三十一話 今日はまだ終わらない


「……わたしにですか?」


 思わずそう返した。


 昼も周り閑散としてきた。

 クエスト関連のカウンターも今日の成果を報告しに来た冒険者がちらほら現れ出した。

 当然、こんな微妙な時間に冒険者登録をしに来るような人も少なく、わたしの他のカウンターがもう空いている。


 それなのに、わたしの所にわざわざやって来る。

 あまりにもおかしな行動だったので、そう聞かずには居られなかった。


 目の前に立って不思議そうな顔をしている男の子は普通の人間のように見えた。

 わたしのように獣人でも、何かの血が混ざった混血種にも見えない純人間。


 この世界で一番弱く、他の種からの被害に最も脅かされやすい種族。


 普通の人間が、翼を持ったわたしの前にやって来た……?


「はい。もしかして俺間違えて別の窓口に来ちゃった感じですかね?」


 ……この人間は何を考えている?


 真意を図りかねる。


 言葉からは私を軽んじている様子や、忌避している様子は感じられない。

 しかし、だから言って悪意が無いとは限らない。

 初め良い顔をして近づいて来て、最後に騙す。


 よくある手段だ。


「いえ、合ってはいますが……」


 黙って居たら不審がられたり、反応を面白がられたりするかもしれない。

 そう思い、男の子の言葉に言葉を返す。


 至って冷静に、けれど悟られないように相手の心の内を探る。


 この人は一体何を考えて私の所にやって来たのか。


 ジッと耳を澄ませ、この人間が次に何を口にし、何が目的なのかを探る。


「なら良かったです。えっと、それで俺、冒険者登録をしたいのですが……」


 冒険者登録をしたい。

 ボウケンシャトウロクヲシタイ。

 ボウケンシャ トウロク シタイ。


 そうか、冒険者登録をしたくてやって来たんだ。

 ……いや、それは当然か。


 ここはギルドで、わたしは受付で、ここは冒険者登録用のカウンター。

 ここに来る人の目的なんて一つしか無い。


 冒険者登録をする。


 当たり前の話だ。


 ……だけど、先程の人のような例外も勿論ある。


 この人はどちらなのだろうか。


 普通に考えたら……わたしを揶揄いに来た、と考えるのが正解だろう。


「本当にわたしでいいのですか? 人生で一度しかないような冒険者登録を任せる人がわたしで」


 普通の人間がわたしの所に来る訳が無い。

 だから傷つかないように護身に走っておく。


「え……何か駄目な理由でもあるんですか?」


 何を当たりの前の事を聞いてくるのだろうか。

 駄目な理由しか無いに決まっている。


 でも正直に言ってしまうのは駄目だから言葉を濁す。


「ないですけど、わたしなんかでそんなイベントを済ませるなんて……」


 悪いことは言わないから早く別の列に並べ、と暗にそう言った。


 自分で言っていてなんだが、嫌な気持ちになった。

 自分の種族が嫌われている事も、自分自身も嫌われているのも自覚している。


 察するに、この少年は差別など無縁の遠い国からやって来た冒険者志望というところだろうか。


 安定した職に就く事に嫌悪して冒険に走る年齢。

 将来を憂いて、つまらない人生を送る事を避ける為に冒険者になる。

 よくある話だ。


 家族の為に高校卒業と同時に就職した私には分からない話。


 冒険が出来るなんて良いなあ……。

 それが許される家庭に生まれ、それを夢見られる精神力を持ち、それを実行してしまおうとする行動力が羨ましい。


 そう思ったら、途端に人間の少年がとても眩しく感じられ、顔を上げていられなくなった。


 わたしはいつもこうだ。

 誰かをじゃなくて、地面を見て喋っている事の方が多い。

 下を向いてばかりだ。


 もう、本当に嫌になる。


「わたしの他のカウンターも空いているのに私を選ぶなんて、良い趣味してますねお兄さん。今度の方はどんな揶揄い方をしてくれるんですかね。楽しみ過ぎて血圧が上がってきちゃうなー」


 ああ……。

 何言っているんだろわたし。


「えーっと……」


 ほら、人間の男の子も困っている。


 なんで当たってしまったんだろ。

 この子が眩しいから?

 わたしには有る物を持っていないから?


「揶揄うなんて滅相もないです」


 悪い気持ちを隠して顔を上げたら、男の子が恥ずかしそうに頬を片手で掻いていた。


「俺はお姉さんを素敵な人だと思いますよ。だってまず公的機関の職員として働けるなんて凄いじゃないですか。公務員ですもんね。倍率も高いと思いますし」


 とても照れているのを感じた。

 これはきっと、本気で言っている。


 この子は本気でわたしの事を褒めてくれているだ。

 急に変な事を言い出して落ち込み始めたわたしを慰める為に恥ずかしいのを我慢して褒めようとしてくれているんだ。


 この子は悪い子では無い。

 そう気付いたら心が軽くなり、同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「あ、すみません、そんな台詞を催促したみたいで……そんなつもりなんて一切なくて……。でも、はい。確かにこの職に就くのには苦労しました……就いてからの方が大変でしたが…………」


「俺はお姉さんの落ち着いた見た目も良いなって思います。黒髪とか艶があって綺麗だなと」


 わたしがどう見られているのか気が気でない見た目の事を認めてくれた。

 異性からこの黒髪を褒められたのは初めてだ。


 気味が悪いと言われてばっかりだったのに。


「すみません、ほんと、色々言ってもらえて……ここらへんお風呂が多いし、お給料が良いから良い物を買えるし、食べられるしで……へ、へへ…………」


 やばい。

 口角が緩んで変な顔になってしまう。


 今まで人に良く思われた事なんて全く無かったから、少年の心からの言葉が嬉しくしょうがなくて、心が昂るのが分かる。


 わたしはこんなにも容易く心を開いてしまうような存在だったんだ……。


「あと、それとやっぱりその背中に生えたやつですね」


 男の子が、わたしの背中を見てそう言った。


「…………え?」


 舞い上がっていた気持ちが急に落ちた。


「鳥の翼ですかね? 獣人の翼を初めてこの距離で見ました」


 ……やめてくれ。

 それには触れないでくれ。


「………………」


 今まで散々わたしの事を褒めてくれたその口で、それに触れないでくれ。


「その黒い翼が――」


 駄目だなあ。


 この子はどこか遠い国からやってきた純粋な人間なんだよ。


 だからその言葉には純粋な好意しか詰まってないよ。


「――うえっ」


 耐え切れずにその場で粗相をしてしまった。


 人間なら、この世界に生きる者なら、この黒い翼を良いなんて言う訳が無い。


 そう思ってしまった。



―――――



「さ、先程は申し訳ありませんでした! 粗相をしてしまい服を汚してしまい申し訳ありません! こ、これをお受け取りください!」


 新品の服を持ち、謝罪の意を述べ、少年に深くお辞儀をする。


 何をしても許されないくらいの事をしてしまったからこれでは足りない。

 他に何をすればいい。


「……俺こそ配慮が足りずすみませんでした」


 少年はそう言った。

 非常に申し訳なさそうな顔をしていた。


 それを見て嫌な気持ちでいっぱいになる。

 この子は本当に何も知らないんだ。


 事情は分からないが、この世界の常識に関して乏しいのだと思う。


 だからさっきの言葉も……。


「そんな、わたしなんかに謝らないでください! 悪いのは――」


 少年が自分が悪いと思わないように、責任を感じないで済むように自分が悪いんだと何度も繰り返し言った。

 初めは「いや」とか「そんな事は」と言っていた少年も次第に何も言わなくなり、わたしの言葉をありのまま受け入れてくれるようになった。


「――ですので、誠に申し訳ございませんでした!」

「いえ、本当に気になさらず……」


 これではまだ足りないだろうが、長すぎるのも困るだろうと思い一旦謝罪を止めた。


 あと何回謝れば良いだろうか。


「――はぁぁ、よくそんなメンタルでこの仕事を始めましたね」


 誰かがそう言った。

 勿論、そう言ったのは少年では無い。


 少年の頭の上で呆れた様子でこちらの様子を眺める小人……。


 なんだろうか、この人は……。

 いつから居たのか、そもそも人なのか……?

 よく分からないが、この人が言った事は確かだ。


「……お前は本当に!」

「実際そうじゃないですか。色んな人間を相手にする職業に就いているのにそんな性格では他の方々にとっても迷惑です」


 その通りだ。

 元々この職業だって、ランク1の冒険者だったお父さんの伝手で入った。

 ギルドマスターとお父さんの仲が良かったから、哀れみで雇ってもらった。


 それなのに、わたしは迷惑をかけてばかりだ。


 小人の言葉に項垂れるわたしの様子を見た少年が怒り、小人を懲らしめる為に捕まえようとしだす。


「何年この仕事を続けて来たんですか? あと何年この仕事を続けるつもりなんですか? あと何回そうやって問題を起こすつもりなんですか?」


 何も言い返せない。


「わ、わたしは……」


 後何回、こうして誰かに迷惑をかけるのだろうか。


「違う仕事に就いた方が良くないですか? 何か辞められない理由でもあるんですか?」

「わたしが働かないと沢山の弟と妹が…………」


 でもせめて、四人の兄妹が大きくなるまでは続けていくしか……。


「じゃあその性格を直すしかないじゃないですか」

「もう止めろ」


 少年が、小人を捕まえて握り潰した。

 あの小人は大丈夫なのだろうか。


 だが、小人が喋らなくなり静かになった事で場に静寂が訪れる。


「そ、それ、それじゃあ、さきほど出来なかった冒険者登録の続きでもっ!」


 自分が原因で作り出されてしまった雰囲気をどうにかしたくて喉から声を絞り出す。

 きっと、変な声になっていたと思うけど、何か喋らずにはいられなかった。


「……今日はもう大丈夫です。明日の朝また来るのでその時にお願いします」

「……あ、は、はい。では明日に」


 まあ、そうなるよね……。


 窓の外がもう暗い。

 時間的にももう帰る時間だった。


「あ、ど、ドア開けておきますね……」


 回収されて胸ポケットに収納される小人から目を逸らし、ドアへ向かう。


「ありがとうございます」


 背中で少年の声を受けた。


 ……明日。


 明日また少年が来る。


 重い空気の中、冒険者登録を行う。


 憂鬱だ。


 いや、そもそも……。

 もうこの少年はわたしの前には来ないだろう。


 嫌な事をされたのに来る訳が無い。

 わたしに偏見を持っていなかったかもしれない人をわたし自身で遠ざける事になったんだ。


 ……本当に何をしているんだろう。


 明日わたしは、この少年が別の誰かの所で冒険者登録を行っている所を見るんだ。


 ……明日は休もうかな。


 そうだ、明日は休もう。

 心を守る為に休もう。


 それが良い。そうしよう。


「…………空を飛んだ事はありますか」


 少年が何か言った。


 空を飛んだ事があるか。


「……っ」


 この翼で空を飛んだ事があるのか。

 そう問いかけられた事に気付き、ドアノブに伸びていた手が止まった。


 空を飛んだ事なんてある訳が無い。


 なんて事を聞いて来るんだ、と思った。


「空が飛べると知った時、俺は凄くワクワクした。寝る間も惜しんで飛ぶ練習をした。大空を翔ける事に憧れがあったんだ」


 そう思っていたのに、何かがおかしい。


 その言い方だと、何かがおかしい。


 少年はわたしの気持ちなんて知らずに言葉を続ける。


「普通に生きていたら経験出来ない事なんだ。そんなもの憧れるに決まっているだろ?」


 人が出来ない事が出来るというのは何も良い事ばかりでは無い。


 空を飛べるから、人と違うからわたしは駄目なんだ。


「だから飛べた時はたまらなく嬉しかったんだ」


 やはりおかしい。

 いよいよ我慢が出来なくなって振り返った。


「な、何を言って……?」


 何を言っているんだ。

 そう言いたかったが、少年の不敵な笑みを見てその言葉が引っ込んだ。


「……魔物化」


 少年がそう言った瞬間、少年の纏う雰囲気が変わった。


 魔物化という物の存在を学校で教えてもらった事がある。

 確かそれは、人型の姿をしている魔物が本来の姿を現し、魔物由来の力を行使する為の何か。


 そう教えてもらった事があるが、魔物の知り合いなんて出来た事が無いから見た事は無い。


 だから、それを……その言葉を吐くこの少年はつまり――


 わたしの考えを肯定するかのように、少年の着ている服が内側から押され、伸びて、破れ、何かが飛び出してくる。


 現れたそれは開かれ、わたしの視界いっぱいに広がる。


 黒い鱗で構成された翼が視界に飛び込んで来た。


「あっ、あ、あなたは人間じゃなかったんですか……?」


 ただの人間だと思っていた人が、黒い翼を広げて立っている。

 何が起きているのか理解が出来ない。


「俺は人間だ。……だが魔物でもある」


 この人は人間じゃなかった。魔物だったんだ。


 というか、わたしと違って、羽毛では無く鱗で構成されるそれは……。


「飛んだ事は?」


 わたしが現実を受け入れようと頑張っているのに、少年は時間を与えてくれずにわたしに先程と同じ事を聞いて来る。


「な、ないです……」


 頑張ってそう答えた。


「なら、失礼して」

「ひゃっ」


 少年が当たり前のように触れて来たのでそんな声が出た。

 本当にこの人は何の時間も与えてくれないようだ。


「夜の空中散歩といきましょうか」


 今日はまだ終わらない。


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