第四一話 淡い想い

 ——深く深く、暗闇の中に沈んでいる気がする……僕は今暗い夜の闇の中に浮かんでいるのだ。


「いい加減起きんか……ったく……」

 イラついたような声をかけられ、僕はゆっくりと目を開けるが……そこにはあの爬虫類のような目を持った、端正な顔立ちの少年が僕を覗き込んでいるのが見える。

 うん、これは夢だ、そうに違いない……もう一度目を覚ましたら、僕はいつものように朝食を食べに行って友達が一緒にご飯を食べて……そんな期待をしながら再び目を閉じるが、瞼を無理やり掴まれて思い切り引っ張られたため、僕は悲鳴を上げながら目を開ける。

「い、痛い……! やめ、やめてください……!」


「やめてくださいじゃねえの、このクソガキが……お前に龍使いロンマスターの力を見せるために変わっただけなんだから……次はあれくらいやるんだぞ?」


「……龍使いロンマスター……僕には無理ですよ……」

 僕の返答に青筋立ててビキッ! とした表情になった少年だが、僕が無理だって思った理由はいくつかある。

 確かに体の主導権を渡した後の動きは凄まじかった……あれは千景さんどころか、僕が知る限りのヒーローが持つ才能タレントよりも遥かに優れた……はっきり言えば異質な力だ。

 一歩間違えれば簡単に人を殺してしまう……無邪気に千景さんに龍使いロンマスターについて学んでいたときは、こんな凄まじい力が出せるなんて思っていなかったのだから。

 そう、怖いのだ……僕は、僕がになってしまうことに、今更ながら気がついてしまった……そんなの怖すぎるよ。

 少年は何度か深呼吸をすると急に作り笑いを浮かべて、揉み手をしながら僕に話しかけてきた。

「何か勘違いしてるようだけど、見てるか? 自分の体を治した龍使いロンマスターの力を。それはお前さんが恐怖を覚えるようなものではないはずだが」


「あれは……確かに、そうですけど……」


「確かに龍使いロンマスターの力は強大。使いこなせればヴィランの王とて倒せるものだ。だが先代はきちんと力の使い方、コントロール方法を学んだ。それ故に最強のヒーローたり得たのだ」

 少年は揉み手を止めて諭すような言葉で僕に語りかける……先代龍使いロンマスター竜胆 刃りんどう やいば、千景さん、超級ヒーローであるライトニングレディの師匠にあたる存在。

 彼は確かに強かった、そして正義を貫いた……それゆえに千景さんはずっと竜胆さんへの想いを抱えて生きていると言うことを僕は少ない彼女との時間の中でちゃんと知ることができた。

「コントロール方法って……どうすれば……」


「学ぶしかあるまい」


「……答えになってませんよ」


「少なくとも私が出てこれるくらい、君は龍使いロンマスターとしての初歩の初歩を学ぶことができた、これは千景のおかげだ。彼女に師事し肉体を鍛え、精神を鍛え……そして愛と勇気を学ぶ、全てを積み重ねた先に龍使いロンマスターを使いこなすという目的が果たされるだろう」

 少年はニヤリ、と笑って僕の頭に手のひらを載せる……ほのかに温かみを感じるその手は優しく僕の頭をくしゃくしゃ、と撫で回す。

 その行動を僕はずっと前に知っていた気がしてハッとする……僕の中に別の誰かの記憶がある。

 恥ずかしがって真っ赤な顔で抗議をする見下ろすように千景さんの照れ臭そうな顔と膨れっ面が見える。僕が知っているライトニングレディではなく、まだずっと細くて若いその姿は、おそらく僕のではなく……。

「ま、焦らずじっくりやりなさい、龍使いロンマスターの道を歩むもの、私はいつでも君を




「千裕くん……私を助けてくれて……」

 伊吹 七緒は病院のベッドの上で点滴を打たれたまま眠り続ける千裕の手をずっと握ったまま、彼の寝顔を見つめている。

 ポイズンクローとヘヴィメタルとの戦闘後、ナイトマスターと名乗るヴィランが撤退した後いきなり倒れて昏倒した千裕は、三日が経過した今も意識を取り戻していない。

 医者の見立てでは恐ろしく疲労しており、体力が戻れば次第に意識を取り戻すだろうと言うことだったが、それでもあの時彼が自分を助けてくれたこと、そしてその彼の笑顔や優しさに胸が高鳴ってしまったこと。


「あの時千裕くんは違ってた……多分普通の状態じゃなかった……けど、私を助けてくれた……」

 彼のほのかに暖かい手を握っていると落ち着くような気がして、学校が終わるとすぐにこのヒーロー専用の病院に来て、面会時間が終わるまで彼の顔を見ているのが日課になってしまった。

 彼が目を覚ましたらどう声をかけてあげればいいのか、どんな顔で彼を見ればいいのか……ずっとわからない。


 今までずっともう人を好きになるなんてゴメンだと思ってた、好きになった人に裏切られる思いなんかもうしたくないって思ってた。

 中学までの自分はずっと大人しく、人の良い自分を演じていた……元々才能タレント検査で勇武に進んだ方が良い、と言われていたけど、でも人を傷つけることが嫌でそれを隠すように普通の人のように生きていた。

 能力もずっと目立たないように、ずっと力が出せないようなをし続けていたのだ。


『知ってる? 伊吹ってスッゲースタイルいいんだぜ、昨日ちょっと脱がしてみたんだけどさ……』

『お、ついにヤったのかよ?』

『本番はまだだけどさ、次はイケると思うんだぜ、あいつ割とチョロくてさ……』

『見た目は割と固そうなのにな……』


 ズキッと胸が痛む……中学生時代に偶然聞いてしまった会話、好きだから付き合ってほしいと言われて気軽にオーケーした相手が、裏側でそんな会話をしているなんて思うわけないじゃないか……。

 それほど好きじゃなかったけど、好きになりたいと思ってずっと接している相手がそんなこと言うなんて思わないじゃないか……だから悔しかった。

 だから勇武に入って全部リセットするつもりで、入学直後から明るいキャラを演じてきた……それまで演じるのには慣れてたから。

「……助けられて、好きになっちゃったなんて伊万里っちにどう説明したらいいの……」


 千裕の寝顔を見つめていた七緒は、胸の高鳴りが抑えられない。

 あんなに逞しかったなんて知らなかった、暖かいなんて思ってもみなかった、とても紳士だった……全然タイプじゃないと思ったのに、いつも泣きそうな顔してて、私がイタズラすると恥ずかしそうに目をふせる彼が、あんなに男らしいとは思ってもみなかったのだ。

 じっと千裕の寝顔を見ていると、規則正しい寝息が聞こえる……先生は大丈夫、疲労してるだけだって話してたからきっと起きてくれる。


 ふと、急にイタズラがしたくなって七緒はそっと彼の頬に顔を寄せる……ちゃんと彼が起きたら、いつか伝えたいけど。

 今はまだこの気持ちを隠しておくほうが良いかもしれない、あんな酷い言葉を言う人ではないと思っているけど、それでもまだ自分から好きと伝えるのはものすごく怖い……。

 だからこの距離感でしばらくは……それでいい、はずだ。七緒は眠りこける千裕の額にそっと手を這わせると、優しく微笑んでその場を離れる。


「おやすみ千裕くん、起きたらまた一緒にバイトしようね……」

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