四十五話 青と紫の森5
水に氷が混ざったブレスは日の光に照らされキラキラと煌めきながら森を蹂躙する。
ブレスに晒された木々は一瞬で凍り、そのまま砕け散る。
氷の粒が地面に積み重なり小さな山が出来上がる。
俺にはそれがまるで雹水竜と俺との壁のように見えた。
雹水竜はその綺麗なブレスで容易に俺の命を刈り取る事が出来た。
針に糸を通すような精密なコントロールが出来るが、今の俺にはそれが当たらない。
それが理解出来ないような頭は持っていないはずなのに、雹水竜はブレスを放ち続けた。
白に変わった地面に立つ雹水竜は小さな氷山の中心に立ち、水色の瞳で俺をジッと見つめていた。
雪みたいな模様が浮かんだ水晶のような綺麗な瞳。
縦に長い瞳孔は俺を捉えて離さない。
値踏みするかのような視線を俺に向け続ける。
雹水竜はその華麗な眼で俺に何を見ているのだろうか。
人の姿のまま翼と尻尾だけを生やした竜擬きとは違い、角の天辺から尻尾の先端まで全てが完成された本物の竜。
ブレスを吐くのをやめた雹水竜は俺を見つめ続けた。
―――――
「ベタベタするなー!!!」
お菓子を食べているあたしのほっぺをずっとツンツンしてくる叔母が鬱陶しくなり、そう叫んだ。
太い脚の上にあたしを座らせお菓子を食べさせてくれるところまでは良かったけど、それにしたってお触りが多すぎる。
今ならば……あたしの一族はあまり子供が出来ない種族だから、あたしみたいな子供が珍しくてついつい触ってしまうのは分かる。
だけど当時のあたしにはそんな事は分かんなかったから、教師として学園にやって来た叔父さん叔母さん連中のスキンシップが好きじゃ無かった。
親族は家族思いだけど、人の皮を被った化け物しかいない。
小さい子供にどのような力で触れ合ったら良いのか分からないから、孫や姪、甥に嫌われる傾向がある。
あたし達一族は最強の種族だけど、生まれた時から強い訳では無い。
特にあたし達みたいな混ざり者は種族特性が表れるのが遅い晩成型が多い。
千年以上生きる叔母は六歳児の耐久力なんかもちろん覚えていない。
だからツンツンも痛い。嫌い。
だからあたしは叔母の膝から逃げてもう一人の叔母の元に行った。
もう一人の叔母は何も言わずにあたしを受け入れてくれる。
アズモ・ネスティマス。
あたしのもう一人の叔母であり、同級生で……今は天災。
生物から無慈悲に魂を奪う天災竜になってしまったが、元は心優しい竜だった。
アズモは隣にやって来たと思ったら直ぐに膝を枕にして寛ぎ始めたあたしの口元をハンカチで拭い、お菓子を食べる時に汚れた口を綺麗にしてくれた。
あたしと同じ混ざり者だけど、あたしとは違うアズモ。
アズモはハーフだけど、あたしはワンサード……まあ、この国に生きる人達は皆何かしらの血が混ざっているからあたしはそんな細かい事は気にしないし、皆も気にしない。
あの国で気にされるのは、混血王家くらい。
アズモは産まれた時から種族特性がしっかりと出たギフテッドだった。
会話がかなり早い段階から可能で、角を持って産まれてきた……とパパから聞いた。
ただ、身体の一部分が圧倒的に弱く、二歳になるまではずっと死の淵を彷徨っていたらしい。
そんなアズモの触れ方はひたすら優しかった。
あたしと同じ歳だからというのもあるかもしれないけど、アズモはとにかく小さい子に対する触れ方をよく分かっていたと思う。
本気を出せばあたしなんか比にならない程強いはずなのに。
……全部後から聞いた事だから、その時のあたしは勿論そんな事は知らない。
当時のあたしは今以上に何も考えない子だったから、「アズモ好きー」としか思っていなかった。
「――団体の目的は――」
「――とかって――じゃねえの」
「――だけだったら――、――は■■■君の熱心な――」
叔父と叔母が何かを話し出す。
どんな事を話していたかはもうよく覚えていない。
だけど、その中で気になる単語があったのは覚えている。
■■■という名前。
またこの名前だ。
この名前をあたしはずっと思い出そうとしている。
「……そう言えば■■■って誰なの?」
今のあたしと記憶の中のあたしがシンクロした。
「――?」
「――」
「――」
叔父とアズモとあたしが何かを喋る。
記憶の虫食いが激しい。
何せもう十年も前の事だ。
「……ラフティリ聞いてくれ。俺が■■■だ」
アズモがそう言った。
俺がアズモだ、ではなく、俺が■■■だ。
違う名前を名乗った。
「……どういう事?」
難しい事をいきなり言われて理解が追い付かなかった。
……でも、今は違う。
ああ、そうだ。
あの人は――――――アズモだったんだ。
―――――
「何か気になる事でもあるのか雹水竜」
雹水竜との見つめ合いの最中俺はそう漏らした。
鋭い眼光に晒されるのが耐えきれなくなった。
雹水竜はひたすら俺の事をジッと見つめて来る。
視線を逸らしたら駄目だ。
そんな思いから威圧を受け続けていたが、いつまで続くのか分からないこの時間に痺れを切らした。
俺には時間が無い。
いつまでもこの姿のままでいられないんだ。
「……いきなりお前の住処にやって来たのは悪いと思っている。だが、俺には戦うつもりは無いんだ」
「……」
「言葉は伝わっているか? 悪いが俺はスイザウロ魔王国の公用語しか分からない」
「……」
話している間に身体が薄くなっていく。
終わりの時が近い。
話している間も雹水竜は俺の事をずっと見て来る。
何を話すのが正解なのだろうか。
何を言えば……。
そう考えていたら、雹水竜が冷気を漂わせた口を開いた。
「…………そこの人間、お前はアズモか」
雹水竜は俺から一秒たりとも視線を離さずにそう言った。
「俺がアズモ……? いや、俺はアズモでは無い。が……」
そう言うと、雹水竜が俺から視線を外した。
「…………」
当てが外れた。
雹水竜からそんな思いを感じ取った。
「俺はアズモでは無いが……。アズモならここに居る」
「むっ……」
背中側に避難させていたアズモに手を伸ばし、雹水竜に見えるようにアズモを掲げた。
「………………な、んで、本物の訳がないのに……」
雹水竜の目が見開かれる。
「じろじろ見るな。私は見世物じゃない」
アズモが不服そうにしだしたので、掲げるのをやめて抱き抱える。
「なんで……どうして……あの人はアズモじゃない……名前、お前の名前は」
雹水竜は声を震わせながら、名前を聞いて来る。
「俺の名前はコウジ、沢畑耕司。ここに居るアズモとは違うただの人間だ」
「……コウジ」
「コウジ…………コウジ。コウジ、コウジ」
雹水竜は何度も俺の名前を呼んだ。
どうして俺の名前を聞いてきたのか、アズモなのかを聞いて来たのかは分からない。
だが、何故だか俺には雹水竜がそれを求めてやまないように見えた。
雹水竜は何かを思い出すかのように名前を呟き続き、こちらへと一歩ずつ近づいて来る。
やがて、お互いが触れ合える程に距離が縮まった。
雹水竜は首を下ろし、俺の顔を見つめてきた。
目の鼻の先に水色の竜の顔があった。
ザラザラとしていそうな水色の鱗で構成された頭。
切れ長でどこか凛々しさを感じる瞳。
額から生えた二本の大きな青い角と、口元に見える四本の白くて鋭い牙。
「……本物のコウジだわ。あの頃のままのアズモとコウジだわ」
竜が哀愁を漂わせた声でそう呟いた。
冷たさの奥に何処か可憐らしさがある……何故か少し聞き覚えのある女性の声だった。
「あの頃のままのアズモとコウジ……?」
聞き覚えのある声の事よりも、雹水竜が口にした言葉が気になった。
「……なっ?!」
なんでそう言ったのかを問いただそうとしたが、言葉が出て来なかった。
佇まいを正した竜の背がどんどん縮んでいっていたからだ。
背だけでは無い。
長くて立派だった角や尻尾、それに翼までもが縮んでいく。
やがて、一軒家程の大きさをしていた竜の全身は縮み、俺と同じくらいの大きさになった。
しかもそれは、人間のような姿だった。
長くてしなやかな白い手足、引き締まったお腹、膨らみのある胸と丸みを帯びた腰。
血色の良すぎる赤い唇に、大きな青色の目、長い水色の睫毛。
首元まで伸びた指通りの良さそうな水色の髪。
青色の角や尻尾などはまだ残っているが、確かに人型となった。
まるで、俺が魔物化を解いた時のような……。
「コウジー!!」
「うおっ!?」
「むぎゅっ……」
先程まで威厳と冷たさを纏っていた水色の竜は、生まれたままの女性……いや、女の子の姿になって俺に飛び込んで来る。
飛び込んで来た女の子を受け止め倒れないように支えるが、頭の中は咄嗟の出来事に処理が追いつかず沢山のハテナマークが浮かぶ。
俺と女の子の間に挟まれたアズモの事すら思考に入って来ない。
「えっと、んー、あー……俺の事を知っているのか?」
なんとか頭を働かせ、嫌そうな顔を隠そうともしないアズモへ頬っぺたを高速でスリスリしている水色の女の子にそう聞いた。
すると、女の子はそれまでの勢いが嘘だったかのようにピタッと止まり、「嘘でしょ……?」とでも言いたげな表情を俺に向けて来る。
「むえー……」
女の子は不貞腐れたようにそう呟く。
唇を尖らせ、批難するような瞳で俺の事を見上げる女の子。
独特な不貞腐れ方をしていた。
……それが、女の子のその姿が、記憶の中のとある竜の女の子と重なった。
「お前、もしかして——ラフティリか?」
「ラフティー!」
確かめるように記憶の中の女の子の名前を口にすると、女の子は頬を膨らませながら自分の愛称を口にする。
そうだこいつは気に入った相手には愛称で呼ぶ事を強要する奴だ。
おまけに、そう呼ばなかったら不機嫌になる面倒臭さ付き。
「ラフティー」
不貞腐れていた女の子はその名前を聞くとパァッと花が咲いたような笑みを浮かべ、背中に回した手に力を込め、より強く抱きついてきた。
この子は、ラフティリ・ネスティマス。
水龍フィドロクア・ネスティマスの娘、アズモの姪であり元同級生。
裏表がない真っすぐな女の子。
「おかえり、コウジ、アズモ!!!」
「……ああ、ただいま」
十年前に三カ月程関わっただけの仲だったが、ラフティリは俺の事を覚えていてくれた。
それにより、異世界に帰って来たんだなと実感する。
水色の女の子に倣い、俺も手を背中に回そうとして——やめた。
「取り敢えず服着ろよ」
「むえー……」
服を着ろと言われたラフティリは唇を尖らせ、面倒臭そうな表情を向けて来る。
「コウジの
「確かにそう言われればそうなんだが……」
「じゃあ裸なのはあたしだけじゃないわ!」
ラフティリは俺の服と、アズモの服を掴み「これは服じゃないでしょ」と言って来た。
見た目的には服と変わらないが、この服に見える物は魂の一部であり衣では無い。
……とは言え、裸の事を恥じずに胸を張るラフティリと一緒にして欲しくない。
「恥じらいをどこに捨てて来たんだよ」
「そんな物初めから持ってないわ!」
頭を抱えた。
「んー、まあ今はいい! それより緊急事態なんだ! ちょっと身体を貸してくれないか!?」
「??? よく分からないけど良いわ!」
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