2.5章 記憶達

外壁と生存の記憶



 ――元々は人間が好きだった。


「見てよ母さん! 友達と遊んでたら凄いのを捕まえたんだ!」


 石造りのみすぼらしい家に男の子の声が響いた。

 間もなく、湯気の立ち上る厨房から母親らしき人物がやって来る。


「おお、お帰り。……って、一体何を持って帰って来たのあんた……!?」


 麻の前掛けで濡れた手を拭きながらやって来た母親は、男の子に掴まれプランと垂れる魔物を見て驚いた顔をする。


「泥の魔物を捕まえて来た!」

「捨てて来なさい! というか今すぐに離しなさい!」

「え、どうして? こいつ何もしないよ!」

「何もしないって言ってもそいつは魔物よ! 噛まれたらどうするの!?」

「噛まないって! こいつは言う事を凄く聞いてくれし良い魔物なんだよ!」

「良いから捨ててきなさい!」


 見た事の無い魔物を捕まえたと楽しそうに話す息子を見た母親は荒々しい口調で言葉を捲し立てる。

 当然の反応だった。


 時を経る毎に理解が進み、魔物に対する思いや感情は変わっていく。

 余程排他的な国や街で無ければ人間と魔物両方の種族が暮らしている。

 お互いに手を取り合い過ごしていくのが一般的。


 ……しかし、それは今の話だ。

 当時は人魔対戦真っ只中だった。

 何処かの国の人間と魔物が竜に手を出したせいで今までどこの勢力にも属さずに静観を貫いてきた竜達が戦場に現れるようになり、各地に壊滅的な被害が出始めた。


 竜は人間と魔物の両方を襲う。


 竜が余りにも強すぎるため、両種族は抵抗する事も出来ずに死んでいく。

 人間と魔物が手を組んだ所で竜には敵わない。


 いつしか領土や食料の確保、種族の違いから始まっていたはずの戦争はどちらが竜を怒らせたのかの責任の押し付け合いになり、両種族は更に溝を深めていく事となる。

 男の子が泥の魔物を拾って来たのはちょうど、竜からの虐殺に耐えられなくなった魔物達が、竜の逆鱗に触れた者達の暮らしていた人間の国を滅ぼし、主犯格の首を持って竜に会いに行っていた時。


 どちらが相手よりも先に竜のご機嫌を取れるかで躍起になっていた時だ。


 ――本当に困った話だ。


「でもでも本当に凄いんだよ! 見ててよ本当に凄いんだから! ほら、さっきの奴やって! あれを見せたらお母さんもお前の事を好きになるはずだから!」

「ゴギュギュ」


 ――私達の種族はその特性故に古くから人間と共存してきた魔物。


「……喋った?!」

「ギュルルルル」


 泥の魔物は男の子に言われるまま働く。

 事前に男の子から与えられていた石を元に切れ味の良いナイフを生み出した。


「ほら凄いでしょ! こいつ何でも作れるんだ!」

「ゴギュゴギュ」


 ――私達の種族は人間の役に立つ事が至上の喜びだと教え込まれている。


 男の子は誇るように言い、泥の魔物は役目を果たせて喜んだ。

 だがその中で唯一母親だけは顔面を蒼白させ、腰を抜かしていた。


「嘘でしょ……あんたは何て物を拾って……」


 私は錬金土嚢という魔物。

 人の目が届かない地下で永遠と石を与えられていた。

 戦地に赴く者達の武器や防具の製造を来る日も来る日もさせられていた。

 魔物を利用しているなんて事が住民達に知られないように隠されていた存在。

 光の当たらない狭くて汚い場所でずっと働いていた魔物の一匹。


 その日は新しく出来た別の製造工場に錬金土嚢達を移す為に運搬作業が行われていた。

 私はそこでたまたま積み荷から落ちてしまった魔物。


「――見つけたぞ。ここに逃げ込んでいたのか」


 当時、人間の中で魔物と関わる事は禁忌とされていた。

 戦地に赴いた親や兄弟を殺した奴等と同じ種族の存在を容認する事が出来ないからだ。


 だが、錬金土嚢のように人間の生活からは切っても切り離せない魔物がいたため、そういう魔物は民衆にバレないよう秘密裏に管理されていた。


 しかし、時稀に私のような奴が管理下から抜けてしまう事があった。


「おいここに居たぞ。周囲の人払いをしろ」


 ――間もなく、親子は処刑された。

 口封じのためだった。


 管理が杜撰なせいで魔物が度々街に現れる。

 その後直ぐに事態の処理が行われるが、民衆には私達のような存在が居る事は噂として広まっていた。

 それでも、誰も国に対して何かをしようとはしない。


 口封じの仕組みは完成していたのだ。


 母親が最期に男の子を抱きしめていたのが見えた。


「ゴギュ……」


 私にはある気持ちが芽生えた。


 ――誰も死なせたくない。



―――――



「匿ってください」


 深夜、逃亡者がやって来た。

 液状なのか、固形なのかよく分からない不定形の魔物。

 切羽詰まった様子でやって来たそいつは私の作った壁を壊して侵入して来た不届き者である。


 どうしてこんな奴を助けなければならないのか。


 青一色で見てくれもよろしくない弱そうな魔物。

 ここで匿った所で……と一瞬思い掛けたが、こいつは私の作った壁を壊せる程度の力は持っている。


「一夜だけだ」

「ありがとうございます」

「この下に空間を作る。そこで休むが良い」


 これは気まぐれだ。

 長く生きているせいで日々が退屈でつまらない。

 それに対して不満はないが、満足している訳でもない。

 外を歩けば竜に轢き殺されるような世界だから生きていられるだけで喜ぶべきなのかもしれないが、ただ生きているだけというのはつまらない。


 手のひらを地面につけ地中を操作する。

 操作の過程で補充された分は壁の補充に回し、数分で空間を作り上げた。


「完成した。見てくれは最悪だが雨風を凌ぐにはこれで充分だろう」

「……凄い」

「……何を驚いている? 貴様もその種族ならこれくらい出来るだろう?」

「私は最近進化したばかりなのでまだ力を十分に使いこなせないです」

「最近とは言え、そこまで進化するのに段階を踏んで来たはずだ。その過程の中で力の使い方は理解出来るものだろう」

「いえ、私は最近こうなりました」

「ふーん……なるほど」


 弱そうに見えていた理由が少し分かった。

 こことは違う甘く優しい場所で生きて来たのだろう。

 進化したのも偶然に違いない。

 百年も生きていない若者でも、恵まれた運さえあれば生存は可能。


「まあ良い。約束した以上、今夜だけは匿う。さて、そろそろ貴様を追っている者の特徴を教えろ。それが分からなければ、間違えて通してしまうかもしれない」


 弱い者を追っているもまた弱い者。

 そもそもこの壁を突破出来る者なのかも怪しい。


 四方を高い壁で囲んだ安息地。

 出入口の無いここに入って来るには、こいつのように壁を壊すか、空から飛んでくるかしかない。

 壁は直すついでに補強した。


 もう何人たりともここに侵入させるつもりは無い。


「私を追っているのは無限龍です」

「……どうやら私の耳がおかしくなっていたようだ。ちゃんと聞くからもう一度特徴を言ってみろ」

「無限龍です」

「……」


 無限龍だと。

 そんなはずがない。


 無限龍は王を殺す事しか脳にない生粋の気狂い野郎。

 あいつの主な得物は、人間の王と魔物の王。

 他にも天使や悪魔、神などの絶対的な力を所有する輩の事も気まぐれで殺していくらしいが少なくとも……。


「貴様は嘘が下手だ。無限龍がただのスライムを追う訳がないだろうが」


 侵入者はただのスライム。

 何をどう間違えても無限に狙われるような存在ではない。


「私は嘘を吐いていません」

「は、そう思いたいならそれでいい。見え透いた嘘に付き合うのは好きでは無い。故にその話はもう終わった」

「……本当だったらどうしますか」

「終わったと言っただろうに。随分と自信を持っているように見える」

「……」


 おどけて返してみるが、スライムは何も言わない。

 形も保てないドロドロのスライムが大きく出た。


 身の程を弁えない愚直さが嫌いだ。

 だが、何か強大な敵から……それこそ無限龍から本気で逃げて生きようという気概は嫌いではない。


 仮想敵とは言え、だ。


「ふーん、それが嘘では無く本当だったら、この場所で何日でも匿ってやろう。まあだが、本当に無限龍であった場合匿うというのは無理だろうから……そうだな、一緒に逃げてやろう。貴様が満足するまでは何処までも一緒に行ってやろう。私は生命以外の何でも作れるから役に立つ」


 常日頃から身を守る事しか考えていない種族が外に出ると宣言した。

 小さな少女の主張を虚仮にした代償としては些か大きすぎる気がしたが、まあ良いだろう。


 なんせ私は退屈だ。

 どうせ長い生。一度くらい先の見えない不安定な弱者に着いて行っても良いだろう。


 まあ、そんな事にはならないと思うが。


「言いましたね。魔物に嘘はありませんよ」

「ああ、約束だ」





―――――

―――



「――ここに俺の事を殺せそうなスライムが来なかったか」


「――一体何をしたらあれに目をつけられる」


「――だから言ったじゃないですか」


「――先の俺に嘘を吐いたようだ。俺は嘘が大嫌いだ」


「――どうせあなたは生き残るのでしょう」


「――これではあいつらとやっている事が同じか」


「――知っていますか。実は私の方が年上なんですよ」


「――よお、邪魔するぜ」


「――また来ます」



―――

―――――





 あれから何年経っただろうか。

 十年だったか、百年だったか、千年だったか……長く生きてしまっているせいで時間に対する感覚に疎い。


 だが、約束を果たす時が来てしまったのは理解した。


「――相変わらず奇天烈な物が好きなんですね」


 地中深く。

 私のコレクションを雑に漁りながらそいつは言った。


「当たり前だろう。地味な物よりも、派手な物の方が見ていて楽しい」


 そいつは興味なさそうに「そうですか」と呟き作業に戻る。


「ゴギュギュ」


 分身の一体を鳴らし、問題なく動く事の確認をする。


「そう言えばそれなんなんですか。あなたの子供?」


 分身の動作確認をしていると、盗賊が指を指しながら聞いて来る。


「『なんなんですか』だと? それはこちらの台詞だ。訳の分からない人間に付いているわ、私のコレクションをぶっ壊しに来るわ、そもそもどうして貴様はそのような姿になっている」

「色々あったんですよ」

「はあ……」


 頭を抱えながら溜息を吐く。

 言いたい事は多々あるが、こいつはそういうやつだ。

 あの時もそうだったために今の苦労がある。


 肝心な事を喋っていると疲れるからこいつとはそういう話はしない方が良い。


「これは私の分身だ。無限龍や貴様のやり方を見て試しにやってみたらなかなかどうして上手くいったものだから使っている」

「生命は作れないという縛りがあったはずでは?」

「こちらも色々あった……とだけ言っておく。製法に関しては黙秘する。これを真似されでもしたら世界の勢力図が変動してしまう」

「別に良くないですか」

「貴様のような悪者にのさばってもらっては困るだろ」

「それはそうですね」


 悪者の盗賊行為を眺めながらお気に入りの分身の一体を手に取る。


「これにするか」


 形態を変化させ、泥状に姿を変える。

 そして、お気に入りの分身と一体化した。


「ゴギュギュ。ギュルルルア。ゴガゴガ。ふーん、残念ながら何の問題ない。これで旅についていけるようになってしまった」

「訳分からない事しながらノリノリで行く準備しといて嫌なフリしないでくださいよ。そういうの世間ではツンデレって言うんですよ」

「年増の癖に若者の言葉を使うな。気味が悪い」

「生態的にはあなたの方がその言葉が当てはまりますよ」


 僅かな間しか時を共にしなかったはずなのに、お互いに容赦がない。

 死地を共に切り抜けたからか、それとも生来のものなのか。


「さて、別について行くのは構わないが……些か戦力が過剰になってしまうのではないか」

「無限龍相手に同じ事言えますか」

「今から約束を違えても構わないだろうか」

「ここに最終奥義をぶち込みますね……」


 数百年振りの会話をしながら地上に上がって行く。陽の光はもう近い。


「生のスズラン様を見たら卒倒してしまうかもしれない」

「なんでそんなにスズランちゃんに熱を上げているんですかあなた」

「惚れ惚れする苛烈さをお持ちだった。しかも華があり綺麗だ」

「地中にずっと潜っていると感性がおかしな方向に行ってしまうんですね」


「……ああ、忘れていた。約束通り心臓を直した」


「頼んだ私が言うのもなんですけど、よくこんな短い間で作れましたね」


「二回目ともなればこんなものだ。しかもこれはあの時と同じ心臓なのだろう」


「ふふふ、秘密ですよ。私の大事な思い出なのであなたとも共有しません」


 楽しい思い出を懐かしむように笑い、先を歩いていった。


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