四十四話 青と紫の森4


 十年前。

 スイザウロ魔王国スイザウロ学園、秘密の修練場。


 そこでのあたしの思い出。


 広い修練場だというのにここに居るのはあたしとアズモの二人だけ。

 今思えば、物凄い贅沢な使い方をしていたと思う。

 たった二人だけのために……いや、二人じゃないわ。


 確かにあの場にはもう一人……一人?

 数え方が一人で合っているか分からない。

 確かにあたし達の他にもう一人? 一体? 一匹?

 ……よく分からないけど、誰かが居た。


 顔をよく覚えていない。

 どんな顔だったっけ。


 特になんの特徴も無かった気がする。


 髪色は何の変哲もない黒。

 肌の色もほんの少しだけ焼けた肌色。

 牙も角も無い。

 耳も尖っていない。

 鱗も無い。

 目に模様も何も無い。


 ……ただ、こんな我儘なあたしにもよくしてくれた優しい人だった。


『よっしゃ、来いラフティー!』


 その人は半透明な身体で両手を広げてあたしを挑発した。


『むえー!』


 あたしはそれに乗せられるままに突撃した気がする。

 その後はどうなったんだっけ。


 よく覚えていない。


 だって、仕方ないわ。


 あたしとアズモが一緒に過ごしたのはほんの一瞬だけ。

 それも十年前のたった三ヶ月だけ。

 その短い時の中でもその人を見たのは数回。


『キャッチ。うん、やっぱりラフティーにも触れられるみたいだ』

『むえ、むえ、むえ!』

『こら暴れるなっての』


 なんでなんだろ。

 表情が見えないのにおかしい。


 その人は小さい頃のあたしを抱えてにこやかに笑っているように見えた。


 そうだ。その人は表情が豊かだった。

 アズモと違ってよく笑う…………アズモと違って?

 いや、その人はアズモと同じだわ。


『そしてこっちは……うんともすんとも言わないな』

『〇〇〇にくっついていると思うわ! 一緒に出て来ちゃったのだわ!』


 ……! 待って! もう一回同じセリフを言って!

 なんて言ったの? 言葉にノイズが掛かっているみたいでよく聞こえなかったわ!

 言え! もう一回言えあたし!


『残念だから俺は一人だ。ほら、持ち上げられるだろ? 俺は中身の入っているものにしか触れられないからこの中にアズモが居るはずなんだ』

『むえー?』


 何が「むえー?」よ!

 思考を放棄せずに考え続けろ! 昔のあたしのアホー!


『■■■!』


 あ、不意に呼んだ。

 聞き逃した。ちゃんと聞いて無かったわ。


『ん、どうした?』

『遊びたいわ!』


 昔のあたしが、その人へ向けてキラキラした瞳を向けながらそう言った。

 その人の腕に抱えられたあたしは遊んでもらえる事をこれっぽっちも疑っていない純粋な瞳をしていた。


『んー……、ごめんな。アズモが心配だから元に戻るよ。遊ぶのはまた今度な』

『むえー……』


 あっ、何処かに行っちゃう……。

 その人は小さいあたしを下ろして、戻って行ってしまおうとする。


 小さいあたしが不貞腐れてもその人は止まってくれない。


 待って。行かないで。

 まだ名前を聞けていない。


 なんでこんなに思い出せないの。


 名前。名前を教えて。


『約束だわ! 絶対に守ってもらうわ! 明日遊ぶわよ! コ――』


 そこで思い出が終わった。


「思い出せ。――魂衝波」


 誰かが私の腹に触れ懐かしい感覚を叩き込んで来る。


 誰なの?

 なんで昔の事を思い出したの?


 この人は似ている。

 でも似ているだけだ。


 姿形は同じなのかもしれないけど、ピンとは来ない。


 表情だ。

 表情が圧倒的に違う。


 この人は表情が乏し過ぎる。



―――――



 ――ジ。コウジ。コウジ。


 頭の中に声が響いた。

 誰かが俺の名前を呼んでいる。


 ――寝坊助。起きろ。


 ……アズモか。

 あれ、俺いつの間に寝ていたんだ。

 寝た覚えなんかないのに……。


 何故か少し重い瞼をゆっくりと開く。


「やっと起きたか」


 目を開くと不機嫌そうな様子のアズモと目が合った。


「……アズモが俺を呼んでいたのか」


 ぼーっとする頭を働かせアズモに言葉を返す。

 俺の胸にひっつき上目遣いで俺の事を見上げて来るアズモが落ちないようほぼ無意識で腕を回す。

 アズモは回された腕に体重をかけると「ん」と声を漏らし、下に視線を向けた。


 そんなアズモにつられて下を見ると直ぐに頭が覚醒する。


「――何が起こったんだ……?」


 雹水竜が凍てつく森で砕けた氷を背にして倒れ伏している。

 尻尾をだらんと伸ばして手足を投げ出した無防備な状態の雹水竜は何か言いたげな様子で俺をジッと見上げる雹水竜と目が合う。


 雹水竜の大きな瞳には戸惑いながら翼をはためかせる俺の姿が写っていた。


「俺は何で飛んでいるんだ……?」


 何もかもがおかしい。

 さっきまで雹水竜は地に四足で立ち、どっしりと構えていたはず。

 水色の綺麗な翼を広げ、殺人ブレスを俺に向けて放っていた。

 俺はそれを見て終わったと思ったが、そのブレスはあらぬ方向へと飛んで行き、それから……。


 それからどうなったんだ……?

 それに……。


「スズランは何処に行ったんだ?」


 雹水竜の瞳に写っていたのは間違いなく俺の姿だった。

 いつの間に俺はスズランの身体から出ていたのだろうか。


 ただ、それならば何故、付近にスズランの姿が見当たらないんだ。


 最悪の想像が頭の中を駆け巡る。


「なあアズモ、一体何が起こったんだ……?」


「……」


 俺に問われたアズモは答えにくそうに口を噤んだ。

 そのまま見つめ合う事数秒、アズモは重い口をゆっくりと開く。


「コウジが異形化しかけた」

「……!?」

「コウジが異形化しかけた余波で雹水竜は地に伏せた」

「また俺が異形化……」

「スズランはここに居ないだけで無事だ。異形化しかけた際に魂体となりスズランの身体を出て来たから居ないだけだ」

「……そうか。スズランは無事なんだな」


 異形化しかけたというアズモの言葉に胸が締め付けられたが、スズランが無事だという事が知れ少し鎖が解けた。


「アズモは俺が異形化しないように呼び掛けていてくれたんだな。ありがとう、アズモ」


 目覚める前に聞こえて来た言葉の意味が分かった。

 沈んでしまいそうになった俺の心をアズモがすくい上げてくれたんだ。


「ああ、そうだ。私がコウジを救った。もっと感謝してもいいぞ」


 ……いつもなら、アズモがそういう事を言う時はどや顔になるのだが今はなっていない。

 それが少し気になったが、その考えは直ぐに消えていった。


 そもそもアズモは表情に乏しい。


 俺が勝手にどや顔だと思っていただけだったのだろう。


 だから、今のアズモの表情が少し申し訳なさそうに見えるのも気のせいなのだろう。


「ありがとうな、アズモ」


 そう言いアズモの背中に回した腕に力を込めた。

 何が起こっていたとしても、アズモが俺の事を助けてくれた事に変わりはない……そう思った。


「さてと、ここからどうしようか」


 抱擁を解き、アズモを背中側に移動させ両手を自由にする。

 これで戦闘を行えるようになったが、正直なところ、雹水竜に勝てる気がしない。


「案ずるな。あの竜はもう力の半分も出せない」


 肩からひょこと顔を出したアズモが俺でも勝てる事を示唆する。


「そうなのか?」

「ああ。布石がもう打たれている」


 その言葉を聞いた俺は翼を閉じ、凍った地面に降り立った。

 アズモがそう言うのなら、雹水竜は確かに弱体化されているのだろう。

 ならば、会話を試みたい。


「聞いてくれ雹水竜」


 態勢を直す雹水竜へとゆっくりと近づきながら言葉を投げかける。


「少し聞きたい事が――うおっ!?」


 透き通るような水色の鱗で覆われた尻尾が眼前をよぎり情けない声が出た。

 瞬間、尻尾により巻き起こされた猛烈な風圧に見舞われ身体が宙に浮く。


 ――近づいてくるな。


 雹水竜がそう言っている気がした。


 だが、確かに尻尾の攻撃は反応して避ける事が出来た。

 雹水竜が先程まで俺に放ってきていたブレスと違い、見て反応できる速度だった。


 アズモが言う通り弱体化している結果なのか、近距離戦闘が苦手なだけなのか。

 どちらにせよ、これなら会話が可能だ。


 とは言え。


「なんて出鱈目な強さの竜なんだ!」


 雹水竜が俺よりも強い事に代わりはない。


 赤黒い翼をはためかせ宙に浮いた身体を持ち直す。


「――――――ムワアァァァァァァ!!!」


 雹水竜の馬鹿げた雄叫びと、ブレスの発射される音が轟いた。


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