティングナイフ。

 陽光をにぶくはじきながら、絨毯じゅうたんに散らばる。


 ロイはすぐさまナイフを手にとり、目線と水平にブレードを合わせ、光にかざす。

 欠けは無く、C字にくぼむガットフックも無事だ。

 ふかふかの床に感謝していると、ケネスがふるえる指をつきつけた。

 

「な、なんだそれは!」

皮剥かわはぎ用のスキナーナイフです。このガットフックは、内臓を傷つけずに、腹の皮だけ裂けて便利――」

「院長! やはりこいつは危険です。いまからでも退学にすべきだ」


 ケネスは声をうわずらせる。

 マギーは手を額にあて、一呼吸おいてからロイをみた。


「危険物の持ち込みは禁止です。これらは即刻処分なさい」

「ハンティングナイフは危険物ではありません。狩猟に必須ひっすの道具で――」

「不要です。今後二度、学院敷地内で狩猟は行わないと、さきほど弓に誓ったのだから」


 ロイは口を開きかけて、とじる。

 手のなかのスキナーナイフは、使いなれた相棒あいぼうだ。

 それでも、これ以上食い下がるのは心証が悪い。


「すべて実家に送ります」

「では、今日中に手配を。宅配の受付は、事務局で行っています」

「……わかりました」


 王都の宅配業者たくはいぎょうしゃの送料を比較検討ひかくけんとうしたい気持ちを、グッとこらえる。

 ちらばるナイフをひろい、ナイフロールケースにもどす。焦げ茶のケースは、耐久性の高いレザー製。ならぶポケットにナイフを収納し、くるくる巻いて持ち運べるのが便利だ。

 はずれた留め具とともに、丁寧ていねいにキャリーバックにもどす。

 本体の口が閉まらないので、固定のためのひもを探すと、解体用ハンガーがみつかった。

 フックがついた三角形の金属と、滑車かっしゃをロープでつなげたもので、ロープの長さと強度は申し分ない。

 キャリーケースに巻こうとして、マギーから制止がとんだ。

 

「なんですか、それは」

獲物えものをつりさげ、衛生的に解体するための狩猟道具ハンティングギアです」

「……特待生として、良識ある行動を」


 どうやらこれも実家行きらしい。

 うなだれるロイに、ケネスはこれみよがしなため息をつく。


「いくら最下のBクラスとはいえ、なじめるとは思えませんな」


 ケネスの言葉に、ロイはクラス表を確認していないことを思い出す。

 手間がはぶけた幸運を、こっそり喜んでいると、マギーが首を左右にふった。


「彼はBクラスではありません」

「……なるほど。男爵家とはいえ、仮にも特待生。中間のAクラスが落としどころでしょうな」


 不服そうなケネスに、マギーはためいきをつく。


「いいえ。彼はSクラスです」

「Sクラス!? この野猿のざるが!?」

「ケネス。我が校のクラス階級は成績順。感情で決めるものではありません」

「お言葉ですが院長。Sクラスは高爵位の生徒が集まる最上学級。なにかあれば、責任問題ですぞ!」

「心配にはおよびません。Sクラスの担当官は、経験豊富で辣腕らつわん、私情をはさまず、基準にのっとり厳正かつ公平に評価をくだす、できた人物です」

「はあ……それでしたら……」


 いぶかしげなケネスの様子を、ロイは意外に思う。

 いままでの態度から、彼はなにかしらの役職――それもかなり高い地位についているはずだ。

 学院の教員はすべて把握はあくしているどころか、全員の弱みをにぎっていてもおかしくはない。

 それなのに、思い当たる教員がいないのか、しきりに首をかしげている。


 マギーはデスクで指を組み、まっすぐとふたりを見つめた。


「あなたのことです。ケネス教官」


 ロイはぽかんと口をあける。

 おもわずとなりを見ると、あっけにとられたケネスと目があい、あわててそらした。


「おまちください! 副院長でもあり、教育責任者でもある私が、なぜいまさら一年の担任など」

「今年はブレイデン公爵家のご令嬢、スタンレー公爵家のご令息をはじめとし、名家の血筋にあたる生徒が数多く入学しました。あなた以上の適任はありません」


 ケネスはうなる。

 しばらく思案し、いまいましげに咳ばらいをした。


「学院のためならば、しかたありませんな」

「ではケネス。Sクラス担当官として、まずは生徒に手を貸してやりなさい」


 マギーはそう言い、ロイの壊れたキャリーケースに目をやる。

 再度断ろうとするロイより早く、ケネスがキャリーケースに手をかける。

 視線で命じられ、ロイは反対側に手をかけ、ふたりで持ちあげた。


「重い。他になにを隠し持っている」

「ペコリーノ・ロマーノですかね」

「なんだそれは」

「羊乳チーズです。塩の代わりになるほど塩気が強い種類で、ガツンとくるコクと塩味は、一口たべればやみつきですよ。おすそわけしましょうか?」


 ケネスは顔をしかめる。


「結構だ。……チーズが重いわけなかろう」


 ロイはすこしだけムッとする。嘘だと決めつけている口調より、大好きな羊乳チーズを断られたことに腹が立った。食べたらぜったいとりこになるのに。

 しかし母から「あなたはひつじ過激派かげきはだから、気をつけなさい」と重々に注意されていたので、反論をのみこむ。ならばせめて、誤解を解くぐらいはゆるされるはずだ。


「ホールで持ってきたので、五キロですね」

「五キロ!? バカかおまえ!」

「残念ながらSクラスです」

「それはこちらのセリフだ!」


 ふたりでギャーギャーさわいでいると、マギーが扉へむかった。

 親切に扉をあけたかと思うと、彼女はそこによりかかり、腕組みをしてふたりを見つめる。 


 無言の圧力。

 ロイとケネスは、同時に口をとじる。

 速やかに廊下に出ると、マギーは出来のいい生徒をめるように微笑んだ。


「相手に歩み寄る努力を、絶やすことのないように」


 院長室の扉がしまると、ケネスはすぐに手を離す。

 予想していたロイは、すでにキャリーケースをかかえこんでいた。

 ケネスは渋面を作り、ハンカチで手をふく。


「さっさと山に帰れ、野猿」

「卒業するまで帰りません。たった三年間です、教官」

「おまえが譲歩しろ! ……男爵家ふぜいが」


 ケネスは吐きすて、ロイに背をむけ歩きだす。

 爵位とプライドの高さを表すような、洗練された動作だ。

 ロイはひとり納得する。

 動き方まで正反対なら、気が合わないのも無理はない。


「まあ、なんとかなるだろ」


 楽観的にうなずいて、脳内に学院マップを表示する。

 事務局までの最短ルートをはじきだし、ロイは素直にキャリーケースをかかえて歩いた。

 

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