六十二話 私の半生5
それからまもなくして転機が訪れる。
いつものように目を覚まさないこうじに寄りかかりながら漫画を読んでいる時だった。
いや、その時には私のこうじに対する呼び方は「こうじ」から「コウジ」になっていたから、コウジに寄りかかっている時と言うべきか。
コウジから見て私は異世界人だ。
住む世界が違うのだから日本語チックに「こうじ」と呼ぶよりも「コウジ」と多言語話者特有のイントネーションが外れた呼び方をした方が自然だと思った。
日本語しか流暢に話せない私がそんな気遣いをするのはおかしい話だとは思う。
だが、日本の漫画を読んで来た私が私に告げている。
異世界人が日本人名を流暢に話すのは解釈違い。
勿論、「異世界人なのに日本語流暢キャラが居ても、それはそれで謎キャラ感が高まって美味しいのでは?」と思わなかった事もない。
あれこれ悩んで、コウジと呼ぶ事にした。
きっと、コウジは私のこんな苦悩なんて知る事はないのだろう。
コウジが名前の呼ばれ方なんて気にしない奴だって事はもう分かっている。
例えコウジの事を「コージ」と呼ぶ舌足らずな奴が居てもコウジは大雑把だから「コウジ」と呼ばれているなどと無意識的に認識するのだろう。
だから言う機会があったら、長々と語ってやる。
そう思った。
とにかく、私のクッションとしての役割をほしいままにしていたコウジがその時、動きを見せた。
いや、動きを見せたという言い方もいかがなものか。
コウジに寄りかかっていた私が急にカクンと沈んで、「ゴンッ」と頭をぶつける事になった。
「……?」
痛みはないはずなのに、一種の癖で頭を抑えてしまいながら何が起こったのかを確認する。
すると、コウジが文字通り沈んでいっている事が分かった。
コウジが横になっていた床の中にコウジが埋まっていく。
コウジが私の居た場所よりも更に深い所へ行こうとしている。
どこへ行こうとしているのか。
なんて思うよりも先に手が動いた。
床に伸ばしていた。
コウジに行ってほしくない。
その一心で手を伸ばしていた。
だが、これは床だと私が認識している物。
事実、身体がこの物の上に安定しているのに、潜り込む事が出来るものなのか。
なんて思いが、手を伸ばした後に廻った。
しかし、私の考えを知らんぷりするかのように、私の手はスルッと床の中へ入っていき、コウジの手を掴んだ。
今まで床だと思っていた物は床では無かった。
どこに繋がるのかが知りたくて、コウジの手を繋いだまま私も床の中へ潜っていった。
床の中は無色透明で何もない場所。
コウジが来るまでの私の居た場所と同じような所だった。
私とコウジが居た場所は、私がコウジの記憶を読み取ってテレビやゲーム機、漫画を再現したおかげで物に溢れているが、それまではこの場所と同じ。
何もない場所を沈む。
何処に辿り着くのが、何が待っているのか分からないのに、恐怖は無かった。
コウジと一緒に居るから。
と、言えれば美談に聞こえただろう。
勿論それも理由の一つだが、重要なのは別にある。
沈んでいく中で「戻る事は出来るのか……?」と気になり、上に泳いでみようとしたら普通に泳げた。
コウジと一緒に浮上する事が可能そうだった。
原理は分からないが、私とコウジはこの場所を自由に行き来できる。
変な場所に辿り着いても戻れば良い。
だから怖くない。
やがて、私達の身体は何処かで止まった。
相変わらず何も無い場所だが、そこが行き止まりである事はなんとなく分かった。
いや、行き止まりと形容してはいるが、頑張ればその行き止まりの更に向こう側に行ける事もなんとなく分かっている。
ただ、その先に進む事はやめた方が良いと心が告げていた。
これから何かが起きる。
直感でそれを感じた私はコウジの身体をよじ登り背中に隠れた。
決して、コウジを盾にしている訳ではないとだけ弁明しておきたい。
何かあった時に私があまりにも無力過ぎるから、コウジに障害を防ぐ防護壁になってほしいだけ。
なんて醜い言い訳をしていたら、急に景色が変わった。
何もない世界から、見覚えのある色のある世界へと。
木張りの天井が視界一面に広がる。
これはなんだったか……そうだ、これは父上の視界を通して見た私の部屋の一部。
だが、何故急にこれが見える。
また父上が私に何かをした?
なんて思っていたら、更に事が起こる。
景色が勝手に動き、天井を右往左往する。
ピントは何故か、所々にある黒いシミに合っていた。
『……おばあちゃん家みたいだ』
……!
声が聞こえた。
この声を知っている。
コウジの記憶を見ている時にずっと流れていた、身体の内側に響く声。
ずっと流れていた声と、時々流れていた録音した時の声が違い驚いた事を覚えている。
これは私がずっと待ち望んだ声――コウジの声だ。
コウジが目を覚ました。
『俺は夏休みや、年末に親の実家に帰省する。おばあちゃん家では暗いのを怖がる小さい従姉妹のために夜は常夜灯が灯っている。目の前の天井にも安心して眠くなるような光が灯っていた。眺めていると微睡む』
なんでこいつ急に説明口調でベラベラ喋り出した……?
あと、待て、こいつシレっと寝ようとしていないか。
やっと起きたのにまた眠るつもりなのかこいつは……?
いや、そんなまさか……。
『ふぁあ』
コウジが欠伸をする音が聞こえた。
だが、今回の声は先程までと何か聞こえ方が違う。
コウジの声の割には、高音過ぎる。
その欠伸はコウジの欠伸ではない?
そしたら誰の欠伸だ?
『あくびが聞こえた。でもこれは俺の声じゃない』
あ、今度の声はちゃんとコウジの声だ。
コウジの声が欠伸を否定している。
やはり先程の欠伸は別の者の音。
『聞こえた声は十七年付き添った俺の声ではなかった。誰か近くにいるのかもしれない』
こいつめちゃくちゃ否定するな。
そんなに欠伸をしている事を認めたくないのか?
いや、事実そうではあるのだが。
しかし、何かがおかしい事にはいい加減気付いた。
コウジはこんな事を一々喋るような奴では無かったはずだ。
先程から聞こえるこの声は本当にコウジが喋っている内容なのか?
『だけど駄目だ。眠い。とても大事な事のような気もするが、この眠気には勝てない。』
そうこう考えている内にコウジが眠りについてしまおうとする。
『また目が覚めたら考えよう』
コウジがそう言ったら、視界が切り替わった。
木張りの天井が消え、何もない空間に戻ったのだ。
しかし、その前に一瞬、視界が真っ暗になった。
ゲームの充電を忘れて電源が切れる時のように、戻る直前に一瞬だけ視界が真っ暗になった。
これは……コウジが眠ろうとしたから?
コウジが目を覚ました事で視界が開けて、コウジが眠る事で視界が途切れた。
コウジと私は視界を共有している?
一つに身体に二つの心。
コウジは私の身体を動かす事が出来る?
私の身体の操作権はコウジが握っている?
……分からない。
分からないが、このままコウジに寝られるのは気に食わない。
散々待ったのに、私と会話せずに寝るのは許さん。
「おい、なに二度寝しようとしているのだ」
そう言った。
今までなら何を言っても返って来なかったが、今なら。
『また声が聞こえた。またしても俺の知らない声』
コウジの声が聞こえた。
ボーっとしていて眠そうな声だった。
とても眠そうだが、今なら会話が出来る。
喋ったらコウジの声が帰って来る。
『俺には関係がないな……。知らない人間が、俺の眠りを邪魔するわけがない』
……な。
こいつあろう事か、私の呼びかけを関係ないとバッサリ斬り捨てやがった!
「お前だ、お前に言っている。沢畑コウジ」
イラついて食い気味で喋ったら「沢畑」と普通の発音で言ってしまった。
考えてみれば「コウジ」と呼ぶ練習はしたが、「サワハタ」と呼ぶ練習をした覚えはない。
大変だ。解釈違いでぶった切られてしまう。
『……俺の名前だ。この声が話し掛けていた相手は俺だったのか』
苗字だけ流暢な日本語で言ってしまった事は疑問には取られていなかった。
それに少し安堵し、この後何を喋るかを考える。
勢いで話し掛けてしまったが、何を喋るべきだろうか。
だってこれは何気に私とコウジのファーストコンタクトになる。
出会いってやつだ。
後で思い出した時に「そう言えばあの時~」と会話に華が咲くように衝撃的な会話をしておきたい。
『呼ばれているならしょうがない。反応しなくては』
取り敢えず会話の主導権は私が握っておきたいが、どうすれば……。
『あい。あんえいおう』
また、コウジの声とは違う声が聞こえた。
さっきの欠伸と同じ声のように思える声。
この声ってもしかして……?
『……おかしいな、上手く喋れない。眠すぎて舌が上手く回らないのか?』
『あああああ!』
『取り敢えず一回発音練習してから』
『あんえいおう』
『変わらなかった。おかしいな、なんで喋れないんだ。理由が何も思いつかない。』
私の疑問を解消するかのようにコウジが一連の動作をしてくれた。
なんでコウジは私にとってこんなに都合が良いのだ?
なんて思わないでもないが、これで疑問の一つが解けた。
あの欠伸は私の声だ。
正確には、私の身体をコウジが動かして出させた声。
私の身体はコウジの意思で動くのだ。
じゃあ、コウジの声で聞こえる音はコウジの思考といったところが正解か。
コウジの心の声と、発した声が聞こえていると考えるのが筋だろうか。
『なにかしたっけか。喋れないって事は相当な事をしたんだろうが、思い当たる節が何一つ出て来ない』
そしてもう一つの疑問が生まれた。
『舌を噛み切ったとかか? いや、でもそんな記憶は無いな』
コウジは刺された事を覚えていない?
コウジの最期の記憶は、バイト先の常連客に胸を貫かれる所で終わる。
そして何故、記憶が無いとか言えてしまうのだろうか。
全ての記憶は心の内に潜れば閲覧可能なはずだ。
コウジにはそれが出来ないのか?
なら、教えた方が良いのか?
「お前は刺されて死んだ」と正直に教えた方が良いのか?
「落ち着け。とにかく一回落ち着け」
心音がうるさくなったのを知覚し、自分にも言い聞かせるようにそう口にした。
『あい』
するとコウジは、私の現実の身体を動かしそう言う。
『……そうだ、取り乱すのは後にしよう。誰かに話しかけられているんだったな』
続いて聞こえた心の声も幾分か落ち着いているように聞こえた。
「急に落ち着かれると怖いな」
『あー、俺現実逃避は得意なんですよ』
会話だ。
今、普通に会話が出来た。
結局、初会話はこんなものになってしまった。
『て、違う違う。俺に何の用があるのか聞こうとしていたんだ』
どうしよう、ここから主導権を握って後から思い出したら面白い話に昇華させる方法はあるか。
「ああ、それなのだが……どこから言ったら良いものか……」
そう言えば話したい事は沢山あったのに、何を話すかは全く決めていなかった。
お互い自己紹介しあえて、私が主導権を握れて、なんか面白い話に昇華する方法は。
『ん、あれ、そう言えば声に出していないよな俺。だって、さっきからやってみているがちっとも喋れていないし』
何を話すか考えたいのに、コウジはおかまいなしにあれこれ喋ってくる。
喋りたいタイミングで喋れない。
これが会話の洗礼……?
『あれ……? なんで会話が成立しているんだ』
どうしようなんて喋ろう。
コウジは私がもう既に解決した内容で頭を抱えだしたし。
自分で解決している問題を掘り起こされるのがこうも面倒だなんて。
会話って難しい。
うーん、うーん……。
こうなれば、もうヤケだ。
「ああ、そう言うのはいい。説明するのがとても面倒だ。どうせ帰って来る反応も詰まらないありきたりな反応だろうからな。今は頭に直接話しかけて来ている神様みたいなもの……とでも思っておけ」
とりあえず神になっておこう。
これで、主導権も握れるだろうし、初対面として与えられる印象も最大値を引けるだろう。
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