六十一話 私の半生3


『あ、い、う、え、お……』


 入って来た何かの記憶を無我夢中で漁った。

 自分の知らない事が一つずつ明らかになっていくのは無性に楽しくて仕方が無かった。


『か、き、く、け、こ……』


 記憶の持ち主である「何か」が見た物、聞いた事、体験した事の全てを余す事なく享受する。


 思い出せないだけで、記憶はいつまで経っても何処かに残っている。


「ざ、じ、ず、ぜ、ぞ……」


「何か」が産まれてから今日まで見た景色の全て、「何か」が読んだ本の細部に至るまで全て、「何か」が学校や家で勉強した事の全てを私は見た。


 ただ、見たり聞いたりしただけではどうしても分からない事がある。


「何か」の記憶に残らない事。

「何か」が無意識で行っている事。


 それらはどうしても知りようが無かった。


『こ、う、じ』


 頭の中でその言葉を唱えた。


 発音はこれで合っているだろうか。


 私の中に入ってきた「何か」の情報は、記憶を見ていく内に判明した。


 沢畑耕司、十七歳、男、B型、男子高校生。


 茨城県の片田舎に生まれ、暫くはそこで暮らすが祖母が亡くなったのをきっかけに一家で都市部に移住する。


 幼少期に大怪我をした影響か移住するまでの記憶に所々穴が空いている。


 早熟で子供にしては人付き合いが上手く、小学生の頃は学級委員を任されていた。


 極度のお人好しで、クラスで浮いている子などと仲良くする事を先生から頼まれていた。


 知り合いは多いが、親しい友人と呼べる存在はその内の一割にも満たない。


 知り合いに誘われて幅広い事に手を出していたが、趣味はない。


 友人に「男手が欲しいのよね」と言われた園芸が趣味の母親が勝手に履歴書を送り、なし崩し的に花屋でバイトを始めた。


 バイト先に性別も、年齢も、人種も、身分も共通性のない固定客が多数存在する。


 その固定客の一人に刺され、記憶はそこで終わる。


 なんとも数奇な運命を背負った男だ。


 ――うーん……。


 発音が合っているか教えて欲しいのに「こうじ」は魘されているだけで答え合わせをしてくれない。


 ――――ボシュ、ボシュ、ボシュ。


 ――うーん……うるせえなあ…………。


 こうじは環境音に悩まされているようだった。


 私に繋がれている機械が休む事なく動き続けられている証。

 こうじはそれに文句を言っていた。


 環境音、音。

 こうじが入って来てばかりの頃は音なんて何も届いていなかったのに、しばらくしたらそれは私にも聞こえだした。


 ――ボシュ、ボシュ。


 ……そうか。

「うるさい」という言葉はこういう時に使う言葉。覚えた。


 耳から音が聞こえるようになった感動はすぐに終わった。


 この機械は一体なんなのだろうか。

 どうしてこんなにうるさい物が私の近くに置いてあるのだろうか。


『こ、う、じ、こ、の、お、と、は、な、に』


 ――うーん、うーん……。


 聞いても魘されているだけで答えを返しては来ない。

 段々とつまらなさを感じていった。


 しょうがないから言葉の勉強に戻る。


 会話は出来ないが、勉強の方はとても順調だった。


 何しろこうじの記憶には言葉の習得に非常に役立つ資料があったから。


 こうじが六歳だった頃の記憶を再生する。

 土曜、夕方五時。


 アニメの時間だ。



―――



「日本語の勉強をするアニメ好きな外国人みたいな事してんなあ……」


 漫画から顔を上げ、アズモの方を見る。


「実際それで間違っていない。唯一の間違いは、外国人ではなく外世界人という所だけだ」


 アズモは腕を組みながらそう答えた。


 暗いシーンが終わり、アズモが活発的に動き出した。

 真っ黒だった漫画の余白も白に代わり、ここから楽しくなっていく事が何となく察せられる。


 ただ相変わらず、アズモの生命維持装置から流れる「ボシュ、ボシュ」という音は残っていた。


「なあ、アズモ。この効果音はいつまで出て来るんだ?」


 俺に音の出所を聞こうとするシーンがある都合上、その効果音が出て来る意味はなんとなく理解出来たが、出続ける意味は全く分からない。


「ずっとだ」

「なんでだよ。割と良い話なのに周辺情報のせいでだいぶマイナスされてんだよな」

「『あの音うざかったよな』と共感を得られないのは誤算だった。私達にとっての思い出の音だと思っていた」

「……そう言われるとすまんなんだが、俺は覚えてないんだよな。その効果音聞いた事ないんだよな」

「裏切者」

「ごめんて。……それでさ」


 読んでいた漫画をアズモの方に向けた。


 横になって眠り続ける俺に「こ、う、じ」と言いながらアズモがツンツンしているシーンを指差す。


「アズモには俺がこんな風に見えていたのか?」


 二等辺三角形を底辺が上に来るように配置。

 胡麻みたいな目と鼻、口をセット。

 グルグルの髪を底辺から適当に生やして、もやしのような胴体を生やして完成。


 五歳児の落書きみたいなクオリティの俺。


 いや、実際アズモは七歳児かそこらなのでそのクオリティで間違いないのだが……。

 とは言え、やけに気合を入れて描かれたアズモと比べるとどうしても劣る……どころの話ではない。


「む……それは私の審美眼を馬鹿にしての発言か」

「こんなクリーチャー描いときながらなんでアズモの方がちょっとキレ気味なんだよ」

「それはクリーチャーではない。簡単コウジ君だ。絵描き歌もある」

「簡単コウジ君ってなんだよ……?!」

「あまりにも見た目に特徴が無さ過ぎるコウジをどうやって描こうか悩んだ結果、生み落とされてしまった産物だ」

「出来にちょっと後悔してんじゃねえか」

「誠に不本意。時間があと百時間くらいあれば写実コウジ君を描く事が出来た」


 簡単コウジ君をつついているアズモみたいにデフォルメして描いてくれればいいのに。

 なんて素人の俺はどうしても思ってしまうが、何気に美形という特徴があるアズモと比べて、特に特徴のない俺は描くのが難しいのだろうか。


 そこらへんどうなんだろうか。


「……ちなみにこれは本気で描いた結果こうなったのか?」

「ちょっとふざけた」

「確信犯じゃねえか。なんでちょっと『文句言うな、私は悪くない』感を出してきたんだよ」

「お茶目」

「んー……『お茶目なら仕方ねーな……』ってなると思ったら大間違いだぞ」

「私を抱っこしても良いからそれで手打ちって事にして欲しい」

「それはアズモの願望だろ……まったく……」


 楽しそうな笑みを浮かべたアズモが、立ち上がりこちらに移動してきた。

 アズモは一歩進む事に小さくなり、「ん」と言いながら手を広げる頃にはいつものサイズになっていた。


「真面目な話をするから今日はくっつかないと思っていたのにな」


 なんて言いながらアズモを抱えた。


「昔の事を思い出したら我慢が出来なくなった」


「我慢が出来なくなったのなら仕方ねーな……」


「これは仕方がない。なにせ私は甘えたい盛りの時を何も出来ずに消費してしまった。ネタバレになるが、私は動けるようになって直ぐに保育園にぶち込まれた。ギャンギャン泣いて通園拒否したのに、コウジって奴が『俺が守ってやるから行ってみようぜ』って言って来たから渋々了承した」


「ネタバレは重罪だぞ? それを知らなかったら俺でもアズモみたいにキレていたかもな。……まあエッセイのネタバレってなんだよって感じだが。あともしかしてあの時の事、結構根に持っていらっしゃる……? いや、そのコウジって奴の事は分からないんだが一応な?」


「安心しろ。私は根に持つタイプではない。昔の事を持ち出してちょっとでも長く抱っこしてもらおうという魂胆でしかない」


 こいつ基本的にふてぶてしいくせに、たまに可愛いんだよな。


 満足したアズモを下ろす。

 床に座り直すと、アズモが膝上に乗って来た。


 アズモの描いたエッセイ漫画の続きを読む。


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