二話 「この森で竜を見た」
大きな熊の背中が邪魔で見えづらいが、近づくと杖を持った薄着の女性が青い顔をして座り込んでいるのが見えた。
熊は四本の腕を広げ、怯える女性にゆっくりと近づいていく。
女性は目を見開き、ガタガタと震えながら迫って来る熊を見ていた。
……とても厭らしい熊だ。
生きる為に殺すのなら獲物をさっさと殺せば良いのに、戦意の失くした女性にもったいぶるように非常にゆっくりとした動きで迫る。
……だが、そのおかげで追いついた。
俺は口から炎のブレスを放った。
ゆっくりと動く熊の脇腹に命中させるのは造作でも無い。
「グッオオオ!?」
一度目の異世界、俺は竜の女の子と運命を共にした。
ブレスの使い方は竜の家族に教えてもらえた。
竜の身体から人間の身体に戻った今でも、ブレスの使い方は忘れていない。
口に魔力を込め、属性を付与して使いたい形へと練り上げる。
ただそれだけの動作で思い描いたブレスを使う事が出来る。
便利な遠距離攻撃手段だ。
熊が怯んだ隙に、女性と熊の間に降り立つ。
何をされたのか熱さで理解した熊は地面に転がり、自身の毛についた火を消そうとしていた。
「……熊を見ると異世界に来たって感じがするな」
洞穴で戦った時もそうだが、一度目に異世界に来た時もこの熊は窓の向こうから俺を歓迎してくれていた。
下半身を消失し窓に張り付きながら。
あれがあまりにもスプラッターすぎて暫く忘れられなかった。
ふと、ローブ姿の女性に目を向けると、いきなり現れた俺に驚愕した表情を向けながら口をパクパクさせているのが分かった。
何が起こったのか理解出来ずに乱心しているのかもしれない。
話し掛けて緊張を解してあげたいが、俺の拙い異世界語でそんな事が出来るだろうか。
「あー、お姉さん無事ですか? ……これで言葉通じるよな?」
「……!?」
女性は驚くだけで何も返してくれなかった。
「やっぱ通じて無いのか……。ちゃんと言語の勉強をしときゃ良かった」
「言葉は合っています。問題はその翼ですよ」
「おっと」
肩に乗っていた小人の言葉で気付いた。
俺の背中に生えた翼。
これは竜の翼と全く同じ物である。
そして竜という生き物は、この世界の人間が本能的に恐れている生き物だ。
人間とコミュニケーションを取るのならば、竜としての要素は隠すべきである。
何事も無かったかのように翼を消し、女性に出来る限りの笑みを向けた。
「グォオオオオオ!!!」
そのまま女性とコミュニケーションを取ろうとしたが、地面に身体を擦りつけていた熊が再起動したらしい。
「現地人とのコミュニケーションよりもまずは化け熊退治か」
関心を女性から熊へと移す。
熊が激怒して飛び掛かろうとしていたので、今度は顔面に炎ブレスをお見舞いした。
「グ、グォオオオオオ!!?」
熊が四本の腕で顔を覆い全身を震わせる。
熱さを冷ますように腕で擦っていた。
暴れる熊へ近づき、がら空きになっていた腹へ何発か蹴りをお見舞いする。
俺の攻撃に対応する為に慌てて胴体を腕でガードしようとした事で空いた顎を蹴り上げ吹っ飛ばす。
殺すなら、出来るだけ対象を苦しませないよう迅速に。
少し身体を浮かせた熊へ対して、再びブレスを放つ。
水の属性を付与し、可能な限り細くなるように魔力を練った特殊なブレス。
水ブレスは顔面を押さえていた手ごと貫き、熊の頭を抜けていく。
「え、本当に隠す気あります?」
「練習すれば誰でも口から炎吐くくらいは出来るんだよ」
「水もですか?」
「そりゃあな」
肩に乗っていたアオイロがよく分からない事を言って来る。
火が使えるのなら、水も使えるのは道理だろう。
「な、何者なんだ、お前は……」
先程見かけた鎧に身を包んだ男性が足を引きずりながらやって来た。
長剣を握った男性が俺から女性を守るように前に立つ。
明らかに俺の事を警戒している。
「俺の名前はコウジ。ただの人間だ」
「人間……。本当に人間なのか?」
「れっきとした人間だぞ、ほら」
安心させる為に、男の目の前で両手を広げクルリと回った。
何処もおかしな所なんて無いただの人間の身体を見せつける。
「確かに人間だな……。疑って悪かった。それと助かった、ありがとう」
なんとか人間である事を理解してもらえたようだ。
言葉が通じるかが少し不安だったが、問題なく伝わっている。
学園で言語の勉強をしたのは無駄では無かったようだ。
「お礼なら近くの街まで案内してくれないですか? 道中の魔物からお兄さん達を守るよ」
「それは助かる。しかし、見たところ何も持ってないようだが、何をしにここまで来たんだ?」
「俺は……」
……当然の疑問か。
武器も何も持たずに魔物が居るこんな森までやって来たんだ。
一先ず人間だと思えてもらったようだが、怪しい存在である事に変わりは無い。
何をしにここまで来たのか、か……。
森に来た理由なら悲鳴を聞いたからだが、それは答えとしてあまりよろしくない。
悲鳴が聞こえる距離……空を飛んでいた事に繋がる恐れがあるし、たまたま近くを歩いていたにしては場所が場所だ。
そうだな……ここは、異世界に戻ってきた理由でも言って濁そう。
「女の子を探す為に、ここに来たんだ」
男の目を見て、はっきりとそう言った。
女の子……アズモ・ネスティマス。
六年間の時を一緒に生きたコミュ障な竜王家末娘。
一人で生きられないその子に会う為に俺はここにやって来た。
「なるほど、そうか…………。その子はコウジにとってとても大事な子なんだろうな。しかし残念だが、今この森には俺達以外に人間はいない」
「教えてくれてありがとうございます」
伝わった……のだろう。
納得したように息を吐き、森に誰も居ない事も教えてくれた。
「肩を貸しますよ、捕まってください」
「――ガブッ!」
「いてっ」
肩に乗っていたアオイロを丸めてポケットにしまおうとしたら噛みつかれた。
「肩なら二つあるじゃないですか! それに最悪、頭にでも移動しますよ!」
アオイロが手にしがみつき抗議をしてくる。
俺としては、アオイロがこの人達になんか良くない事でもする気がしたのであまり近くには置いておきたくなかったのだが。
「そいつは……?」
俺達のやり取りを見た男が、疑問を口にする。
考えてみたら、俺なんかよりもこいつの方が説明に困るんだよな。
なんて答えるべきか……。
「こいつは……」
「花の妖精です」
どう答えるか悩んでいる間にアオイロが出鱈目な事を口にした。
頭から花を咲かした小人の姿になっているアオイロだが、正体は変幻自在な液体の魔物である。誤魔化す為とは言え、シレっと嘘を吐きやがった。
「花の妖精か。精霊とそんなに打ち解けているなんてまさか腕の立つ魔法使いやテイマーだったりするのか?」
「あー、魔法使い……? いや、テイマーですかね……」
「やはりか。しかし、なんで自分の職業なのに疑問形なんだ?」
職を問われた俺も流れるまま嘘を吐いてしまった。
ただこればっかりは説明するのが難しいので許してほしい。
よく分からないが、たぶん俺はテイマーみたいなものだろう。
アオイロ以外にも召喚出来る生き物がいるし、魔法が使えないので魔法使いを名乗る訳にもいかない。
召喚獣を使役出来て、魔物を手懐けている俺はぎりぎりテイマーと言っても過言では無いだろう。
「えっと……ところで、お兄さん達は?」
男に肩を貸しながら、今度はこっちから質問をする。
質問され続けられてしまったら確実にボロが出るので逃げる事にした。
「あぁ、俺はトガルだ。そこで腰を抜かしていんのはリイル。クエストでこの森にやって来た」
「トガルさんに、リイルさんですね。……トガルさんに肩を貸しといてなんですが、リイルさんは動けそうですか?」
「た、たぶん大丈夫よ。私はトガルと違って怪我をしている訳でも無いし。歩くのは遅いかもしれないけど……」
リイルさんが手に持っていた杖を地面に立て、立ち上がる。
ヘコヘコ歩いているようなので心配なのだが、動けるのなら取り敢えずは大丈夫だろうか。
「それでクエストですか……。さっきの化け熊の討伐ですかね?」
……この人達は冒険者として見て間違いがなさそうだ。
戦う術を持たない一般人がこんな場所に来るのは危険過ぎる上に、装備品の何処にも紋章や家紋が無いので兵や軍の偵察でも無いだろう。
そして、冒険者にはギルドという所属組織がある。
ギルドは様々な人々から依頼を受け、それをクエストとして冒険者に委託する。
言ってしまえば派遣会社みたいなもんだ。
「いや違う。俄かには信じられんかもしれんが、この森で竜を見たなどという情報が色々な奴から寄せられたようでな、それを確かめて来いというクエストが掲示板に貼られていたんだ」
「……へえ、そうですか」
まさかこんな直ぐに、竜と巡り合えるかもしれないとは思ってもみなかった。
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