第一章

 入学式は晴天だった。

 乗合馬車を降りたロイは、草のにおいに顔をあげる。

 きれいに刈られた若芝わかしばが、そよかぜにさざめいている。

 ひろい空のした、まばゆい白亜はくあの学舎に、ロイの胸はおどった。


 国立魔術学院こくりつまじゅつがくいん


 十五歳から十八歳までの貴族の令息れいそく令嬢れいじょうが魔術を学ぶ、全寮制ぜんりょうせいの学校だ。

 高位役人こういやくにんへの登用制度があり、卒業後は一生安泰――。

 六人きょうだい末っ子にとって、夢のようなはなしだ。


 おさがりのキャリーケースを引き、かがやかしい未来への、第一歩をふみだす。

 しろい石で舗装ほそうされた道は、すばらしく歩きやすい。

 さすが貴族の学院、と感嘆かんたんする胸に、やっていけるのか、と声がひびく。

 貴族とは名ばかりの男爵家だんしゃくけ、教養も資産も、平民と大差ないくせに。


 ガクン、と足がとまる。ちいさな段差だんさに、キャリーケースが引っかかっていた。

 もちあげ、移動させるロイのまえを、真新しい制服の群れが、颯爽さっそうと通りすぎていく。


 キャラメル色の制服は、チョコレートブラウンのふちどりがかわいい。

 肩の式典用しきてんようマントをはためかせ、談笑しながら去っていく。 


 ロイは自分の格好かっこうを見下ろす。ツテのツテをたどってようやく手に入れた制服は、ずいぶんとくたびれている。


 それにおおきなカバンを持っているのも、ロイだけだ。

 前泊の宿代を節約せつやくするため、半分寝ながら馬車を乗りついできた。

 五日前から寮が開放されているので、ほかの生徒は事前に荷物を運んでいるのだろう。

 きっとかれらは金に困ったことも、これから困ることもない。


 うらやむ気持ちが頭をもたげ、ロイはあわてて首をふる。

 左胸のエンブレムが軽い音をたて、ロイはハッとそれを見やる。

 赤いリボンに金のロゼット。特待生とくたいせいのバッジだ。


 特待生は、学費も教材も無料だ。

 だいじょうぶ。きっとぶじに卒業できる。


 ロイは自分に言いきかせ、もういちど前をむく。

 年季ねんきがはいってガタつく車輪を、なだめすかして歩いていく。


 ふいに陽がかげり、突風がふいた。

 反射でとじた瞳をあけると、空に雄大な影をみた。


「竜だ!」

 

 そばの生徒が、空をゆびさし声をあげる。

 あれが、とロイは目をすがめる。

 学舎を旋回せんかいする影はみっつ。

 あの高度であの大きさ、馬よりふたまわり以上はでかい。


 にわか騒がしくなった広場に、ロイは浮足立つ。

 もっと見たいと駆けだすさなか、空に暗雲がたちこめた。


 空気に重量がうまれた。

 はいにかかる圧力に、冷や汗がふきでる。

 本能が逃げろと警告する。こわばった四肢ししは、言うことをきかない。沼でもがくように――兄に蹴落とされた思い出がよみがえる。雨あがりの泥沼、窒息ちっそくの恐怖で必死なロイを、ゆびさして爆笑する兄――これが走馬灯だったら、死んでからのろってやる。


 汗が目にしみて、ロイはまたたく。

 さきほど軽やかに通りすぎた令息は、地面をっていた。


「あ、悪魔あくまだ……! ころされる!」


 悪魔まで出るのか。

 さすが都会。田舎とは一味も二味も違う。

 するとこれは悪魔の瘴気しょうきか。

 魔力耐性まりょくたいせいが低い人間は、恐怖にむしばまれて動けなくなると聞く。

 心臓が凍りつくこの感じ、猟銃りょうじゅうをつきつけられた時にそっくりだ――クソ兄貴め。


 理由が判明し、ロイはおちつきをとりもどす。

 ついでに悪魔を見学したいが、騎馬像きばぞうが視界をさえぎっている。こわばる体は動かしづらく、強制的な鑑賞会だ。馬はかわいいが、誰だよ、このおっさん。

 

 騎馬像とロイのあいだに、空から何かが降ってきた。


 はとだ。 

 コバルトブルーの体を痙攣けいれんさせ、目を回している。

 ロイはなんとかヒザを曲げ、くずれるように座りこむ。

 両手で鳩をすくいあげ、風切り羽の虹色をみて確信する。


 エリマキバトだ。

 首の羽毛が長く、エリマキを巻いているように見えることから、この名がついた。


 改良をかさねた品種のため、野生の鳩とは見た目からしてちがう。

 故郷のファーニエ男爵領でも、飼っている家があったな、とロイはエリマキバトをひとなでする。


 とたんに息が楽になった。


 きづけば空は青にもどり、まがまがしい空気も消えている。

 周囲をみわたすと、泣き叫ぶ生徒たちのむこうに、三頭の竜影がみえた。


 古今東西ここんとうざい、悪魔を退治するのは竜だ。

 瘴気が消えたのは、あの竜たちが悪魔を退治たいじしたからか。

 もっとちかくで見たいとおもうが、手のなかのぬくもりが、それを引き留める。


 鳩の痙攣けいれんは止まらず、呼吸は浅くなっていく。

 ショック死の前兆だ。

 悪魔の瘴気にやられたのだろう。


 せめて楽に死なせてやろうと、首をつかんでへし折った。


「家畜は美味い。野生よりも」


 殺した獲物えものは、責任を持って食べる。

 親からたたきこまれた、狩猟の基本だ。

 ふと目線をあげた先、解体にちょうどいい林があった。


 胸元から金の懐中時計をとりだす。内ポケットにつながるチェーンが、きらりとゆれた。

 金は厄災を退しりぞけるける。故郷では、狩猟デビューする十歳の誕生日に、金の装身具そうしょくぐを贈る慣習がある。

 財政難のため、一年おくれの十一歳で贈られたが、肌身はなさず持ち歩いている。


 時刻は10時25分。

 入学式は11時から。


 広場はいまだ泣きじゃくる令嬢や、ショックで動けない生徒たちでごった返している。 

 学舎から、ようやく教員らしき大人たちが駆けてくるのが見えた。


 きっと入学式の開始時刻は繰りさげられるだろう。

 そう結論づけ、ロイは鳩を胸にいだく。

 キャリーケースを引きながら、林にむかってゆったりと歩をすすめた。

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