五話 「空を飛んだ事はありますか」
「今の見ました? うえってやっていましたよ、うえって! 人前で吐く事は多々ありましたが、見る側に回ったのは初めてかもしれないです! 控え目に言って最高でしたね、大の大人が場所を選ばず吐く所を見るのって!」
白い机の上に転がったアオイロが腹を抱えて笑う。
常ならば、アヒャヒャヒャという効果音がこれ以上なく似合う笑い方をするアオイロを叩き潰しているところだが、今はそんな気になれなかった。
「なんて謝ればいいんだ……!?」
机に肘を付いて頭を抱える。
「コウジ君が謝る必要なんてないですよ。あれが勝手に吐いただけなので」
「いや、それまで良かったのに、俺の言葉を聞いている途中に吐いたんだぜ!? どこからどう考えても俺が悪いだろ! 翼か? やっぱ翼だよな? あれに触れたのが悪かったのか? でも普通あんな綺麗な物が地雷だとは思わねえだろうが……!」
小部屋に俺の絶叫がこだまする。
あの後……、俺を担当してくれた受付のお姉さんが吐いてしまった後、近くにいた他の受付のお姉さんに物凄く謝罪をされた。
俺はその謝罪を呆然としながら受けた。
俺が悪いのでは……?
その思いが頭をグルグルと回り、そこから暫くは何の言葉も頭に入って来なかった。
気付いたら着ていた服を取られ、半裸のままギルドにあった小部屋に押しやられた。
「この後、汚してしまった服のクリーニング代と替えの服をコラキに持たせて謝罪に行かせますので、暫くここでお待ちください」
そう言われてここに移動してから、もう一時間以上経ったような気がする。
時間が経てば経つ程、お姉さんを吐かせてしまった事実と、当事者なのに何がいけなかったのか分からないという申し訳なさが複雑に絡み合い、この後どうすれば良いのかが分からなくなる。
「アオイロはどうしてコラキさんが吐いてしまったのか分かるか……?」
自分じゃ何も分からず、普通だったら絶対に頼らないアオイロに頼ろうとする始末。
追い詰められているのが自分でもよく分かる。
「私に分かると思いますか? 繊細な人間の気持ちなんて私には分からないですよ」
「そう、か……、悪い……」
アオイロには人間の気持ちが分からない。
――だから俺は、そんなアオイロにそれが理解出来るよう色々と示さなきゃいけないのに、倫理観とか人間のあれこれを教えなきゃいけない立場なのに……。
何をやっているんだ俺は……。
自責の念に囚われる俺を見かねてかアオイロが言葉を掛ける。
「……繊細な人間の気持ちは分からないですが、その人間を貶める人間の気持ちなら分からない事もないですよ。特に何も出来ない者の気持ちなら分かります」
「そうなのか……?」
「人間は自分と違う者をどう見ますか。自分には出来ない事が出来て、自分よりも優れている人を見たらどう思いますか」
「俺ならすげえなあって思うが……」
俺だったら出来ない事にぶち当たったら一先ず頑張る。
それが出来る人を頼ったり、自分なりに方法を調べたり、ひたすら練習したり……それで駄目だったら諦める。
出来る人はすげえなあ……って聴衆に回って終わりだ。
自分はつまらない人間なのかもしれない。
なあなあで済まして出来る人を羨んでばかり。
「もしもそんな人に忌むべき種族と同じ物があるって分かったらどうなると思います?」
「……ああ。本質は何処に行っても変わらないのか」
人類を脅かす種族と同じ物を持っているという叩く為の大義名分。
気に食わない人間の粗を探して、それを理由に危害を加える。
……魔物だったら、自分に無い力を持つ魔物を見た場合はどう倒すかを考える。
自分の持っている武器でどう相手を倒すか。
相手の牙をどう防ぐか、相手の足にどうやって追いつくか、手の届かない場所に上がる相手にどうやって攻撃するか。
それは先進国でも変わらない。
最後は腕力のある魔物が勝つ。
……それに比べて人間は。
真偽は定かではない。
だが、可能性の一つとしては充分で――
――コンコンコンコン。
不意に扉が叩かれる。
「……し、失礼します」
声が聞こえ、扉がガチャっと開く。
俺を担当してくれた受付のお姉さん、コラキと呼ばれていた鳥のお姉さんが入室してきた。
「さ、先程は申し訳ありませんでした! 粗相をしてしまい服を汚してしまい申し訳ありません! こ、これをお受け取りください!」
頭を下げたコラキさんの手元には畳まれた黒い服が乗っていた。
タグが付きっぱなしで、今さっき買って来たばかりだと思われるワイシャツとズボンだった。
恐らく、俺が着用していた制服を元に合うサイズの物を買って来たのだろう。
学校で異世界での記憶を取り戻した俺は、そのまま直ぐにアオイロと戦って倒し、支配下に置いたアオイロの力を使ってこの世界に戻って来た。
空を飛ぶために竜の翼を生やしたり、死闘を繰り広げたりした為に擦り切れてボロボロになっていた高校の制服。
ワイシャツの背中部分なんて、大穴が開いてしまいまともに着れた物では無かったのにわざわざ店まで行って新しいのを買って来てくれた。
「……俺こそ配慮が足りずすみませんでした」
やるせない感情で心が満たされる。
コラキさんは何も悪い事なんてしていない。
俺が勝手にコラキさんの触れて欲しくない物に触れて心を抉っただけだ。
コラキさんから服を受け取り、異世界の服に身を包む。
上はワイシャツで下はスーツ。同じような物を用意してくれていた。
「そんな、わたしなんかに謝らないでください! 悪いのは――」
コラキさんは俺が服を着ている間も頭を下げ続け謝罪の言葉を述べる。
頭を上げてくださいと言っても下げたままで、明らかに行き過ぎた言葉を並べ続ける。
「――ですので、誠に申し訳ございませんでした!」
「いえ、本当に気になさらず……」
謝罪は十分以上続いただろうか。
何を言っても止まらなかったので、途中からは黙って聞いていた。
澱みなく紡がれる自分を下げた言葉の数々にこちらの精神が磨り減る思いと同時に、コラキさんから謝罪への慣れを感じた。
何度こうして誰かに謝って来たのだろうか。
「――はぁぁ、よくそんなメンタルでこの仕事を始めましたね」
やっと謝罪が終わったので、明るい話でもして空気を一新しようとしたら、先程まで机の上で退屈そうに伸びをしていたアオイロが、机の上から俺の頭に飛び乗りコラキさんに小言を漏らした。
咄嗟の事で止められず、アオイロの言葉は全部コラキさんに放たれてしまう。
しかし何故だかアオイロは少し怒っているようで、言葉に険しさが含まれていた。
「……お前は本当に!」
「実際そうじゃないですか。色んな人間を相手にする職業に就いているのにそんな性格では他の方々にとっても迷惑です」
慌てて頭の上に居座るアオイロを乱暴に握って喋れなくしようとしたが、アオイロは俺の手をヒョイと避け机の上に飛び、話し続ける。
「何年この仕事を続けて来たんですか? あと何年この仕事を続けるつもりなんですか? あと何回そうやって問題を起こすつもりなんですか?」
「わ、わたしは……」
「違う仕事に就いた方が良くないですか? 何か辞められない理由でもあるんですか?」
「わたしが働かないと沢山の弟と妹が…………」
「じゃあその性格を直すしかないじゃないですか」
「もう止めろ」
器用に逃げ続けるアオイロをやっと捕まえた。
いつもなら簡単に捕まられるのに今回は俺の手をスルスルと躱し逃げ続けていた。
アオイロを掴んで折檻し、暫く動かないようにする。
「……その、こいつの言った事は気にしないでください」
「いえ、事実ですから……」
最悪の空気が流れ始める。
流石にこの状況を覆せる程の話術を俺は持っていない。
俺なりに気の利いた事を言っても、コラキさんの琴線に触れ新たな火種になってしまう気さえする。
「そ、それ、それじゃあ、さきほど出来なかった冒険者登録の続きでもっ!」
「……今日はもう大丈夫です。明日の朝また来るのでその時にお願いします」
「……あ、は、はい。では明日に」
この空気の中、冒険者登録をする気が起きない。
コラキさんがいそいそと動き出し机の上に置いてあった資料を手に取り、部屋を出る準備をする。
俺もそれに倣い、座っていた椅子を席に戻す。
大した物なんて何も持たずに部屋に入ったが、一応最後に部屋全体を見回し忘れ物が無いかを確認する。
窓の向こうがもう暗くなっていた。
それと白い机の上に潰れたままのアオイロが乗りっぱなしになっていたのに気付いたので、無言でポケットにしまった。
「あ、ど、ドア開けておきますね……」
「ありがとうございます」
俺と一緒に部屋を確認していたコラキさんがドアに近づいていく。
明日は上手く喋れるだろうか。
明日こそコラキさんに冒険者登録してもらって行く行くは打ち解けて……。
――俺はこの人とまた明日会えるのか?
前を行くコラキさんの背中を見ていたら燻っていた思いに火が付き色んな思い出が蘇ってきた。
二回だ。二回も俺は唐突な別れを経験した。
一回目は日本から異世界に行った時、二回目は異世界から日本に戻って来た時。
どちらも、俺の事情なんて関係なしに訪れた。
誰かと明日も会える保証なんてないんだ。
「…………空を飛んだ事はありますか」
「……っ」
突然俺にそんな事を言われたコラキさんの動きがピタリと止まった。
ドアノブに伸びた手が固まり、必死に絞り出したような言葉にならない声が出る。
「空が飛べると知った時、俺は凄くワクワクした。寝る間も惜しんで飛ぶ練習をした。大空を翔ける事に憧れがあったんだ」
ひたすら飛ぶ練習をしまくった。
満足に動かない身体に鞭打った。
木から飛び降りて空を滑る感覚を身に着けた。
「普通に生きていたら経験出来ない事なんだ。そんなもの憧れるに決まっているだろ?」
疲れた。眠い。と言うアズモに「もう一回、もう一回だけ」と何度もお願いしてとにかく練習した。
呆れる親父に頼みこんで何度も飛ぶ所を見せてもらった。
「だから飛べた時はたまらなく嬉しかったんだ」
「な、何を言って……?」
「……魔物化」
コラキさんが振り返るのを見た俺は唱える必要の無い言葉を唱えた。
本来ならば練習しすぎて要らない言葉だ。
この言葉を唱えると、人型の魔物に魔物としての特徴が備わる。
背中から生えようとする翼がワイシャツを窮屈そうに押し上げる。
人間の柔肌で触れたら怪我してしまうほどに硬くて鋭い鱗翼で構成された翼だ。
貰ったワイシャツのボタンがギシギシと軋み、ワイシャツに付きっぱなしだったタグが暴れて弾き飛ばされる。
そう時間が掛からない内にワイシャツを裂いた翼が現れた。
それがよく見えるように左右に大きく広げる。
黒い翼が照明を隠し、コラキさんが影に包まれた。
「あっ、あ、あなたは人間じゃなかったんですか……?」
「俺は人間だ。……だが魔物でもある」
竜王家末娘アズモ・ネスティマスに憑依した俺は六年間を魔物として……竜として生きた。
異世界から日本に強制送還された時に俺は元の身体に戻された。
だから身体はもう魔物では無い。
……だが、魔物の力はまだ使える。
俺の心にはアズモの残滓が残っている。
怯えて震え出したコラキさんの手を取り、引き寄せた。
そのまま窓辺まで歩き、窓を開け放つ。
「飛んだ事は?」
「な、ないです……」
「なら、失礼して」
「ひゃっ」
後ろからコラキさんの脇に手を入れ抱えた。
「夜の空中散歩といきましょうか」
数秒後、部屋にはドアの前に落ちた資料だけが残った。
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