三十五話 「俺は死んでいられないんだよ」


 十年前。

 スイザウロ魔王国スイザウロ学園初等部用修練場参。

 教師をやっている身内に利用申請を無理矢理通してもらい、貸し切りで利用している不埒者が二人。


 一人は腕を組んで地面に座りながら唸り、もう一人は地面に寝転がりぼんやりした表情を浮かべながら空に向かって定期的に水ブレスを放っていた。


 ――ビシャ。


 空に打ち上げられ勢いを失くした水が雨となり降って来る。

 綺麗な虹が二人の上には架かっていた。


「だあああ! いつまでそれをするんだよ! もうびしょ濡れになっちまったじゃねえか!」

「むえー」

「そう言えば許されると思ったら大間違いだからな!?」


 腕を組んで座っていた紫髪の女の子が耐えられないといった様子で立ち上がり、仰向けで寝転がる水色髪の女の子の元へズンズン歩いて行く。


「これがアズモの怒り! これは俺の怒り! そしてこれがアズモの怒りだ!」


 紫色の女の子が壁に穴を空ける程の威力の水ブレス、シャワーのような水圧の水ブレス、地面を貫ける威力の水ブレスの順でブレスを放つ。


「アズモの怒りが半端ないわ!」


 水色髪の女の子が仰向けのまま水ブレスを放ち、一発目と三発目の水ブレスを相殺する。

 二人の間に綺麗な虹が架かった。


「アズモを押さえるのも大変なんだからな」


 紫色髪の女の子が「全く……」と言いながら水色髪の子の隣に寝転がる。


「ふん!」

「むえっ!?」


 紫色髪の女の子が横になると見せかけて、腕を凄まじい勢いで動かし水色髪の子の腹を殴った。


「五発を一発で済ましてやった」


 そう言い今度こそ横になった。


「むえー……」

「すまん、ラフティー。アズモを押さえ切れなかったわ……」


 水色髪の子が抗議をするように涙目を浮かべ、紫髪の子に湿気の高い視線を向けた。


「痛かったわ」

「ごめんって。アズモも心の中で謝っているし許してやってくれ」

「アズモは絶対謝らない。あたしは騙されないわ」


 尚も食い下がらない水色髪の子だったが、紫色髪の子が「アイス一本でどうだ」と言うとたちまち機嫌を直した。


「……出来ないなー」

「出来ないわー」


 二人は組んだ腕を頭の下に置きながら会話をする。


「あの中華料理屋で解放・・の使い方を教えてもらったはずなのになー」

「まだまだ全然使える気がしないわー」

「使いたい力を『此処に在る物』として明確にイメージ、それをどう使いたいかを考えながら形を作り、最後に起動する為の言葉を呟く……。聞いた時から思っていたけどざっくりし過ぎなんだよなー」

「むえー!」


 水色髪の子が頭の下に置いていた両手を空に突き上げ鳴き声のような言葉を呟いた後、腕を振り下ろし反動で立ち上がる。


「イメージが足りないわ! もっとパパの解放を見て置けば良かったわ!」


 水色髪の子は大怪我をして現在も目を覚まさない父親へと思いを馳せる。


「ラフティーはフィドロクア兄さんと同じような解放術を使おうとしていたのか?」

「そうだわ! 『万物を凍てつかせるあたしは最強だわ!』ってカッコイイ言葉も用意していたのに出来なーーいわーーー! むえー!!」

「落ち着けよ……」


 水色髪の子が叫びながら再び空に水ブレスを打ち上げる。

 今度の水ブレスには氷が混ざっていたようで、落ちてくる雨と一緒に雹が降る。


「アズモ達はどうなの? あたしより良い所まで出来ていたわよね?」

「俺達はー……そうだな……、なりたいイメージというか、したい事は明確に想像出来ているんだが、どうやってそれを行うかがたぶんまだイメージ出来ていなくてな……」

「イメージが出来ているのなら色々やってみたらいいじゃない」

「色々やってはいるけどうーん……まあ見ていてくれ」


 そう言い紫髪の子も立ち上がる。


「――俺の名前は沢畑耕司。ただの人間だ」


 紫髪の子が起動の為の言葉を言い終えると、その子の身体から何かが蛹のように羽化し飛び出し、中身の消失した入れ物がその場にバタと倒れた。

 出て来た何かは何の変哲もないただの少年だった。


 齢は十七。

 細身で平均的な体重よりも少し下といった所。

 何処にでもいる普通の少年といった感じだが一つだけ明らかにおかしい所があった。

 不思議な事に少年の身体は透き通っており光を通す。


 水色髪の子には少年の向こうにある景色が透けて見えていた。


「…………出来ているみたいだわ?」


 水色髪の子は初めて見る少年の姿に色々言いたい気持ちを持ったものの、なんとかそう返した。

 だが水色髪の子の足はそんな気持ちとは裏腹に動き、少年の直ぐ傍まで近づいていた。


 少年が自身を驚いた様子で見上げて来る子の水色の髪を撫でると、撫でられた子は「むえー」と呟き目を細めて為すがままになった。


「俺の背中を見てくれ」


 少年が撫でるのを止めて、背を向けるとそこには紫髪の女の子が居た。


「……あ! アズモだわ!? アズモが身体に張り付いているわ!!?」


 水色髪の子が驚愕したように言うと、紫髪の子が振り返り「何見ている」といった様子の煩わしそうな表情を向けた。


「なんか知らないがアズモも一緒に出て来ちゃうんだよ」



―――――



 解放を身に着ける上で何が一番大変だったか。


 なりたい者に対するイメージは初めから完璧だった。

 自分本来の姿を思い浮かべるだけで良かったからだ。


 アズモの身体という一つの器でアズモと俺の二人で一緒に生きるのも楽しかったが、やっぱり俺は自分用の身体が欲しかった。


 俺は、俺の角度からアズモの成長を見てみたかった。


 歩くのが苦手だったアズモの手を引っ張って歩く補助をしてやりたかった。

 ご飯を食べていて口元が汚れた時に拭ってやりたかった。

 人と話すのが苦手なアズモに友達が出来た時にはめちゃくちゃ褒めた上に抱っこしてやりたかった。


 俺はアズモとふれあいたかったんだ。


 だから、アズモの身体から抜けて自分専用の身体を作り上げようと思っていたのに、何回やってもアズモは俺にくっついて来た。


 何が一番難しかったか、そんな物は決まっている。


 アズモを俺から引き離す作業が一番難しかった。


「でもそのお陰でこうやって今一緒に居られるんだもんな」


 当たり前のように背中に居る奴に手を回す。


「む。私が居たら不満か?」

「そんな訳ないだろ。俺にはもうアズモが居ないのは想像出来ないくらいなんだぜ」


 アズモが俺について来られるのか少し心配していたが、杞憂に終わったようでほっとした。

 もしも、俺の身体に残ったままだったら今頃どうなっていたのか分からない。


 腹に大穴を空け地面に倒れる俺の肉体を見ながらそう思った。


「おいおいおい……一体どんな魔法を使ったらそんな事になれるんだっていうんだ」


 スタルギのおっさんが、信じられない現実に直面したかのように乾いた笑いを上げながらそう言った。


「俺は殺されたくらいで死んでいられないんだよ」


 やらなければならない事が沢山積まれているっていうのに死んでいられるかって話だ。

 気合いで死を回避するくらいの事はやってみせなきゃ何も手に入れられない。


 ただ……、これが終わった後はどうすれば良いか……。

 流石に地面に転がっている俺の身体に戻ったら死んでしまうかもしれない。


 まあ今はそんな事気にしないようにしよう。


「やっぱり俺にはどうしておっさんが俺を殺そうとして来るのか分からない。だが、おっさんがその気なら俺は死なない為に戦う」


 地面を蹴り、前へ進む。

 解放を身につけた当初は地面をすり抜けてしまうのでは無いかと思っていた。


 魂体となった俺の身体は魂以外を通過する。

 魂の込められていない者では俺に触れる事が出来ない。

 その為、地面を通過してしまって何処までも落ちていってしまうのでは無いかと思っていた。

 だが、そんな事は無かった。


 それはきっと、この星は生きているという事なのだろう。


 地を蹴り飛び上がる。

 空中で態勢を整え、飛び蹴りをする。


 飛び掛かって殴ったりした方が良いのかもしれないが、手の出やすい誰かさんと一緒に過ごしていたせいで戦闘時に手を使う文化は俺には無い。


 スタルギのおっさんは右腕を頭の前に置き受ける姿勢に入る。

 そう思っていたが、俺の足が当たる直前におっさんの指が動き掴もうとして来る。

 不味いと思ったものの今更止める事など出来ず、俺の足はおっさんの指に触れそのまま通過して顔面へと当たった。


 顔面を蹴られたおっさんはよろけ、俺は地面に手を着いて着地。


 何が起こったのかよく分からないがチャンスだと思った俺は地面スレスレに身体を付けたまま、おっさんの足元を狙って足払いを仕掛けた。


 だが、俺の蹴りは先程のようにおっさんの足元をすり抜け空気だけを蹴った。


「どういう事だ……?」


 思わずそんな声が漏れる。


 スタルギのおっさんに触れられない。

 いや、顔には蹴りが当たったから厳密には触れられる場所と触れられない場所がある。


 魂体となり透過した俺には武器や魔法が通じないが、魂には触れる事が出来る。

 魂が籠っている肉体には俺の攻撃が直接入る。

 殴り合いによる勝負を押し付ける事が出来るはずなのに、おっさんにはそれが通じ無い。


「機械魔法、灯火」


 おっさんが公園で見せた物と同じ魔法を唱えると、火の鳥が数羽現れた。

 赤熱する機械で出来た鳥達は困惑する俺目掛け飛んで来たが、俺に当たる事は無い。


「ちっ、そう言う事か。相性最悪じゃねえか」


 それを見たおっさんは舌打ちをしながら、後ろへ下がる。

 そして見た事の無い魔法を唱える。


「機械魔法、一等星」


 おっさんがそれを言い終わると、おっさんの前に光の珠が浮かんだ。

 それは弾け、爆発的な勢いで辺り一帯を光で満たしていく。


「ぐっ……」


 目を開けていられる事など出来る訳の無い眩さだった。


 ダメージは無いが目を潰された。

 しばらく何も見る事が出来ない。


「スタルギは屋根の上に乗ってこちらを見ている」


 俺一人だけなら今の状況はとても不味かっただろうが、俺にはアズモが居る。


 俺の背中に張り付いて爆発的な光を見ていなかったアズモの目は無事だった。


「実況助かるぜ、アズモ!」

「気にするな。今の私でもコウジの目になる事くらいは出来る」


 見えやしないが、アズモが俺の後ろで誇らしげな表情を浮かべているのが容易に想像出来た。


「――今何と言った。……アズモ、だと?」


 やってしまったと思いながら口を押えたがもう遅かった。


 スタルギのおっさんは声を震わせながら、言葉を続ける。


「そこに居たのは魂竜だったのか……? …………いや、待て。改めて見てみたらお前さんのその透き通った身体は例の……」


 街灯の下で立ち尽くす俺を見たおっさんはそう言った。


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