三十話 早く今日が終われば良いのに


『じゃあ行って来る。良い子にして待っているんだぞ』


 それが父の最期の台詞だった。


 朝早いのにガチャガチャと金属が鳴る音が聞こえ、寝ぼけまなこを擦りながら玄関へ向かった。

 当時14歳だったわたしは街の奥にある学校へ通う為に毎朝5時半くらいに起きていた。


 冒険者の街、クリスタロスには公共施設が全くない。


 街を囲う巨大な壁に守られたクリスタロスだが、ここは昔から荒くれ者しか居つかないような場所だった。

 魔物が多数存在する土地と隣接し、少し歩くと地下何階まであるのか未だ不明のダンジョンがある。


 そこを活動拠点にしようとは思えないような危険な場所だった。


 それだけでもクリスタロスを避けるのには十分な理由になるが、決定的な物がまだある。

 それによりこの街は大いに恐れられた。

 まともな人間なら、ここを活動拠点にしようなんて思わない理由。


 それは街壁だ。


 多様な色で様々な塗り方をされた壁。

 ある人は危ない物として捉え忌避し、またある人は芸術として捉え歓迎する。

 そんなクリスタロスという街を象徴するこの壁には不可解な点が多い。


 何時からあるのか、誰が作ったのか、何の為に作られたのか。

 壁に関わるほとんどの事が判明していない。


 気付いたらそこに有った不気味な壁。


 更に怖い事に、この壁はいくら傷つけられようが翌日には何事も無かったかのように元の姿に戻るという曰く付きだ。


 当然クリスタロスは忌み嫌われ、寄り付く人なんて居ない。

 ……そう思われていたが、住処を追われた者や、行く宛が無い者など訳ありの人が住み着いた。

 人が住み着いた事で護衛を付けた商人が来るようになり、宿が作られ、人が更に来るようになり、人伝にクリスタロスという場所の価値が広まっていき、腕に自信のある者や、人魔戦争が終わって暇になった者が集まり、冒険者ギルドが作られ、街が統制され始めた。


 そんな経緯で作られたこの街には、武器屋や宿屋は沢山あっても、学校は全く無い。

 当然の事だ。


 この街に住む人のほとんどは、街の奥の方に作られた小中一貫の学園に通う。


 戦時中に活躍したが、その後、空を飛べる事を理由に恐れられ堕ちた種族である鳥獣人族。

 わたし達の種族もクリスタロスに行きつき、息を殺して生きている。


 あの時のわたしは中学生だった。

 もう十年も前の話だ。


 だけど、わたしはずっとあの日の事を覚えている。


 父がダンジョンの未踏エリアに行くと前日に行っていた。

 父はランク1の冒険者だ。

 わたしと違い鳥獣人族として生まれた事を誇っており、飛ぶ事を恐れない人だった。


 父に言った事は無いが、わたしはそんな父に憧れを持っていた。


 お父さんなら絶対に帰って来る。

 未踏エリアに行くと聞いた時もそう思って疑わなかった。


『わたしの事何歳だと思っているの? 変な事言って無いで早く行って来なよ』


 だから、あの日のわたしは父の心配なんて全くせずに呆れながら見送った。


『はは、手厳しいなあ』


 父はそう言って笑いながら出て行った。

 何故だか分からないが、その時の父の背中にある黒い翼はいつもよりも大きく見えた。


 それきり、父を見ていない。


 せめて、もっとちゃんと見送っておけば良かったな……。

 散々泣いてからそう後悔するようになった。


 その数日後、テレビでニュースを見ていたら世界規模で大災害が起こっている事を知った。


 地震や台風、洪水などによる災害では無い。

 魔物の暴走による災害。

 この世界では魔物による災害も天災と呼ばれる。


 天災として有名なのはエクセレ・ネスティマスという竜だ。

 だからその時は数百年振りに学校で習ったような大災害が起こったのかと思った。


 だけど、違った。


『――こちらが天災の通った後の街の様子になります』


 テレビに映っていたのは魔物の住む街だった。

 角と翼の生えたリポーターが、空から魔物の街の様子を中継していた。


 天災竜エクセレ・ネスティマスは魔物には何もしない。

 だから、魔物の街を襲うそれはエクセレとは別の天災。


 なんだろうか。

 天災蟻か、天災獅か、天災鵺……あと何がいたっけ。

 腫れた目でテレビを見ながらそんな事を考えていた。


 映し出される街にはそこまで被害にあるように見えなかった。

 建物が壊れておらず、地面にも変化が無い。

 確かに倒れている人は何人か映っているが、血が流れている様子は一切ない。


『七日前に突如として生まれた天災竜、アズモ・ネスティマスによる被害はこれで51360人を超え、いずれも意識の回復した人はまだいないとされています』


 天災竜……。

 天災竜なのに、エクセレ・ネスティマスじゃない。

 アズモ・ネスティマス……誰だろうか。


 気になってスマホでその名を調べてみた。


『竜王家、また天災を生む。魂竜アズモ・ネスティマスは一体どのような竜なのか』


 そう書かれた見出しに触れて、記事を見てみた。


 まず初めに出て来たのは一人の女の子が写った写真だった。

 黒っぽい紫色の髪、長い睫毛、目鼻立ちの整った顔、それと黒い翼。


 空中で右手を振り抜く、躍動感のある一枚だった。


 説明によると、魔物の学園で行われている行事で活躍している所を写した一枚らしい。


 まだ七歳のはずなのに、落ち着いた雰囲気を感じる女の子だった。

 明らかに動き回っているはずなのに、表情は至って冷静……というよりも寧ろ無表情に近いのでは無いだろうか。


 淡々と自分の仕事を熟す所から冷酷さを感じる。

 記事にはそんな風に書いてあったが、普段から人の顔色を窺いながら生きている私には少し笑っているように見えた。


 まるで誰かと話しているかのような楽しそうな笑み……を少し感じた。


 この子が異形化したらしい。


 原因は書かれていなかった。

 学園の行事が無事に終わったら急に異形化した。

 そう書かれていた。


 何か伏せられている。

 そう思ったが、別にわたしには関係が無いので気にならない。


 ただ気になる事が書かれていた。


『魂竜アズモ・ネスティマスは魂を奪う』


 その文を見てテレビを再び見る。


 地面に倒れている人達はそういう……。


 記事に視線を戻した。


『魂を奪われた者は生命活動が行われるものの、意識が戻る気配が無い。どうすれば魂が取り戻せるのか不明。病床が足りず、拡大を急いている状況。魂竜の進行ルートも不明でこれから何処が襲われるのか分からず対応が出来ない。関係者が誰も口を開かず異形化した経緯も不明。魂竜は透明で姿が見えず、物体を通過し、実体が無い。能力が発動されるまで何処に居るかも分からず――また、魂竜の抜け殻は行方が――――』


 状況がよろしくなく、各種機関が対応に追われている事が文から分かった。


「魂を奪う……」


 わたしの頭の中ではその言葉だけが繰り返された。


「…………お父さんもあそこに居るかもしれない」


 魂竜は何処にでも現れる。

 魂竜が通った後はそこに存在した全ての生物が動かなくなる。


 ……そんな事が出来るのなら、消えゆく魂を回収する事も出来るのでは無いか?


 わたしは不謹慎かもしれない。

 被害に遭った人の事よりも、被害に巻き込まれていて欲しい人の顔を思い浮かべた。


 魂竜は生命から魂と一緒に死を奪っている。


 死に抗っている。


 一体どんな事を経験したらそんな力に目覚めるのだろうか。


 わたしには到底想像なんて出来ないが、でも、もしかしたら魂竜なら……。


 ……後に、魂竜が一部から神聖視されている事を知った。


 全生命の融合を願うカルト集団から、故人の死を受け入れられない遺族まで様々な者から好奇的な視線を向けられている。


 ――なんて思いながらも、わたしは何の行動もせずに毎日を消極的に過ごした。


 超常の現象が現れても、何も出来ない奴は何もしない。



―――――



「早くしろよ……」


 あの日もわたしは柄の悪い冒険者に絡まれていた。


「すみません、すみません……」


 ギルド職員という仕事は自分で選んだ仕事だし、家族皆で生きていく為には頑張って続けるしか無い。

 それにいつか、お父さんがふらっと帰って来るかもしれない。

 そしたら冒険者である父はここへ最初にやって来る。


「チッ、ガラガラだったからこっちに並んだっつうのに、これじゃ他の所と待ち時間変わらねえじゃねえか」


 冒険者がイライラしながらそう言う。

 早く狩りに行きたいという気持ちは分からなくも無いが、手続きの時間は掛かる。


 書類受付と電子受付でダブルブッキングしていないかのチェックや、開始時間の記録、依頼内容の通達、引受人が受ける為の条件を満たしているかのチェックなどで時間が掛かる。


 それにわたしが今立っている所は、冒険者の新規登録を行う所だ。

 クエスト依頼の受理をするカウンターでは無い。

 そう説明しても目の前に立っている冒険者は聞いてくれなかった。

 早くやれの一点張りで自分の要求を通す事しか考えていない。


 だからわたしが折れて、冒険者の要求通りにクエストの受理を行っている。


 毎日こんなのばっかりだ。


 嫌な人達に目を付けられて、いいようにされてばかり。


 きっぱり断りたいけど、怖くて何も行動出来ない。


 きっとわたしは死ぬまでこんな風に生きていくんだ。


「お待たせ致しました。クエスト受理しまし――」


「おせえんだよ!」


 冒険者はクエストの詳細が書かれた紙をわたしから奪い、唾を吐いて去っていった。


「……」


 持って来たハンカチでカウンターに付着した唾を拭く。

 わたしの所へ今日これ以上人が来るとは思えないが、念の為綺麗にしておいた。


「……あ」


 ふと、唾を拭いたハンカチを見たらそんな声が出た。


 お出掛けする時のみ持つようにしていたお気に入りのハンカチだった。


 ……これはもう捨てよう。


 今日はもう駄目だ。

 何をやっても駄目だ。

 早く今日が終われば良いのに。


 他のカウンターに並ぶ人達はわたしの所には並ばない。

 こちらも空いていますのでお待ちの方は是非こちらへ、と言っても誰も来てくれない。

 わたしの姿……背中に生えた翼を見て皆が避けていく。


 今日も残りの時間は何もせずに過ごす。

 そう思いながらボーっとしていた。


 一時間が経ち、二時間が経ち、そろそろ三時間が経つ。


 ……やっぱり誰も来ないな。

 なんで人と違うってだけでこんなに嫌われなきゃいけないんだろう。


 ……ああ。

 誰か来たけど、この人もまた翼に気付いたら……。


 あれ……?


「冒険者登録をしに来ました」


 ここら辺ではあまり見ない黒髪黒目の普通の人間の男の子だった。


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