五十一話 「あの子の死を奪って」


「――血の臭いがするからドアを開けるのは止した方が良いわ」


 ドアに手を掛けたコラキさんの腕に手を添えたラフティリがそう言った。

 コラキさんは「何を言っているのだろうか……」と、言いたげな視線をラフティリに向ける。


 ラフティリのこんな台詞を聞いても、普通の人なら何を言っているだとしか思わないだろう。


「本当なんだな?」

「ええ。あたしは嘘を吐けないわ」


 だが、唐突に奪われる事を知っている俺はラフティリの言葉を直ぐに飲み込んだ。


「俺だとこの家の中から殺気なんて一つも感じ取れていないが……ラフティーには何か分かるか?」

「それはあたしにも分からないわ。たぶんだけど、もう事が終わっている。……だけど、もしかしたら気配を隠すのがとても上手い誰かが居て中に隠れているかもしれないわ」

「そうか……」


 遅かったんだ……。

 もっと直ぐに気付けていれば。


「え、え……? どういう事ですか?」


 俺とラフティリが話す中、何が起きているのかが分からずに置いてきぼりになっているコラキさんは困惑する。


「何か起こったのですか? 家族は……お母さんは……?」


 何が起きているのかは分からないが、俺達の話す様子から何かを察したコラキさんがドアノブに掛けていた手に力を込める。

 ……が、ドアは開かない。


「放してください……」


 コラキさんは今にも泣き出してしまいそうな声でラフティリに懇願するが、ラフティリは首を振る。


「逃げるべきだわ。あたしと同じ理由で襲われているのなら、この中にはあたし達じゃ到底敵わない相手が待ち構えているかもしれないもの」

「でも中には家族が……。襲われていたとしたら早く助けなきゃ……」

「パパがこの街には頼れる人が居るって言っていたからせめてその人を探してから――」

「――その人は誰で、何処にいるんですか?」

「……何も分からないわ。でも名前は――」

「――待てないですよ!」


 家族の無事を早く確認したいコラキさんがラフティリの静止を振り払って扉を開こうとするが、ラフティリの腕は岩のように動かない。


「お母さんと弟と妹が中に……!」

「妹……」


 だが、「妹」という言葉に引っ掛かったラフティリの一瞬の隙をついてコラキさんがドアを開いた。


「――――っ!!?」


 勢いよくドアを開いたコラキさんが息を呑む。


「――キャアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 そして直ぐに叫んだ。

 夥しい量の血が見えたからだ。


 廊下一面にびっしりとこびりついた血がここで起こった惨状を物語っていた。


「……ロカ!!」


 玄関にうつ伏せで倒れていた中学生くらいの女の子を抱え上げたコラキさんがそう叫ぶ。


 コラキさんにロカと呼ばれたその子の背中には短刀が突き刺さっていた。

 背中と口から血を流すその子はコラキさんに揺すられても起きる気配が無い。


「ロカ、しっかりしてロカ! 何が起こったの! ねえ!!?」


 コラキさんに声を掛けられてもロカと呼ばれる子は動かない。

 きっと、もう……。


 自然と拳に力が入る。

 借り物の身体から血が流れる事に気付かず、ギリギリと歯を食いしばった。


 ……どうしてこんな事を?


 到底許す事ができなかった。


 黒鳥獣人族が強い身体を持っているからか?

 強い身体を持っているとこうやって命を脅かされないといけないか?

 家という安息の地を侵されて不条理に蹂躙されなければならないのか?


 何が目的なんだ。

 誰かから奪って集めた身体で何がしたい。

 その行動には誰かを納得させるほどの理由が伴っているのか。


 どれだけ偉大な事だとしても、その人の日常を奪って良い訳がない。


 そうやって、アズモみたいな被害者を出し続けるなら俺は――


「――コウジが異形化しそうになってどうするのよ」


 不意にラフティリの声が聞こえた。


「……え」


 炭のように黒くなっていた腕から血のようにドス黒い何かが溢れ出していた。

 また俺は……。



「……悪い」


 俺を思考の渦から掬い上げてくれたラフティリに謝った。


「しっかりするのだわ。コウジにはやってもらわないといけない事があるから」

「俺に……?」

「コウジはアズモと同じように魂体になれていたわよね」

「あ、ああ……それは確かに出来るが」

「なら、なんとかしてきて。アズモならなんとか出来るはずだから」

「なんとかって……」


 何をすればいいのか分からない。


 ラフティリの言っている事はつまり、アズモが出来る事なら俺にも出来るだろっていう無茶ぶり。


 アズモなら、魂竜アズモなら何が出来る……。


「分かった。やってみる――」


 そう言って解放を使ってスズランの身体から意識を切り離していく。

 何が出来るかは分からないが、何もやらないという選択肢はなかった。


「頼むわ。あたしはあたしで出来る事をやるわ。――」


 そう言ったラフティリも何かを呟く。

 すると、ラフティリの周囲の空間に水溜まりが浮かび始め、それらから小魚が現れていく。

 小魚は宙を泳ぎ、コラキさんに抱えられたロカという子の傷口へ群がる。


「……この魚達はいったい?」

「治癒専門の私の召喚魚達よ。あなたの家族の傷を治すわ――」


 あれは、いつか見たフィドロクア兄さんのものと同じ――。


 そこで意識が途絶えた。


 だが、手放したはずの意識は直ぐに戻る。


 有事に備え、魂体になっておく。

 今日何回目の解放だろうと少し考えていたら、同じように考えていた奴がいた。


「――私は、ラフティーの回収で今日のイベントはもう終わったと思っていた。だが今日はまだ終わらなかったのだな」


 背中から聞き慣れた声が聞こえた。


「ナーン」


 続いてやけに鼻にかかった鳴き声も聞こえる。


 音のした方向に振り向こうとしたら、肩から顔を覗かせるアズモと至近距離で目があった。

 相変わらずふてぶてしそうな顔をしている。


 視界の八割を奪うアズモの後ろで「ナー」と言いながら伸びをする白猫も見えた。

 俺達が抜けた事で人間化が解けたのか、魔物の姿に戻っている。


「アズモも俺と一緒に出て来たのか」

「私とコウジは魂で繋がっているのだから当然だ。この繋がりは誰にも切り離せない」

「そうか……。アズモはこの状況を理解しているか?」

「……ああ、勿論だ」


 アズモは俺にあしらわれた事に対して一瞬ムッとした気配を出すが、直ぐにそれどころじゃない事を察して切り替える。


「ラフティー、ここまで大量の血が流れているという事はだ、犯人はラフティーが想像していた敵ではないという認識で間違いないか?」


 俺の背中にしがみつくアズモがラフティリに声を掛ける。


「ちっちゃいアズモ……。ええ、ええ合っているわ。あの最悪の連中は不殺主義だから間違い無いわ」


 いきなりアズモに話しかけられたラフティリは一瞬驚いたような顔を向けるが、直ぐに切り替えてアズモの質問に答える。


「なら、家の中に入っていっても問題はないな。よし、行けスズラン」

「ナーン!」

「……」


 アズモがラフティリに確認を取り、スズランに意気揚々と命令をする。

 何が潜んでいるか分からない場所にスズランを躊躇なく突っ込ませるアズモの行動になんか言いそうになったが黙った。


「ナンナーン」

「……お邪魔します」


 何の躊躇いもなく入って行くスズランに続いて家へ入っていく。

 外から惨状が見えていたため多少の覚悟はしていたが、家の中は更に酷い有様だった。


 この状態の俺に嗅覚が残っていたら大変だっただろう。


 廊下にこびりついた血が固まり、黒く変色している。

 流れた血の量から考えて襲われたのは一人ではないだろう。


 明らかにただ殺すだけで流れる血の量じゃない。

 必要以上に甚振って多くの血を流させている。

 愉快犯による犯行か、相当の恨みを何処かで買っていたのか……。


 この家には犠牲になった人がまだいるはずだ。


 廊下を歩き、開けっ放しになっている扉から中を覗くとリビングらしき場所が見えた。


 廊下と同じように全体的に赤黒い。

 家具が散らかり、壁が罅割れているところからここで凄まじい戦闘があった事が分かる。


 そして部屋の中央、倒れたソファの横に誰かが居るのが見えた。


 部屋の中に入るとボソボソと誰かの呟く声が僅かに聞こえた。


「――くん。――くん。起きて。――くん。」


 その誰かの身体はとても薄く、今にも消えてしまいそうに見えた。


「もうすぐコラキお姉ちゃんが帰ってくるはずだから――くんは助かるよ。もう少しの辛抱だよ。大丈夫、大丈夫だよ……」


 気付かれないようにリビングへ入ると、その誰かが語りかけていた事が分かった。

 床に黒焦げの肉塊が転がっており、透き通った誰かはそれに向かってボソボソと呟き続けている。

 黒焦げの肉の周りには大量の黒い羽根が散らばり、焦げた細い何かが数個落ちていた。


「……っ」


 アズモが息を飲むのが分かった。

 死んで霊となった者が死体を励ましている異様な光景だから無理もない。

 アズモが居なければ俺も叫んでいたかもしれない。


 あの透き通った誰かは魂だ。

 ここで殺された誰かが、肉体から解き放たれた姿だ。

 透き通る姿を見るにもう少しも時間が残されていないのが分かる。


 そしてあの黒いのは、元は人だったもの。

 片腕と片足をもぎ取られ、羽根を毟り取られ、燃やされて真っ黒になったもの。


 酷い。

 何故、人はこれほどまでに同じ人に対して無情になれる。


「コウジ……」

「アズモは見なくていい」


 怯えながら声を絞り出したアズモを掴み、胸の前に抱きかかえた。


 これはアズモにはまだ重い。


 知り合いの家族の惨殺体。

 さっきまで普通に喋っていた友達の家族が何者かによって惨殺されているところはアズモに見せたくない。


「大丈夫だよ。――くんは大丈夫だよ」


 誰かの魂が壊れたようにずっとその言葉を口にする。


 異様な光景だ。

 散らかった部屋で、死んで魂だけになった人が、死体の傍に座り、永遠と「大丈夫だよ」と口にする。


 …………こんなことが許されるのか。


 あの二人をどうにかして助けたい。

 だが、どうしたら良い。


 俺はあの二人を殺した誰かを殺す事しか思いつかない。


 怒りに任せて復讐する事しか頭に浮かんで来ない。

 駄目な人間だ。


 二人を殺した犯人を殺さないように、丁寧に丁寧に、少しずつ――


「ナーン」


 頭の中でどうやって犯人を痛めつけるか考えていたら、スズランの鳴き声が聞こえた。


 声のした方向を見たら、スズランが霊と死体の間に座り尻尾を振っているのが見えた。

 死体に呼びかける霊は気付いていないのか、スズランの方を決して向かない。

 それに対してスズランは首を傾げ、幽霊と俺達の方を交互に見て鳴く。


 魔物として生きてきたスズランには、この状況が理解出来ていないのかもしれない。


「大丈夫だよ。――くんは大丈夫だよ」

「ナーン」

「お姉ちゃんが助けてくれるから」

「ナーーン」

「だからもう少し耐えて。まだ身体から出ちゃダメだよ」

「ナンナンナーン」

「……」


 幽霊の言葉が止まった。


 言葉を止めた幽霊は、いよいよ顔を動かしてスズランを視界に捉える。

 スズランが幽霊に睨まれているように見えた。


「ナーン? ナーン?」


 どうして睨まれているのか分からないスズランが首を傾げ、俺に振り向く。


「……」


 スズランにつられて幽霊も俺の方を向いた。


 黒で雑に塗り潰したような瞳が俺を捉える。

 瞳には怒りが強く表れていた。


 冷たい視線に射抜かれた俺は身体が震える。

 アズモはブルブル震えながら俺に必死にしがみついてきた。

 見せないようにしていたが、好奇心には勝てなかったようだ。


「誰だ、お前達は――」


 幽霊がそう呟き、激しい殺意を放ってくる。


 絶対に許さない。

 そんな気持ちが痛いほど突き刺さってきた。


「俺は沢畑耕司だ」


 聞かれるがまま俺はそう答えた。

 間違えた答えをしたら殺される……と、本気で感じた。


 答えを間違えたら何かが起こる。

 それが何なのかは勿論分からないが、それによって俺達にどういった影響が出るかも分からない。


 だが、答えを間違えたらこの幽霊は何かしらの力を行使する。

 そしたらこの幽霊は消滅する。


 何が何でもそれだけは阻止しなければならない。


「俺はコラキさんの友達だ。最近この街にやって来た冒険者だ。コラキさんにはとてもお世話になっている」

「サワハタコウジ……冒険者……」


 幽霊が俺の言葉を繰り返す。


「その白い魔物は俺の召喚獣。名前はスズラン」

「ナーン」

「スズラン……召喚獣……」

「この小さいのはアズモ・ネスティマス。魂竜アズモ・ネスティマス」

「魂竜………………魂竜アズモ!」


 名前を叫ばれたアズモの身体がビクっと震える。


 幽霊は目を見開きアズモを見た。

 そして、揺れながらこちらに近づいて来て俺の胸にしがみつくアズモに触れる。


「っ……!」


 幽霊に掴まれたアズモは死にそうな顔をしながら俺の顔を見上げる。

 アズモの顔には「どうにかしてくれ」と書いてあった。


 ……どいつもこいつも俺にとんでもないことを投げてくる。


「魂竜アズモ様。この子の死を奪って……!」


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