二十六話 「またね」
――ポチャン。
何かが水へ落ちる嫌な音がした。
無意識で音の方向へ目をやる。
それが落下した地点が赤く濁り出していた。
再び、肩に手をやる。
念のため両肩に手をやった。
何も居ない。
「まずは障害になりそうなものから」
誰かが後ろからそう言った。
当然の事をしただけとでも言いたげな程、自然な声音だった。
肩にアオイロが居ない。
「……あっ」
間抜けな声が出た。
やっと脳がそれを受け入れ始めた。
アオイロが消えた事を。
「あ、あ、ああ……」
漸く振り返った。
まず視界に入って来たのは、白く輝く片刃の刃物。
細くて真っ直ぐ伸びた、刃渡り80cmはありそうな刀。
日本刀のように綺麗な刀の先端が赤く塗られていた。
「やっぱり、あなたは優しいね」
刀が俺の胸に触れる。
切っ先が胸を撫でるように滑り後を付けていく。
シャツがバッサリ着られ、胸に縦線が入り赤色がジワリと滲み出る。
「救いようがなくて、どうしようもなくて、けど手放す訳にはいかなくて、取り扱いに困っていたのにそんな風に悲しむ事が出来るなんて。やっぱり、本当は凄く優しいんだ」
……こいつは何を言っているんだ。
視線を赤く塗られた刀の先から手に進め、そのまま上に向けていく。
いったい誰がこんな事をしたのかを確認しなくては気が済まなかった。
黒と白のゆったりしたローブを羽織っていた。
ローブの下には何も来ていないのか肌色が見える。
ただ、少し見えるだけでも肌色には無数の数字が刻まれているのが分かった。
漢数字でも、ローマ数字でも、この世界で一般的に使われる数字でも無い。
魔法の術式を書く時にのみ使用される特殊な数字。
鎖骨の下に13719659という数字が書かれている。
よく分からない数字から更に視線を上に上げる。
顔は黒い仮面で隠されていた。
どういう顔をしているのかは分からないが、声と少し見える肌から女なのが分かる。
俺の視線に気付いたのか、誰かが黒い仮面をギュッと片手で押さえる。
「ごめんね。まだ見られる訳にはいかないの。これからどうなるかは賭けだから」
「……なんでアオイロを」
殺したのか。
続きの言葉も喉から絞りだしたかったが出なかった。
「未来のためだよ」
「……どういう、ことだよ」
「ごめんね。言っても分からないと思うから今は言わない。……でも、異形化はしないのね」
「……っ!」
激しい怒りが込み上げてきた。
突き出された刀を横から掴み、激動のまま握り潰す。
握った手から血が滴り落ち、湖に混ざる。
「こんなものでっ……!」
こんな脆い物であいつは殺されたのか。
アオイロは自分の為に平気で人を殺すような屑だ。
殺されても文句を言えないくらいの事をしてきた。
世の為に討伐されて然るべき存在。
でもそれは今じゃない。
世界を知って、人の事を知って、自分のしでかした事の重大さを知ってもらう。
贖罪をしてもらいたかった。
それが俺のエゴである事は勿論知っている。
だけど! 俺がアオイロを突き動かす原因だったんだからそうでもしなきゃ気が済まないだろ……!
……なのに、なんだよこれは。
夢か。夢なのか。
なんで急にこんな事が起こるんだ。
やっと竜に会えたと思ったのに。
ここから始まると思ったのに。
なんでこんな事が起こるんだよ。
俺はただ……。
「ナーン!」
思考が沈みかけたが、掬い出される。
スズランが自分の意思で出て来た。
首回りに陣取ったスズランが黒仮面の誰かを威嚇する。
「ああ。惜しいね。あの時は特別だったんだ。誰も邪魔出来なかったんだね」
黒仮面は悲しそうにそう呟いた。
よく分からない不気味さがあり、身の毛がよだつ。
「まあ良いよ。今回はもう捨てるから」
悲しんだり、憂いを纏ったり、平常に戻ったり忙しい。
だが、スズランの温もりで冷静な思考が戻って来た。
衝動の趣くままに暴れてしまいたいが、それでは駄目な気がする。
敵は俺が取りたい。
だから俺は抗う。
「地面に移動するから手伝ってくれ!」
「ナーン!」
空中で落ちないように羽ばたかせていた翼を動かし、その場から離れようとした。
俺一人じゃこいつに勝てないかもしれないがスズランが居ればどうにかなるかもしれない。
首に居たスズランを両手で抱え、胸の前に持って来る。
スズランは頭から赤い花を生やし戦闘態勢に入った。
昔はその姿が苦手だったが、今では頼りになる物へと昇華している。
万喰らいのキンディノスフラワー。
スズランの正体である化け花の種族名。
化け物の蔓延る森で主をしていたスズランはチートレベルの強さを持っている。
スズランと一緒なら一先ずは……。
「ああ。駄目だよ。もう終わりなんだよ」
淡い期待は無情にも砕かれる。
――ボッ。
何処に逃げるか辺りを見ていると嫌な音がした。
音は間近。
近くで何かが爆ぜた。
遅れて目が開けていられない程の眩い光と熱が襲ってくる。
爆風に押されて飛んでいられなくなり、吹き飛ばされる。
飛ばされる自分の身体をなんとか制御しようと踏ん張るがどうにもならない。
木に激突する頃には胸に抱えていたはずのスズランが離れてしまった。
「もう一匹居たのは誤算だったな。また新しい道に入っていたんだね」
普通ならば、音よりも光の方が早く届いたはずだ。
それなのに、そうはならなかった。
誰かが俺達を衝撃から遠ざけた。
考えたくない想像がまた始まる。
地面に落ちたせいで身体が痛むはずなのに全く痛くない。
翼にはいつの間にか、木の枝が突き刺さっていた。
これではもう使い物にならない。
頭は働いているはずなのに、痛みの信号を発してくれない。
思考だけが冴えていく。
せめて見ないように……。
そう思っていたが、空から泥が降って来たせいで嫌でも理解させられた。
びちゃびちゃと身体に纏わり付いてくる泥には温かさがあった。
「……っ」
まだ仲良くなれてもいなかったのに。
……なんで、こう俺から奪っていくんだ。
「なんなんだよお前は! 俺から何も奪わないでくれよ! 一番大切なものを俺はもう……!!!」
「知っているよ」
黒仮面が地面に座り込む俺の前へ降り立ちそう言う。
「じゃあなんでこんな事をするんだよ!!」
黒仮面の言っている意味が分からない。
俺の言葉が通じているのかも分からない。
でも叫ばずにはいられなかった。
「あなたには目覚めてもらわないといけないから。これは試練……そしてあなた達への洗礼」
「どういう、意味だよ!!? ちっとも分からねえよ! それがどうしてこれに繋がるんだよ!!」
「幸福への道は難しいって事だよ。じゃあもうそろそろ、旅は終わり」
「……っ!」
意味の分からない事ばかり言う黒仮面へ苛立ちが募っていく。
例えここで死んでしまうとしても何もせずにはいられなかった。
折れた刀を構える黒仮面へ至近距離のブレスをお見舞いする。
雹水竜と同じ水ブレス。
雹水竜と違い、軌道を変える事は出来ないが人を殺せる威力はある。
「その状態でも使えるんだ。さっきの言葉を取り消そうかな」
ブレスは当たった。
当たったが、仮面に遮られて終わった。
しかし、仮面に罅が入り、一部が割れ目元が顕わになる。
「竜の鱗から作ったこれに穴を開けるなんてね」
何故だか嬉しそうに黒仮面はそう言った。
その姿を見た俺は震える。
動揺が隠せなかった。
仮面を少し壊す事しか出来なかった事でも、竜の鱗から黒仮面が出来ていた事も驚きだったが、それでは無い。
白い垂れ目。目元に見える黒子。
優しそうな目をしていた。
俺は何処かでこの目を見た事がある。
「ナーン!」
スズランの声のおかげで余計な思考が掻き消えた。
命のやり取りをしているのに、何を俺は呑気な事を。
「スズラン、無事か!?」
「ナーン!」
血だらけで使い物にならない翼を消し、俺の元へ駆けて来たスズランを迎え入れようと手を広げる。
スズランは俺と違って無傷だった。
白い身体が少し汚れているが、傷は何処にも見当たらない。
生物としての格の違いが明らかに出ている。
――広げた手にそんな俺の最強の召喚獣が触れる事は無かった。
スズランが空中で固まっていた。
躍動感溢れる白くてしなやかな肢体がピンと伸びたまま。
頭から生えている赤い花も一緒に止まっている。
不意の一撃を狙っていたのか、赤い花の先からは蔓が伸びており、その蔓が地面に潜っていた。
「――万物は停滞する。自転は止まり、何者も動けない。たった一人、私を除いて」
声のした方向に目を向けた。
スズランの後ろ、湖と俺達の間で宙に浮いた黒仮面の鎖骨下にある数字が眩い光を放っていた。
黒仮面の更に後ろに目をやると、湖から再び水ブレスが放たれていた事に気付いた。
俺が避けていた物とは比べ物にならない程太くて鋭い、水の塊が黒仮面に向けて無数に放たれている。
先が氷のように固まったブレスや、白い蒸気を立ち上らせているブレスが混ざっており、先程までの物が牽制でしか無かった事が窺える。
そんなブレス群も空中で静止していた。
どうして俺を助けようとしたのか。
目の前の黒仮面と何か関わりがあるのか。
雹水竜は俺の事を知っているのか。
聞きたい事が沢山出来た。
だけど、それよりも。なんで全部固まっているんだ。
「まさか……」
ポツリと呟く。
空中で跳んだ姿のまま固まるスズラン。
同じく動かない、雹水竜のブレス。
状況が受け入れられず、慌てて周りを確認する。
そして気付いた。
遥か遠くを飛ぶ鳥も、木の葉も、湖も全部が止まっている。
怖くなって足が勝手に後ろに動く。
何かが背中に当たった。
恐る恐る後ろに振り返る。
赤い枝があった。
俺の翼に突き刺さっていた枝。
電流に打たれたような感覚が全身を流れた。
「…………時が止まったのか?」
そうとしか思えなかった。
「正解」
停滞した時の中で俺の疑問に答える声が一つ。
胸上を光らせた黒仮面だった。
「誰にも邪魔はさせない。私達は世界の仕組みから切り離された。今この世界で動ける人は私とあなたと、もう一人」
喋りながらユラユラと動き、迫って来る。
俺の身体はまだ動くはずなのに、動かなかった。
情報の多すぎる状況に脳がパンクし、色んな考えが巡るだけで身体が動いてくれない。
黒仮面が折れた刀を構え振り下ろす。
鮮血が迸る。
右腕が半ばから斬られ、地面に落ちた。
「~~~~~っ!!?」
「音も、痛みも、血も……私達から発せられる物と、私が指定した一部の物は動くけどね。……どう、動けるようになった?」
黒仮面が何かを言っているが聞こえなかった。
やけに冴えている思考が痛みだけを俺に伝えてくる。
左腕で斬られた場所を押さえ、地面に座り込み、全身を丸める。
「ぐぅぅっ……!」
左手に力を込め、傷口を握り潰した。
「コウジ君って見かけによらず……まあ、その痛みからは直ぐに解放してあげるよ」
「っっ!!」
更なる衝撃が丸まった背中を襲う。
「ごめんね。痛いよね。だけど、しょうがないよ。この世界って理不尽だから。頑張って生きていても、誰かを生かそうとしても何かが現れて全部を台無しにしていっちゃうんだよ。こんな風にね」
黒仮面がしゃがみ込んで、痛みに悶える俺の耳元で何かを喋る。
「大変なのは分かるよ。……でも、あなた達は現実を知る必要がある。こういうのを乗り越えなきゃいけない事をどうか知って欲しい」
「……う、るせえ」
寄って来た黒仮面に至近距離から炎ブレスを放ってやった。
痛みのせいで上手く魔力を練れず、最低な出来だった。
「本当に凄いよ、コウジ君は。あなたならきっと……」
黒仮面には何も効いていないようだった。
最期に一矢報いる事くらいはしたかった。
何も出来なかったな…………。
地面を転がり、仰向けになる。
この世界の光景を目に焼きつけたかった。
近くにあった木は黒仮面に全部燃やされ、空がよく見える。
雲一つ無い綺麗な青空に、よく分からない生物達が飛んでいる。
ああ……。
こんなはずじゃなかった。
俺は何処で間違えたんだろうか。
………………ごめん、アズモ。
助けに行けなかった。
空を見つめていると、直ぐに何も見えなくなった。
音だけが微かに聞こえる。
「じゃあ、またね。私の可愛い――」
「――兄妹達」
一章 洗礼と凍てつく森の哀歌 ―完―
『…………良い。次からは一緒に――』
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