十四話 「竜の匂いだ」
「あれ、珍しいですね。先客が居ます」
ふらつくままに歩いていたら辿り着いた何の変哲もない普通の公園。
ブランコのような遊具に座って夜空を見上げていたら誰かの声が聞こえた。
声のした方向に目を向けると、武骨な木剣をぶら下げた赤髪の女の人と目が合う。
「なんか項垂れてます。辛気臭いのでどっか行ってくれませんか」
長さの揃ってないギザギザの髪の毛。グルグルとした螺旋模様の赤目。人混みの中に居ても直ぐに見つけられそうな真っ赤な服装。
赤色の女はこともなげに「そこからどけ」と言って来た。
「……お前こそどっか行ってくれ。俺が先にここに居たんだ」
「失礼な人です。私なんて毎日ここに来てるんですから実質あなたより前から居たような――」
木剣女が並べる屁理屈を無視した。
今はそれを聞いていられるほど心の余裕が無い。
コラキさんの口からアズモの名前を聞いてからの記憶が朧気だ。
まだ事実を受け止められていない。
覚悟を決めてこの世界に戻ってきたはずなのに、どうしたら良いのか分からなくなってしまった。
別れる時に何か言っていたコラキさんを置いて、上手く動かない足を頑張って動かして逃げるようにその場から去った。
そしたら、いつの間にか知らない場所に来ていた。
「聞いてますかっ!?」
「……」
「やっぱり聞いてない!!」
うるさい奴だ。
無視しているのになんでこんなに話し掛けてくるんだ。
「これからここで特訓するから巻き込まれないようにどっか行ってくれって親切で言ってるのに!」
どんな親切だよ。
「……全部避けるから問題ない」
「いやいや無理ですよっ! 見た感じお兄さんめちゃくちゃ弱そうじゃないですか! これからする特訓はそれはもう特別な特訓なので危険なんです!」
「お前みたいな人間よりも弱い訳が無いだろ」
「ははーん、さては見た目で私の事を侮ってますね。駄目ですよ人の事を勝手に弱いとか決めつけちゃ」
「……」
なんだこいつは。
普段だったら色々と強烈なこの赤髪の人と喋っていただろうが、今はツッコミを入れる元気も無い。
だいたいなんで夜の公園でボーっとしている奴に話し掛けてくるんだよ。
普通そんな何考えているか分からない奴の事なんて無視するだろうが。
「聞いてますかっ!?」
「……もうどっか行ってくれよ」
「なんか酷い事言って来た! もうキレました! 斬っていいですよね!?」
本当になんなんだこいつは。
もういっその事、俺の方から折れてまた適当にそこら辺を歩きでもするか、なんて考えていたら物騒な事を言って来たぞ。
「――やめとけよ、お前じゃその坊主は斬れやしない」
赤髪の女がギャアギャア喚いていると急に誰かがそう言った。
俺がブランコに座る原因を作り出した浮浪者のおっさん。
煙草をふかしながらベンチに寝そべる長い黒髪を一つ結びにした全体的に清潔感の無いおじさんが何故か会話に入って来た。
「あ、師匠! やっぱり今日もこの公園に来てたんですね!」
「だから俺は弟子を取った覚えは無いと……」
おじさんはやれやれと言いながらのそりと起き上がる。
吸殻を携帯灰皿にしまい、ブランコで会話する俺達の元に近づいてくる。
「あぁ、近くに来るとより強く感じる。花やスライムの匂いが強くて分かりづらいが確かに香る仄かな匂い」
「何気持ち悪い事言ってんですか師匠」
おじさんはゆっくりとした動きで俺の元へ近づいてきて、ブランコに座る俺の首元へ顔を寄せる。
そのまま鼻をスンスンと動かし至近距離で俺の匂いを嗅いできた。
そして、言い放つ。
「あぁ、やっぱり竜の匂いだ」
嫌悪感はあったが、動く気になれなかったのでされるがままそれを受けた。
だが、それは直ぐに間違いだったと気付く。
「……!?」
身の毛がよだつ。
匂いで竜だと言い当てられた。
咄嗟に後ろに飛び、ブランコ越しにおじさんの顔を見る。
「どうしてこの街に竜の匂いがする奴がいるんだろうか」
ヨレヨレの着物。ボサボサの前髪。伸びまくった髭。
ただの何でもないおっさんにしか見えなかったが、その人の瞳には覇気があった。
鋭い視線には、それだけで人の事を殺せてしまえるような威力が伴っている。
ドクドクと心臓が激しい鼓動を始める。
竜だとバレた。人間の国で竜だとバレたらどうなってしまうんだろうか。
「……へぇ、ちょうど新しい剣が欲しかったんですよね。前のが壊れちゃったから」
警戒するのはおじさんだけでは無い。
さっきまで馬鹿な事を言っていた赤髪の雰囲気も変わる。
赤髪の女の人が腰に下げていた木剣を手にし抜いたと思ったら、俺とおじさんの元まで一足で飛んで来た。
するとブランコの紐が切れ、支えの失った板が儚い音を立てながら地面に落ちた。
「確か竜に関する何かを引き渡せばお金が貰えるんでしたよね!」
そう言って更に斬り込む。
木剣を的確に振り、頭や胸を躊躇なく打ち抜こうとしてくる。
俺はそれを本調子が出せない身体に鞭打って必死で避けた。
赤髪の女は木剣を薙ぎ、俺を斬り殺さんとしてくる。
ブン、ブンと鈍い音が響き、俺の居た場所を掠めていく。
一振りの威力が凄まじく、生じた風が遊具を斬り付け、草木を絶つ。
避けても避けても赤髪はどこまでも付いて来て、木剣を振るう。
それに当たったら大打撃を喰らう事に間違い無い。
飛んで距離を取りたいが、翼を生やす事に意識を割くのが難しい。
距離を取らなければいずれかやられる。
なら――
「――!」
「うわぉっ! 口から火が出せるなんてますます竜って気がしてきましたね! 師匠の言葉を信じて斬りかかりましたが、合ってそうで良かったです!」
炎ブレスを吐き、強引に赤髪を引き離す。
直ぐに翼を生やし、空に逃げて態勢を整える。
「正解だったっぽいですね!」
俺の姿を見た赤髪は嬉しそうにそう言った。
……バレた。完全に竜だと思われている。
竜の翼も見せてしまった。
顔も見られた。この街で暮らしていくのはもう厳しいかもしれない。
あの二人を倒せばどうにかなるのか、あの二人を俺は倒せるのか。
コラキさんや、トガルさん、リイルさん……この街で出会った人とはもうお別れしなくては駄目か。
逃げなければ。
ここから逃げなきゃアズモに会うどころか、命すらも危うい。
――俺は何処に逃げれば良いんだ?
この世界に俺の居場所なんて――
「機械魔法、灯火」
空を飛び、赤髪の攻撃範囲から抜けると、おじさんが何かを呟いた。
すると、おじさんの背後から何かが現れる。
赤熱する無機質な鳥が数羽現れた。
小さな鳥達は翼から炎を噴出しながら俺の元まで飛んで来た。
……なんだこいつらは!
鳥達は攻撃こそしてこないものの俺の進路を妨害するように飛び、逃げられなくしてくる。
鬱陶しく思い、炎ブレスを放っても効いている感じがしない。
「――うっ!?」
火の機械鳥達を空中で躱し続けていると、右の翼に痛みが走る。
見ると、木剣が突き刺さっていた。
「お、なんとかなれーって投げてみましたが当たりましたね!」
鳥達にかまけている間に赤髪の女が木剣を投げていたらしい。
刺された翼が痛み、動かしづらくなる。
もしこれが頭や胸に突き刺さっていたらと思うとゾッとした。
投げている事に全然気付かなかった。
鳥の動きが巧妙で、下に意識を割いている余裕が無かった。
おじさんの方が中々の使い手なんだと思われる。
おじさんへの評価を改める必要がある。
……この翼では逃げるのは難しいだろう。
二人とは戦わなくてはならなさそうだ。
そう考え地面に降り立つ。
鳥達は俺が地面に下りると去っていった。
「悪いな坊主。見つけちゃったからにはお前を逃がす訳にはいかないんだ」
「……」
翼を消すと、木剣がカランと音を立てて地面に落ちた。
―――――
「はぁ……失敗したなぁ……」
溜息をつきながら夕食の用意をする。
いつものようにご飯をつまみ食いしようとする弟の行動を阻止している間も、頭の中では図書館に居た時にコウジさんが見せた表情が離れなかった。
『――そんな事をするような家族じゃないはずだ!』
竜王家の話を出したらコウジさんは怒りの表情を顔に浮かべた。
背中に生える翼を理由に難癖をつけて何かを言って来る人とは違う怒りの表情。
誰かを心配していて心に余裕が無さそうな怒りの表情だった。
そんな事ない、という台詞が顔に浮かんでいた。
コウジさんは竜の翼があるだけで、竜そのものでは無いのだと思う。
破れたワイシャツから背中を見たことがある。
痛々しそうに赤く腫れた人間の背中があった。
何かしらの事情で竜の翼を持っているだけで、身体そのものは人間なのだと思う。
明らかにあの背中は飛ぶのに向いていない。
どうしてそうなっているのかを聞きたい。
どうして魔物の国に行きたがっているのかを聞きたい。
……でも、聞けない。
聞いて良いのか分からないから聞けない。
お姉さんとして、年上として、コウジさんの詮索はあまりしたくない……。
「どうしたの? 何か考え事かしら?」
仕事から帰って来たお母さんが私の顔を見てそう言った。
「なんでもない」
「そう」
「うん。心配してくれてありがとう」
お母さんとの短い会話を終える。
料理に戻りしばらくすると、仕事着から部屋着に着替えたお母さんがわたしの隣になって夕食の手伝いに来た。
「最近あなた何か目標でも出来たの?」
「え……?」
不意に心の中を当てられて固まった。
お母さんはそんなわたしの様子を一瞥すると、ポツポツと語り出す。
「前までのあなたはいつも浮かない顔をしていたけれど、ここ最近のあなたはそんな顔をしなくなったの。家計を助ける為に頑張ってくれているギルド職員業の方で何かあったのかなって」
「どうして……」
どうして分かるの。
わたしはまだ誰にも何も言っていない。
まだ言う時では無いと思って言っていなかった。
家族みんなで翼を理由に迫害されない場所に行きたいということを。
「分かるよ。だってお母さんだもの、わたし」
「……」
「あなたが頑張ってくれている事は知っているわよ。でも母としては傷ついていくあなたを見たくないと思うの。だからせめて、あなたが何を抱えているのかを教えてほしいな。勿論、話せるようになったらで良いから」
「うん。ありがとう」
「ううん。あなたこそいつもありがとうね」
「うん……」
そう言って、無言で料理を再開する。
いつか話そう。そう心に決めた。
「あれ……」
ご飯をテーブルの上に運びながら、ふと窓から街頭に照らされる外の様子を見た。
見た事のある小さな生き物達が夜道を歩いている。
白色の小さい獣と、頭からオレンジの花を咲かせた小人。
スズランちゃんとアオイロ……さんだ。
コウジさんの召喚獣達。
だけど、今は……。
「なんか一匹増えてる……」
泥のような塊が一匹と一人の後ろをゴロゴロと転がって移動していた。
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