五十九話 私の半生1


 ラフティリに力で敵う訳もなく、抱き枕というかサンドバッグのような扱いをされる時を過ごした。


 子供の時に寝相が悪い奴は大きくなっても悪い。

 そんな事を知れた一時だった。


 まだ渦中なため、一時と言い切るには早いのだが……。


「流石に私の助けが要ると思った。余計なお世話だったか?」


 珍しく眼鏡をかけたアズモがそう言った。


「いや、めちゃくちゃ助かった。眠れそうに無かったから呼んでくれなかったら、こっちから行くつもりだった」


「なら良かった」と言いアズモは俺の対面に座る。

 俺の実家の部屋に置いてあった来客用の小さなテーブルもアズモの世界では小さな傷含め見事に再現されていた。


 アズモの心の世界。

 俺の部屋が完璧に再現された小さな世界だ。

 アズモはが外に出て来ない時に過ごしている小さな世界。


 こいつ相変わらず寝相やばいな。

 などと思いながら寝るのを諦めていたらアズモに招待された。


「今日は七歳児の姿なんだな。眼鏡もかけているし珍しい」


 そう言って、胡坐をかきながら俺も床に座る。


「この姿の方が作業をするのなら都合が良い」

「作業ね……」


 テーブルの上に置かれた紙の束に目を向けた。

 それはアズモの方ではなく、俺の方に向けて置かれていた。


 ぱっと見た感じ、デフォルメされたキャラがしっちゃかめっちゃかしている漫画のように見えた。


「私の半生を纏めたエッセイだ」

「エッセイ漫画を描いたのか? それは……凄いんだが、何故?」

「いつ言おう、いつ言おうと思っていた事が私の口で説明するよりも先に言われてしまった」

「ラフティーが言っていた事か?」


 アズモは「ああ」と肯定を返した。

 ラフティリはアズモの身体の事、俺がアズモに憑依する前の事を教えてくれた。


「俺はそういうのは本人のペースで聞く主義だから、無理しないで言いたくなったタイミングで言ってもらえたらそれで良いが……」


 あの時は、それがあの場に居た人達の疑問で、それを知っている人が居たから聞いただけで本意ではない。


「あれだろ、なんか言えなかった事情があるんだろ?」


 本人が言いたくないのなら聞くべきではない。

 そう思った俺は、眼鏡の奥の紫がかった黒い瞳を見つめながら言った。


「いや……別に……話せない事情があった訳ではない」


 アズモは直ぐに目を逸らし、ごにょごにょと言葉を続ける。


「私のためにコウジが拉致されたとか、利用されたとか、そういうのが言いにくいから言っていた訳ではない。責任は感じているが、説明責任を果たしたくなかった訳でもない。ただ……どうしても暗い話になってしまうから。コウジとは明るい話をずっとしていたかったから……」


 俯きながらもこちらを上目遣いで見ながらアズモはそう言った。


「そうか」


 とても言いづらそうにしているじゃねえか。

 と言いたくなる気持ちを堪えてそれだけ返した。


「これ以上、私の事を私以外の口から語られるのは癪だから。誰かに先を取られるくらいなら自分でやる。そう考えて描いた。暗い話を描きたくないと抗っていたせいで一部変かもしれないが、凡そそれが私の半生だ。……読んでくれ」


「分かった」


 そう言い、紙束を手に取る。


「待て」

「どうした」

「はっきり言ってそれは私の恥部だ。黙々と読まれるのは恥ずかしいから、煩く読め」

「ええ?」


 読もうとしたら、アズモにそんなお願いをされた。


「今は真面目な時間じゃないのか?」


「不真面目な時間だ。物語で言ったらギャグパートだ。ギャグ担当のキャラクターが、自分の人生を語る時間だ。それも、特にしんみりする要素が一つもなく、純度100%のネタのまま終始進んで行くタイプの時間だ」


「アズモがギャグキャラは無理があるだろ……」


 どこからどう考えても物語のキーパーソンで、物語の謎を小出しにしていくタイプのキャラだろう。

 それこそ狂言回しみたいなもんかもしれない。


「言いたい事は分かる。『アズモはヒロインだろ』と言いたいのだろう」

「……?」

「確かに私はコウジにとって頭にメインが付くタイプのヒロインかもしれない」

「……?」

「だが私は面白いタイプのメインヒロインなのだ」

「……?」

「だからツッコミを入れながら読むべきだ」

「……よく分からないが、思った事を声に出しながら読めば良いんだよな?」


 アズモはコクリと頷いた。


「なら遠慮なく言わせてもらうが……これってアズモの半生を綴ったエッセイ漫画なんだよな。つまり、主人公はアズモなんだよな?」

「ああ。そうだ」

「いや、そしたら主人公の目がこんなにキラキラしているのはおかしいだろ」

「む……」


 まだ全然読んでいないが、キャラの書き込みが凄いのだけは素人の俺にも分かる。

 ぱちくりした目で、朗らかな表情をした可愛らしい女の子が回想をしている所から始まっている。


 女の子の顔とアズモの顔を見比べる。


「むっ……」


 アズモは不服そうにしていた。


「デフォルメされているとは言え、顔の造形に関しては似ているかもしれない、だが、表情が違い過ぎるだろ。俺はアズモのこんな表情を見た事がないぞ。誰だこのアズモは。頬っぺたの膨らみでちゃんと感情表現しているし、目で感情が読み取れるじゃねえか。俺の知っているアズモはなんて言うか……もっとこう雰囲気とか、その時のオーラで感情を読み取らなきゃいけない奴なんだよ。なんだよこのアズモのオーラは。なんで背後にキラキラしたエフェクトが入れられているんだよ」


「うるさい。黙って読め。そこを突っ込まれる事は想定していない」


「ええ……」


 色々と言いたい気持ちに駆られたが、アズモの背後にドヨドヨした薄紫色のオーラが見えたので口を閉じた。


「……」


 しょうがないので、突っ込みたい気持ちを抑え静かに読む。


「静かすぎる。喋って読め」


「……こいつ!」



―――――



「物心がついた時はいつか」という質問をよく目にする。

 大抵の者はそんな事など覚えていない。

 そのため、自分の中に存在する太古の記憶をさも物心がついた時かのように脚色しそれを回答とする。


 だが中にはその瞬間の事を本当に覚えている者もいる。

 そう言った者の話は、覚えていない者とは違って真実なため、どうしてもエピソードとは弱くなってしまう。


 だから、話のタネとしては、嘘を答えた方が喜ばれるだろう。


 では、「物心がついたのはいつだった」と聞かれたら私はなんと答えるだろうか。


 コウジと共に過ごした保育園の時か、コウジが私の中で目を覚ました時か、コウジが私の中に入って来た時か……答えはどれでもない。


 私にとっての答えは、産まれた時がそうだ。


 これならば、喜ばれる回答になるだろう。


 そして、嘘を吐く必要もない。



―――



「なんか小説みたいな書き出しだな」


 冒頭を読んだ俺はそう言った。


「私は元々小説を書いていた。書いても読む者が私しか居ないから、自分で書いて自分で満足するだけ。それなら、文の方が早い。だが今回は初めての事にチャレンジしてみた。コウジ相手なら小説よりも漫画の方が良いと思ったのだ」


「さらっと小説を書いたって言っているけど凄いな。漫画も絵とか描くの大変だっただろ」


「暇だから。何せ時間はほぼ無限にある」


「ふーん、なるほどな。しかし、なんで俺なら漫画の方が良いと思ったんだ?」


「文章読むのは苦手そうだと思った」


「舐めんな。こちとら国語の成績は上位だっての」


「コウジの記憶を何度も見ているが、読んでいた物は小説よりも漫画の方が圧倒的に多かった」


「ぐ……。まあそりゃそうだ。漫画はまあまあ好きだから週刊誌とか読んでいたが、小説はなあ……」


「つまり、そういう事だ」



―――



「……」


 その時、私は気付いた。


 目は開かず、耳も聞こえなかったが、その確信があった。


 宙に浮いているような感覚にはなったが、触覚が無いため取り上げられているとも感じなかった。


 ただひたすら無。


 何の情報も享受出来ていなかったため、何かを思う事も無かった。


 しかしそれは当然だ。


 何せ私には五感が無かったのだから――



―――



「えっ、アズモって五感が無かったのか!?」


「当時の私にはそんな贅沢な物は無い」


 出だしから衝撃過ぎて、少し読む度に視線が紙からアズモの方に移ってしまう。


「そんな事があるのか……」


 目の前に居るアズモがそんなに重いハンデを背負って産まれて来ていたとは想像出来ていなかったためにこの事実が重くのしかかってくる。


 正直言って、アズモが不幸な目に遭っている所を読むのは辛い。


「ネタバレになるからあまり言いたくは無いが、直ぐに救いが来るから取り敢えず読め。まあ史実に基づいてそれを描いたからネタバレも何もコウジになら分かるだろうが」


 束ねられた紙のずれから見える、コマの枠外。

 今読んでいる物や、次のページなどは背景が黒く塗り潰されており、僅かな絵と文字だけで構成されている。


 だがアズモの言う通り、途中から白くなっているのが窺えた。


「頼むぞ。俺は暗い話が苦手なんだ。必ずハッピーエンドにしてくれ」


「そうなるよう努めはするが、私の物語が良き結末を迎えるかどうかはコウジに掛かっているから、むしろ私はコウジにそう言いたい」



―――



 五感はないにもかかわらず、私には感性が存在した。


 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚がないのに、そこから派生する感情は持っている。

 そしてそれを私は直ぐに体験した。


 ――苦しい。


 気付いてから数秒後にそう感じた。


 勿論、当時の私に「苦しみ」なんていう語彙はなかったため、その言葉が浮かんだ訳ではない。

 だが、漠然とそれに近しい感覚を得た。


 直ぐに、焦燥感が苦しさを追いかけてやってきた。


 そして数十分後、私は死んだ。


 死因は窒息による脳死だった。



―――



「主人公死んじゃったんだが……」


 衝撃の展開が終わらない。

 回想が始まってから二ページで主人公が死んだ。


「事実なのだから仕方がない」


 背景がずっと黒いから何が起きているか分からないが、「死因」「窒息」「脳死」という文字がデカデカと書かれていた。

 しかもフォントが何故か明朝体やゴシック体ではなく、ファンシーな丸文字で書かれていた。


 おまけに枠外には「――突然死! アズモ先生の次回作にご期待ください!」と煽り文が書かれている始末。


「まさかこれ、受けを狙ってこう書いていたりしないよな……?」


「ちょっとふざけた」


「いや、なんでだよ。ここは絶対ふざけるシーンじゃないだろ。重いシーンが続いているな……って思いながら読んでいたら、突然『死亡☆』とか出て来たせいで頭が追い付いていかないんだが、なんでふざけちゃったんだよ」


「初めそこは前後の雰囲気に合うように書いていたんだが、あまりにも重すぎるなって思ったから一笑いくらい狙っておこうと……」


「馬鹿。狙うにしても緩急って物があるだろ。剛速球のくせに変化球過ぎるんだよ。これ読んでいるのが俺じゃ無かったら、『なんだこれ』って思って読むの止めているからな」


 俺の言葉を受けるアズモは腕を組みながら「いやしかし、読んでいて重いなと……」などと言いながら難しい顔をしていた。


 重いシーンが続くのが嫌ならこそ、余計な演出など付け加えずにさっさと終わらせて明るいシーンに繋げるべきだと思うのだが、違うのだろうか。


「でもそうなると非常に不味い……」


 ウンウン唸りながらボソボソ喋っていたアズモが不意に俺の目を見てそう言って来た。


 嫌な予感がした俺はアズモに「何が不味いんだ?」と問う。


「重いシーン全部で同じようにちょっとふざけた」


 頭を抱えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る