五十三話 「気のせいじゃないですか?」


 旧友であり、悪友であり、私の仲間でもあるスライム娘が道に蹲っている。


「……」


 何をしている。と、声を掛けるべきなのかもしれないが、道の往来で「こっちからコウジ君の臭いがしますね」なんて言いながら、道に鼻を擦り付けて歩く女の知り合いと思われるのが嫌で遠くから無言で見守るしかなかった。


「あ、泥娘さん」

「やめろ。私に話しかけるな」


 顔を上げて立ち上がったスライム娘は私が遠くに居ることに気付くと手を振りながら近づいてくる。

 奇異の目で見られていた不審者の仲間だと思われたくない私は早歩きで路地裏に入って行った。


「なんでそんなに離れているんですか? 見失ったら面倒なので近くに居てくださいよ。あとなんで人間に擬態しているんですか」


 こいつは相変わらず、一度に沢山の事を喋る。

 何故こんなにも喧しいのか。


「離れていたのは貴様の知り合いだと思われたくないから、人間に擬態しているのはそうした方がこの場では自然だからだ。あと私は泥娘ではない、スライム娘」


「へえ、そうなんですか。人の目を気にしながら生きるなんて、なんだか生きづらそうですね。あと泥娘と呼ばれるのが嫌なら、私の事をスライム娘と呼ぶのを止めてくださいよ。フェアに行きましょうよ。この度、目出度く仲間になったんですから、仲良くしましょうよ。ほら、手始めに名前で呼び合いましょう?」


「馴れ馴れしいな。仲間になったとは言え、仲良くやるつもりはない。私は未だに貴様の連れて来た魔王殺しに街を破壊された事を根に持っている」


「何百年前の話をしているんですか? 面倒だし、引きずるし、重い女は好かれないですよ? それに、まだ引きずっていたというか、そもそもあれの責任を私に求めていて少しびっくりしていますよ。しかも恨むなら、私じゃなくて無限さんが正解では? まあ、あの時の無限さんは明らかに天災で、心神喪失状態だったので、責任を求めるのは酷な話ですけどね。長女のちゃんとした天災竜と違って世界の平和の障害になりそうな人達だけ殺して回っていましたしね。それに被害を被った人達はもう皆死んじゃっていますし。皆寿命が短いですしね。え、だからと言って私に矛先を向けるのも間違っていますよ。そのくらいは流石に分かりますよね?」


「……」


 本当に喧しいな、こいつ。

 なんでこれほどまでに口が回る?

 しかも一回も噛まずに。


 あのつまらなさそうな男、確かコウジと呼ばれていた人間はどうしてこいつと一緒に行く事を決めたのだろうか。


 この世界有数の実力者だから、戦力としてみれば心強いのは理解できる。

 しかしそれを補えないくらいにこいつは鬱陶しい。

 喧しいし、品が無いし、煩いし、下品だし、口うるさいし、心が腐っている。


「分かった。私の負けで良いから一度黙ってくれ」

「え、勝負なんてしてないですけど。急に負けを認めてどうしたんですか? 普通に喋っていただけですけど――」

「――分かった。もう分かったから止まってくれ。誰かと喋るのは五百年振りなのだ。五百年振りにまともに喋る相手が貴様なのだ」

「それはちょっと可哀想かもしれないですね?」


 やっと止まってくれそうだ。


「もう折れたからとことんまで貴様の言う通りにしてやるが……名前か。どう呼べば良い? 貴様には名前が複数あるだろ」


「アオイロでお願いしますよ」


「分かった。……が、本当にその名前で呼んでいいのか。貴様にとってその名前は特別な物だと思っていたが」


「だから良いんですよ。だって、あなたは私に出来た初めての友達ですからね。友達なんだから、逆に他の名前で呼ばれるのはちょっと嫌ですね」


「そうか。じゃあアオイロと呼ぶ」


「はい、ありがとうございます。で、あなたの事はなんて呼びましょうか? あなたは私以上に人付き合いをせずに生きてそうだから名前が無さそうですけど」


「いや……あるにはあるが…………」


 その名前は昔、この街で一緒に過ごしていた奴が「泥と呼び続けるのは失礼だから」と言って付けてくれた特別な名前。

 だがこいつも、特別な名前で呼ぶ事を許可しようとしている。

 いや、とは言え、もしかしたら……。


「……アオイロ、参考までに聞くが、貴様のそのアオイロという名前は聞いた事のない単語だが、どういう意味が込められている?」


「アオイロは青色って意味ですよ。色なんですよ、色。小さいコウジ君が私を見て『青色だ』って言ったのが始まりで……私にとって命よりも大事な人がアオイロという名前を正式に付けてくれました」


「……」


 なんてことだ。

 予想が外れていて欲しかった。


「どうしました……?」

「……絶対に笑うなよ」

「ええ? はい、人の名前を聞いて笑うような非常識なことを私がするとでも?」



 すると思っているから気にしている。


「……ロだ」


「はい?」


「……クロだ。私の唯一の名前はクロなのだ」


「……」


 気まずい。


「……こちらも参考までに聞きますが、その名前になった経緯とかは」

「貴様と同じで色だ。色なのだ……」

「……」

「……」


 気まずい。


「ええ、なんで黒なんですか? え、普通だったら茶色とか、土色とか、黄土色とかって名前になりませんか?」


「言うな、分かっている。でも、貴様になら分かるだろ? その時はたまたまその色だったのだ」


「あっ……」


「それにそんな事を言ったら今のアオイロの色は青ではないだろう。どうせ進化して別の色になっているのだろう。未練がましく髪色に青を差しているようだが、本当は違う色なのだろう」


「それは……。……確かに、オレンジですけど。いやでも、私の進化はカラーバリエーションが豊富ですし……」


「ああそうだ、貴様の言う通りだ。私は派手なのを求めるが、私自身は色彩に恵まれない哀れで地味な魔物だ。だが、それを言うな。気にしているのだ。少しでも対抗しようとするな。良いじゃないか、基本茶色系の色にしかならないのに、その時はたまたま黒という別の色になれたのだ。思い出も伴って好きな色だ。こればっかりは折れてやらない」


「あ、すみません。驚いて過剰に反応してしまいました。私も同じような経緯で特別な名前を貰った仲間なのによく無かったです…………で」


「――気付いていますか?」

「ああ、勿論」


 私としては珍しく会話に興じてしまったせいで反応が遅れた。


「距離はまだ百メートルくらいありそうですけど、どうします? 逃げますか?」

「この距離ではもう逃げられないだろう」


 ――トン。


 地面に刀が突き刺さった。


「……久しいな。十年振りといったところか?」


 ――トン。


 柄の上に黒い鳥の翼を持った者が舞い降りた。


「この十年、いったい何処をほっつき歩いているのだと組織で度々話題になった」


 黒い翼がひらひらと舞い落ちる。


「まさか、こんな場所に居たとはな。……帰って来い、ピーネイン」


 凄まじい眼力に睨まれる。

 黒の鳥獣人族だ。


 堀の深い端正な顔立ち。

 こんな場でなければ、今後の造形の参考に型を取っていたかもしれない。


「知り合いか?」


 手を組みながら顎で黒い鳥獣人族を指し、アオイロにそう聞いた。


「いやー、私の知り合いにこんな見た目の人はいなかったですね。なので、他人です。たぶん誰かと間違えられていますね。あ、誰ですかあなた。ちょっと私達急いでいるので行っていいですか。ちょっと付き合っている暇はないというか、そんな情熱的な目線で見つめられても困るというか、なんというか、ちょっともう関わりたくないというか」


 そう言ってアオイロは踵を返し歩き出そうとするが、進路に黒い風切羽が突き刺さりアオイロは飛び上がった。


「ひゃあああ! なにするんですか! 喧嘩ですか!? 喧嘩ですよね!? 私と戦ってもつまらないですよ! この世界で一番か弱い生き物なので!」


 ……どの口が。


「俺に冗談は通じないと知っているだろう。いつも言っていたではないか。『あの人、地位も高ければ、腕も良いし組織にとって大事な要員ですよね、きっと。でも、壊滅的に一緒に居てつまらないですよね、真面目過ぎて』と」


「ええ、誰だか知りませんが怒っています? 怒っているのならしょうがないので渋々謝りますが、でも真面目過ぎるのは私も良くないと思いますよ」


「ああ、それは悪かった。お前の言う事の何が面白いのか分からなくて反応に困っていたんだ」

「失礼な人ですね! 誰だか知りませんが!」


 黒い鳥獣人族が口にする台詞に共感できてしまい、頷きながら聞いてしまった。


 アオイロは何処にいても誰かを困らせていたのかと、安心した。


「ああ、これは失礼。この身体ではまだ挨拶していなかった。俺の名前はロゴス。聞いたことあるだろう」


「思い出してきました。一時期加入していた何をしたいのかよく分からないくせに、尊大な夢だけは掲げていて、でもなんにも出来ていなくて、八つ当たりであちこちに喧嘩を売っていた結果、竜王家にマークされてしまったせいで活動しづらくなったで有名な犯罪組織にそんな名前の人が居たかもしれない気がしてきました」


「相変わらず口が回る」


「身体も口もふにゃふにゃしているので仕方がないんですよ。それじゃ、そういうことで――ひゃあああ!」


「帰るぞ、ピーネイン」


「ええ? あそこは私にとって全然帰る場所じゃないんですけど……」


 ふーん、しかし私は何を見せられているのだろうか。

 関わりのない団体の揉め事に巻き込まれようとしている。


 帰っていいだろうか。


「嫌がっていてもどうせ帰るだろう。ここで問答している時間が惜しい。お前の言う通り、最近は活動がしにくい」


「はあ~? 帰らないですが~?」


「それはおかしい。お前にも生き返らせたい大事な人がいたはずだ」


 ……生き返らせたい大事な人。

 そういえば、先程名前の話をしている時にそれらしい事を言っていた。


「私にとってそれはもう良いんです。関係のない人達を何人巻き込まれたんだって怒られちゃいましたから」

「そうか――」


「――お前にとってそれは、その程度のものだったのか」



「今――なんて言いましたか?」



 ……ああ。

 これは不味いな。


「帰ろう、アオイロ。お前の居場所はお前が一番分かっているはずだ」


 手のひらサイズのアオイロに声を掛ける。


「……凄まじい殺気だ。だが、今のお前が俺に勝てると思っているのか、俺の身体は強い。お前の身体は……随分と弱そうだ」


 ロゴスと名乗っていたやつは何も分かっていない。


 アオイロの強さに身体は関係ない。

 元が最弱の生き物なのだ。


 何故そんな奴が、序列石に名を連ねられたのかをこいつは分かっていない。


 アオイロがおもむろに手を口に運んだ。

 その手には黒い風切羽が握られていた。


「少し、借りますね」


 アオイロのその言葉は誰に向けられたものだったのだろうか。


 その直後、アオイロの身体にオレンジの翼が生えた。

 そしてアオイロがオレンジの翼をひらめかせると小さな羽根がロゴスと名乗った者に物凄い勢いで飛んでいく。


 無数のオレンジの羽根が向かうが、ロゴスは表情を崩さず刀を手に取り飛んで来た小さな羽根を切り刻む。


「……流石だな。少し見縊っていたようだ」

「どうしますか、あなたのその武器はもう使えないようですが」


 アオイロの言う通り、ロゴスの握っていた刀には刃の至る所に小さな穴が空いており、少しの衝撃で砕け散ってしまいそうになっていた。

 刀だけではない。

 ロゴス自身も風切羽に被弾していたのか、生傷が見えた。


 あれは、風切羽が刀に穴を空ける程硬かったのではない。

 風切羽が刀を食ったのだ。


 あの風切羽は当たってはいけない。

 当たったら最後、そこはアオイロに食われ、取り込まれてしまう。


「お前の意思は固いようだ、日を改めよう。それにこの街にもう用はない」


「この街で何かやっていたんですね」


「ああ。……誰かに先を越されていたようだが」


「へえ、そうなんですか」


「元仲間のよしみで教えてやるが、お前らも早くここを去った方が良いだろう。小さくてもピーネインはピーネインだった」


 そう言い、ロゴスは去っていった。


「……私はお前が怒りで我を忘れて暴れ回ると思ったが、杞憂だったようだ」


「失敬な。私は人が出来ているので、そんな簡単に怒ったりしませんよ」


「さ、私達も生きましょう。コウジ君をさっさと見つけなければならないですよ。私達は保護者なんですから」


 場を変えるように、アオイロは楽しそうに言って歩き出す。

 その背中にはもうオレンジの翼は無かった。


 大した奴だ。

 見ない間に成長していたらしい。


 アオイロの背中についていき、路地裏を歩く。


 光が見え、もう少しで路地裏を抜けるといったところで、アオイロに影がかかる。


「――おう、ちょっと待てい。お嬢さん方、ここで何をしていたか教えてもらってもいいか」


 気怠そうな声だった。

 見慣れない服を着崩した中年の男。


 右手に挟まれた煙草からモクモクと煙が出ている。


「ここらで何か大きな力が使われたようだが、何か知らねえか?」


「……ん、よく見たら、何処かで見た顔だな」


「気のせいじゃないですか?」


 アオイロは道を塞がれたため一瞬止まったが、そう言うと股の下を抜けて歩いて行った。


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