三十二話 早く明日になれば良いのに


「と、と、飛んでるぅ~~~!!!?」


 民家の灯りや、街灯が遠くに見える。

 建物がどんどん小さくなっていく。


 少年に担がれ空を飛んでいた。


 風の音が凄い。

 自分の声すら聞きにくい。


「人にこの姿を見られたら不味いのでスピード上げますね」


 こ、これ以上速くなるの……?


 この子やばい。

 物凄いサディスティック。


 時間を与えてくれないし、さっきから成人女性が出しちゃいけないような声を出しているというのに何の考慮もしてくれない。


「ひ、ひ、ひゃああああああ~~~~!」


 色々抗議をしたいのに、間抜けな声しか出せなかった。


 今度があるか分からないけど、いつか絶対目に物を見せてやりたい。


「ここらで良いか」


 やっと納得いく所まで来たのか、少年の飛ぶ速さがゆっくりになった。


「はぁはぁ……もうむりですー……」


 そこで初めてわたしは恨みを込めて抗議の言葉を返した。


「もう大丈夫ですよ。ここからはゆっくりと飛ぶんで」

「……ほんとですか?」


 ほんとかなあ……?

 わたしはもうこの子の言葉が信じられないよ。


 少年に抱かれたまま、ゆっくりと街の様子を眺める。


 大きいはずの街がとても小さく見えた。


 あまり良い思い出のない学園。

 お父さんの帰って来ない家。

 嫌な人ばかり来る職場。


 わたしをずっと囚え続けたこの場所は大きくなかったんだ。


 しばらく街を眺め続け心が落ち着いて来ると、今のこの状況の異質さを考える余裕が出て来た。


 わたしは空を飛んでいる。

 自分の翼では無く、名前も知らない少年の翼で。


 今わたしは、普通の人間だと思っていた少年の翼で空を飛んでいる。


 視界に時々入って来る翼。

 黒い鱗で構成された硬そうで、痛そうな竜の翼。


「…………竜、だったんですね」


 そう言葉を漏らした。


「偽物の竜ですけどね」

「どういうことなんですか……?」

「うーん……まあ、竜みたいなもんです。話すと長いので今はそれでどうにか……」


 全く納得は出来ないが、そこであれこれと聞くのも無粋だろうと思い止めた。

 今はもう少しこの状況を楽しんでいたい。


 やがて、少年は街壁の上へわたしを下ろした。


「話には聞いていたけど、上の方ってこんなに風が強かったんだ」


 少年と同じ色の髪を押さえそう呟き、街全体を見下ろす。


「本来なら、わたしはこんなことすら知れずに死んでたんだ……。翼があるのに、ない人達みたいにずっと、地面を、歩いて……」

「…………」


 街壁の縁をゆっくり歩きながら、そう言うわたしを見た少年が何か考えているような表情を浮かべる。


「俺のこの翼を見てどう思いますか」


 そう言われて改めて翼を見る。


 硬質な鱗に覆われた黒い翼。

 半端な刃物や魔法では傷一つ付けられなさそうな重厚感と、誰かを守れそうな強さを一目で理解出来るような頼り強さ。


 言葉ではとても言い表せそうにない。


 それが、それこそが本物の竜の翼なのだろう。


 ……ただ似ていると言われているだけのわたしの羽とは全く違う翼だ。


「……全然似てない。…………ほんとに、なんでだろ、こんなに、似てないのに」


 なんでなんだろ。

 全然似てないじゃないか。


 わたしの翼とこの人の翼は全然似ていない。


 なのに、なんでなんだろう。

 竜の翼に似た翼を持っているって言われて嫌われなければならないのか。


 ……納得が出来ない。


 実物をこの近さで見てしまったから、本物を見てしまったわたしはもう仕方ないなと受け入れる事なんて出来ないだろう。


「俺と一緒に魔物の国に行きませんか? あそこなら、翼を持っている事を理由に迫害される事なんて無いです」


 ……魔物の国か。


 人間と魔物は種族が違い、見た目が違い、持つ力が違い、住んでいる場所も違い、使用する言語も違かった。


 違う、という理由で殺し合い、相手を迫害して……。


 ……でも、そうか。

 そこでならわたしは……わたし達は飛んでいてもおかしく思われないんだ。


 ――きっと、わたし達の種族は住む場所を間違えていたんだろうな。


「……わ、わたしは! 空の飛び方を知りたい! こんな狭い檻から飛び出したい! もう誰かから嫌な目に遭わされるのもやだ! ……だから! だからどうかお願いします! わたしをこんな場所から連れ出してください!!!」


 ここでは無い何処かへ行きたい。


 そんな思いを初めて誰かにぶちまけた。

 言ってしまったら楽になった。


「そうと決まれば善は急げですね! まずは何からしますか竜さん! ……ただ、出てく前にわたしたち家族にちょっかい出した屑共を……。ふふ、ふふふ…………」


 色んな人達に思い知らせてやりたい。

 そんな気持ちも初めて持った。



―――――



「はあ……」

「また溜息っすか、コラキ先輩。幸せが逃げちまいますよ」


 溜息を吐くと、最近入って来た後輩のトマギマさんがそう言って来た。

 ギルド職員になるまで冒険者をしていたが、現実を知ったとかで冒険者を辞めた人だ。


 ギルド職員と冒険者という事で少しだけ関わりがあったが、本当に少しだけだ。

 それなのに、後輩になってから僅かな時しか経っていないのに、少し……いや、結構距離感が近くて扱いづらい。


 悪い人では無いのだろか、絶対に私とは住む世界が違う。


「あ、すみません。少し考え事を……」

「もしかしてあの坊主の事っすか? 最近来なくて寂しいですもんねー」


 業務を熟しながら、話を展開するトマギマさんの様子を見ていると、わたしの教育なんてもう要らないのでは無いか? と、思ってしまう。


「違います。業務中に寂しいとか思う訳ないです」

「俺は業務中でも、彼女に会えなくて寂しいなーとか思いますよ。付き合い始めたばかりでアツアツなもんで」

「聞いて無いです」


 軽くこちらの気持ちを見透かして来る後輩に少しムッとして返しながら、仕事の様子を眺める。

 比較的、面倒な人が来ないという理由でギルド職員は新人の登録や受付から仕事を始めるが、トマギマさんは元冒険者という事もあり、新人登録業務はやり方だけ教え直ぐに終わり、今はクエストの受理完了の仕事を教えている。


 こちらは冒険者歴の長い人ばかりが来るエリアなので何かと血気盛んな人が多く、それ故に受付業務も大変になるのだが、トマギマさんは卒なく熟している。


「おいおい、マジかよ。あの森の調査クエスト受けられねえのか。誰も受けていねえっつうのに、なんで受けられねえんだ?」


 今も黒いローブを着た怖そうな人の接客をしていた。


「申し訳ねえが、そのクエストは予約済みでな。そいつが失敗するまでは他の奴に受けさせる訳にはいかねえんですよ」

「予約済みねえ……。昔はそんな仕組みなんか無かったつうのに、面倒で便利な仕組みが出来たもんだ。おい、どうするエクウス?」


 トマギマさんにクエストを断られた黒いローブの怖そうな見た目の男が、傍に居た筋骨隆々の男にそう問いかける。

 男は、少し唸ってから口を開く。


「まあ受けられねえなら仕方ねえよ。竜が出るっていうから、どんな面白い奴が待っているのか見てみたかったがな」

「遠路はるばるこんな所までやって来たのにな。どうするよ」


 近くに居たもう一人の小太りの男も、エクウスと呼ばれた男に判断を仰ぐ。


 どうやらあの三人の中で一番偉いのは、あのエクウスという男のようだ。


「うーん、しゃあねえ。この国の王都にあいつらが居るらしいから、顔を見に行ってやろうぜ」

「あー、そういやそんな事言っていた気がすんな」

「お土産でも買っていってやるか」


「すまねえな、三人共! また来いよ!」


 話が纏まったようで、三人組がはけていく。


 その様子を見たほっと息を吐いた。

 三人が受けたがっていたクエスト、ゲトス森の調査クエストはわたしがコウジ君の為に予約したクエストだ。


 厳密には、アオイロさんに予約させられた。

 召喚獣には予約する権利が無いですと言ったら、「じゃあ、あなたが私達の代わりにクエストの予約をしてください。コウジ君の為に」と半ば脅され予約させられた。


「あいつら皆、冒険者ランク2の奴等だったらしいですね。なんか別の国でブイブイ言わせていたみたいな事言っていましたけど、本当なんですかね?」

「さあ……?」


 そう言われても初めて見た人達で、クエストの消化数や、受注しているクエストの平均難易度も知らないので何も分からない。


「とは言え、クエストの予約期間も僅かですし、早く来ると良いですね」

「そうですね……」


 そう言ってまた溜息を吐いた。


 早く来て欲しい。

 元気な姿を見たい。


 今日は駄目でも、明日は来てくれるかな。

 また突拍子の無い事をしてわたしを驚かせてくれないかな。


 あーあ、早く明日になれば良いのに。


「はあ……」


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